意識とは、いったい何でしょうか。その物理的存在さえ確認されていない意識は、我々にとって、未知の存在です。

   フロイトは、『夢判断』の中で、「意識は、感覚器官の一種である。」と述べています。
   このフロイトの言葉の中に、自分が体験してきた不可思議な世界の謎を解く手掛かりが、隠されていることに気が付きました。

   これから述べる内容は、この意識感覚器官の工学的構造と、生物学的意味についてです。知的生命体の脳の構造の特殊性と、その宿命について触れます。



1.概要


   フロイトは、『夢判断』の中で、意識について、次のように述べています。

 
   『では、我々の叙述の中で、かつては全能であり、他の全てのものを覆いかくしていた意識に対して、どんな役割が残されているのか。

   それはすなわち、心的性質を知覚するためのいち感覚器官以外のものではない。我々が図式によって示そうとした試みの根本思想に従えば、我々は意識知覚を、省略記号Bw(意識)で現される特殊な一組織の独自な業績としてのみ、捉えることができる。

   この組織はそのメカニックな諸性質に於て知覚諸組織Wに似ていると考えられ、それゆえ性質によって興奮させられるが、変化の痕跡を保持することができない。

   つまり記憶力を持たない。知覚組織の感覚器官をもって外界に向けられている心的装置は、それ自身が意識の感覚器官にとっては外界であり、この関係にこそ意識の目的論的な存在理由がある。』
 
出典「夢判断(上、下)」 S.フロイド著 高橋義孝、菊盛英夫訳 日本教文社

   つまり、「意識は、自己の心的システムを知覚対象とした感覚器官である。眼が外界を知覚対象とした感覚器官であるように、意識は、自己の心(心的システム)を知覚対象とした感覚器官である。」と述べています。

   この主張は、一見、矛盾しているように見えます。自分自身の心を知覚対象とした感覚器官とは、一体、何を意味しているのでしょうか。感覚器官とは、本来、外側を向いた組織です。外界や肉体などの制御対象の状態を把握する器官です。

   自分は、この矛盾の中に、重要な意味が隠されている事に気が付きました。


意識感覚器官によって構成された第二番目の制御システム系

   脳は、本来、この肉体の生存と行動を支える為の制御システム系です。それ以上の意味はありません。それ以下の意味もありません。

   この制御システム系は、眼、耳、鼻、舌、身の5感の上に成り立っています。この原則は、虫などの下等な動物も、我々、人間も変わりません。この全ての動物が共通に持っている制御システム系を、フロイトに倣って、第一システムと呼ぶことにします。

   知的生命体は、これ以外に、もう一組、制御システムを持っていることに気が付きました。これを、第二システムと呼ぶことにします。

   意識感覚器官は、この第二システムに属する感覚器官です。この第二システムは、肉体の架空行動を制御しています。第一システムが肉体の現実行動を制御しているのに対応しています。第二システムは、生物進化の上では、第一システムの疑似組織として発生しており、その働きも疑似的です。この肉体の架空行動を、人々は、『考える行為』と呼んでいます。


   この事は、次のような動物実験によって、明らかとなります。

   ネズミを迷路の中に入れたら、どのように行動するでしょうか。
   取りあえず、肉体を使った思考錯誤(探究反射)を繰り返します。その試行錯誤の繰り返しによって、偶然、迷路を抜けることに成功します。それを、何度も、何度も繰り返しているうちに、次第に、道を覚えて、最後には、迷わずに、抜けることが出来るようになります。
   ネズミたちは、探究反射(試行錯誤)によって、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出しています。

   では、我々人間はどうでしょうか。
   いきなりネズミと同じように、行動に移す人もいますが、多くの方は、一旦、立ち止まって考えます。頭の中に、迷路を思い浮かべて、「あーでもない。こーでもない。」と、色々試行錯誤を繰り返します。そして、解決策が見つかったら、おもむろに行動に移ります。
   人間は、頭の中に、架空世界を作り出して、それを意識感覚器官の知覚対象にして、思考活動を行っています。眼が外界を知覚対象としているのに対して、意識は頭の中に作り出された内なる世界を、知覚対象としています。その内なる世界の中でシミュレーションを繰り返しています。

   このネズミと人間の行動比較してみて下さい。何処かが同じで、何処かか異なっています。
   驚くべきことですが、未知の状況に対応する為のプログラムを作り出す原則は、人間もネズミも同じです。探究反射、即ち、試行錯誤です。試行錯誤によって作り出しています。これは、驚くべきことです。知的生命体の専売特許と思われていた創作活動が、実は原始的な探究反射に過ぎなかったのですから。

   でも、使う器官は、異なっています。ネズミは、肉体を使いますが、我々は、頭を使います。
   ネズミは、第一システム(体)を使った探究反射によって、新しいプログラムを作り出していますが、我々人間は、第二システム(頭)を使った架空の探究反射によって、新しいプログラムを作り出しています。

   使っている器官は異なりますが、作り出している原理は同じです。探究反射によって作り出しています。


第二システム(意識器官)の生物学的意味と存在価値

   ここに、第二システムの生物学的意味と存在価値があります。即ち、第二システムは、第一システムに対応して発生した類似器官であって、その働きも疑似的です。肉体の現実行動ではなくて、肉体の架空行動を制御しています。この肉体の架空行動、即ち、『考える行為』によって、高速に探究反射を繰り返しています。

 システム名  目的  依存する感覚器官  該当する
動物の範囲
 第一システム  肉体の現実行動を制御  5感(眼耳鼻舌体)  全ての動物
 第二システム  肉体の架空行動を制御  意識感覚器官  象や人間
注)意識感覚器官は、模倣反射が可能な高等哺乳類は、広く持っていると思われます。

   生物進化の立場から、問題を整理します。
   その行動様式と、それを支える制御システムの構造は、下図のようになります。
   脳と環境が一体となって、制御システム系が構成されています。環境から切り離された脳だけを論じても意味がありません。あくまでも、環境との因果関係の中に組み込まれた構成要素のひとつとして、理解する必要があります。現象の全体像に着目し、環境との相対関係の中で、脳と、脳が生み出している行動を理解する必要があります。
  
 脳の進化と、行動様式の関係
 

本能的行動様式

   左側は、本能だけに依存した動物の行動様式です。

   彼らは、生まれながらに組み込まれたプログラム(本能)だけて生きています。
   だから、環境が変化して、行動様式の変更が必要になった場合、進化する必要に迫られます。遺伝的に決定されている事項を、変更する為には、進化する意外に方法がないからです。

学習された行動様式

   もう少し進化すると、本能だけでなく、学習も必要なシステムになっています。本能の代用物として、本能の周りに、学習結果が付け加わったシステムです。

   動物にとって学習とは、進歩することではなくて、一人前になることを意味しています。本能だけでは、生きる為に必要なプログラムが不足しているので、それを体験学習によって補って、一人前になっています。

   学習のメリットは、個体レベルでプログラムの変更が可能になっていることです。時間的環境変化も、地理的な環境変化も、各個体にとっては、体験学習の差にしかなりませんから、種の立場からみれば、進化することなく、多様な環境に適応可能となっています。

   この環境変化に対応する為のプログラムの変更が、種のレベルでの進化によってではなくて、個体レベルでの体験学習によって吸収できていることが学習のメリットです。


意識された行動様式

   進化の第三段階が、意識された行動です。

   ここで、パラダイムシフトが起っています。第一システムの代用物として、第二システムが付け加わっています。その働きも疑似的なものです。即ち、第一システムが肉体の現実行動を制御しているのに対して、第二システムは、肉体の架空行動を制御しています。

   この肉体の架空行動を、世間では、『考える行為』とか、『シミュレーション』と、呼んでいます。第二システムを使ったシミュレーションによって、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出しています。、そして、それを使って、第一システムを駆動して、目の前の未知の状況に対応しています。

   このような特殊な意識器官は、元々は、模倣反射の必要性に基づいて発達した器官のようです。生物進化の上では、模倣反射を基盤にして、発展してきた器官です。その工学的機構が、非常に良く似ています。


第二システムのメリット

   この第二システムを使う事の生物学的メリットは、いくつも指摘できます。

   一番重要な事は、リスク管理です。
   試す行為には、常に、リスクが伴っています。未知の状況に挑戦する訳ですから、何が起るか判りません。最悪の場合、命を落とすかもしれません。
   第二システムを使ったシミュレーションだと、そのような危険を回避できます。直接、肉体を危険に晒す必要がなくなるので、失敗しても、大きな痛手にはなりません。

   次に大切なことが、エネルギー消費です。肉体を直接使うことに比べたら、頭を使った架空行動の方がエネルギー消費が少なくて済みます。この優位性を最大限に生かして、人間は今このように繁栄(繁殖)しています。

   3番目が、スピードです。つまり、制御速度です。
   肉体を使うことに比べたら、遥かに早く、試行錯誤を繰り返すことができます。短時間に、多くの可能性を試すことができます。この為、より、複雑なプログラムを作ることが可能になっています。

   人間の場合は、自分の体だけでなく、自分の属しているグループや組織も、シミュレーションの対象にすることが出来ます。頭の中で、自分の体を動かすのと同様に、国や、会社を動かしてみることも可能です。言葉や、数学、物理学などのように、さらに抽象化が進んで、肉体との直接の結びつきが判り辛い事象も、シミュレートしています。

 第二システム(意識感覚器官)のメリット 
 1 リスク管理
肉体を、危険に晒さらさなくても、試行錯誤が可能になっています。
 2  エネルギー消費
直接、肉体を動かすことに比べたら、エネルギー消費が少なくなります。
 3 スピード
直接、肉体を動かすことに比べたら、遥かに早く試行錯誤を繰り返せます。 


第二システムのデメリット

   もちろん、デメリットもあります。

   最大のデメリットは、死の恐怖に怯えていることです。
   第二システムが作り出していた架空世界は、死と共に消滅します。この消滅を、人々は恐れおののいています。その恐怖に、苛まれています。

   架空行動の為のシステムを持ってしまった知的生命体の宿命です。
   この広い宇宙には、大勢の知的生命体がいると思うのですが、彼らは、果たして、死の恐怖を克服できるまでに、進化しているのでしょうか。知的生命体の宿命を、あるがままに、受け入れることが出来ているのでしょうか。
   この地球では、少なくとも、人間は、最初のプロトタイプ、試作品です。あまり、出来はよくありません。死の恐怖に翻弄されています。

   次に問題になるのが、第二システムを使った自己満足に振り回されていることです。制御システムの快楽原理が、第二システム上でも成り立っています。白日夢に代表されるように、常に、脳内麻薬を必要としています。自己完結した満足体験を求めています。
   第二システムの『自己満足に浸りたい。』という欲望が、現実に即していない、様々なムダな行動を生じさせています。第二システムの『満足体験こそが、人生の目的だ。』と言ってしまえば、返す言葉もありませんが。
   あまりにも、ムダな行動が多すぎます。自己満足に浸る為だったら、他の全てのことを犠牲にしています。
   哲学的欲望、宗教的欲望、科学的欲望、善や、正義、正統性、正しさへの拘り。『意識知覚している事象は、実体である。』という唯物論への拘り。これらの欲望を正当化する為に、言葉が総動員されています。言葉の上に、さらに、言葉を塗り固めています。勇ましく、頭の上で、言葉を振り回しています。

   ムダな努力です。結果は、少しばかりの自己満足が得れるだけです。

   3番目の問題が、対立と混乱です。
   1個の肉体の上に、2組の制御システムを搭載しているので、その制御権を巡って、対立と争いが起っています。多くの精神的な疾患が、この2つのシステムの対立に起因しています。

 第二システム(意識感覚器官)のデメリット 
 1 死の恐怖
第二システムが作り出している架空世界は、死と共に消滅します。
この消滅に、恐れおののいています。
架空行動の為の制御システム系を持ってしまった知的生命体の宿命です。
 2 欲望に振り回されています。
第二システムは、常に自己満足を追い求めています。この為、人間は、ムダな行動を一杯しています。あたかも、自己満足に浸ることが、人生の究極の目的であるかのように錯覚しています。その為だけの行動が、随所で、目に付きます。
 3 主導権を巡る対立に、翻弄されています。
一個の肉体の上に、2組の制御システムが乗っかっています。
この為、主導権争いと、対立が発生して、様々な精神疾患の原因になっています。

   現実をあるがままに、受け入れて下さい。言葉で飾り立てても、現実が変わる訳ではありません。少しばかりの、自己満足に浸れるだけです。
   一時の現実逃避の後には、冷酷な現実が待ち構えています。脳内麻薬よりも、空腹の方が、心を苦しめます。




原始仏教

   意識が感覚器官であることに、気がついた人物が、歴史上、もうひとり存在していました。2500年前の人で、ゴータマです。日本では、通称、釈迦と呼ばれています。仏教の開祖と思われている人です。原始仏教の中に、その面影を見ることが出来ます。

   原始仏教の教典『スッタニパータ』の中に、次のような興味深い一文があります。


   雪夜叉が言った。「何があるとき世界は生起するのか?何に対して親愛をなすのか?世間の人々は何ものに執着しており、世間の人々は何ものに害(そこな)われているのか?」

   師(ゴータマ)は答えた。「雪山に住むものよ。六つのものがあるとき世界が生起し、六つのものに対して親愛をなし、世界は六つのものに執着しており、世界は六つのものに害われている。」

   「それによって世間が害われる執着とは何であるのか?お尋ねしますが、それからの出離の道を説いてくだされ。どうしたら苦しみから解き放たれるのであろうか。」

   「世間には五種の欲望の対象があり、意(意識の対象)が第六であると説き示されている。それに対する貧欲を離れたならば、すなわち苦しみから説き放たれる。」

 出典「ブッタの言葉(スッタニパータ)」 中村元訳 岩波書店

   パーリ語大蔵経の中部教典の中には、次のような一文もあります。


   『比丘よ、こちらの岸というのは、内的な六つの感覚器官(内の六処)をたとえてこういうのである。 比丘よ、向こう岸というのは、感覚器官の六つの外的な対象(外の六処)をたとえていうのである。』 

出典「バラモン教典 原始仏典」 中央公論社

 又、次のような一文もあります。


   『アーナンダよ、次にあげる十八の界(構成要素)、すなわち、眼と色形と視覚、耳と音と聴覚、鼻と香りときゅう覚、舌と味と味覚、皮膚と触れられるべきものと触覚、心と概念と意識の諸界がある。』 
 
出典「バラモン教典 原始仏典」 中央公論社


   原始仏教では、不思議なことに、現代の常識に反して、人間には、眼、耳、鼻、舌、身、意の六種の感覚器官と、それに根ざした六種の欲望(六根)が存在する。

   その六種の欲望へのむさぼりが苦しみの原因となっている。

   だから、その六種の欲望へのむさぼりから離れることが、苦しみから解き放たれる道であると説いています。
   つまり、『六根清浄(ろっこんしょうじょう)』、6つの根(感覚器官)に由来した、6種の欲望を清めることが大切だと唱えていいます。

   仏教では、意識は、眼や耳同様、感覚器官であると、説かれています。意識感覚器官の知覚対象を、仏教では『』と、呼んでいます。現代語に訳すると、『イメージ』です。

   『色即是空(しきそくぜくう)』。

   般若心経の有名な言葉です。
   「人間の意識知覚しているイメージ(色)は、実体ではない。

   『空即是色

   何も無い空っぽのもの、それが、意識が知覚しているイメージ(色)の正体だ。」と、述べています。

   つまり、「意識知覚しているイメージ(色)は、欲望が作り出している心の中の事象であって、実体ではない。そのような実体の無いものに、悪戯に振り回されていることが、苦しみの原因になっている。そこから、離れることが、その苦しみから解放される道だ。」と説いています。

   『意識知覚している事象と、どう向き合うか。

   参考になる記述が、結構あります。

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