ETV特集 戦後70年企画▽ドナルド・キーンの日本 後編 日本人とは何者なのか 2015.11.21


日本人とは…。
探り続けた男の物語。
日本文学の研究者であり翻訳家
(女性)今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
戦後日本文学の黄金時代。
谷崎潤一郎川端康成三島由紀夫など文豪たちとの交流を通して「日本人とは何者なのか」を考え続けてきました。
キーンさんが語った日本人の5つの特徴。
「あいまい」「はかなさへの共感」「礼儀正しい」「清潔」「よく働く」
はかなさっていうものをその…キーンさんがその一番どの辺りで…?ある種の悲劇がないと駄目ですね最後は。
ああ弱さ。
そうした日本人を描いたオリジナリティーにあふれる日本文学の魅力を世界に伝え続けてきました
日本文学の国際化。
この事が川端康成日本人初のノーベル文学賞にもつながったのです
戦後70年。
「ETV特集」では日本と深く関わり続けたキーンさんの人生をドキュメンタリーとドラマを交え2回シリーズで掘り下げています
キーンさんの目に日本そして日本人はどのように映ってきたのでしょうか…
「なぜ日本人は平気で命を捨てられるのですか!?」。
「日本人はなぜそんなに桜が好きなんですか?」。
日本人よりも日本人の事を考え続けてきた男
「日本には才能にあふれた小説家がいる。
優れた文化がある」。
「日本人は自分たちの特殊性を意識しすぎているように思うんです」。
「日本人の本当の美しい部分を忘れるべきではない」。
後編は1970年代から現在まで。
激動の時代日本人をどのように見てきたのか探っていきましょう
大阪万博の開催で幕を開けた1970年代
それまでアメリカで暮らしていたキーンさんは一年の半分以上を日本で過ごすようになりました
日本文学の研究を更に深めるためです
この時期日本国内でも数多くの本を出版。
文学のみならず日本社会に向けた発言も目立つようになりました
日本人への深い愛情の一方にあった厳しいまなざし。
実は日本人の中にどうしても理解できない部分が残っていたのです
その思いの原点は太平洋戦争
キーンさんは二十歳の時アメリカ海軍の兵士として激戦の島アッツ島に派遣されます
そこから日本人にとって戦争とは命とは考え続ける事になるのです
(ケーリ)ナミダ。
ナミダ。
(ケーリ)サムイ。
サムイ。
その任務は捕虜への尋問と日本語で書かれた文書の解読。
戦前「源氏物語」の英訳を読んで日本に憧れ米軍の施設で日本語を学びました
しかしある現場に調査に向かう途中憧れの日本人へのイメージは一変しました
日本軍およそ2,600人が全滅したアッツ島。
多くの日本兵が自決しました
その後沖縄での戦いにも加わりました
捕虜に尋問する時も日本人が生と死についてどう考えているのか探ろうとしました
終戦直後には戦犯を調査するため中国へ。
この時日本軍の将校だった2人の男と話す機会がありました。
「玉砕」とは日本人にとって何なのか疑問をぶつけてみたのです
なぜ…なぜ日本人は玉砕などするのですか!?なぜ日本人は平気で命を捨てられるのですか!?
(山田)我々が命を平気で捨てたと…?そうでしょう…。
そもそも日本人は個人の命を低く評価しています。
何を言うか!日本人ほど命に執着する国民はいませんよ。
自分の生活がどういう状況になろうと懸命に生き残りたいと強く願うのが日本人なんだ!分かってほしいのは日本人は仏教の教えによって動物とは違う人間らしい側面を育んできたという事です。
仏教の教え?
(山田)ええそうです。
もしも人間が自らの欲求のみを満たそうとすればそれは何ら動物と変わらない事になります。
日本人は原始的で理不尽な衝動をどれだけ超越するかを示すためにそのような動物的動機を抑える事を目指してきたんです。
日本人にとって命を放棄する以上の苦痛はありません。
にもかかわらず精神的な高さを示さんがためにそれほどの犠牲を払ったのです!失礼する!山田さん…。
(桜井)キーンさん。
日本の兵隊の命は大切にされていなかったんですよ。
それだけの事です。
山田さんが言うような高尚な話とは全く無縁です。
大勢の中の一人として動くしかなかったんです。
一人の将校が決意を固め兵隊はそれに引き込まれて一緒に出撃する。
ただ…それだけの事ですよ。
2人の言い分は全く異なり理解するのは困難でした
戦後は日本に留学し日本人への共感を一層深めたキーンさん
しかし戦場で自決し玉砕を肯定した日本人の姿が脳裏から消える事はありませんでした。
こうして深い愛情とともに冷静な目で日本人を見つめる事を続けたのです
1971年キーンさんはある論客と出会い関西の歴史的な建物を巡りながら対話を重ねました
「坂の上の雲」「竜馬がゆく」。
そう…
語り合ったテーマは「日本人と日本文化」。
2人は意気投合しました
ここは東京・銀座にある老舗のうなぎ屋さんです。
司馬遼太郎との出会いから11年がたった1982年キーンさんは司馬から重要な役割を任されるのです。
2人はある新聞社の会合に加わっていました。
すると少し酒に酔った司馬が急に立ち上がり新聞社の幹部を大声で叱ったのです。
「この新聞社は駄目だ!いい新聞にする唯一の方法はドナルド・キーンを雇う事だ」。
このひと言がキーンさんの人生を大きく変える事になるのです。
当時莫大な貿易黒字を記録していた日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれていました
自信をみなぎらせていた日本人。
後のバブルの熱狂につながる大きな時代の転換点を迎えていました
日本人は道を誤りつつあるのではないか…。
そう案じていた司馬は日本に精通した外国人であるキーンさんならではのメッセージを求めたのです
(足音)
(滝澤)お疲れさまです。
あっ滝澤さん。
キーンさんどんな連載記事を書くかお決まりになりました?そうですね…。
日本人はもはや世界と関わらずに生きてはいけません。
そういう時代の中で日本人のあるべき姿として何を伝えればいいのか考えているんですけれども…。
日本人のあるべき姿…。
それはすごく深いテーマですね。
こんばんは。
今日は秋晴れの気持ちのいいとてもいい日でしたね。
あぁ…え〜っと…。
すいません。
駒込までお願いします。
あっはい。
承知しました。
お客さん日本語お上手ですね。
ありがとうございます。
どちらからですか?ニューヨークからです。
へえ〜アメリカですか。
お客さんアメリカっていえばハンバーガーとかステーキとか毎日食べてるんでしょ?いえ毎日は…。
やっぱりなぁ。
アメリカは違うなぁ。
日本は食べ物が違うから不便でしょ?そんな事はありません。
(運転手)へえそうですか?あの…お刺身とか食べられます?お刺身ですか?はい大好物です。
へえはあ…。
ああじゃ納豆はどうです?納豆。
納豆も大好きです。
へえそうなんだ…。
タクシーの運転手さんに限らずあらゆる職業の人がこの「お刺身を食べられるかどうか」という「重大問題」を質問してきます。
あぁ…。
日本独自の食べ物を外国人であるキーンさんが「食べられない」と答える事をみんな期待してるわけですよね。
そのとおりです。
ですからいざお刺身が食べられると分かると「では納豆はどうですか?塩辛はどうですか?」と聞いてきます。
つまり…キーンさんはその体験からどんな事を日本人に伝えたいんですか?ええ…。
日本人は自分たちの特殊性を意識しすぎているように思うんです。
特殊性…。
そうそうです。
「日本という国は他の国とは違う唯一の存在である」という意識が多くの日本人の中に潜んでいるような気がします。
それは決していい事ではないと思います。
日本人から尋ねられた奇妙な質問を切り口に最初の連載記事を書く事にしました
(滝澤)あっキーンさん。
はい。
おはようございます。
あっおはようございます。
読者からのお手紙来てますよ。
ありがとうございます。
反響はさまざまでした
「外国人に日本は理解できない」という投書も
どうすれば日本人にもっと耳を傾けてもらえるのか…
キーンさんすいません。
もう一通ありました。
あっありがとうございます。
どうかしましたか?あっいえ…。
司馬遼太郎さんが私に与えた使命はなかなか大変なものだと痛感していたところです…。
自分たちが特別な文化を持っているっていうふうにやっぱりどこかで思っているんですね。
そうです。
それはなんでなんでしょう?日本人がその…。
まあやっぱりある種の独自性みたいなものを自意識も含めて持っているんだと思うんですけどもそれがどういうふうにバランスを取っていくべきなのかどうやったらバランスが取れていくのかというのはどうお感じになりますかね?今以前から比べると留学生の数が異常に減ってるんですよ。
ほんとにそうです。
あの…。
「硫黄島からの手紙」という映画を僕やらせて頂いてなぜあんな戦争が起こったんだと。
その時にやっぱり…情報の欠如だというのは非常に思ったんですね。
それはやっぱり外国に人も送れなくなるしそこから正しい情報を得ようとするこちらの…心構えも薄くなっていく。
日本人に何を伝えれば自分の使命を全うできるのか…。
ドナルド・キーンさんは壮大な挑戦を始めるのです。
平安時代から現代に至るまで日本人が書き残した膨大な数の日記を読み解く事にしたのです。
ではキーンさん次の連載企画のタイトルは「百代の過客日記にみる日本人」でよろしいですか?はい。
私が尊敬している松尾芭蕉の日記「奥の細道」から取らせて頂きました。
(田中)それにしても日本人の日記をテーマに何を読者に伝えたいと思ったんですか?日本では日記が小説とかと並んで文学作品として認められていますよね。
それだけ中身が濃いんです。
(佐藤)他の国は違うんですか?大抵の場合天気についての簡単な記録だとか約束事を書いておくくらいのものが多いんですが日本人が書いた日記にはその時々の考え方や感情が読み取れるんです。
(2人)へえ〜。
ですから日本人というものについていいところも悪いところも見つめ直してもらうには大変いい教材だと思うんです。
すごく面白い着眼点ですよね。
それに日記というのは私にとって…。
太平洋戦争の時心を奪われた日本兵の日記
私と日本人を結び付けた原点ですから。
こうして格闘の日々が始まりました
日記を全て原文で読み昔の日本人の心の声を丹念に聞いていく
探したのは今の人々に伝えるべき日本人の姿
例えば江戸末期アメリカに渡った男の日記。
当時日米の間には想像を絶する隔たりが…。
それなのに「真心に変わりはない」と人間としての共通性に目を向けている
鎌倉時代の女性の日記。
先例主義にとらわれて目が曇っている役人の姿を鋭く批判している
100冊を超えるどの日記からも現代の日本人が学ぶべき生き方を見つける事ができたのです
「百代の過客日記にみる日本人」と題した渾身の企画
実に400回を超える長期の連載となりました
その連載の締めくくりに取り上げたのはキーンさんが親交のあった文豪の日記でした
「あめりか物語」で知られる永井荷風。
その永井が明治時代半ば24歳で欧米に渡った時の事を書いたのが「新帰朝者日記」
敬愛する永井の若き日の日記。
そこからキーンさんが見いだした現代へのメッセージとは?
「洋行した日本人は工業でも政治でも何に限らず唯だ其の外形の方法ばかりを応用すればそれで立派な文明は出来るものだと思つて居る。
形ばかり持って来ても内容がなければ何になるものか。
これが日本の今日の文明だ。
真の文明の内容を見ないから解しないから感じないから日本の欧洲文明の輸入は実に醜悪を極めたものになったのだ」
更にキーンさんは太平洋戦争中に書かれた日記にも注目していきます
ある日手にしたのが戦後親しくしていた作家伊藤整の「太平洋戦争日記」。
これを読み強い衝撃を受けるのです
芸術作品が成立するためにはある種の寛容さが必要なんです。
翻訳したイギリスの小説「チャタレイ夫人の恋人」がわいせつ文書に当たると摘発を受けた伊藤整。
裁判で表現の自由を巡って闘いました
友人のキーンさんにとっても権力におもねる事なく自由を大切にする文学者という印象でした
(店員)いらっしゃいませ。
伊藤整の人柄からは想像もできない日記
あのアッツ島の日本兵についても伊藤は書いていました
「後方より一兵の援助を求めず突撃全滅したというアッツ島の兵士たち何という一筋の美しい戦いをしたことであろう」。
「美しい戦い」?
なぜ兵士の死を「美しい」などと言えるのか…
一たび火がつくと熱狂しやすい一面が日本人にあるのは知られている。
だがあれほど自由を大切にしていた伊藤までそうだったとは…
伊藤さんだけじゃないんですよ。
他にも戦争を賛美している作家が書いた日記がたくさんありました。
日記なんですから権力に従っているふりをする必要などないはずです。
だとしたら本心からそう思っていたんでしょうか。
でも…そういう時代だったんですから…。
難しいですね…。
あの人はどうだったんでしょうか…。
あの人って?谷崎先生は戦争中何を考えていたんでしょう…。
日本に初めて留学した頃から交流を重ねていた文壇の重鎮谷崎潤一郎。
彼が戦争の熱狂の中で書いていた日記がありました
谷崎は一体戦争とどう向き合っていたのか…
あっいらっしゃいませ。
何かお探しですか?はい。
あの…谷崎潤一郎さんの「疎開日記」はありますか?ソカイニッキ?ソカイニッキ…。
ええ。
谷崎先生が戦争中疎開していた時に書いていた日記です。
ああ…。
あっここにですね谷崎全集があるんですよ。
この中のどれかに入ってないですかねぇ。
ありがとうございます。
ああ…。
「細雪」。
ここにも…。
ここにも…。
日記の中に戦争の熱狂はなく目立っていたのは「細雪」の二文字
大阪の旧家に生まれた4姉妹を主人公に日本の戦前の暮らしぶりを描いた小説です
お花見やお月見など日本で受け継がれてきた風習が情緒豊かに表現されていました
例えば姉妹が蛍狩りに出かけた場面
いろいろ確かめたんですけれども「細雪」は戦時中の1943年の1月に月刊誌で連載が始まっています。
(滝澤)1943年の1月…。
しかし5か月後に連載中止に追い込まれてしまいます。
ほらここに書かれています。
「『細雪』は決戦段階たる現下の諸要請よりみて自粛的立場から今後の掲載を中止」。
本当ですね。
「細雪」には日本人の伝統的な営みがゆったりとした調子で書かれています。
それが戦意を高揚させる文学ばかりが推奨される時代の空気とは合わなかったんでしょう。
なるほどね。
確かに戦争の世界観とは正反対ですもんね。
でもですね日本文化のすばらしさを「細雪」に書いた事こそが谷崎先生の静かな抵抗だったのではないかと私はこの「疎開日記」を読んで感じました。
(滝澤)どういう事ですか?連載が中止されてもなお谷崎先生は強い意志を持って「細雪」を書き続けたのです。
(谷崎)「正月8日。
終日『細雪』を書く。
昨日書きたる部分気に入らぬため本日は最初より書き直す。
8月16日本日原稿1枚進行此のところ甚だ遅々たり暑さのためなり」。
「12月13日」。
(空襲警報のサイレン)「空襲あり。
家族は皆壕に入りたれども予は『細雪』を執筆す」。
すごいですねこんな時代に…。
しかも谷崎先生は執筆活動を続けただけではなくて戦時中に「私家版」も発行したんです。
私家版?ええつまり自費出版です。
激しい戦火の中軍部の目をかいくぐって友人たちにこの作品を読んでもらいたいと願って配っていったんです。
意志の強さを感じますね。
はい。
戦争の熱に浮かされて変わってしまった作家たちがたくさんいた一方で谷崎潤一郎は淡々と「細雪」を書き続けていた…。
そうです。
これこそ私が伝えるべき日本人の姿だと思うんです。
いつの時代も私たちは社会全体を巻き込む大きな渦の中で生きざるをえない。
その中でも淡々と自分の信じる道を歩む日本人がいた…
(司会)お待たせいたしました。
ドナルド・キーン先生の登場です!
(拍手)1940年18歳の時私はニューヨークの書店で偶然に「源氏物語」の英訳を見つけました。
そこには暴力的な事は一切書かれておらず暗い戦争の時代私の大きな救いとなりました。
「源氏物語」に私が出会った頃実際の日本では多くの人々が戦争に熱狂していました。
しかし谷崎潤一郎先生のような人もいました。
彼は雨が降ろうが空襲が来ようが小説「細雪」を書き続けました。
出版が許されなくても自ら仲間にこの小説を配って伝え続けたメッセージ。
それは「日本人の本当の美しい部分を忘れるべきではない」というものでした。
時代に決して流される事なく自分の信じる道を歩み続けた谷崎先生。
その姿こそ日本人のすばらしい生き方として私は皆様に知って頂きたいのです。
(拍手)非常にこう…何て言うんでしょう。
日本は大きな渦がウワーッと社会の中で巻き起こっていくと何ていうのかなちょっと我を忘れてしまうようなところが僕はあるような気がするんですね。
ちょっと自分の戒めも含めてですよ。
本当に今自分たちが求めなければいけないものみたいなものをあっこの人こんな時局というか渦が巻いてる時に踏みとどまって書いていたんだという事に驚くんですね。
谷崎潤一郎は終戦から20年後1965年に亡くなりました。
キーンさんも葬儀に参列していました
谷崎の形見をキーンさんは今も大切にしています。
谷崎が愛用していた着物です
これを見る度にキーンさんの中にある思いが湧き上がるといいます
70歳で新聞社の編集委員を退いたキーンさん
その後も絶える事なく「戦争と日本人」について考察を深めていきます
太平洋戦争中に尋問をした捕虜と再会
戦時中の思いそして戦後をどう生きたのか語り合いました
更に小田実の小説「玉砕」を訳す事で兵士たちの心情に迫りました。
伊藤整など日本の文学者が太平洋戦争中に書いた日記も1冊の本にまとめました
「終わった」っていう安ど感ですよね。
「二度と戦争を起こさないために何が大切なのか。
日本人が持つ意見の多様性を守る事だ」。
そう考えています
時は流れ2011年。
キーンさんは88歳になられてもなお日本文学の魅力を伝えるべくここニューヨークにいました。
そして3月11日日本で何が起きたのかをキーンさんは知るのです。
東日本大震災です。
こんな状況でも淡々と順番を守り助け合う人たち
(ため息)
太平洋戦争中に少ない豆を分け合った日本兵の姿とも重なる日本人の神髄をそこに見た
これは震災から1か月後のキーンさん
自分は日本人に対して何をメッセージすべきなのか…。
考え続けてきたキーンさんは決断をしました
長年住み慣れたニューヨークの家を引き払いました
(拍手)
そして2012年3月
念願の日本国籍を取得しました
これからは同じ日本人として日本人と共に歩んでいくと宣言しました
キーンさんは今も日本人の日記を読み続けています
明治の歌人石川啄木。
彼の日記にも私たち現代人の心に響く点が多くその声にキーンさんは改めて耳を傾けています
「日本人とは何者なのか」。
生涯をかけて考え続けたドナルド・キーンさん
自ら日本人となり戦後70年を迎えた今私たちに伝えたい事とは…
みんなのためのバリアフリーバラエティー…2015/11/21(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 戦後70年企画▽ドナルド・キーンの日本 後編 日本人とは何者なのか[字]

アメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん。「日本人よりも日本人のことを考え続けてきた」と言われる彼の人生を深く掘り下げる2回シリーズの後編。

詳細情報
番組内容
アメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん93歳。「日本人よりも日本人のことを考えてきた男」と言われるキーンさんの半生を、ドキュメンタリーとドラマを交差させて描く2回シリーズの後編。作家・司馬遼太郎と出会い、その縁で、日本の新聞社で働くことになったキーンさん。連載記事を通じて、日本人に問いかけたこととは何だったのか? 番組ナビゲーター・インタビュアーは、俳優の渡辺謙。
出演者
【出演】コロンビア大教授…ドナルド・キーン,渡辺謙,川平慈英,パトリック・ハーラン,春海四方,温水洋一,蛭子能収,やす,南野陽子,井之上隆志,西沢仁太,山崎画大,福本伸一,宇納佑,礒部泰宏,育乃介ほか

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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