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騒音問題はなぜこじれるのか

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
 隣家の犬の鳴き声がうるさいと、犬をバットで滅多打ちした事件が起きました。
 犬にとっては災難です。ヒドい話です。でも私は、飼い主にはまったく同情しません。なぜなら、飼い主は騒音問題の加害者である可能性が高いからです。
 犬の鳴き声騒音については、2012年に出版した『怒る!日本文化論』ですでに取りあげたので、詳細はそちらを読んでいただきたいのですが、その際いろいろ調べてわかったのは、犬の鳴き声騒音問題では、ほぼ百パーセント、飼い主に原因と責任があるということです。
 しあわせな犬は吠えません。適切なしつけをしてあり、かつ、飼育環境に問題のない場合、犬はむやみに吠えません。犬が吠えるのはストレスを感じているからです。つまり犬が毎日のように吠えたり鳴いたりするのは、飼い主が犬を不幸にしている証拠なのです。

 なにかトラブルが起きるたびに聞こえてくる空虚な言葉。「こんなヒドいことになる前に、なぜ話しあいで解決できなかったのでしょうか」。
 近所の犬の鳴き声に悩まされている被害者は全国に何万人といるはずです。もちろん彼らは飼い主と話しあおうとしています。犬が一回吠えたぐらいでいきなり叩き殺すなんて人はいませんよ。みんなガマンにガマンを重ねた末に、しかたなく苦情をいいに行くんです。
 しかし苦情をいわれた飼い主が「すいません、すぐにドッグトレーナーに相談してみます」と善処した例は極めてまれです。ほとんどの場合、飼い主は苦情を無視します。自分は犬が吠えても平気だから、話しあいになど応じないんです。
 近所の人に聞いても、みんなうるさくないといいますよ、うるさいっていう人のほうがおかしいんじゃないの? などと自分の鈍感さを正当化してしまいます。

 さて、ここに騒音問題がなぜこじれるのか、その大きな理由があらわれてます。それは、加害者と被害者の意識・認識の差が非常に大きいこと。
 騒音問題では、騒音を出している側に、自分が加害者だという意識がないことが問題なんです。だから苦情をいわれると、自分が突然理由もなしに迫害を受けたかのごとく感じてしまう。自分のほうが被害者であるかのように感じてしまうのです。
 そのため、真の被害者であるはずの騒音に苦しんでる人のほうが、異常なクレーマー扱いされてしまうことも珍しくありません。両者とも自分が被害者だと感じてるので、主張が噛み合わずこじれるのです。

 騒音の認識についてもいろいろ誤解があります。たとえば「騒音問題では、音の大きさは問題ではない」といったら驚きますか。
 そんなわけはない? だって騒音問題を調査するときは、必ず騒音計で何デシベルとか測定するし、規制値もあるじゃないか?
 じゃあ、電車のなかでイヤホンの音漏れシャカシャカ音がすると、なぜ気に障るのですか? あの音を騒音計で測ってもたぶん計測不能なくらい小さい音です。しかし多くの人にとって、あれはまぎれもなく不快な騒音です。矛盾してますよね。
 つまり人間が「うるさい」と不快感を感じる要素として重要なのは、音の大きさよりも、持続性と反復性のほうなんです。音の専門家も、ここになかなか注目してくれません。
 かなり大きな音でも、瞬間的にドン、と一回鳴るだけなら、たいていの人はガマンできます。逆に、たとえ小さい音でも、長時間あるいは何十回何百回と繰り返し聞かされると、それは不快な騒音と感じやすいのです。
 静かな図書館で、だれかがおしゃべりをしていたら、不快に感じて苦情をいう人がいるでしょう。それは持続性があるからです。でも、図書館内でだれかが屁をこいたとしても、それは瞬間的・突発的な音なので、騒音被害を訴える人はいないでしょう。もちろん、音に持続性・連続性があったり、異臭を伴う場合はそのかぎりではありませんが。
 イヤホンから漏れるシャカシャカ音は、ずっと聞かされるから小さい音量でも腹が立ってくるんです。犬の鳴き声は、音自体がさほど大きくなくても、毎日何度も聞かされると、あ、またか、とだんだん不快感がつのります。
 ヨーロッパの国々は犬をとてもかわいがるといわれますが、同時に飼い主にはきびしい義務を課しています。犬の鳴き声規制条例がある自治体も多いのですが、そのなかで、声の大きさでなく、何分間鳴き続けた場合に罰則を適用するなどと、時間で規制している例があります。
 このやりかたは騒音被害の本質を的確におさえてます。これなら被害者は録音するだけで証拠を提示できるのです。日本のように音の大きさで騒音かどうか判断する場合、被害を証明するには騒音計を用意しなければなりません。

 こういう話をすると、極論で反発する困ったちゃんが出てきます。「息を潜めて忍び足で暮らせというのかぁ! なにひとつ音を立てるなというのかぁ!」
 そんなムリをお願いしてる人はいません。重ねていいますが、騒音で重要なのは音の大きさではありません。普通の生活音に文句をいう人はそんなにいません。
 普通じゃない音が、生活に不必要で不自然な音が、長時間もしくは繰り返し聞こえるかどうか。そこが不快かどうかをわけるポイントです。
 むかしに比べて人情がなくなったとか寛容さがなくなったとか、そういう無責任な愚論を並べて視聴者の共感を得ようとするコメンテーターがいそうですけど、それでは問題はなにも解決しませんよ。
 人情とか人間力は関係ありません。『「昔はよかった」病』でも書きましたけど、明治時代から火の用心の拍子木がうるさいという苦情がたくさんあったくらいです。むかしの人が寛容で現代人は自分勝手なんて見かたで騒音問題を片付けるのはまちがいだと、あらためて念を押しときます。
[ 2015/11/24 21:38 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告