「文民化」「歴史立て直し」…韓国現代史の巨星・金泳三の歩み

「文民化」「歴史立て直し」…韓国現代史の巨星・金泳三の歩み

 22日に87歳で死去した韓国の金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は、政治家人生の前半期は「野党闘士」として、そして後半期は韓国保守政党を代表する大統領、政治家として活動した。1993年に第14代大統領に就任し、5年間「文民政権」を率いたが、これは民主化した韓国を象徴する言葉として使われた。

■3党合同果たし大統領に

 金元大統領は若手政治家だったころ軍事政権との闘争を続けたが、1990年に当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領の民主正義党、金鍾泌(キム・ジョンピル)総裁の新民主共和党と手を組むという決断を下した。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と、自身の率いる統一民主党と3党合同で民主自由党を誕生させた。そして92年、生涯の宿敵だった金大中(キム・デジュン)氏(後に大統領)、現代財閥の創業者で経済神話を生んだ鄭周永(チョン・ジュヨン)氏と争った大統領選で、金大中氏を193万票差で破って当選した。

 93年2月25日、大統領に就任したその日に大統領府(青瓦台)前の道とソウルの仁王山を開放する措置を取り、2日後には自身と家族の資産(17億7822万ウォン)を出し抜けに公開した。「これは歴史を変える名誉革命」と、政府高官らの資産公開も進めた。就任前まではゴルフ愛好家だったが、大統領府に入った後は「任期中はゴルフをしない」と宣言。これは官僚に対する「ゴルフ禁止令」につながった。大統領府と党、内閣を自身の側近で固め、就任1週間後には他人名義での金融取引を禁止する「金融実名制」の導入計画も発表した。

 就任から9日後の3月6日には、陸軍参謀総長や機務司令官など軍内部派閥「ハナ会」の勢力を一挙に追放する人事を断行した。金元大統領は後に「私がハナ会を解散させなかったら、金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は誕生し得なかっただろう」と振り返り、軍事政権に終止符を打ち「文民化」を果たしたことを自身の最大の業績に挙げた。

 金融実名制は93年8月の大統領特別談話を通じて断行された。在任初期の改革措置は不動産取引実名制、地方自治選挙の実施などにつながり、就任直後の支持率が90%を超えるなど国民の間で人気が急上昇した。

李東勲(イ・ドンフン)記者
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