韓国の金泳三(キム・ヨンサム)元大統領が22日午前0時22分、ソウル市鍾路区のソウル大病院で敗血症と急性心不全のため死去した。88歳だった。病院側の説明によると、金元大統領は19日に高熱と呼吸困難のために入院。容体が悪化したため、21日午後に集中治療室に移され、治療を受けていた。
韓国政府は22日、遺族と協議の上、金元大統領の葬儀を国葬として執り行うことを決め、葬礼期間は5日間とした。韓国大統領府(青瓦台)の鄭然国(チョン・ヨングク)報道官によると、海外歴訪中の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は金元大統領死去の報に接し、「深い哀悼の意を表し、故人の冥福を祈る。政府は関連法と遺族の意向を踏まえ、礼遇を整え、葬儀の準備を進める」と表明した。与野党も「きょうは大韓民国現代史の巨星が落ちた」(セヌリ党)、「韓国民主主義の巨木であり、道筋を残した大きな指導者だった」(新政治民主連合)と哀悼のコメントを相次いで発表した。
金元大統領は独裁、既得権という壁に体当りした右派民主化陣営の中心軸だった。「正しい道を進めば、何にも阻まれない」という「大道無門」の4文字は座右の銘だった。金元大統領は大韓民国政治の中枢を担った数多くの人物を抜てきし育て上げた。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)の歴代大統領はもちろん、セヌリ党の金武星(キム・ムソン)代表、徐清源(ソ・チョンウォン)最高委員、新政治民主連合の孫鶴圭(ソン・ハッキュ)元常任顧問などが門下生または金泳三元大統領に抜てきされた存在だ。金元大統領の死去で民主化と地域政治という功罪を共に残した金泳三・金大中(キム・デジュン)という「両金時代」も幕を下ろした。
1927年に慶尚南道巨済郡長木面で生まれた金元大大統領は54年、二院制時代の民議院選挙で最年少当選を果たしてから、国会議員として9選を重ねた。朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領による「維新体制」に抵抗し、憲政史上初めて議員職を除名され、83年には新軍部に対抗し、23日間のハンストを決行した。90年の3党合同を経て、92年には大統領選で金大中氏を破り当選し、第14代大統領に就任すた。在任期間には軍人組織「ハナ会」の清算、金融実名制の導入、歴史立て直しの推進、全面的な腐敗撲滅などに取り組んだ。しかし、任期末にアジア通貨危機で国際通貨基金(IMF)による金融支援を申請したことは「影」の部分として残った。