[PR]

◆すべては原爆から始まった:8

 旧ソ連の原爆第1号(1949年)のプルトニウムを生んだ核施設マヤークでは、1950年前後からテチャ川へ放射性物質が垂れ流され、57年には放射性廃液タンクが爆発する事故も起きた。それらがもたらした核被害は、周辺住民の健康にどんな影響を与えているのか。被災者たちを追跡調査してきたロシア連邦医学生物庁傘下の機関が、チェリャビンスク市内にある。ウラル放射線医学研究センターだ。「テチャ川流域住民の慢性放射線症候群」の著者でもある同センター所長で医学博士のアレクサンドル・アクレエフ氏(57)に、原爆観も含めて聞いた。

  ――被爆70年の節目に、核といのちをテーマにマヤークへ取材に来ました。

 「私は日本に何度も行ったことがあり、いかに日本人が核の問題に向き合っているかを知っている。広島・長崎への原爆投下は多くの悲しみを人々にもたらした。我々のケースが示しているのは、すでに核兵器の製造段階から、核施設の職員だけでなく、施設周辺の住民の健康にまで極めて深刻な被害を及ぼすということだ」

  ――住民の健康調査の規模はどれほどになりますか。

 「テチャ川流域で暮らしていた約3万人とその子孫5万人を追跡調査している。1957年のキシュティム爆発事故(ウラルの核惨事)でも、2万1千人が被曝(ひばく)し、その子孫の2万1千人も含めて観察している。対象は3世代にわたっている。我々のセンターはこれら二つのグループの被災者を支援し、東ウラルの放射線状況を調べるために設立された。このような長期被曝の結果を追跡しなければならない」

 「一度に強く被爆した広島、長崎と違って、我々のケースは数十年にわたる被曝であり、低線量の慢性的なものだ。これは現代医学にとっては重要だ。なぜなら、このような長期被曝は、チェルノブイリや福島のような事故による住民被曝にも参考になるからだ」

 「住民や被曝環境下に長期間いる労働者の放射線安全基準を得るには、自ら被曝した結果と、その子孫の遺伝的結果について、広島・長崎で得られたデータだけに基づかずにリスク評価をすることが重要になる」

 ――直接被爆と慢性的な被曝との間にはどんな差があるのでしょうか。

 「動物実験に基づいた現代の放射線生物学の観点からすれば、広島や長崎と同じ線量を長期間慢性的に浴びた場合、がんや白血病になる可能性はおそらく数倍低いだろうということが示されている。ただ、これはあくまで動物実験に基づくものだ」

 「私たちはこうした調査を、広島の放射線影響研究所とともに進めてきた。広島・長崎と南ウラルとのリスク比較は非常に重要だ。日本では1945年から、ロシアでは1950年から続く長期の観察の結果が示したことは何か。それは、悪性腫瘍のリスクはほぼ同じだということだ。広島・長崎のような原爆投下後の被爆と、テチャ川流域のような放射性物質の垂れ流しによる長期的・慢性的な被曝との間では、がん発生のリスクはほぼ同じだと評価する傾向にある」

 ――両者の間で被曝の違いは何ですか。

 「テチャ川の場合は複合的な被曝だ。水や食料から器官に核種が入って内部被曝をもたらす。ストロンチウム90とセシウム137だ。この地域では1960年までは、ジャガイモや穀類、魚、水鳥の肉などの食料から取り込まれた。60年代以降になると、とりわけストロンチウムは牛乳を通して体内に取り込まれた。牛が食べる川辺の草が汚染されていたからだ。広島や長崎のような外部からのガンマ線・中性子線の被曝とは違って、ストロンチウムがカルシウムのように骨の組織に蓄積され、非常に大きな線量が骨髄にたまる。最大で9グレイにも達した」

 「それ故、テチャ川流域の住民には白血症の発症率が高い。ウラルの核惨事(57年)の爆発事故では、また状況は別だ」

 ――それは生殖機能にも影響しますか。

 「テチャ川の流域住民はすでに移住しているので、ストロンチウムによる内部被曝はもうない。そもそもストロンチウムは生殖腺には影響しない。より危険なのはガンマ線の外部被曝だ。親の生殖腺に影響するし、胎児にも作用する」

 ――住民の移転は遅すぎたのですか。

 「移転の開始は遅すぎた。4、5年で住民は内部も外部も被曝した。ストロンチウムは骨の組織からは出ずに崩壊する。半減期は30年。たとえ汚染地帯を離れたとしても、ストロンチウムが入り込んだ骨髄は今も被曝が続いている。移住はすべての問題を解決したわけではない。住民たちへの念入りな医学的観察が欠かせない」

 ――このセンターが設立された経緯は。

 「テチャ川流域住民への観察が始まったのは、まだこのセンターが設立される前の51年だった。マヤーク職員のための病院の医師らが派遣され、流域住民を調べたところ、慢性放射線症候群の症状が見つかった。そこでモスクワから生物物理学と職業病の研究所からも専門家が参加して調査した結果、慢性放射線症候群が時とともに増える傾向が浮かび上がった。このため、まずは55年に住民を追跡調査する特別診療所ができ、これをベースにこのセンターが62年に開設された。第一義的には、マヤーク職員と閉鎖都市の住民らの健康管理に携わる施設だ」

 ――ヒバクシャとして登録されている人はどれぐらいいますか。

 「健康に影響が出るかもしれないほどの被曝をしたの住民はテチャ川流域で3万人ほどと考えている。テチャ川はイセチ川に至り、トボル川に至り、オピ川に至り、そしてカラ海に至るが、最も被曝量が大きいのはテチャ川流域だ」

 「テチャ川へ放射性廃液が垂れ流されていたころ、流域には2万3千人ほどが暮らしていた。50~60年の間にはさらに7千人ほどがやってきた。この間、テチャ川沿いに住んでいた人は日本の基準に照らして『ヒバクシャ』としていいだろう。ある人は早い時期に健康が変調し、病人として登録している。悪性腫瘍をはじめ、白血症や心臓血管病、高血圧症などだ。57年の爆発事故では、高線量被曝したのは約1万8千人。全体では約5万人の健康の変化を念入りに追跡している」

 ――健康被害とはどんなものですか。