パリは「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur)
ヨーロッパに住んで23年以上になるが、2015年11月13日は、価値観の大きな分岐点として、西洋史に記憶されるのではないかと思う。自由、平等、博愛という理念を掲げながら、大げさに構えず、肩に力が入ることを何より嫌って、non-chalantと言われる“何気なさ”を好むのが、フランス風のエスプリ(粋)だった。しかし、劇場やレストランで楽しい時間を過ごしていた一般市民に銃口を向けたテロリストたちは、多様化の中で、自分らしく生きることを愛する、フランス人の生き方や価値観に対しても、嘲笑いながら挑戦を突きつけたように思える。
厳粛な静けさ
夫が勤務するリヨンオペラ歌劇場は、パリにあるオペラ・コミック座で同時テロの翌日に公演を行う予定だったが、17日火曜日まで喪に服するために、劇場関係者たちの間でフランス全土で公演の中止が申し合わされたという。フランス国民は被害者と気持ちを1つにして「連帯」を示している。パリ市内の病院には、誰の連絡を受けたわけではないのに、自発的に医者、看護師たちが集まり、次々と運び込まれる患者の手当てに全力を尽くしているという。すでに冬空が広がる気温が低いパリでは、被害者へ献血するために集まった人々が、順番を待っている。
個人主義が強く、普段は仕事が終わったら、自分の時間を他人のためには使わないフランス人にとって、これは異例のことだ。今回の非常事態に、居てもたってもいられず、何か行動を示したいという強い意志の表れだろう。私はたまたま日本からテロの翌日の朝、パリ・シャルルドゴール空港に入ったが、空港での入管手続に長い列ができても、人々は辛抱強く待ち、厳粛な静けさが街に漂っているのを感じた。
たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)――これは16世紀から存在する、パリ市の紋章にある標語だ。帆いっぱいに風をはらんだ帆船とともに刻まれているラテン語は、「どんなに強い風が吹いても、揺れるだけで沈みはしない」ことを意味する。もともと水運の中心地だったパリで、水上商人組合の船乗りの言葉だったが、やがて、戦乱、革命など歴史の荒波を生き抜いてきたパリ市民の象徴となっていった。無差別テロの標的にされたパリにとって、この標語はまるで、決意のような響きを帯びてくる。
このパリの非常事態も、やがて「日常」を取り戻していくだろう。しかし、その中で事件前にすでに複雑な位置づけに置かれていたムスリム系移民は、ヨーロッパ社会の中で、今後どうなってしまうのだろうか。出生率の低い「西洋人」と、出生率の高い「移民」の間で、社会はどう変化していくのか、このテロがもたらす衝撃は計り知れない。
「中央」のない国・ベルギー
ここ数年、ヨーロッパの主要都市で生まれた新生児の名前のランキングでは、アラブ系の名前が着実に増えてきている。十数年前から、ブリュッセルでは「モハメッド」という名前が必ず1、2位に入っていることは、よく知られている。
今回のパリ同時テロの計画立案、武器調達が行われた地として、ムスリム系移民が多いそのブリュッセルが捜査線上に上がった。「ベルギー・コネクション」である。仏当局はブリュッセル生まれの26歳の容疑者が犯行グループの車両での輸送などに関わり、今も逃走しているとみて国際指名手配した。
日本では、ヨーロッパ連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)の本部があるブリュッセルで 、なぜ公然とテロ計画をするのが可能なのか、と思われる方もあるかもしれない。
実は私が12年間住んでいるブリュッセルの特徴は、まさに「中央」の不在にある。ブリュッセルの公用語はフランス語とオランダ語で、駅名、街中にある看板や標識などは、すべて2カ国語で表記。市民は話す言語によって違うコミュニティー、学校、医者に通う。EU官僚の数は多いが、彼らはEU という独自のコミュニティーを持っていて、ローカルとの接触はきわめて少ない。2010年6月の総選挙後、言語対立による連立交渉が難航を極めて、政権が541日も不在になったことがある。もっとも、住んでいる私たちの生活は、それぞれの区役所で事足りて、政府が不在であっても表面的には、不自由すら感じなかった。
しかし、まさにこの中央が不在であるベルギーの構造が、諜報活動や安全保障の活動を妨げ、テロリストの温床を作り上げていったのだ、とベルギー内務大臣は主張している。11月15日付の英ガーディアン紙は、英キングスカレッジ内にある過激派の研究センターの数字を引用しているが、これによるとベルギーでは、シリアやイラクの「聖戦」に関係する戦士が、人口1人当たりの計算では、ヨーロッパ内でもっとも多くなるという。【記事へのリンク】
「モレンベーク」掃討作戦
兵士がリクルートされる密集地域になっているのが、モレンベークと呼ばれるブリュッセル内の1つの行政区だ。モロッコとトルコからの移民が多く、貧困が問題となっているこの地域は、華やかなファッションストリートや、ブルジョアの瀟洒な邸宅と目と鼻の場所にある。パリの同時テロの直後、この場所では7人の逮捕者が出たが、そのうち5人は犯罪とつながる証拠が不十分で釈放された。
モレンベークに住む多くの移民たちは1960−70年代に、ベルギー国内で不足する労働力として、モロッコやトルコから受け入れられてきた人々だ。親の世代が働きづめで、生活が苦しいことを目の当たりにしてきた2世、3世の世代は、隣り合わせにある豪勢な暮らしに、階級社会であるヨーロッパの不公平を味わう。その一部の若者が、社会を「変革」するには暴力しかない、という考えにいたっていくのは、シナリオとして考えにくいことではない。
フランスからの非難も受け、ベルギー内務大臣は、モレンベークの掃討作戦に乗り出す決意を述べた。どのような政策をとっても、長い目での成否のツケは歴史が払うことになる。ヨーロッパには後戻りが許されない。
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