「あなたは変わった。」に傷ついた三連休の最終日。10年間ひとり暮らしをしていた場所を訪ねて、気づいたことがあった。
10年間ひとり暮らしをしていた場所に、知り合いがいるわけではない。目的は「10年間通い続けたスーパーで、ハンバーグのミンチ肉を買う」それだけ。ひとり暮らしをしていたマンションの目の前にあるスーパーは何も変わっておらず、商品の陳列から品ぞろえまで同じで、なんだか懐かしくなった。
一ヶ月ほど前に、仲良くしていた友人から「あなたは変わった。」と言われた。
「あなたは変わった。」というセリフの意味合いは、「見違えるようになったね!」というポジティブなものと、「なんだか昔とは違うよね…」というネガティブなものに分かれる。ぼくが言われたのは、明らかに後者だった。
もしかしたらその友人との会話は、これで最後になるかもしれない。「また!」とだけ言って、東心斎橋にあるお決まりの焼き鳥屋をでたのを最後に、「もう二度と会うことはないのかもしれない…」と感じて寂しくなった。
同時にネガティブな意味合いで伝えられた「あなたは変わった。」が、心の奥底まで突き刺さって、一ヶ月たった今でも”しこり”として残っている。あのときの言葉、声のトーン、伏し目がちの表情を思い出し、何度も反芻してみるものの、”ネガティブ”な意味合いが覆ることはなかった。
あの日以降、彼には連絡はしていないし、連絡もない。
10年間住んでいた街に行ったのは8年ぶり。ミンチ肉を買うためだけに、車で片道40分走るというバカげた予定に、不思議なぐらい気持ちが高ぶり、スーパーの駐車場に車をとめて外にでると、何も変わらない風景がそこにあった。
懐かしさを噛み締めながら、スーパーの目の前にある大きな公園を歩いてみると、曇り空の下、ご高齢の方たちが6人集まって会話をしている光景を見かけた。漏れ聞こえてきたのは阪神タイガースのスターティングメンバーにまつわる議論。
もしかしたら8年前も彼らはそうしていたのかもしれない。
この土地はびっくりするぐらい何も変わってなかった。
40度をこえる高熱で、ひとりかけ込んだ病院もあった。坊主頭の寡黙な店主が経営する美容室もあった。仕事帰りによく立ち寄ったコンビニもあった。一度も入ったことがない信用金庫も、一回も食べたことがない定食屋さんもまだあった。
住んでいたマンションの下で、家主さんが経営していたパン屋だけがなくなり、美容室になっていたのがなんだかとても残念だった。いま思い出しても、お世辞にもおいしいとは言えないパン屋さんは、あんぱんを買うとレジ横のラスクをおまけしてくれて、これがすごくおいしかったんだ。
そしてぼくをつかまえると、最低15分は立ち話をしてきた店主はいま、どうしているのだろうか。
この土地は本当に何も変わってない。
でも、自分の目に飛び込んでくるものが変わっていた。
マンションの目の前にあった大きな公園に、これだけたくさんのカモがいることを、ぼくは知らなかった。8年たって忘れたわけではなく、知らなかったのだ。
カモに餌をあげていた60代ぐらいの男性が話しかけてきた。どうやら11月になると、この池にはカモが何十匹と集まり、春先になると一斉にシベリア方面へと飛び立っていくらしい。その男性は、秋になるとこの場所でカモたちに食パンの耳をあげるのが楽しみだそうだ。
やはりぼくがカモの存在を知らなかっただけだった。
他にも、住んでいたマンションの目の前に公衆トイレがあることを知らなかったし、スーパー手前の道を左に曲がると、「10個:200円」のたこ焼き屋があることもぼくは知らなかった。お店の看板を見るかぎり、かるく10年〜15年は経営している様子で、ぼくが住んでいるときも、間違いなくあったはずだ。
10年間も住んでいたのに、自宅の近くにあったのに、当時は見えてなかったんだな。
それで分かった。
「あなたは変わった。」はある意味で正しいのかもしれない、と。
ぼくはこの土地を離れてからの8年間で結婚して、転職して、子供が生まれて、また転職して、独立した。引っ越しだって3回した。めまぐるしく変わる環境のなかで、考えることが変わり、欲するものが変化して、求めるものが形を変えてきた。
ぼくたちの”目”は、すべてを見ているようで、実は見ていない。
脳が「必要なものと、必要ないもの」にフィルターをかけて、必要なものだけを視覚で捉えるように調整してくれている。お腹がすいたときほどラーメン屋の看板が気になり、カメラが欲しくなった瞬間に、いつも通っていた道にCanonの広告があることに気づくのはそのためだ。
ひとり暮らしをしていた当時は気づかなかった公衆トイレを見つけたのは、子供のためにトイレの場所をいつもチェックしているからだし、たこ焼き屋を見つけたのだって子供が大好きだからだ。
「あなたは変わった。」
彼の指摘は正しかった。
生きていると、考え方が変わるのはしょうがないことだし、欲するものが変わることも自然だと言える。ただ、自分が変わることによって、人との関係性を残酷なまでに変えてしまうことがあって、そんな理由で別れた人は、一人や二人の話ではない。
寂しくて、悲しい経験ではあるけれど、それはお互いの「歩幅」が変わっただけなのだ。
見えるものが変わると、自分でも気づかないうちに発言・行動が変わり、その姿を見た人から「あなたは変わった。」と言われることがある。できればポジティブな意味で言われたいものだが、ときにはネガティブに、ときには嫌味たっぷりに言われてしまうことがあるかもしれない。
「あなたは変わった。」
それは環境が変わり、欲するものが形を変えて、見えるものが変わって、歩幅が変わること。
それまでは同じスピードで歩いていた人たちとのテンポが、”たまたま”合わなくなっただけなのだ。それを「成長」というのか、「成熟」というのか、適切な表現を見つけることはできない。
どちらが早くて、どちらが遅くなったのか。どちらの方向が正解で、どちらが不正解なのかは問題じゃない。
それぞれの形で。
*文末リンク
参考:「好き」の感覚を見失ったときの闇と、研ぎ澄ませたときの希望
ミラクリから一言
切ないけど、それでも前に行きましょう。