私が外国で仕事を始めて十数年。
強く自覚した事がありました。
「自分は日本人の俳優である」。
ではその日本人の特徴とは何なのか。
その事を考える中である人物に会いたいと思うようになりました
日本人の非常に不思議なところってお感じになった事ありますか?
(笑い声)
日本文学の研究者ドナルド・キーンさん。
日本人よりも日本人の事を考え続けてきた93歳
このように…
東日本大震災が起きた際には日本国籍を取り「日本人と共に歩んでいく」と宣言しました
戦後70年。
「ETV特集」では日本と深く関わり続けたキーンさんの人生をドキュメンタリーとドラマを交え2回シリーズで掘り下げます
キーンさんの目に日本そして日本人はどのように映ってきたのでしょうか
「なぜ日本人は平気で命を捨てられるのですか?」。
「日本人はなぜそんなに桜が好きなんですか?」。
日本人よりも日本人の事を考え続けてきた男
「日本には才能にあふれた小説家がいる。
優れた文化がある」。
「日本人は自分たちの特殊性を意識しすぎているように思うんです」。
「日本人の本当の美しい部分を忘れるべきではない」。
前編は日本文学の魅力を世界に伝え続けた若き日の物語です。
文豪たちとの交流から知った日本人の姿とは…
キーンさんは4年前アメリカから日本に永住東京で暮らしています。
93歳の今も食欲旺盛。
仕事への意欲も全く衰えていません
日本文学の研究をするかたわらその魅力に気付いてほしいと全国に足を運んでいます
鎌倉時代の随筆「徒然草」。
江戸時代に書かれた松尾芭蕉の「おくのほそ道」。
戦後間もなく発表された太宰治の「斜陽」。
そして「人間失格」。
更にあの三島由紀夫が書いた作品の数々を翻訳しました
これまで英語に訳した日本の文学は40を超えます。
更に解説書なども加えると100冊以上。
世界に日本文学の魅力をアピールし続けてきました
日本文学の研究に注いだ情熱と卓越した力量が高く評価されました
その3年後に起きた震災をきっかけに日本に帰化したキーンさん。
実は既に自分の墓をたてていました
日本に骨をうずめたいという強い思い。
なぜここまで日本の事を考えるようになったのでしょうか
キーンさんは1922年ニューヨークで生を受けました。
幼い頃は日本とは無縁でした。
しかし文学を愛する下地はあったようです
これは高校時代の成績表。
どの科目も満点に近い点数ばかり
そのため16歳の時飛び級で名門コロンビア大学に入学します
ここから日本との接点が生まれていくのです
「源氏物語」の英訳本。
18歳の時本屋で安売りされているのを偶然見つけるのです
しかし時代は大きく変化していきます
1941年12月7日日本時間8日ドナルド・キーンさんはこの町で皆が手にしていた新聞の大きな見出しに目を奪われます。
「日本とアメリカが戦争を始めた」。
真珠湾攻撃を伝える記事でした。
祖国アメリカと憧れの国・日本との間で始まった太平洋戦争
この時キーンさんはある選択をしました
敵国・日本の情報を得るために日本語を学ぶ
しかしキーンさんにとっては憧れの国の言葉を身につけるチャンスでした
ドナルドは日本語がとてもよくできました。
非常に飲み込みが早くさっさと一番上のクラスに上がっていきました。
日本人的な感性があったのでしょう。
日本語学校を終えると日本軍から手に入れた文書の解読にあたりました
そののち戦場に送られました。
激戦の島アッツ島。
ここで憧れていた日本人へのイメージは一変したのです
日本軍およそ2,600人が全滅したアッツ島。
多くの日本兵が自決しました
しかしハワイに戻り全く異なる日本人の側面を知る事になります。
死んだ日本兵から回収した日記との出会いでした
日々の出来事と率直な気持ちが記された数々の日記にくぎづけになったのです
「一月一日」。
…111213。
さあ食え。
ありがとうございます頂きます。
自分は…受け取れません。
遠慮するな。
若いんだからたくさん食え。
今日から新しい一年か…。
豆を分け合う日本人。
その一方で自ら死を選ぶ日本人。
日本人とは一体何者なのか。
もっともっと知りたい探りたい。
そうして日本文学を学ぶ道に進む事になるのです
終戦から8年31歳になったキーンさんは京都で暮らし始めます。
念願の日本留学が実現したのです
「日本人とは何者なのか」。
その答えを追い求める日々がついに始まったのです
皆さんキーンさん来はりましたよ。
すいません遅くなりました。
待ってましたでキーンさん。
待ち遠しかったんは乾杯やろ?失敬やな〜。
キーンさんこっちや。
どうぞどうぞ。
本当にすごいごちそうですね。
そうやろ。
今日は満開の桜祝いってわけです。
そのとおり。
いや〜見て下さいよあの桜。
きれいやなぁ。
きれいやなぁ。
はいそうですね。
ほなそろそろよろしいか?はい。
キーンさんも。
あっはい。
乾杯!
(一同)乾杯!あ〜うまい!おいしいなぁ。
さあさあ。
ありがとうございます。
酒を酌み交わしながら桜を眺める。
どんな意味があるのか
キーンさん飲んではります?はい。
ありがとうございます。
あの…。
どないしはりました?日本人はなぜそんなに桜が好きなんですか?「何で桜が好きか」ですか?はい。
桜がね暖かい春を連れてきてくれるんですよ。
冬よさいなら〜!キーンさん花見というんはな平安時代から長く続く日本人の伝統というか。
そもそも昔は…。
はいはいうんちくはもうええから飲みよし。
あの…桜は確かに美しいです。
しかしすぐに散ってしまいます。
お掃除が大変じゃないですか?お掃除の心配までして頂いておおきに。
せやけど長う咲いてたら桜やあらへんね。
きれいでしょう。
はい。
うちらは何でこんなはかないもんに心惹かれるんやろね。
はかない…。
なんとなんと狂言を演じる若き日のキーンさんです。
こうして伝統芸能を学ぶなど日本とは何かを探り続ける中で交友関係も広がっていきました
特に親しくなったのが後の文部大臣永井道雄。
キーンさんは永井の紹介で出版社の編集者と知り合いその事が後の文豪たちとの出会いにつながっていくのです
戦後日本文学の黄金時代を彩った面々。
彼らとの時間はキーンさんが日本人への理解を深める格別なものとなりました
キーンさんが訪ねたこの京都の邸宅。
当時交流を重ねたある文豪が暮らしていました
「細雪」などの作品で知られる谷崎潤一郎
この「細雪」は日本に来る前に読ませて頂きました。
おおそうですか。
物語に出てくる出来事にはとてもリアリティーを感じました。
皆ほんとにあった事に近い話ですからね。
あ〜そうですか。
この作品からは日本について多くを学びました。
大阪の旧家に生まれた四姉妹を主人公に日本の戦前の暮らしを描いた小説
大変興味深かったです。
登場人物が…例えば三女の雪子の静かさや行儀の良さには西洋の女性とは違うものを感じました。
まぁ日本女性の美徳とでも言いますかね。
お見合いとかおひなさまとかお花見とか蛍狩りとか日本独特の習慣や文化がたくさん描かれていていろいろと学ばせて頂きました。
私も以前は一日中靴を履いてるような西洋の文化に憧れていたんですけどね。
関東大震災をきっかけに横浜から関西に移りまして。
改めて私たちが受け継いできたもののすばらしさ掛けがえのなさに気付いたしだいでね。
あれ相当文化圏としてもそれこそ船場の大きなあきんどの話じゃないですか。
それ僕だから…東の人間が読んでも非常に「えっ?あれ?そうなんだ」みたいなちょっと価値観が違うみたいなところが多分にあったんです。
それはもうご理解は…。
キーンさんが「細雪」から学んだ事。
季節の変化を大切にする日本人の姿
「お寒くなりましたね」とかねありますよね。
例えば東海岸の方ならばアメリカだったら雪も降るし雨も降るしある意味でいうと四季もあるし。
それは種類はもちろん違うけれどもいろんな花もあるしそれが枯れていく紅葉だってあるわけじゃないですか。
そういう自然の事象として同じような事があるのに特別日本人がそういうものに感心をしたりとかそういうものに感じ入ったりするっていうのは何が要因なんでしょう?
鎌倉にある川端康成の家。
キーンさんはここも度々訪れました
「雪国」や「伊豆の踊り子」で知られる文豪川端康成。
会う度にその感性の豊かさに驚かされたそうです
失礼いたします。
川端が参りました。
ようこそキーンさん。
よくいらっしゃいました。
川端先生…。
こちらへ。
え…そこですか?こちらへ。
恐れ入ります。
先生の「雪国」感動しました。
しかしこの作品を英語に翻訳するとなるとなかなか苦労するだろうなと思いました。
どういう点が苦労ですか?例えば冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という書き出しなんですけど主語がありません。
「私が」なのか「汽車が」なのかそれ以外なのか。
最初の1行が既に難関です。
難関ねぇ。
他には駒子が島村の部屋で「帰る」と言ったり「帰らない」と言ったりする場面がありますよね。
何といいますか会話の中身がないといいますか一体二人は何を話しているのかあいまいすぎてさっぱり分かりません。
それは夜旅館で男と芸者が一組の布団を傍らに言葉を交わす場面
あいまいですか。
はい。
うん確かにそうかもしれませんね。
キーンさんのおっしゃりたい事はよく分かります。
しかしですねキーンさんの言うそのあいまいさこそ日本的なんですよ。
日本的…。
あいまいさ余白…余情とでも言うのかな。
「余情」。
あいまいであるからこそ逆に表情豊かに受け止められる力。
その可能性を私は信じたのです。
はあ…。
余情…。
「余情」ですね。
川端先生はあいまいだからこそ表情豊かに受け止められるとおっしゃってたんですが…。
それはそうですよ。
はっきり分からへん方が面白いでしょう?全部ぴったし分かってしもたらつまらへんやないですか。
はっきりと分からない方が面白い…。
そうか。
「雪国」のやり取りも駒子と島村の内に秘めた熱い感情があいまいに表現されていたんですね。
はっきりと口に出して言わない遠回しに響く言い回し。
これこそが日本人独特の感性に訴えるものなんですね。
すばらしい発見をしはりましたね。
日本人奥深いです。
ぼかすんですね。
そうです。
日本人の特徴とは何かキーンさんに挙げてもらいました。
「あいまい」つまり「余情」の他には「はかなさへの共感」「礼儀正しい」「清潔」「よく働く」
日本人というのは礼儀正しいんですかね?おおっ相当きましたね。
基本的な礼儀正しさとか清潔さのようなものが保たれた理由っていうのは何だと…。
その言語が存在するという事できちんとした上下関係礼節が保たれる。
そうですねほんとにそうです。
「I」っていう。
今私はこの人よりも下だからこういう言葉を使おう。
今私はこの人に何かを命令というか命を下さなければいけないから上からこういうふうにしゃべろうとかっていうのを非常にこう自然に変化をさせていく。
それが自分と他者を結び付ける時の礼儀正しさにつながっているっていうふうに考えていいんですかね?はい。
キーンさんが考える日本人の5つの特徴。
次は「清潔さ」について
それはパブリックバスではなくて家のバスお風呂?パブリックです。
何でお風呂が好きなんでしょうね。
例えば神社に行った時に手を洗っていわゆる禊みたいなもので神の前で身を正すというか…。
そうです。
きれいにする。
日本での留学を終えたキーンさんはアメリカに帰国をします。
そして生涯をかけて日本文学の研究をする拠点となったのがここニューヨークのコロンビア大学です。
実はここにはキーンさんのもとに三島由紀夫から送られてきた手紙が100通近く保管されているのです。
キーンさんと三島は3歳違いの同世代。
大変親しい友人でした
最初に出会ったのは日本に留学した翌年冬の事でした。
以来キーンさんが京都から東京に出てくる度に親交を深めたのです
「私はただ孤りおり絶対的な金閣は私を包んでいた」。
圧巻だったのは1956年に発表された「金閣寺」。
実際に起きた放火事件をモチーフにした作品です
「私が金閣であり金閣が私であるような状態が…」。
結末は分かっている。
…にもかかわらずキーンさんの心を最後まで捉えて離しませんでした
ワオ!
「日本の文壇に三島由紀夫あり」世界に伝えたいと思いました
死と愛が絡み合い日本の伝統に対する愛情や尊敬にあふれた作品。
その独自の作風が英語でも伝わるよう工夫を凝らしました
特に「宴のあと」は高く評価され他のいくつもの言語に訳されていきました
1950年代の後半から60年代キーンさんは三島以外の作品も次々と翻訳していきます。
いざ出版してみると読者に新鮮さをもって受け止められたのです
「日本文学は世界の人の心を捉える独特の力を持っている」そう確信したのです
日本語には本当に長い歴史があり例えば徳川時代の日本語は平安時代のものとは全く異なります。
そのため翻訳者は英語圏の読者にも理解可能な言葉を絶えず見つける必要があります。
キーンさんは私が知るかぎり最も上手にこれをやってのける翻訳家です。
例えば彼の訳した太宰治三島由紀夫安部公房の作品はそれぞれ全く違う言葉が使われています。
それは天才のなせる業です。
日本は特別な存在だと思ってるでしょう。
この時期キーンさんが世界にアピールしていたのは日本文学にとどまりませんでした。
「日本人とは何か」についても伝えようとしていたのです
キーンさんの著書…
日本人ならではの生き方風習宗教産業娯楽などについてキーンさんが詳細な解説をしました
キーンさんは更に「日本に特有なのははかなさの中に美の本質を見いだす事である」とも記しました
はかなさというものをその…キーンさんが一番どの辺りで…。
ある種の悲劇がないと駄目なんですね最後は。
それこそもちろん「忠臣蔵」でもそうですし。
そうですね。
「新選組」でもそうですし悲劇的な結末を迎えるヒーローというのは多いんですけどもそのはかなさみたいな部分とそれはつながっていくみたいなところもあるんですかね。
ああ弱さ。
その後もキーンさんは文豪たちとの対話の中で日本人の事を深く理解しようとし続けました
特によく語り合ったのが「砂の女」などで知られる安部公房でした
2人はテレビの番組でも日本人の「型」を切り口に日本人の特徴とは何かを対談しています
そうです。
今日は特別な日なので日本語でお話しします。
実は川端康成先生がノーベル文学賞を受賞する事になりました。
(拍手)すばらしい!すばらしいですよ!今回のノーベル賞の受賞は長い歴史を持つ日本文学の独自性が世界に認められたという事です。
日本には才能にあふれた小説家がいる。
優れた文化がある。
この事が世界的に証明されたのです。
(拍手)キーン先生私は日本文学の研究生として誇りに思います。
ドクター・キーン。
私もです。
そうですね。
本当に…本当に感慨深いです。
昔は…。
それは終戦の3年後。
日本文学の研究を始めた頃の事
ついについにやりました!
(拍手)
(拍手と歓声)やった〜!
日本人初のノーベル文学賞。
実はこの5年前キーンさんはノーベル賞の選考委員会から誰に賞を与えるべきか意見を求められていました。
この時有力な候補の一人として川端の名前を挙げていたのです
「文学賞日本の川端康成」。
この快挙を知ったキーンさんはアメリカの新聞でこう語りました
しかしそれから2年…
・ハロー。
・ドナルド・キーンさんですか?はいそうですけど…。
・日本の新聞社の者です。
実は三島由紀夫さんが自殺しました。
三島さんが…自殺…?おい聞け!
自衛隊の施設に立てこもり演説をしたあと自ら命を絶ったのです
・ご感想はいかがですか?はい…。
考えられない事です…。
キーンさんは三島からも日本人のありようをたくさん学んでいました
三島由起夫が死を選んだ数日後ニューヨークのキーンさんのもとに生前三島が書いた手紙が届くのです。
「小生の行動については全部わかっていただけると思ひ何も申しません。
ずつと以前から小生は文士としてではなく武士として死にたいと思っていました」
その手紙に記されていた最後の頼み。
絶筆となった4部作を英訳出版するために協力をしてほしいというものでした。
キーンさんはそれに全力を尽くしました
「暑き日を海に入れたり最上川」。
その後もキーンさんは日本文学の研究を更に深め数多くの翻訳家を育て上げました。
絶える事のない日本への熱い思い。
それが今日の村上春樹ブームに至る日本文学の国際的な人気につながっていくのです
心の声
(丸尾栄一郎)こうなったら宮川君のボレーと2015/11/21(土) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 戦後70年企画「ドナルド・キーンの日本 前編 日本文学を世界へ」[字][再]
アメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん。「日本人よりも日本人のことを考え続けてきた」と言われる彼の人生を2回シリーズで深く掘り下げる。今回は前編。
詳細情報
番組内容
アメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん93歳。「日本人よりも日本人のことを考え続けてきた」と言われる人物だ。東日本大震災の時に「日本人と共にありたい」と日本国籍を取り多くの共感を得た。そのキーンさんの人生をドキュメンタリーとドラマを交えて描き、彼の目に映った日本や日本人の姿を見つめる。今週と来週の2回シリーズ。今日は前編。番組ナビゲーター・インタビュアーは、俳優の渡辺謙。
出演者
【出演】ドナルド・キーン,渡辺謙,川平慈英,パトリック・ハーラン,春海四方,温水洋一,木下隆行,やす,南野陽子,西沢仁太,山崎画大,福本伸一,宇納佑,竹厚綾,長村航希,育乃介ほか
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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