パリでテロをきっかけにIS(イスラム国)に対してフランスが戦争状態を宣言しました。憎しみの連鎖が止まらなくなっています。そんなさなかに読んでいた「シュトヘル」について、レビューを書きました。今は、フィクションの抽象化された世界で考えをめぐらせることで、こうした問題について考えていきたいと思っています。
シュトヘルは、世界最大の帝国を気づいたチンギス・ハーン(成吉思汗)の時代の、文字をめぐる戦いの物語です。主人公はモンゴル軍(チンギス・ハーン)傘下のツッグ族の皇子ユルール(意味は祝福)という少年です。ユルールは文字を持たないモンゴル側に生まれながら、書籍を通して、敵国である西夏(タングート)がつくりだした文字に魅了されていきます。
チンギス・ハーンは少年時代に西夏に背中に奴隷文字を入れられたことをきっかけに、西夏の全ての書物を焼き払おうとしていました。それだけでは満足できず、文字そのものを蹂躙しようとします。西夏の文字、その全てが詰まった事典(玉音同)の破壊を目論みます。そんな中、ユルールはモンゴルを裏切り、玉音同を守る戦いに身を投じていくことになるのです。
そこに、モンゴルに滅ぼされ恨みに駆られ暴れる西夏の少女シュトヘル(モンゴル軍から悪霊といわれ恐れられる)や様々なキャラクターが加わり物語が動き出します。
歴史は勝者がつむぐ
この場面は文字を「文様」という兄と、「生き物みたい」と表現するユルールとの会話のシーンである。シュトヘルには様々な文字に対する考え方が出てくる。憎しみの対象としての文字、単なる記号としての文字、情報を共有するためのツールとしての文字、どれも文字の作用としては正しい。そんななか、ユルールは「人々の思いを伝えるもの」として、だれもが文字を使えるようになれば、勝者側だけではなく、滅ぼされる国の一般の人の手によっても歴史は紡がれていき、「歴史を取り戻せる 」という思いをもつ。
文字がなければ歴史を残すことができず、乱世で命を落とした市民や兵士の存在は、過去からも未来からも「なかった」ことにされてしまう。逆に文字がのこり続けることで、その人達は未来でも生きていける。実際の歴史においては、歴史は過去に遡って勝者が編纂することになる。
元(蒙古)の時代にも、彼らが滅ぼした宋・遼・金の三国の歴史(「三史」)が編纂されるが、西夏は「三史」に含まれなかった為、西夏文字と共に、西夏の歴史については長らくわからないことが多かった。やっと1950年代になって 日本の西田龍雄が解読したことで文字の存在や歴史が明らかになる。
文字は歴史をつむぎ、そこに人が宿る
戦争を描いたマンガは数多あるが、「文字を守る」というテーマにしたものは初めて読んだ。文字。その背景にある、国の歴史や人々の息遣いが聞こえてくる奥深いものになっている。テロや騒乱の時代だからこそ、相手の文化に思いを馳せるということをしなければいけない。
シュトヘル作中で綺麗事ばかりをいうユルールに対しては、様々な視点で大人たちが綺麗事を言うな、もっと文字を交渉の道具、武器として利用しようという場面がいくつも出てくる。それでもユルールは青臭い生の言葉を吐きつづける。シュトヘルは社会をいきていく上で忘れてしまっている青臭さを取り戻せる作品なのだ。
果たしてユルールの言葉が通じるのかどうかは、まだまだ連載中のためわからないが、今後も目を話せない展開だ。本記事冒頭に引用した画像は、ユルールがチンギス・ハーンと対峙を決意する1場面だが、まさに今の時代に求められている言葉かもしれない。
話したい。
逃げるのでもなく
おどすのでもなく。伊藤 悠『シュトヘル』10巻
もう一つの伊藤 悠の作品『皇国の守護者』
シュトヘル作者の伊藤悠さんはファンも多い「皇国の守護者」も書いた作家だ。『皇国の守護者』でも圧倒的画力は健在であり、見開きの使い方がド迫力で、ストーリーに厚みをましている。筧のレビューがあるので、こちらもぜひ参考にしてほしい。
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