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Think outside the box

Unus pro omnibus, omnes pro uno

クルーグマンは変節した?していない?

クルーグマンが変節した/いやしていない、と話題になっていたので、改めて整理してみます。 

blogos.com

つまり異次元緩和と呼ばれた大胆な金融緩和の発想元となっているクルーグマン教授が、自らその考え方が誤りであることを認めた格好となった。これは日銀にとっては事件とも言えよう。アベノミクスの背景にあるリフレ派の考え方をその教祖とも呼べる人が疑問視したのである。

gendai.ismedia.jp

ところで、このクルーグマン氏の「変節」は、現在の日銀の金融政策に批判的な論者らに熱狂的な歓喜をもって迎え入れられたが、残念ながら、そのインプリケーションは、彼らが期待したものとは全く正反対である。

クルーグマン氏は、「日本がこの『臆病者の罠』から抜け出すためには、よりアグレッシブな金融緩和を実施すると同時に財政支出も拡大すべきだ」と提案している。

見方が正反対に分かれるのは、「変節した」派はクルーグマンの当初の主張と比べているのに対し、「変節していない」派は比較的最近の主張と比べているからです。

当初の主張(バージョン1)は、

  • 日本銀行の行動:国債の大規模買い入れ(⇔マネタリーベース大量供給)+十分に高いインフレ目標の設定
  • その目的:期待インフレ率を高める(→実質金利引き下げ)
  • 財政出動の位置付け:金融政策の支援・補助的役割

と、金融が主・財政が従でした。

それが、量的緩和の効果が乏しいためか

  • 金融政策だけでは力不足なので財政出動両輪で(バージョン2)

に変わり、

さっさと不況を終わらせろ

さっさと不況を終わらせろ

現在では

http://krugman.blogs.nytimes.com/2015/10/20/rethinking-japan/

What Japan needs (and the rest of us may well be following the same path) is really aggressive policy, using fiscal and monetary policy to boost inflation, and setting the target high enough that it’s sustainable. It needs to hit escape velocity.

http://www.nytimes.com/2015/09/11/opinion/paul-krugman-japans-economy-crippled-by-caution.html

When you print money, don’t use it to buy assets; use it to buy stuff. That is, run budget deficits paid for with the printing press.

Deficit finance can be laundered, if you like, by issuing new debt while the central bank buys up old debt; in economic terms it makes no difference.

と、日銀の国債大規模買い入れの目的が巨額の財政支出のファイナンスへ、つまりは財政が主・金融が従へと様変わりしています(バージョン3)。中央銀行の「期待への働きかけ」よりも現実の財政支出のほうがはるかに効果的と認めたことになります。

バージョン2をクルーグマンの本来の主張と認識している人には、バージョン3は本質は変わらないバージョン2の強化版に見えるでしょうが、バージョン1と比べる人には、バージョン3は本質が異なる別物にしか見えません。「話が違う」ということです。*1

しかも、先日のIMFのカンファレンスでは「(万人に共通の)期待インフレ率というものは存在しない」と発言したにもかかわらず、未だに「日本には十分に高いインフレ目標が必要」と言っていることも理解困難です。

第二次大戦時のアメリカを見れば分かりますが、「国債発行による財政出動+中銀による国債買い入れ」を大規模に行う際には、インフレ目標は不要です。Fed国債を大量に買い入れた目的は、期待インフレ率引き上げではなく金利上昇の抑制です。 

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なお、アメリカの大恐慌からの脱却について、リフレ派の間では

経済学者たちの闘い―脱デフレをめぐる論争の歴史

経済学者たちの闘い―脱デフレをめぐる論争の歴史

恐慌脱出に本質的に寄与したのは金融政策のレジーム転換であったことは最近では定説になっている。…大恐慌を克服したのはこの基本的なフレームワークの変更だった。

が定説ですが、実質GDPが1940~44年の4年間で1.8倍に急拡大したことは、Mobilizationが始まる時点で巨大な需給ギャップが存在していたこと、つまりは1933年の金融政策のレジーム転換は需給ギャップ解消には力不足だったことを意味します。*2

第二次大戦時のアメリカのような「巨額の財政出動を日銀が国債大量買い入れで支援」という現在のクルーグマンの主張に対する賛否と、クルーグマンの主張が変化したか否かは別の問題です。現在の主張は、1998年当時とは本質的に別物へと変化したというのが客観的な見方になるでしょう(良し悪しの問題ではないことに注意)。*3

totb.hatenablog.com

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*1:①「金融だけで十分、財政の支援がなくても大丈夫」→②「苦戦しているから財政の支援頼む」→③「金融が支援するから財政の“爆発”よろしく」

*2:現在の日本にはこれほど巨大な供給余力は存在しないので、これほど巨大な財政出動は不可能です。

*3:「期待」に感動した人は「変節」と認めたくないでしょうが。第二次大戦後のブラジル日系人社会の「勝ち組」が想起されます。