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破壊こそ創造

バイオゴリラの猿言葉に影響受け過ぎなブログタイトル うつや社交不安障害持ちの野球好きが徒然なるままに色々ほざきます

今期アニメ【2015秋アニメ】で最も印象に残っている回は?コンクリート・レボルティオ第5話日本『怪獣』史後篇

アニメや漫画

nishimori-yu.hatenablog.com

上記の企画に参加してみたいと思います。
今回紹介するコンクリート・レボルティオ~超人幻想~。
昭和時代(特に1960年代~70年代)の歴史、特撮・アニメなどのサブカルが高度に混ざり合い、毎回情報量が多くて大変なアニメです。
そんなコンレボの第5話、後篇の話です。

星野輝子ちゃん「私の中にも怪獣います。滅茶苦茶戦っているんです」

怪獣を自らの政治的アジテーションのために利用し、デモ隊と怪獣メガゴンと生みの親たちが行進していきます。
超人課は事故を装ってメガゴンを抹殺しようとしますがそれに失敗します。
爆炎をバックに立ち上がるメガゴン。
するとなぜかデモ隊の人たちは目がゴンが苦手とする光を目がゴンの目に当て始めます。当然メガゴンは暴れだすのですが、彼らは
「すげえ!」「暴れろおお!」とお祭り騒ぎ。
メガゴンは安全だと証明する場だったはずなのに、
みんな内心破壊を望んでいたのでしょうか・・・
確かに怪獣映画でも一番観客が望むのは、怪獣の大暴れです。
彼らは自分のなかの怪獣に負け、暴力を開放してしまったのでしょうか。

「暴れさせてどうするのよ!」と憤る東﨑倫子に対し、
怪獣メガゴンの生みの親・松本正次は「俺は怪獣が好きなんだ、理屈じゃないんだ、人間に理解できないから好きなんだ」と答えます。
怪獣趣味は女にはわかんねえよとでも言いたげです。
そんな彼は直後にメガゴンに殺されてしまいます。
怪獣特撮のお約束の展開、しかし好きなものに殺される悲哀。
好きである理屈をこじつけることが出来なかったから、メガゴンの心により添えなかったからこその悲劇なのでしょうか。

メガゴンと相対する人吉爾郎。
「お前は大自然の使者なのか?太古の神なのか?人間の犠牲者か?それとも俺達自身が望んだものか?」
前編から問われてきた怪獣とは何なのか、倒すべきか保護すべき存在か、その全てを俯瞰するかのような爾郎の言葉。
僕の好きなゴジラウルトラマンに出てくる怪獣たちもそうでした。
人間が勝手に怪獣を定義づけるなかで人吉爾郎の怪獣に対する問い掛けは珍しいものに見えました。あるいはあの言葉は自分に、視聴者に聞いてるのかもしれません。「お前はどう思う」って。

ゴジラ2000ミレニアムの台詞を思い出します。
ゴジラは俺達の中にいるんだ・・・」
当時から今に至るまで、意味不明だと言われがちで作品自体もシリーズ屈指の駄作と言われていますが、今回コンレボを見たことでハッとするものがありました。人吉爾郎が問いかけたモノすべてを内包してるのがゴジラなのかもしれない、星野輝子が問いかけた自分の中の怪獣がゴジラだった・・・
十数年越しで1つ答えを出せた気がします。
と言うより気づけたというか、なんにせよコンレボ5話のおかげです。

メガゴンと戦う人吉爾郎。
「お前が何者でも俺は戦う!お前の炎で泣く子供がいるなら!!」
なんてかっこいい。
でも人吉爾朗がメガゴンを駆逐したことで泣いている子供(メガゴンの生みの親の一人・早川博之)がいた・・・
そんなところがコンレボの示す正義の複雑さです。
願わくば、人吉爾郎が宿す(?)、早川博之くんの心のなかの怪獣に打ち勝つ、打ち解けて、本当の平穏が訪れんことを・・・

本当に1話1話の情報量が多く、この回だけでもすべてを語ろうとすると脱線してしまいそうです。
興味を持たれた方はぜひ。