インターネットの歴史

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週刊アスキー編集部に聞く「昔のインターネットってどんなだった?」

はじめまして、株式会社バーグハンバーグバーグのかんちと申します。

みなさんご存知ですか? 「11月23日」が特別な日だということを。

ベテランインターネッターの方はもちろんご存知だと思います。

そうです、「Windows 95」が日本で発売されて丸20年なんです! 僕は知りませんでした!!

Windows 95(英語版は1995年8月に先行発売された) By Marcin Wichary

今から20年前、僕は小学生5年生。このニュースについては「テレビでなんか騒いでるなぁ」くらいの記憶しかありませんが、「Windows 95」の発売がキッカケで世界中にパソコンブームが巻き起こったとされています。

でもその頃ってインターネットの通信速度はかなり遅かったと聞きますし、そもそもインターネットが普及する前ってパソコンで何をしていたんでしょうか? オフラインのパソコンってただの箱じゃないですか。お絵かきやゲームをしてニヤリと優越感に浸っていたのでしょうか。

そんな疑問を解決すべく、パソコンやインターネットに詳しいであろうメディアにお話を聞くことにしました。

こういうのに詳しそうなところといえば……

そうだ!!!!! 週アスだーーーー!!!!

週刊アスキー 誰もが知るパソコンやガジェットなどの情報を取り扱う情報雑誌。
2015年6月より紙媒体の雑誌からデジタル版に移行した。

ということで今回「週刊アスキー編集部」にコンタクトを取り、1990年代のインターネット文化がどんなだったかを聞いてくることにしました。

詳しい人からお話聞けるといいなぁ~。

インターネットの前身、パソコン通信時代

かんち ……ほ、本日はよろしくお願いします。

村野宮野加藤 よろしくお願いします。

かんち (週刊アスキー編集部のトップ達が来るなんて聞いてないんですけど……!)

かんち まず週刊アスキーについてですが、1997年に創刊されたんですね。「Windows 95」の発売より昔からあったと思っていました。

宮野 1989年に創刊された「EYE-COM(アイコン)」という隔週発売のパソコン雑誌があって、それが毎週発売になるタイミングで雑誌名が「週刊アスキー」になったんです。私は週刊アスキーからですが、ほかの2人は「EYE-COM」の時代から編集に関わっているんですよ。

宮野 今回は1995年頃の「EYE-COM」を持ってきました。もし分からないことを聞かれたらコレを見て答えますので安心してください!

かんち (心強い……のか?)ありがとうございます! 早速ですが、日本にインターネットが出てくる前は、みなさんはパソコンで何をしていたのでしょうか。ソリティアとか……?

宮野 ソリティアもやっていましたが、インターネットが無い時代にはパソコン通信と呼ばれる閉じたネットワークコミュニティがあり、私たちはその中で文字ベースで交流をしていましたね。

村野 有名どころで言うと、ニフティサーブPC-VANなどがあり、弊社でもアスキーネットというサービスをやっていました。

かんち えっ……? 「パソコン通信」ってインターネットをダサく言い換えた言葉じゃなかったんですか……? 別物とは知りませんでした。

加藤 あとは「草の根BBS」と呼ばれる、さらに小規模なコミュニティで交流をしていました。

かんち そのコミュニティにどんな情報を求めてみんな集まっていたんですか?

宮野 パソコンネタが多かったですね。「草の根BBS」に集まる人はやっぱりパソコン好きの人ばかりなので。

かんち 掲示板荒らしってパソコン通信時代にもいたんでしょうか。

村野 あまりなかったと思います。利用者に固有IDが割り振られたので、個人特定は出来なくても、どのIDの人が発言したかっていうのが分かったんですね。インターネットの「あめぞう」とか「2ちゃんねる」が出来てからじゃないですかね?

宮野 いや、アスキーネットに「junk.test(ジャンクテスト)」っていう練習用掲示板があって、そこは以前から荒れてた気がします。その掲示板は月1回で書き込みが全消去されるんですよ。しかもログも一切残らない。なので何でもアリでしたね。

かんち 身元や証拠がバレなきゃコミュニティが荒れる、というのは昔からあったんですね。「草の根BBS」って画像ファイルとかもアップできたんですか?

宮野 いえ、今みたいにイラストや写真が通信画面にスッと出てくる感じじゃなくて、当時はというとアスキーアートでした。画像アップローダーみたいなのも無かったですし。

アスキーアートの例 By Jonty

宮野 画像を送りたいときは「ish(イッシュ)」っていうソフトを使うことが多かったかな。

かんち イッシュ??

宮野 ishを使って画像データ文字データに変換その文字を相手に送るんです。そして文字を受け取った人は「ish」を使って復元し、それでようやく画像データが見れるっていう。

かんち うわー! 画像→文字→送受信→文字→画像 っていちいち工程を踏むんですか! 画像1枚見せるだけでも、めちゃくちゃ大変ですね。

村野 1995年頃にMacユーザーの間で「インターネットっていうのが凄いぞ」という噂が広まり始めて。文字情報と画像が同時に見られるって、当時は革命的だったんです。

MacのNetscape By MIKI Yoshihito

かんち 確かに文字データをいちいち変換・復元しなくても画像が見られたら、それは感動するでしょうね。

村野 ただ「Windows 95」を買った人は最初の頃「インターネットって何それ? 草の根BBSとかと何が違うの?」という感じでポカンとしてましたね。「Mac」のほうが先にインターネットできましたから。

加藤 そもそも一番最初の「Windows 95」にはブラウザが入ってなかったはずです。雑誌の付録のCD-ROMからインストールしたり、僕はお金を出してブラウザを買いました。

かんち インターネットするために、まずブラウザを買うっていうのが信じられないです。

インターネットにつなぐのが大変だった

加藤 ブラウザもそうなんですけど、インターネットに接続するためにはパソコンに専用のソフトを3つくらい入れる必要があって。「Mac」に比べて「Windows 95」は結構めんどくさかった思い出がありますね。

村野 そうそう。週刊アスキーの前身の雑誌「EYE-COM(アイコン)」でインターネット特集した時は、中のキャプチャ画像が全部Macの画面でした。

かんち 今は設定も簡単になって、パソコン買ってすぐにネットにつなげるのでかなり良くなりましたね。

宮野 「光」や「ADSL」といったブロードバンドで高速にインターネットできるのが当たり前の時代ですが、それ以前は電話線で通信してましたからね。

かんち 昔のインターネット料金ってどのくらいでした?

宮野 ダイヤルアップ接続の頃は、電話会社に払う「通信料(通話料)」とプロバイダの会社に払う「ISP接続料」のどちらとも従量制課金で、通信料が3分10円で、プロバイダは1分10円とかでした。

村野 1ヶ月の電話代とプロバイダ代の請求が数万円とかざらだったもんね。

加藤 僕はベッコアメ・インターネットだったので、プロバイダ接続料は定額でした。

村野宮野 ベッコアメ! あったー!!

かんち (……べっこう飴でインターネットって何?)定額といえば、テレホーダイというのも聞いたことがあります。

村野 夜23時~翌朝8時のあいだだけ通信(通話)し放題の定額サービスですね。23時過ぎるとみんな一斉にネットに繋ぐから、一気に通信が重くなりました。

宮野 通信速度は今でこそ「光回線」で1Gbpsとか出ますけど、「Windows 95」が発売された頃はアナログ回線が主流で14.4kbpsとかでしたね。画像を開いてもすぐには見れなくて、上の方から段階的にゆっくり表示されてさ。

村野 33.6kbps、56kbpsと頑張って進化してきたんですけど、それよりも速いデジタル回線の「ISDN」や「ADSL」が普及してアナログ回線の進化は止まっちゃった。

加藤 僕の自宅は最近「光回線」にしたんですけど、それまでずーっとアナログ回線使ってました。

村野宮野 えーーー!?

村野 進化すっ飛ばし過ぎ! 原始人が現代にタイムスリップしたくらいの感覚じゃないですか。

伝説のハッカー「キャプテン・クランチ」

56kpbs モデム By Frédéric BISSON

かんち インターネットに繋ぐ時に「ピーヒョロロロロ~♪」っていう音がしていたらしんですが、あれはなんの音なんですか?

加藤 あれは電話回線でパソコンとプロバイダの接続のやり取りをしている時の音ですね。「ピポパポ」とか「ピーガガガガザー」という音にも意味があるんですよ。

村野 そういや「キャプテン・クランチ」って知ってます?

かんち 聞いたことないです。

村野 アメリカの有名なハッカーのハンドルネームなんですけど。アメリカに「キャプテン・クランチ」という朝食に食べるシリアルがあって、それに付いてくるおまけの笛電話会社のシステムに侵入したんです。

キャプテン・クランチことジョン・T・ドレーパー氏 Photo By Sebaso

かんち えぇっ! すごい!! 笛でどうやって侵入するんですか……?

村野 受話器に向かって笛を吹くんですよ。その音の周波数によって電話会社の内部システムが切り替わり、市内外問わずどこに電話しても通話料無料になるようにしたんです。1970年代の話ですが。

かんち そんな昔からハッキングという行為があるなんて知りませんでした。

村野 実は、この笛と同じ周波数の音を出す「ブルーボックス」と呼ばれるタダで電話できる装置を作って大儲けした人もいるんですよ。

ブルーボックス Photo By Maksym Kozlenko

村野 それが後にAppleの設立者となるスティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックです。

かんち 偉人なのに、めちゃくちゃ悪いことしてるじゃないですか!

村野 スティーブらは逃げ切ったみたいですが、キャプテン・クランチはFBIに逮捕されました。

かんち すごく面白い話なんですが、ちょっと昔の話すぎるので1995年頃の話に戻りましょう!

サイトの検索方法

かんち インターネットでサイト見つけるのってどのようにしていたんですか?

村野 やっぱり「Yahoo! JAPAN」を使うことが多かったと思います。ただ当時の「Yahoo! JAPAN」はディレクトリ型の検索エンジンがメインで、人の手でサイトを登録していたので、そこに載っていないサイトっていうのもたくさんあったと思います。

宮野 だからサイトを検索するとき僕は、「Yahoo! JAPAN」「AltaVista(アルタビスタ)」っていう別の検索エンジンを併用して使ってた。

加藤 僕は「ODiN(オーディン)」とか「千里眼」も使ってました。

村野宮野 うわー! あったあった千里眼!!

村野 「千里眼」って名前、今思うと中国の怪しげな検索エンジンみたいだよね。なんだっけ、あの百が入るやつ。バイ…バイド…

かんち それ以上は怒られるのでやめてください。

昔のノートパソコンの値段は60万円以上?

かんち 昔のパソコンって今に比べたらかなり高いですよね。僕が2004年に初めて買ったパソコンは一体型デスクトップで20万円でした。1996年の「EYE-COM」の広告を見ると、某メーカーのノートパソコンが定価で60万円もしますよ!?

村野 それは当時にしても高い方ですね。今は新品のパソコンを3万円代から買える時代ですから、それに比べたら昔のパソコンは確かに高いです。当時のノートパソコンの相場は30~40万円くらいだったと思います。

宮野 あの頃はパソコンってまだまだマニアのものということもあり、とにかくスペック重視のハイエンド機種を広告で前面に売り出していました。なので余計に昔のパソコンは高い! と感じるのだと思います。

かんち なるほど。今の広告ではミドルロークラスのパソコンをメインに出しているんですね。ちなみにこの60万円のノートパソコンのスペックを見ると、CPUがPentium 133MHz、メモリ16MB、ハードディスクの容量1GB、重さは3.4kgとあります。これでも当時ではハイエンドなモデルだったんですね。

村野 今のスマホのスペックのほうが遥かに上ですよね。でも昔はスペックが高いパソコンのほうがインターネットが快適に閲覧できましたので、新しい機種が出るたびに買い換えてる人も結構いましたよ。

かんち 今は安いパソコンでもサクサクネットができますもんね。つまり……

かんち 本日はありがとうございました! 次回は20年後にうかがいます! よろしくお願いします!

村野宮野加藤 ……頑張ります。

まとめ

今回は週刊アスキー編集部の御三方に、昔のインターネット文化についてお話を伺いました。

「Windows 95」発売の時期より遥かに昔の話題も出てきましたが、流石みなさん覚えているものですね。

ブロードバンドが普及する前はインターネットにつなぐ手間やコストが大変でしたが、今はブロードバンドで快適にインターネットが楽しめます。

是非この機会にYahoo! BBで快適&お得にインターネットを楽しんでください!

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