【私の失敗(1)】
山口氏は2度目の世界選手権での全裸計量を振り返った (撮影・今野顕)【拡大】
柔道女子の山口香氏(50)=筑波大准教授=は、13歳で全日本選手権を制し、1984年の世界選手権(ウィーン)で優勝。選手時代はマイナー競技だった女子柔道のパイオニアとして、ときには男性社会とも格闘した。現在は指導者のかたわら、日本オリンピック委員会(JOC)理事としても活躍。先駆者としての苦難など起伏に富んだ人生を振り返った。
高校3年生、17歳の私は恥じらいもあったが…。パンツを脱ぎ、一糸まとわぬ姿になった。息を深く吐いて止め、「神様、仏様」と祈りつつ体重計にそっと乗った。
1982年12月、パリのホテルで行われた世界選手権での計量。宴会場のような広間が会場だった。係員は外国人の女性。冷ややかな「早くしてよ」といわんばかりの視線を背中に感じた。
2週間かけて減量し、試合前日はリミット(52キロ)を下回っていた。2度目の世界選手権出場だった私は、もう大丈夫だと思い、水分を取った。たとえリミットを超えても睡眠をとれば代謝により、必然的にやせる目算だった。ところが、試合当日の予備計量で100グラムオーバーしていた。公式計量までは1時間しかなかった。
この100グラムを落とせなければ失格だ。まず、トレーニングウエアなどを着込んでホテルの廊下を走った。また浴槽にお湯をはってサウナ状態にした浴室にこもって汗を出した。
日本から持参した体重計では100グラム単位の表示であてにならない。タイムリミットが迫り、不安を抱えたまま、計量に向かった。