パリ同時テロに関して、BLOGOSにいろいろな記事が出たけれど、僕としては一番読み応えがあったのは宇佐美典也さんの「なぜテロを肯定してはいけないのか?という話について」でした。

宇佐美さんはその文章の中で、「テロを肯定してはいけないのは、テロが民主主義の普遍的なルールに則っていないからである」としています。

僕も、この意見には賛成です。

しかし、彼の文章ではWHY? つまり、彼らがなぜテロに訴えているのか?ということに関しての考察はありません。

かれらがテロに訴えている理由は、テロ行為が西欧人にとり最も怖いことであり、否が応でも、西欧社会が内包している移民問題に向き合わざるを得なくするからです。

これは過去の事例で説明した方がわかりやすいでしょう。

イギリスで女性参政権が認められたのは今から100年ほど前のことです。最初、イギリスの女性たちは根気よく女性にも男性と平等に投票権を認めて欲しいということを訴え続けました。

しかし30年経っても男性社会は女性の置かれた過酷な境遇や、彼女たちの願いに耳をかそうとしませんでした

それでサフラジェット(Suffragette)という、先鋭化した女性活動家たちが登場し、店先のショーウインドウを壊したり、郵便ポストを爆破したりしたのです。

なお最近、『Suffragette』という映画が米国で封切られました。下はその予告編です。『グレート・ギャツビー』でデイジー役を演じた、キャリー・マリガンが主演ですが、彼女が演じる活動家が捉えられ、尋問される場面で「なぜ暴力に訴えるのだ?」と訊かれ「暴力は、男社会が唯一理解できる言葉だからよ」と答えるシーンがあります。



但し、当時の女性活動家の名誉のために付け加えておくと、サフラジェットは市民を傷つけることを目的で爆弾を使ったのではありません。キャリー・マリガンは10月に開催されたミルバレー・フィルム・フェスティバルでインタビューに答え「実際、女性参政権運動では収監された女性活動家が断食を試み、それに対し無理矢理食事を摂らされた際、女性活動家が何人か死んだ他は、一般市民は傷つけられなかった」と説明しています。




さて、フランスには植民地時代からの名残で、沢山のアラブ系市民が住んでいます。彼らは日頃からまるで野良犬のような扱いを受けています。だから不満が鬱積しているわけです。

このような疎外された欧州の若者は内戦で政府とか社会の仕組み自体が瓦解してしまったシリアのような場所に巣食い、無政府状態を利用して、ラジカルな運動を押し進めようとするわけです。だからイスラム国は、もともと昔からシリアに存在した草の根的な運動ではなく、パリやロンドンから「移植」された戦士たちと合流することによって初めて力を持ち得た、いわばハイブリッドなのです

なお、中東の大部分の国々は、民主主義ではありません。実際、砂漠には「砂漠の掟」というものがあります。それはベドウィンのルーツに遡るわけだけれど、もっと踏み込んで言えば、砂漠は人間にとって過酷な環境であり、ちょっと気を許すと命にかかわるような場所です。つまり自然のほうが人間の存在より遥かに大きく、厳然としており、自然の掟に逆らえば、ベドウィンですら命の保証はありません。

そういう自然環境の下で生まれたルールや価値観、尊厳などは、根本的に我々の尺度とは相容れないものなのです。

これについては、帝国主義と砂漠の民が激突した第一次世界大戦前後のイラクで活躍した「砂漠の女王」、ことガートルード・ベルの伝記を読むと深く考えさせられると思います。ベルはイギリスの諜報局におけるイラクのエキスパートであり、初代イラク国王、ファイサルが絶大な信頼を置いたアドバイザーです。

これについても最近『QEEN OF THE DESERT』という自伝映画が撮られたので、見る価値はあると思います。



我々が民主主義の立場や価値観から、中東問題に評定を下し続ける限り、永遠に彼らの考えは理解できないと思います。