るのか。
・「こぶし咲くあの丘北国のああ北国の春」
私は認知症です
私は認知症です
フェイスブックを…。
私は認知症です
今日の日にちを入れる。
アイアムシックスティー…。
私は認知症です。
でも人生を諦めていません
全然詰まってるね。
アイアムシックスティーワンイヤーズオールドナウ。
認知症の人は何もできないと思っていませんか
やればできるんだという事を身をもって示したいと思いまして。
何でもチャレンジです。
認知症の人は不幸だと思っていませんか
診断されて10年。
いろいろな事がありました。
認知症の私からあなたへ伝えたい事があります
はい回った。
(取材者)今日はよろしくお願いします。
お名前を教えて下さい。
佐藤雅彦です。
61歳です。
10年前アルツハイマー型認知症と診断されました。
はいカット。
緒形直人です
認知症の人を演じるのは初めてです
かつてはコンピューター会社のシステムエンジニア
30分ぐらい歩こうか。
何度か来た道でも覚える事ができない
いいよね。
あっまずいかしら?携帯忘れたんだけど。
直前の事が記憶できない
こっちだったよね?違ったっけ。
私よく分かんない。
ご紹介にあずかりました佐藤雅彦です。
自らの認知症を実名で公表。
これまでに100回近く全国各地で講演を重ねる
これが一番信じたい事で…。
佐藤さんが書き続けてきた膨大な量の日記。
10年間に及ぶ認知症の人自身による記録はほかに例を見ない
よ〜いスタート!
そこにつづられた心の声を基に佐藤さんの10年間を僕は追体験したいと思った
ちょっと会計処理の方でミスがあってですね…。
自分の中の異変を自覚したのは16年前。
コンピューター会社に勤めていた45歳の時です
これは商品の番号をもっと分かりやすく…。
話の内容は分かるのですがその要点をまとめる事ができなくなりました
翌年には文字や数字を短い間でも覚える事ができなくなり入力に時間がかかるようになりました。
一文字一文字見ながらでないとパソコンに打ち込めないのです
大丈夫ですか?ええはい。
事務職は難しいだろうと配送係に異動となりました
異変が決定的となったのは2005年51歳の時です
配達先を見つけるのに時間がかかり車に戻れず30分以上さまよい続けてしまったのです
10月27日。
医師から突然「脳に萎縮が見られます。
アルツハイマー病です」と診断されました
全く予想していなかった診断でものすごいショックを受けました
医師から突き放されたように感じました
当時私はまだ51歳でした
(医師)次いらっしゃる時は家族の方と来てもらえますか?
私は独身でした。
介護してくれる家族もなく医師からは1人暮らしは無理ではないかと告げられました。
明日からどうやって生きていけばいいのか…
「認知症になると考える事ができなくなる。
いずれ自分自身の事も分からなくなる」。
「多くの場合6年から10年で全介護状態になる」。
救いを求めて読んだ認知症に関する本にはそう書かれていました
私は更に追い込まれてしまいました
認知症だと診断された時には目の前が真っ暗になりました。
何も考えられない状態でしたので思考停止の状態に陥りました。
人生の絶望のふちを歩いておりました。
「自分で自分じゃなくなる。
6年から10年で全介護になる」という負の情報ばっかり集まって本を読めば読むほど絶望に陥っていきました。
25年勤めた会社を辞めました
医師からは施設に入るよう勧められましたが私は1人暮らしを続けたかった。
悩んで混乱しついに1週間寝込んでしまいます。
食事もとらずもう自分でも何が何だか分からなくなっていました
診断を受けたあとつけていた日記です。
「やさい」とゆう漢字が書けない。
日記をつけているうちは大丈夫だが入力する気力がなくなったときは要注意。
自筆で遺言書を作成する。
夕食の弁当を買ったのに忘れてまた夕食の材料を買いにいく。
スーパーはそこがいつも行く店であってもどこに何の商品があるか覚えられない。
何回行っても初めて来た店のようだ
あっごめんなさい。
ある日考え方を変えてみました。
私は効率的に買い物をしようという考えを捨てる事にしたのです
私は一つの工夫をする事にしました
失敗さえも忘れてしまうのでパソコンに失敗の内容とその対策を書き込む事にしたのです
歯医者の診察券を無くす。
対策財布の中を時々チェックする
はあ…あった…。
散歩していて来た道が帰れない。
対策周りをよく注意して歩く。
タクシーを呼んで帰ってくる
スプーンという言葉が出てこない
対策なし
お久しぶりです。
・ああ。
あの最近いかがですか?お忙しいですか?・いや別に…。
えっな…何の用ですか?
私が認知症だと知って離れていく人もいる
あの…お元気ならいいんです。
またお電話しますから。
・あは〜い。
対策認知症に理解のある人とつきあう
失敗と対策の数は100項目を超えました。
できない事を書き連ねるのは落ち込みます。
でも失敗を自覚し乗り越えなければ
そんなやさき頼りにしていたパソコンが突然故障してしまったのです
私はパニックを起こし病院へと駆け込みました
症状が進んだようですね。
1人暮らしはもう無理でしょう。
なんとか自分をコントロールできるというかすかな自信が音をたてて崩れていきました
パソコンが…文字が打てなくなってワードが立ち上がらなくなって…。
無くなったら混乱しますよね。
ないとすぐ生活に支障を来します。
不安になります。
選択というのは真ん中でいいんですね。
ある日の事です。
友人が薦めてくれた携帯電話。
これが私の運命を変えました
この地図が今佐藤さんの自宅なんですよ。
はあ〜はい。
自宅のところに来てますよね。
ええ。
だからこれで迷う事はもうないと思います。
はぁ〜。
せっかくだから佐藤さん笑って下さいよ。
はい。
ナビの機能メールの送信方法写真の撮り方など一つ一つ覚えていきました
保存しましょうか。
保存はい。
保存できますか?
認知症の私でも覚える事ができたのです
真ん中押して…。
時間の感覚が低下し睡眠時間が乱れるのを防ぐため朝起きると時計を撮影し時刻を記録
(シャッター音)
体調がいつ悪くなったのか医師に伝えられるよう自分の顔を写真に撮ったりもするようになりました
一旦忘れても携帯に打ち込んでおけば必要な時にいつでもどこでも取り出せる
手のひらの小さな携帯はまるでもう一つの自分の頭脳のように思えたのです
9時14分に着いて20分の中央快速に乗って26分に中野。
一応。
分かんなくなるといけないから。
行き先が。
いいようにちゃんとやってます。
今も私は一人で生活を続けています。
外出したり電車に乗ったりする事は緊張の連続です。
周りの音や人の話し声が非常にうるさく感じられ疲れてしまうのです
音がうるさくて外出できなかった時期もありました
降りる駅を間違えないようにずっと神経を張り詰めていなければなりません
この日向かったのは掛かりつけの病院です
ちょっとあれ忘れた。
診察券。
はい。
半年ぶりに認知症の進行を検査します
佐藤さん今お年おいくつですか?61歳です。
61歳。
今日の日付を教えてほしいんですけど今日は何年の何月何日でしょうか?2015年っていう事は分かるんですけどあとは分かりません。
はい。
曜日も?分かりません。
これから5つの品物をお見せしますのでその名称も教えて下さい。
これ何でしょうか?時計。
じゃあこれは?歯ブラシ。
じゃあこれは何ですか?スプーン。
じゃあ…。
鍵。
鉛筆。
はいありがとうございます。
佐藤さんここに置いてあったものは何でしょうか。
時計と歯ブラシしか覚えていません。
はいありがとうございます。
自分はほかの人と同じぐらい能力があると思う。
これは当てはまりますか?どうかね?ある面においては普通にできるけどある面は劣っておると思います。
はいありがとうございます。
10年前から著しく進行はしていませんがそれでも記憶力の低下を痛感しています。
検査の結果は1か月後に伝えられます
私のあれを見せましょうか。
コンピューター会社に勤める前は中学の数学教師でした
これが展開すると…。
b2乗マイナス…。
こういうのはもっとスラスラスラスラできたんだよ。
分かる?これ。
全然分かんない。
全然分からない?え〜っとさ…。
スラスラできない自分がもどかしくなります
今見ている風景も出会った人の顔も覚えていられないかもしれません。
不安がないと言えばうそになります。
それでも…
記憶にはないんだけど記録はあると。
はいチーズ。
(シャッター音)
この小さな端末が私の大切な記憶を収めてくれています
記憶がたとえ消え去っても私は私。
私が生きている確かな証しがここにあります
あれ?どこだったっけ?カード書く所はどこだったっけ?そこですそこです。
人のお世話になるだけというのはつらいものです。
誰かの役に立ちたいと思う事は私にとってとても自然な事でした
久しぶりに来て下さいました。
はいどうも。
水曜日久しぶりです。
はい。
ありがとうございます。
診断されてから今もずっと週に1回程度ボランティアに参加しています。
途上国の子どもを支援する団体で郵便物の発送のお手伝いをしています
できない事は増えてもまだまだやれる事はある
こういう事はできないのかなって思ってたところはあったけれど実際に仕事して一緒にいろいろやってみて「これできるよ。
これは嫌だ」っていうふうに普通に言って普通にコミュニケーションとりながらできたので結果的にはもう一般の方と同じ。
なので佐藤さんと出会って偏見はなくなりましたし今知り合いとかでもそういう方「実は」というふうに聞いた時に前だったらちょっとかわいそうとかって思って…できる事が少なくなっていくっていう意味でかわいそうって前だったら思ってたと思うんですけど今は佐藤さんを知ってるのでできる事は減るかもしれないけれどもでき続ける事っていっぱいあるよって何か自分の事のように言ってしまいたくなる自分がいるというか。
こないださ一日来た時に「一日やったら4日間寝込んだ」って書いてあったからちょっとマイペースで。
今日から午前中…2日間…2日間寝込んだら困るからお願いしますね。
はい。
無理し過ぎないように。
人間が生きていく上での喜びの一つは人のために何かをする事だと思います。
認知症になっても今の私にできる事を通して世の中の役に立つ事ができれば孤立する事もないし自分に自信も出て生きがいを感じられます
してもらうよりもする喜びに変えると。
逆転の発想をすると。
何々してくれないというので不満ばっかりためてはいけないと思う。
自分が何ができるかを考えると。
人のために役に立ちたいと。
私が声をかけた時その女性はとても驚いた表情をしました。
シンポジウムで出会った認知症の研究者永田久美子さんです
佐藤さんに呼び止められて佐藤さんが「私は認知症です」って言われて「これから認知症になっても暮らしやすい町を一緒につくりませんか」ってもう単刀直入に言われて。
もう何か雷に打たれたような感じでしたね。
実現しない事も増えていくけれども認知症になったからこそのできる事って何だろうって佐藤さんも考えられたんですよね。
認知症を体験してる者が一生懸命悩んだ末に気付いた事を世の中に伝える事が認知症だからできる事だし認知症の人はそれをやる事が使命なんじゃないかって。
身をもって体験したつらさや悲しみ。
周囲の誤解や偏見。
認知症の私だからこそ伝えられる事がある。
私は実名を公表し人々の前に立つ事を決意しました
全ての認知症の人が話す事も考える事もできないという誤解を解きたい。
認知症の人でもパソコンや携帯を使いこなす人もいます。
障害者高齢者本人を社会のお荷物と考えるのではなくコミュニティーの一員として認める社会。
そのためには認知症の人を劣る価値のない人間と考えない。
人間の価値はあれができるこれができるという有用性ではなく…と考えるのではなく多様な価値観を認め全ての人が等しい尊い存在であると認めてくれる社会を望みます。
全国各地での講演は100回近くにも上りました
私の経験が何かの役に立つのならば…
売名行為はやめましょうよ。
えっ?あんた認知症じゃないでしょう?認知症はねえそういうもんじゃないよ。
(永田)初期の頃は特に無理解ないろんなこう…佐藤さんが人の前で語ると「認知症じゃないんじゃないか」とか本当にこう認知症になんか自分がなりたくなくて診断を受けて認知症と告知されたがゆえにそれに悩んで一生懸命認知症となった自分と折り合いをつけたり認知症と向き合おうとしてるのに周りから場合によっては専門の先生からも「こんなにしゃべれるのは認知症じゃない」とか「こんなに覚えてるのに認知症じゃない」とか非常に佐藤さんの外見のそこの出会った一瞬だけを捉えて単純に認知症じゃないと言われる方が結構おられた。
佐藤さん本当に専門の先生に3人ぐらいは会いに行って何度も検査を受けて診断をし直してもらってアルツハイマー型認知症というのを確認してもらって…。
確認してもらってホッとしたみたいな変な状態。
認知症ではないと言ってほしいのが本当の気持ちなんだけどもだけどもうなってる現実があってそのなってる現実に今度は認知症じゃないなんて言われて非常にその時も混乱されましたね。
1つの講演を行うとその反動で1か月近く寝込んでしまう事もあります
落ち込んだ落ち込んだ。
佐藤さんがほら時々「もう死にたい」とかいうメールをみんなに送るからそのメールがあった一晩はみんなが「佐藤さんが本当に苦しんでいるらしい。
どうやって佐藤さんを少しでも楽になってもらうためにどうしたらいいだろう」って一晩みんながいろいろ佐藤さんのあのメールで死にたいとか言ってるどうしようってみんながすっごい悩んでるのに次の朝電話すると「おはよう」とか言って「今日これから花見に行くんだ」ってみんながのけぞって。
佐藤さん死にそうなぐらい苦しんでるけど今日は何だ花見に行くのかみたいな感じで。
(取材者)死にたいなんて時があるんですか。
あるんですよ。
あるんですよね。
疲れきってしまって生きるのがつらい。
だから何もやる気力がない。
生きる意欲がなくなる。
ちょっとちょっと。
ノリノリ。
ほらその感じだったら走れるよ。
大丈夫だよ。
10キロ走れるかしら?1キロぐらいはダウンしてもいいからな。
一緒に。
はいチーズ。
じゃあ行きましょう。
はい行きましょう。
日本全国を一つのたすきでつなぐ認知症への理解を求めるイベントです
(拍手と歓声)佐藤雅彦です。
認知症当事者です。
はい。
え〜町田の金井に住んでます…。
私も認知症の当事者です。
お疲れさまでした。
今日はありがとうございました。
こんにちは。
お世話になります。
はいこんにちは。
係長のオジロとカノウになります。
(一同)よろしくお願いします。
堅苦しい講演ではなく何かふだんの井戸端話を聞いているような感じで皆さんも一緒に…。
看護師の水谷佳子さんです。
私の話をうまく聞き出してくれます
その道を歩く時に例えば前から人が来るとか横から車が来るとかそういう情報を…。
そういうの一つの情報をじゃなくていろんな情報の中から今必要な情報を探すというのは大変なんですよね。
よくねこういう場所に着くとこう着くだけでも仕事がね…。
半分過ぎたみたいなもんです。
佐藤さん。
皆さんに是非これだけは伝えたい事。
認知症になっても不便ではあるけど不幸ではない。
あと自分の能力を信じて生きるという事なんですね。
でも佐藤さんの生き方すごいですね。
本当にすごいです。
感動しました。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
今日初めて本人を交えていい話を聞かせて頂いたんですが私今まで勘違いしておりましてお手伝いというのは自分の思った事を優先的にねしてやるのが手伝いだと思ってたんですよ。
だから患者さんの認知症…まあ本人を前に申し訳ないんですが患者さんの気持ちを一切考える事なく…自分で「あっこの人はこうだからこうしてやらなくちゃいけない。
ああしてやった」。
それが喜ばれると思ってたんですがまあ今日のお話を聞いてそうじゃなくて患者さん本人を尊重しなくちゃいけないって事を聞かして頂いたんで非常にいい勉強ができました。
ありがとうございました。
(拍手)
(取材者)何でそんなに頑張れるんですか?使命だと思ってるから。
使命とやりたい事が一致したら生きがいになると。
認知症にもなって何も考えられないという誤解を解きたいという使命がありますからね。
誤解が解ける時は来ますかね?私の生きてるうちで解けないかもしれないけど。
それは分かんない。
講演のパートナーを務めてくれる水谷さん。
困った事や悩みも相談できる相手ですが初めからそんな関係だった訳ではありません
佐藤さんと最初に待ち合わせをした時にまず外で普通に待ち合わせる時に本当今だからっていうか本当今だからっつってもね冷や汗かくような恥ずかしい考えなんですけどどう会っていいか分からなかったんですよ。
看護師である私は病院の中では認知症の方と接していましたが街の中で会った事はありませんでした
佐藤さんおはようございます。
今日付き添いさせて頂きます水谷です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ行きましょうか。
認知症の人は歩くのにも集中が必要で気がそがれるので歩きながらガムをかむ事もできない。
そんな知識を持っていた私は佐藤さんに話しかける事もできずただ黙って後をついていくだけでした
講演会お疲れさまでした。
行きましょう。
あの…。
思い切って佐藤さんに聞いてみたんです
認知症の方には歩いている時は話しかけない方がいいって聞いた事があるんですけれども佐藤さんともお話ししない方がいいでしょうか?私は大丈夫ですよ。
このあとお昼どうしましょう?あ〜もうお昼ですか。
そうですね。
そろそろ。
水谷さんは何がお好きですか?あ〜私は…。
認知症があるってついただけで私の中にどうしていいか分かんないっていう気持ちが生まれたって事はそれが多分偏見の一つ…。
人の前に「認知症がある」が大きくてそっちを見ちゃうというかそんな感じだったのかなと思うんです。
失礼な事しちゃいけないとかけがしちゃいけないとかまあ思いますよね。
でもそれもね今考えるとね初めてただ単に誰かと会うならそんな事考えないですよね。
気構えちゃうのはやっぱりそれはまあ偏見っていうか…偏見なんでしょうね。
そんなふうにして何度か付き添いをするうちにお互いに打ち解けていきました
(ため息)
その日仕事でうまくいかない事があって誰かに話したいけれど誰でもいい訳ではなくて。
状況を知ってくれている人誰か…。
そう考えている時浮かんだのが佐藤さんの顔でした
もしもし。
あ…もしもし。
その時の佐藤さんの言葉を私は忘れません
佐藤さん…。
はい。
す…すみません。
今仕事中なんですけど…。
何かちょっとうまくいかない事があって。
(すすり泣き)聞かせて。
あ…ごめんなさい。
ごめんなさい。
元気出して下さい。
あ…ごめんなさい。
声を聞いたらちょっとホッとしちゃって。
今大丈夫でしたか?大丈夫ですよ。
仕事戻れそうです。
はい。
そういうところが私佐藤さんの佐藤さんなところっていうか…。
だから佐藤さんにしか電話できない事がある…っていうのはそういうところだなって。
掛けがえのない部分っていうのかな。
誰でもいいじゃなくて掛けがえのない佐藤さんだからじゃなきゃ駄目なところがそうやってちょっとずつ出来ていくみたいな。
聞かせてって言われたらそういう事じゃなくてもぽろぽろでいいから何でも受け止めてくれるんだみたいなそのね感じ。
それはねすごい大きい出来事でした。
この日はひとつき前に受けた検査の結果が伝えられる日です
13点?今回だよ。
前回は15点。
でMMSEっちゅう方は今回は24点。
前回は23点。
「不便だけど不幸じゃない」って言ってんだよね。
だからもしかしてそういった意味で言えば…でまあそれは大変な事だとは思うけどね。
けどまあ佐藤さんだったらきっと乗り切っていくんだろうと思うし…。
今年6月。
食事の準備が難しくなり私はマンションでの1人暮らしを諦めケアハウスに入居しました。
同じ活動をする仲間の中には認知症が進行する人も出てきました
(取材者)症状がちょっと進んでるらしいんですけど…。
何かそういうのを聞くとどういうふうに感じますか?そうなるんでしょうねっていう事よ。
事実として受け止める…?うん事実として…。
そういうのは多いんですよね。
今でもこういうふうに淡々と話されてますけど不安な時期っていうのはやっぱり…。
ありましたよ。
今もう乗り越えた感じ?ええ乗り越えましたよ。
乗り越えてどういう境地というか…。
もうなるようにしかならないという…。
開き直っていると…。
(取材者)今ご自分でどちらが好きですか?認知症になる前のご自分となってからの自分。
は〜それはなぜですか?
それでも落ち込んでしまう時にはいつも目を通す文章があります。
「痛みを感じるのは生きているから。
悩みがあるのは生きているから。
傷つくのは生きているから」
私の名前は佐藤雅彦。
10年前アルツハイマー型認知症と診断されました
2015/11/17(火) 22:00〜22:49
NHK総合1・神戸
認知症キャンペーン特集「認知症の私からあなたへ」[解][字]
51歳で認知症になった佐藤雅彦さん。その歩みは認知症に対する私たちの固定観念を塗り替える、“希望”に満ちている。ドラマとドキュメンタリーで描く佐藤さんの10年。
詳細情報
番組内容
認知症になった一人の男性が、発症以来10年にわたって記した膨大な日記がある。佐藤雅彦さん61歳。51歳で認知症と診断され、多くの困難に見舞われながらも、タブレットなどのIT機器を記憶装置として駆使したり、ボランティア活動に積極的に参加したりするなど、様々なチャレンジを続けてきた。そこには認知症になってもあきらめず、人生を歩んでいくことができるという“希望”がある。 ドラマ部分出演:緒形直人、奥貫薫
出演者
【出演】緒形直人,奥貫薫,認知症当事者の会共同代表…佐藤雅彦
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – 健康・医療
福祉 – 社会福祉
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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