いま、編集者は執筆もできるべきか否かで界隈が盛り上がっているようで。
これに対して、
こんな感じのアンサーソングがあったので、両方を読んで考えたことを
つらつら書いてみます。
私が雑誌編集者だった頃は、会社の方針(というか文化)のせいで、企画を出して
取材もして写真も撮って原稿も書くということを毎月やってました。
その経験が先々、各所で役立っていたと思うので、基本的には
「書けるスキルを持つにこしたことはない」というのが私の答えです。
でも、世の中には記事を書かないけど立派な編集者がたくさんいます。
特に2つめのブログの方が言うように「原稿を書けるべきなんじゃないの?」と
決めてしまうのはどうかと感じましたが、
ライター側の立場になってはじめて分かったことばかりで、すごくいい機会だったと思います。
編集者なのにライティングができないってどうなの? - shimotsu
という気づきがあったというのは、とてもいいことですし、有望な人だなあと思ったのでした。
なんて上から目線なのは、年齢を知ってうわーーーーー若!ってなったからなのでした。
親子ほど離れてて……年取ったことをまた実感させられた……
編集者は2つのタイプに分けられる、と思ってる
まったくもって個人的な定義ですが、編集者には2つのタイプに分かれてます。
- すっごく面白い企画がガンガン出せるけど、几帳面ではないので作業は全般的に雑なタイプ
- 企画がよそでもやってるような内容でパッとしないけど、きっちり仕事を
仕上げるので重宝されるタイプ
この場合目立って大物になりやすいのは前者です。
後者の方は目立たないかもしれないけど、縁の下を支える欠かせない存在です。
どちらかに当てはまっていれば、編集者としての仕事は問題ないのと思います。
今、Webの世界でも目立って活躍されているような方は、前者のタイプのような
気がしますし、そういう方は仮に原稿が書けないとしても、すぐれた感性があるので
強いんです。
ここで見くびってはいけないのは、前者のような人たちは「書けない」と言っていても
書かせると名文を持ってくるので注意が必要です。
持つべきものは鋭いアンテナと思いやり力
編集者に必要なもの……さらに言えば、時流を把握しているか、そして
人への思いやりがあるかどうか。
どんな仕事にも共通しますが、相手への思いやりの気持ちがない人は
編集者やライターには向いていないと思うんですね。
普段から自分勝手な行動をしている人というのは少なからずいますが、
そんな人は仕上げてくるものも自分勝手なものです。
さまざまなライターさんとお仕事しましたが、自分勝手な人は
原稿もいまひとつで、ライターとしての仕事も社会人としての振るまい
までもが勝手でした。
そして、そういう人は仕事が続きませんでした。
独りよがりな企画や文章は、誰にも伝わりません。
自分が面白いと思ったことが、他人も面白いとは限りません。
そのことがわかっていない人には、この仕事は難しいです。
といっても、自分自身もいまだに
「うわーだめだこりゃ」と思うことが多々あるんですが……。
☆
偉そうなことを言ってますが、これまで経験してきたことで
「これは間違いない」と
感じていることを書いてみました。
作業の一部である「書くということ」に真正面から向き合う
若い編集者のひとたちがいて、そのひとたちが
自分と同じように考えていることがわかったので、
ちょっと嬉しくなったんです。
そして、自分が今まで経験してきた道には
間違いがなかったんだと安心してしまったのでした。
上司にも恵まれ続けていたので、間違いなんて何一つなかったんですけどね。