日本のチカラ 2015.11.22


あの日津波に町がのみ込まれた宮城県気仙沼市。
がれきの中から発見されたジーンズです。
ほころびも糸のほつれもありません。
やがて誰言うとなく「奇跡のジーンズ」そんな言葉が広まっていきます。
震災のわずか1カ月後に工場を再開したオイカワデニム。
ミシンの音が人々を勇気づけました。
優れた縫製技術から生み出されるオリジナルジーンズは決して安いものではありません。
しかし…。
「奇跡のジーンズ」の技術力を武器に今画期的なジーンズ作りが始まっています。
それは避難生活を送っていた漁師たちとの日々から生まれました。
メカジキの上あごを利用しようというのです。
まさに気仙沼ならではのアイデア。
『日本のチカラ』今週はジーンズ作りを通して地域の復興に取り組むデニム工場の物語です。
気仙沼の小さな港町本吉町。
カキやワカメホタテなどの養殖が盛んな町です。
その工場は海を見下ろす高台にありました。
従業員は20代から60代まで22人。
ほとんどが地元採用の女性たちです。
1981年家業の呉服店をやめデニム工場を開業。
しかし10年後に亡くなります。
残された妻の秀子さんは三男の進さん次男の洋さんたちと力を合わせオイカワデニムを守り育ててきました。
オイカワデニムの優れた技術。
それは機械に頼らず全て職人がミシンで縫い上げるところにあります。
決して妥協しないものづくりの姿勢はジーンズの細部にも表れています。
このベルトループは指をかけやすいよう斜めについています。
また穴の開きやすい頑丈なジーンズ作りを支えているのが特別なミシン。
独自の改良で不可能と言われていた麻糸を使う事が出来ます。
っていうところが大きい特徴です。
縫製技術デザイン細部へのこだわり。
気仙沼の小さなデニム工場のジーンズに国内外のブランドも注目。
ちなみに現在縫製の依頼を受けているブランドは8社にのぼり工場はフル稼働。
このジーンズのタグにも「オイカワデニム」の文字が。
全てのジーンズの原点といわれるLEVI’S501の復刻版を縫製したのもオイカワデニムでした。
熱烈なファンも増えています。
沖縄出身のアコースティックバンドBEGIN。
彼らが愛用するジーンズもオイカワデニムが手掛けたものです。
これ…今はいてるこれですけども。
気仙沼市の隣町南三陸町。
山あいに立つ町の体験施設ではかつて南三陸地方で盛んに行われていた養蚕の資料などが展示されています。
これは製糸工場です。
近郷近在の女性たちが働く貴重な場になっていました。
デニム工場で働く女性たちの背景には繊維や服飾産業に通じる地域の歴史がありました。
女性たちは年代も経験も様々。
しかし仕事にかけるひたむきな思いに変わりはありません。
工場から程近いところにあるアパート。
オイカワデニムの次男洋さんはここで一人暮らしをしています。
高校は商業科で学び税理士を目指していた洋さん。
卒業後に実家の仕事を手伝ったのはアルバイト感覚でした。
だったんですが…。
ものづくりの楽しさデニムの魅力と奥深さ。
洋さん生涯をかける仕事を見つけたのです。
オイカワデニムも高台にあった工場は無事でしたが自宅と倉庫は津波にのみ込まれおよそ5000本のジーンズが流されてしまいました。
気落ちしていた及川さん一家を勇気づけたのが…。
がれきの中で町の人が見つけてくれた40本のジーンズでした。
震災直後デニム工場は被災した近所の人たちの避難所になりました。
集まったのは150人。
そのほとんどが漁業関係者でした。
避難していた人たちの助けもあって工場が再び稼働したのは震災からまだひと月も経っていない4月4日。
この日工場の近くの港に洋さんがやって来ました。
震災後の避難生活で親しくなった漁師の三浦さんです。
そこでやっぱり自分たちが今までその…こうやって海が目の前でも知らなかった事っていうのをたくさん教えてもらった。
漁師たちとの付き合いからこんな製品も生まれました。
魚網とサメの皮を使ったフィッシングバッグ。
大漁旗の切れ端をポケットにあしらったバッグも。
いずれも震災前には考えもつかないアイデアです。
そして今取り組んでいるのが角のようなメカジキの上あごを素材にしたジーンズ。
気仙沼が水揚げ日本一のメカジキ。
その上あごの部分は船に引き揚げられるとすぐに切り取られてしまいます。
ただその中でもう1つ洋さんは原材料を外国に頼るのではなく身近なもので作る事を考えていました。
前代未聞のメカジキのジーンズ。
母親の秀子さんは初めてこの話を聞いた時戸惑ったと言います。
洋さんこの日出かけたのは水産加工会社。
ようやく出来ましたんで。
どうぞどうぞ。
ありがとうございます。
すみませんお待たせしました。
いえいえありがとうございます。
(村田さん)なかなかこう揃わない時期だったもんですから。
(洋さん)あ〜いえいえすみません。
(村田さん)遅れましてごめんなさい。
(洋さん)いいえありがとうございます。
我々もメカジキのジーンズ作り。
まずはこの上あごを砕いて粉末にしなければなりません。
何軒も断られやっと見つけたのがこの食品加工場でした。
ここでは普段野菜や果物など食料品の粉砕作業を行っています。
食品加工場の社長は洋さんの冒険心あふれる計画に共感。
引き受けてくれたのです。
原料はどのぐらいありますか?
(池田さん)立ってるわけね。
(洋さん)はい。
約1キロぐらいで全然構いませんので。
(池田さん)1キロね。
(洋さん)はい。
どれほど細かくするかまた魚独特のにおいをどうするか打ち合わせをして粉末作りが始まりました。
粉砕作業を繰り返して出来上がりました。
1粒の大きさはなんと500分の1ミリ。
それをストロー状の綿の芯に入れ込み1本の糸にしていきます。
古くから機織り業が盛んで今はデニムの生地が町の特産。
駅の構内にアンテナショップがあるのもデニムの町ならではの光景です。
洋さんはメカジキの粉を織り込んだジーンズの生地を大正6年創業の老舗「日本綿布」に依頼。
震災前から付き合いがあり快く引き受けてくれました。
この工場では糸の染色も行っています。
メカジキの粉を編み込んだ事で予想外の色が出る事はないだろうか?そして肌触りは?洋さんの脳裏を期待と不安が交互によぎります。
社長の川井さんは言います。
気仙沼市の仮設住宅です。
子供たちはすでに独立。
母親の秀子さんが一人で暮らしています。
休日のこの日洋さんが秀子さんの手料理を食べに来ていました。
(秀子さん)から入れそっちね。
どう?茹で上がってる?うん。
美味しい?うん美味しい。
茹で方にもコツがあるの。
そう。
食べて。
親子で不況の波や震災を乗り切ってきたあの日々の事が今も昨日の事のようによみがえります。
(秀子さん)はいよ。
熱いから気をつけて。
心が折れそうな時はいつも明さんが見守っていました。
いつかオイカワデニムを地域のみんなのためになる会社にしたい。
それは亡き父が生涯持ち続けた思いでもありました。
メカジキジーンズ。
アイデアが浮かんでから4年余り。
多くの人たちに支えられとうとうここまで来ました。
これが世界でも例のないデニム生地。
岡山県井原の日本綿布から届いたのです。
心持ち軽いのですが丈夫さは心配ありません。
メカジキジーンズは洋さん自ら試作品に取りかかります。
オイカワデニムの技術力を駆使すればイメージどおりのジーンズが出来るはず。
まあそれに合わせて…。
(一同)乾杯!こんな嬉しい事もありました。
震災直後デニム工場に避難していた漁師たちとの久しぶりの再会です。
やはり話題の中心は避難生活の事。
あの日々は漁師たちの生き方を大きく変えました。
震災前までは個人で漁や養殖の仕事をしていました。
それがみんなで力を合わせ共同で仕事をするようになったのです。
(漁師)本当にありがとうございます。
お互い仕事は違っても地域の仲間。
自分たちの進む道を夜遅くまで語り合いました。
ついにメカジキジーンズの試作品が完成しました。
頑張ったね。
(秀子さん)完成した。
頑張った。
なんだかすごい感動だね。
(秀子さん)オイカワデニムの「O」入ってたね。
軽くて肌触りのいいのが特徴です。
細部にわたりこだわりの縫製が施された渾身の逸品。
秀子さんの言葉が印象的です。
「海からの贈り物だね」。
10月下旬。
仙台市のデパートでメカジキジーンズの販売が始まりました。
洋さんも駆けつけています。
オイカワデニムにとってこの売り場は地元宮城県の最前線。
お客さんの反応が気になります。
このお客さん手にしています。
で感想は?あとやっぱりその…。
タグにも付いてるのもあるし。
やっぱりそういうとこを説明してもらって最高のリアクションです。
どれほど自信があってもお客さんの反応を見るまではやはりどこか落ち着かないと言います。
糸作り機織り縫製。
全てのプロセスで日本の最高の技術が結集したメカジキジーンズ。
洋さんには自信があります。
勝負をかけます。
ラベルにも思いを託しました。
オイカワの「O」は水平線から昇る朝日です。
海から吹いてくる青い風がきっと運んできます。
ふたたびの奇跡の物語。
『日本のチカラ』次回は福井県。
世界でたった一つのメガネを生み出す情熱とこだわりに迫ります。
2015/11/22(日) 06:00〜06:30
ABCテレビ1
日本のチカラ[字]

宮城県気仙沼市にある小さなデニム工場…実は世界的にも有名で、奇跡と感動の物語がたくさんあります。新たに「メカジキ」を使ったジーンズを開発、その驚くべき真実とは!?

詳細情報
◇番組内容
東日本大震災直後の宮城県気仙沼市。ガレキの中で泥だらけになったジーンズを町の人が見つけます。ほころび一つないそれは「奇跡のジーンズ」と呼ばれ、復興のシンボルに。それはオリジナルブランドのデザイン性の高さと頑丈さで、日本のみならず世界的に知られた工場が作ったもの。不可能とさえ言われた麻糸での縫製を実現させた海辺の小さな工場。その技術力が、「奇跡のジーンズ」によって改めて証明されたのです。
◇番組内容2
震災後は画期的な新商品の開発…それは震災直後工場を避難所として開放し、生活を共にした漁師達との日々からヒントを得たものでした。「気仙沼が水揚げ日本一のメカジキでジーンズを作ろう」…資源の有効活用や命がけでメカジキと格闘する漁師の姿に思いを馳せ、世界でも初めてのジーンズ作りに没頭します。海からの贈り物であるメカジキをデザインにどう生かすのか? 数々の苦労を乗り越えた先には、ふたたびの奇跡の物語が…
◇番組内容3
全国各地の「魅力あふれる産業」を通して、地域の歴史や文化・人々の英知や営みを学び、日本の技術力・地方創生への道・温かいコミュニティー、生きるヒントを描き出す、教育ドキュメンタリー番組。
◇ナレーション
粟津ちひろ(東北放送アナウンサー)
◇音楽
高嶋ちさ子「ブライト・フューチャー」
◇制作
企画:民間放送教育協会
制作著作:東北放送
協力:文部科学省/中小企業基盤整備機構
◇おしらせ
☆番組HP
 http://www.minkyo.or.jp/

この番組は、朝日放送の『青少年に見てもらいたい番組』に指定されています。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz

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