この原因となったのが、準決勝の韓国戦での小久保裕紀監督の継投ミス。予選時から2イニング目に掴まる傾向があった則本を続投される、9回頭の時点でブルペンで誰も準備させていない、2点差に迫られた無死満塁の場面でコントロールに不安を残す松井を登板させるといった具合だ。
また、予選時には「正直、ほとんどデータがゼロです。本能で戦う」というコメントを小久保は残している。データ野球全盛の現代において、耳を疑う発言だ。
このような継投ミスや発言には、日本プロ野球界ならびに小久保自身の"甘さ"があるのではないかと考えられる。
【脱税の小久保裕紀 なぜか余裕の笑顔】
小久保の人間的な甘さがもっともよく表れているのは、1997年の脱税事件だろう。多くのプロ野球選手が脱税に関わっていたが、小久保はその主犯格といえる存在であった。
事件発覚の発端は朝日新聞によるスクープだった。しかしこの時点で、捜査の手が自身に及ぶという認識がなかったのか、週刊誌の『FLASH』の取材に対して「取材しても無駄だよ、ずーとノーコメントを通してるんだから」と小久保は余裕の笑顔を見せている。
なぜか余裕を見せていた小久保とは裏腹に、検察は本腰を入れて捜査し、結果的には立件された。
【小久保裕紀の脱税 きっかけは恩師の紹介】
裁判等で明らかになった脱税の経緯に触れていこう。そもそも一連の脱税事件を主導していたのは「脱税コンサルタント」の坂本という人物。この坂本に小久保が出会ったきっかけとなったのがリトルリーグ時代の恩師であった。
実は小久保は「恩師に死ねと言われれば喜んで死ねる」と語るほど、この恩師のことを盲信していた。巨人への逆氏名を小久保自身は決めていたのに、この恩師から「ダイエーに行け」と言われたのでダイエーに入団したほど。
小久保は盲信する恩師に紹介されたコンサルタントであったがゆえに信じ込み、「少しヤバイなと思った」(小久保談)にもかかわらず、脱税に手を染めてしまったのだ。
このような自身の思い込みからの融通の利かなさのようなものは、今回の采配にもよく表れているだろう。3位決定戦後のインタビューでも「最後は武田、菅野と3イニングずついってもらおうと、だいぶ前から決めていました。」と語っており、準決勝での継投ミスの反省がまったく生かされていないことが分かる。…