1983年10月9日。ミャンマー(当時はビルマ)のタクシー運転手、ソウェナインさん(49)は、アウンサン廟(びょう)近くを通り掛かっていた。「ドカン!」、震動が膝まで突き上げてきたという。「後で分かったことだが、北朝鮮が韓国の大統領を暗殺しようとして、爆弾テロを起こしたというんだ」
ソウェナインさんが32年前のことを細かく覚えているのは、このところ「アウンサン廟に行ってほしい」と頼む韓国人の客が多いから。韓国人客の目的地は、廟の入り口にある「大韓民国殉国使節追慕碑」だ。ここを、毎日100-150人ほどの韓国人が追悼に訪れる。ミャンマーに入国するためには事前にビザが欠かせず、地理的に遠いということも考慮すると、少なくない数字だ。李伯純(イ・ベクスン)駐ミャンマー韓国大使は「一部の旅行会社が追慕碑訪問を観光コースに組み込んでおり、観光バスが1日に2、3台は碑の前に止まる」と説明した。
アウンサン廟爆弾テロは、発生から1カ月で北朝鮮の偵察局の仕業と判明した。逮捕された主犯カン・ヨンチョル(作戦名カン・ミンチョル)の自白が決定的だった。ところが北朝鮮は、いまだに「われわれは知らない」としらを切っている。韓国の現代史教科書の多くも、この惨劇を取り上げなかった。アウンサン廟爆弾テロは、記憶から消え去りつつあった。
転機は2012年に訪れた。李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)がアウンサン廟を訪問したが、黙とうをささげるのに適当な場所がなかった。「手ごろな追悼碑一つないのは残念」という世論が本紙を通して形成され、韓国外交部(省に相当)がミャンマー政府と協議し、わずか2年で追悼碑が立った。除幕式は昨年の顕忠日(6月6日)に執り行われた。碑の大きさは幅9メートル、高さ1.5メートル。テロ事件で殉国した17人の名前が刻まれている。追悼碑の中央部には溝があり、その溝を通して、爆弾テロの現場を見渡すことができる。管理ブースで働いているアウミュさん(19)は「追悼にきた客は、黙とうを終えると、どこで爆弾が破裂したのかと尋ねてくる」と語った。
週に1000人を超える客が、追悼のためアウンサン廟に足を運んでいる。記憶すべきことを記憶するのが、きちんとした国の出発点だという思いを抱いた。