自民党の憲法改正草案は2012年に発表され、安倍総理はこれまでも度々、憲法改正に意欲を示してきた。そして今回、来年夏の参院議員選挙においても憲法改正を公約に掲げることを明言した。そもそも、この憲法草案には何が書かれているのか。現在の日本国憲法とどう変わっているのか。また、実際にどう機能していくのか。首都大学東京准教授・憲法学者の木村草太氏が解説する。TBSラジオ「荻上チキSession22」2015年09月25日(金)「自民党憲法草案」より抄録。(構成/大谷佳名)
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「同人誌」のような憲法草案
荻上 ゲストをご紹介します。首都大学東京准教授で、憲法学者の木村草太さんです。よろしくお願いします。
木村 よろしくお願いします。
荻上 さっそく、自民党の憲法草案の中身を見ていきたいと思います。まず、この草案全体の印象はいかがですか?
木村 全体的な印象としては「同人誌」という感じのものだと思いました。つまり、国民や野党に支持を呼びかけるというよりは、ごく一部の人たちの願望がそこに表現されているだけ。ただ内輪で盛り上がるための作品、というように見えますね。
荻上 なるほど。自民党議員からさえ、「この草案が原案になることはない」とも言われている中で、あえてこの草案に注目する意味はどういったことでしょうか。
木村 憲法改正を何のためにやるのか、あるいは誰がやるのか、というところに注目してほしいからです。
憲法とは、主権者である国民の「こういう風に国を運営していきたい」と声から作られていきます。ですからみなさんもぜひ、国民としてこういう条文が欲しいかどうか、そこが一番大事だと思って聞いてください。
荻上 その憲法の元で自分は生きやすくなるか、生き苦しくなるのか。そこが基準だということですね。では、木村さんにピックアップしていただいた重要だと思われる箇所を紹介していきたいと思います。
憲法改正手続きの緩和
荻上 まず1点目は、「憲法改正の手続き」についてです。現在の日本国憲法と比べていきたいと思います。
《現行の日本国憲法》
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
《自民党の憲法草案》
第100条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案 してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。
憲法改正の要件が緩和されるというわけですね。
木村 2013年にも自民党がこの条文だけ改正しようと提案して、それに対する反対運動が盛り上がったことで、最近は表立っては主張されなくなっていたのですが。
荻上 この自民党の憲法改正草案が出された際に、別紙でQ&A方式で説明するペーパー(日本国憲法改正草案 Q&A〔増補版〕 )も出されています。ここでは、
「世界的に見ても、改正しにくい憲法となっています。」
「国民に提案される前の国会での手続を余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しないことになってしまうと考えました。」
と説明しています。この点については木村さん、いかがでしょうか。
木村 これは、自民党草案が現行憲法の元では支持を得る自信がない、と言っているようなものですね。現行憲法では、1つの政権党だけではなく、与野党で広範な合意をとってください、と言っているのであって、特に変なことを要求しているわけではありません。ことの重大さからしたら、3分の2とは有ってしかるべき数字だと思います。
また、これは石川健治先生なども強調している点ですが、「3分の2」という数字は他にもいくつか出てきます。例えば議員を除名したりする場合も3分の2の賛成が必要です。それよりも憲法改正のほうがはるかに重要であるはずなのに、なぜこちらの方のハードルが低くなるのか。
荻上 「憲法は変えやすくしてほしいけど、議員はやめさせにくくしよう」と。
木村 それに「憲法を国民に近づける」ということで、「国民が望んでいる憲法改正を、3分の1の国会議員が反対したからといって改正できなくていいのか」と安倍さんはおっしゃっていますが。だったら別に過半数という数字にこだわる必要はないですよね。同様に、「過半数の国会議員が賛成しているからといって、国民が反対する憲法改正ができていいのか」とも言えるわけです。
「過半数」は、実は一番セコい数字です。「3分の2」は与野党合意。「3分の1」は、国会はパスさせて国民の判断に委ねましょう、という設定。ただ「過半数」となると、要するに政権与党しか発議ができません。
しかも、与党の好きなタイミングを選べる。例えば菅政権であれば、原発事故の直後に原発廃止条項を提案したり。安保法制があまり盛り上がってないうちに9条の改正を提案したりとかですね。
荻上 なるほど。逆に3分の1以上とすれば野党も発議できるということになるわけですよね。
木村 多分そうしたら今の野党は、9条第3項で「個別的自衛権だけは許可する」という条文を発議していたかもしれません。すると少なくとも自民党にとって嫌な方向に行ったでしょうね。
過半数とは、権力者の道具になってしまうような数値設定なのです。憲法とはゲームのルールなので、ゲームに勝った人たちが好きにいじれるという設定は極めて怖いわけです。
本気じゃない「財政健全化」
荻上 では続いて2点目、「財政健全化条項」についてです。
《現在の日本国憲法》
第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
《自民党の憲法草案》
第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて行使しなければならない。
2 財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。
「2 財政の健全性は〜」という部分が加わっています。これはどういうものなのでしょうか。
木村 今、日本の財政状況は非常にひどい状況にありますよね。しかし、どうしても増税は嫌がられるし、財政健全化政策は民主的には嫌がられることが多い。ですから、財政均衡という点を憲法に書き込んでおいた方が効果的なんじゃないかと。こういう議論はずっとあって、だから今回書き込んだということなのですが。
よく見るとかなり腰が引けていて、例えば「赤字国債は何%以内で…」という具体的な数値は全然ありません。つまり、この点については自民党草案は全然本気ではなさそうだ、と感じられます。
また、財政の専門家からは「現行憲法では決算の承認が儀式的になっている」とよく指摘されます。それは、日本国憲法では決算を全部出し終わったところで承認する・しないを決めるからだと。この点は、自民党草案では手付かずだと言われていて、財政関係については専門家の意見が入っていないのでは、と感じられます。
荻上 これは両方の側面で考えなくてはいけないですよね。例えば「借金」とも言われますが、国債は長期的な政策を行う上での一つのオプションとして取っておかなくてはいけない。他方で、そもそも何をしたい条項なのか、不透明なまま議論が進もうとしているように思います。
義務を増やすことの恐ろしさ
荻上 では続いて、「国民の義務」について。自民党の憲法草案の中で、義務について書かれている部分を抜粋してまとめてみました。
木村 聞く前にもう一度確認していただきたいのですが、憲法とは国民の要望を政治が吸い上げて作っていくものです。みなさんは「義務をもっと増やして欲しい」とどれほど思っているのか。そこを考えながら聞いてください。
《自民党の憲法草案》
第3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
第92条 2 住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。
第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
荻上 色々増えていますが、義務がこれだけ増えることで憲法そのものの役割も変わりそうですね。
木村 憲法上の義務は何のためにあるのか、少し考えてみたいと思います。現行憲法第3章のタイトルは「国民の権利及び義務」。こう見ると、「権利」と「義務」が並列関係、例えば「囲碁と将棋」みたいに並んでいるように感じますね。しかし、憲法上の義務規定とはそういう関係ではありません。
権利があるとき、原則としてその権利が保障されます。その上で、憲法上の義務とは「例外としてここだけは権利保障を解除してください」という規定なんです。
例えば現行憲法の「納税の義務」で言えば、国民には「財産権」という権利が保障されています。一方、税とは「財産権を収容すること」ですから、この場面で財産権が保障されちゃうとどうなるか。税金を取った分、財産権を保障しなければいけないので、取る意味がなくなってしまうわけです。だから義務が規定されてある。
あるいは「教育を受けさせる義務」。例えばアメリカなんかですと、キリスト教原理主義者の人が「子どもに進化論を教える学校には行かせたくない」と考える場合があります。そうなると子どもの成長する権利において、極めて大きな問題が起こります。ですから、教育を受けさせる義務の範囲では「思想・良心・信仰の自由」は引っ込めてください、子どもが成長する権利・教育を受ける権利を奪わせないでください、ということなんですね。
そういう意味でこれを見ると、例えば「家族助け合い義務」の場合。道徳としては当たり前のことを書いているようですが、これを憲法で書くと、ある場所で非常に限定的に使われてしまう可能性があります。例えば生活保護の受給の際、「家族で助け合わない人には生活保護はあげない」とすることだってできる。
また、「国旗・国歌尊重義務」の条文も使いようによっては「表現の自由」や「集会・結社の自由」を規制できるかもしれない。
極めつけは「責任及び義務・公益及び公益の秩序を尊重する義務」。こんなものが入ったら、権利保障が原則という前提がなくなってしまいます。どんな場合であっても公の秩序を尊重しなければならなくなってしまう。
これまではデモをやる権利が保障されていたので、デモ行進の規制は原則として禁止だったんですね。その代わり、どうしてもやらざるを得ない事情を示してくださいと。しかし、この部分が改正されると「人に迷惑をかけないことを証明する義務」がデモ隊にかかってきます。
荻上 「沿道の全ての皆さんに許可をもらっています」みたいなことを証明しないといけなくなるわけですね。
木村 自民党の方がここまで考えてはいないと思いますが、憲法上の義務規定を増やすことは、それくらい恐ろしいことなんですね。
荻上 意図とは別に書かれたことが機能する。まさに今回は安保について憲法の解釈が問題になりましたね。この憲法がどこまで解釈を広げられるのか、読んでいかなくてはなりません。【次ページへつづく】