あのおじさんを批判しているのはアニメクラスタだけじゃないけれど、彼らの齟齬の原因は、
●アニメクラスタ:ゾーニングはコンテンツ提供側も享受側も当然意識すべきもの。批判があれば対応を検討
●侍功夫(ホラークラスタとは言わない):ゾーニングはお上が決めたことが絶対。外野は文句言うな
という、ゾーニングの判断を自分もすべきと考えている人たちとそうでない人の違いのように思える。
アニメクラスタがゾーニングの判断を自分もすべきと考えているのは、ほぼ間違いなく表現規制への危機感からだよね。
「ゾーニング自主的にしますから、どうかコンテンツそのものを消さないで」というのが彼らの最近のコンセンサスのように見える。(あまり追ってないので不正確だけど)
一方、侍功夫氏のゾーニングはお上の決めたことが絶対って、部外者から見ても随分お花畑な考えだなと思うけれど(今ホラー映画が表現規制の危機にさらされていないとも思えない)、
それが彼の選択なのだろう。ホラークラスタの選択はまた別だと思うけど。
という訳でこの話は終了、なのだけど、侍おじさんのあのルサンチマンの強さは少し面白いので、何でああなってしまったのかを想像してみた。
彼がかつての迫害の歴史として言及しているように、宮﨑勤事件は「変わったコンテンツ」を好む人、そしてコンテンツそのものを村八分にするきっかけとなった。
2015年の今日、それはどう変わったか?アニメはかわいい女子高生も女子大生も普通に楽しむコンテンツに変化したのに、
ホラー映画は未だ気持ち悪がられてばかりである。その上アニオタにすら気持ち悪がられた。
…おじさんとしては憤懣やるかたないだろうねえ。