最近、311後に学んできた、食や心についてまとめ始ました。
書き出しとして『生きるという事』を考えています。
産まれてきた理由は別件として、元気で長生きが一般的に望まれる事だと考えます。
そのために食に気を遣い、ストレスを取り除こうとします。
しかし、学んできた多くの知識の中には、かなりハードルが高く実現が難しいものもあります。
楽しくストレスなくボケないで長寿である事・・・
一点の目標ではあるかもしれませんが非常に難しい問題だと思います。
人は何故か他人が気になり、自分の立ち位置を高いところに置こうとするようです。
動物的な本能でしょうか。
それらがぶつかり合うためにお互いにストレスを作り出します。
非常に下らない不毛な作業です。
真剣に幸福を求めるのなら、あるいは世捨て人になる方の気持ちが良くわかります。
アドラー心理学でもすべての人の悩みは対人関係だと言い切っています。
なるほどいろいろ考えてみても人間関係を外した悩みは見当たりません。
現実的にはすべてを投げ出して独りで生きていくことも幸福の為になるのだろうかとも思います。
然るに、アドラーの言うところの『
世界がどうなのかではなく「あなた」どうであるかが問題』を踏まえて、自分の課題をひたすらこなしてゆくのが道なのでしょう。
食の問題についても、かなり厳しい線引きも見られます。
中途半端なマクロビオティックはとても危険な学問であるし、突き詰めれば素晴らしい学問ではありますが、なかなか実際には実現が難しい状況にあります。
例えば、食材のチョイスや購入時のコストを考えると、富裕層でないと持続不可能です。
動物性タンパクについては、体質の陰陽などから判断する事になるのでしょうが、見た目に、動物性タンパクを完全に遮断している方は、カッサカサの肌で顔色が悪く、あまり健康なイメージな方をお見受けしません。
人間とはなぜに一つの事にドップリつかって盲信的であろうとするのでしょうか。
宗教がいい例です。
教え自体は素晴らしくとも、いったん狂気に走った時、気付けなくなるのはそのためだと思われます。
なぜに全面的にひれ伏してすべてを受け入れなければならないのでしょう。
違う事は違う。
なぜそう思えないのでしょう。
時は流れるものだし、人の考えることなど間違いだらけです。
自分もまた違っていたならその都度補正し修正して行けば良いだけではないでしょうか。
何かにぶら下がり、周りと自分を比較して、一つの事に短絡的にドップリつかって閉じこもる。
これでは幸福とは言えないし、ストレスの塊となるでしょう。
思い込みの、古い情報を基に、いつまでも誤った食を取り続ける事も長生きにはつながりません。
楽しく生きるためには待っていては中々満足できません。
自ら動き、楽しみを作ってゆく必要があります。
ストレスを溜めないためにも『課題の分離』を基本に、下らない事にとらわれないよう、横並びにフラットに生きることが賢明です。
そして食に関してはあらゆる情報を常に収集して検討してゆくのが良いと思われます。
病は気からと言います。
個人的にはプラセボ効果がこの世で最も素晴らしい医療だと思います。
塩水で病気が治ってしまうのですから!
この事実の前においては、どのような学説もビタミンもワクチンも足元にも及びません。
人間の持つ力を100%引き出し、多方面からアプローチすべきです。
これさえ実行していれば大丈夫だなんてナンセンスな事はやめにしましょう。
プラス思考で幸福を目指して。