「文民化」「歴史立て直し」…韓国現代史の巨星・金泳三の歩み

 また「歴史の立て直し」を掲げ、5・18光州民主化運動(1980年5月18日に光州で起こった民主化要求=光州事件)弾圧や不正蓄財の責任を問い全斗煥(チョン・ドゥファン)氏、盧泰愚氏の歴代大統領2人を逮捕。さらに「成功したクーデターは処罰できない」という論理で検察が80年のクーデターに加担した新軍部の関係者を起訴しなかったことに対し、特別法を制定させて全員を法廷に立たせた。60年の4•19義挙(不正選挙に反発した民衆デモ。李承晩〈イ・スンマン〉大統領の辞任につながった)を「4・19革命」に格上げした一方、79年の「12・12事態」については「下克上による軍事クーデター的な事件」と規定した。

 3党合同で始まった軍事政権との関係を絶つため、96年2月に「新韓国党」を結成。歴史立て直しを名分に、ソウル・景福宮前に日本が立てた朝鮮総督府(中央庁)の建物を解体した。また、「先進国クラブ」と呼ばれる経済協力開発機構(OECD)に韓国を加盟させた。

■北朝鮮問題と任期末のアジア通貨危機

 内政では相次ぐ改革で国民の支持を得た一方、外交では目立った成果を収められなかった。北朝鮮核問題が発生し、米国との関係にもきしみが生じた。当時のクリントン大統領は北朝鮮との直接対話により核問題を解決しようとし、金元大統領は「核を持った集団とは対話できない」との姿勢を示した。

 就任したばかりの93年に金日成(キム・イルソン)主席と南北首脳会談の開催を約束し、高官級会談や赤十字会談で準備を進めた。だが94年7月の金主席の急死により会談は実現せず、任期中に南北関係を好転させられなかった。同年には北朝鮮核危機が高まり、戦争の一歩手前の状況にも陥った。96年には、北朝鮮の武装工作員が韓国に入り込むという江陵潜水艦浸透事件も発生した。

 任期4年目の96年までは比較的堅調に政権を維持したが、97年初めに息子の賢哲(ヒョンチョル)氏があっせん収賄で逮捕されたことで政治的な影響力が大幅に低下した。経済面でも、起亜自動車の倒産を皮切りに大企業の破綻(はたん)が相次いだ。結局、アジア通貨危機を受け同年11月21日に国際通貨基金(IMF)へ援助を要請する事態となり、失意の中で退陣した。

李東勲(イ・ドンフン)記者
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