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既に 絶版にもなっていて もしかしたら、全集に収められているのかもしれませんが
こちらでは 過去に 戸田先生が御観念文について講述した内容の本を所持していて
読んでみると 正宗時代の講義ではあるものの
御観念文の精神性や意義や意味等には共通して言える要素があり 今でも通用する内容なので
ここでは 和光社発行の「方便・寿量品講義」の内容を 引用します。
反板のみなさまも、こちらの板で参加している方も 下記の引用を参照して
各々で検証してみてください。
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『御観念文について(御観念とは)』
「観念」とは“ 自分の心に念じて御本尊に申し上げる事。”・・・であります。
「題目をあげながら、いろいろ考えが出てくるのですが、いいでしょうか?」・・と聞く人がいますが
「悪い」と言っても、出てくるものは仕様がない【しょうがない】でしょう。
また「止めろ!」というわけにもいかないでしょう。
しかし・・・
“ 御 観 念 文 を 行 う 時 は 気 を つ け な け れ ば な ら な い。”
・・のであります。
「彼はとんでもない人だ!」等と思いながら御観念をいたしますと
「とんでもない人だ」・・と言うことを(御本尊様に)御観念申し上げる事になってしまいます。
「あいつ!後でぶん殴ってやろう」等と思っていると・・・
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
ソレが(あなたが御本尊様に対して祈る)御観念文になってしまいます。
口では・・・
「本門寿量品の肝心 文底秘沈の大法・・」とやっていて、心の中では「別の事」を考えていれば
(注釈:1991年までのご祈念文)
その・・・
“( 心の中で別の事を )考 え て い る こ と の 方 が
御 観 念 文 に な っ て し ま う ”ので あります。
「口で言ってる方」が御観念文になるのではありません。
-和光社発行(昭和45年 第44版)講述者 戸田城聖「方便・寿量品講義」 P.180より
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こちらが、ご祈念変更に対して 蔑ろにしている・・と
文句をつけている理由も 上記の文章に全てが収まっているからなんですよ
御観念文の改訂を決めた輩は あまりにも軽薄すぎるし
法華講の大月天さんあたりが突っ込むかもしれませんが
口では 日蓮だ 法華経だと言っても
内面では「舌を出している嘘つき」が作っているとしか・・・
太ちゃんへ
一番 悲しいのは、ああいった姿勢の輩が、組織や会員を牛耳っているのかと思う事なんです。
そして その会員が無知につけこんで上から刷り込まれ 流されてしまう姿勢なんですよ
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