障害児かどうかを妊娠初期に分かるようにする、ということについて教育委員会の長谷川氏が発言したことが発端で、インターネット上では堕胎・中絶ということについて様々な議論が行われています。
元となった発言とニュース記事はこちら。
「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」
そういった中で私なりに色々な情報を調べ、色々な方から情報収集をしていると、数ヶ月前に「養護学校の教員がダウン症の子供を中絶した」、という記事が流行ったことを知りました。
毎日仕事で障害児の親から障害児を預かり、障害児にモノを教えて、ご飯を食べさせて、職業訓練もして…職場生活の殆どを障害児と過ごしている私が、
結局障害児の母親になることを拒否した。
中絶した子供に対しての罪悪感を全く感じない。
中絶を選ばなかった母親たちへの軽蔑も止まらない。
さて、この判断は悪いことなのでしょうか?
障害児を沢山見てきたからこその判断
私は堕胎・中絶という権利は認められるべきだと思っています。なので冒頭で紹介した養護学校の先生が検査によりダウン症の子供が生まれると分かったことで中絶することを選んだ。そのことは決して悪いことだとは思いません。
こういうことを書くと、
「ヤリたいことだけやって自分が妊娠して産むわけでもない”男”が好き勝手なこと言うな!! 子供を育てたことの無い、親になったことの無い奴が発言するな!!」
という批判をされるわけです。これって言論封殺ですよね? 男だから発言してはいけないというのは男女差別でしょう。
確かに私は独身で子供を育てたことはありません。せいぜい、家庭教師として発達障害を抱えた子供の勉強を見てきたり、自分が身体障害者1級なので周りに障害者が多いというだけで、障害児でも子供を育てたい、という親の気持ちは分からないのかもしれません。でも障害児の子供を育てているからといって、全ての障害児の子供のことを分かった気持ちになってしまっている。そんな親御さんが多いように感じます。
そこはハッキリと言わせていただきます。勘違いするな!!
障害児の子供を育てているからといって、障害児を育てたくない、という親の気持ちを否定していい理由にはならない。そして、障害児を育てているからといって、あなた方は障害者の世界を知っているわけではない。
障害者として生きてきたからこそ、障害者の生き辛さを知っている。だから、障害者としてこれから生きていかなければいけない子供を本当に産むことは子供にとって幸せなことなのだろうか? と考えるのです。それなのに、
「私は障害児を育てているから障害児のことを語る資格はがある。それ以外の人には語る資格はない。知ったかぶりをするな!!」
というのは、そんなあなた方が知ったかぶりをしていると言えるでしょう。
きっと、この養護学校の先生は沢山の障害児を見てきたからこそ、障害児が大人になった時にどれだけ苦労するのかを知っている。そして、子供だけでは無い。親が苦労することも知っている。この人はそんな苦労をする自信な無いし、障害を持った子供を産むことで子供が幸せになるとは思えないと判断したのでしょう。だから、中絶を決断したのだと思います。
このことを批判する権利が他人にはありますか? いえ、無いでしょう。
だから私はこの養護学校の先生は英断をしたと思っています。
最後に
障害児を出産するも堕胎・中絶をするもその親御さんの自由です。胎児は親を選ぶことも出来ないし生まれてくることを選ぶことも出来ない。でも、今生きている人の人権だって大切でしょう。
「親が産む、産まないを決めていいことなのか? 優生学に基づいてしまっているのではないか?」
という意見もあるでしょう。でも、別に健常者の方が優れているから健常者の遺伝子のみを残していこう、と言っているわけではないのです。ただ、障害者を育てる自信の無い人が堕胎・中絶して批判される今の世の中は間違っている!!
だいちゃん(∀)