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『歴史人』5月号P29の見出し、キャプションに誤りがございました。

誤)日野の農家

正)多摩の農家

『世界史人 VOL.6』P67上段写真のクレジットに誤りがございました。

誤)(c) Ullstein bild/Aflo

正)(c) 山崎雅弘

読者の皆様ならびに関係各位にお詫びいたしますとともに、訂正させていただきます。

 
第12回 さがすのはたいへんでした 斎藤道三と織田信長の会見場所・聖徳寺跡

はじめに申し上げますが、今回の場所、
有名な割にさがすのがけっこうたいへんです。

カーナビで「聖徳寺」を検索すると、全国にある。
しかも斎藤道三と織田信長が会見した「聖徳寺」は全国各地にあるうえ、
聖徳寺そのものも
美濃羽栗郡三屋→尾張清洲→名古屋市東寺町→名古屋市中区錦→守山区白山と天白区八事山へ
と移転をくりかえしました。

「ややこしい」と頭をかかえても大丈夫。
現地に住んでいるぼくも熱田区の聖徳寺と勘違いしていたくらいですから。


ですんで、カーナビの案内で現地に向かうときは、
「愛知県一宮市富田字大堀」
と入力し、地図でだいたいのところを確かめてください。
「聖徳寺跡」というバス停があります。
カーナビで近所まで行ったら、
ハザードをつけて車を路肩に停めて徒歩で探してください。

くれぐれも車で走りながら探せると思わないように。
こんな具合にとても地味なので、かならず見落とします。

 

 

場所は現在は愛知県一宮市。以前は尾西市だったのかな?
このすぐそばの自動車道・大垣一宮線はしょっちゅう通るのですが、
まったく気がつかなかった。
戦国史跡ではよくあることです。

車から降りて近寄ると、
どうにか「それっぽい」史跡だというのがわかります。

 

 

いくつか説があるんですが、
『信長公記』によれば、天文年間の4月下旬、

美濃国主・斎藤道三が、娘を嫁にやった先の織田信長と会談した場所です。
美濃と尾張の国境である木曽川がすぐ近くに流れていますが、
場所的には尾張の国のなか。
会談場所から考えると斎藤道三のほうが信長に歩み寄った形で、
「道三のほうが信長に関心を寄せていたのだな」
と推測できます。
ここいらが戦国の現地に住んでいるからこそわかること。

 

 

よく知られているように、
みんなから馬鹿にされていた織田信長と会ったあと、

斎藤道三は美濃の「あかなべ」というところまで戻ったところで、
「お前らは婿のことを馬鹿だ馬鹿だと申すけれど、ほどなくお前たちがあの者の家臣となるだろう」
と予言したんでありました。

ちなみにこの「あかなべ」は岐阜市南部の「茜部(あかなべ)」のことで、
残念ながら場所が広大すぎて特定できませんでした。
とにかく、「茜部大川」「茜部大野」「茜部新所」「茜部神清寺」
……と、たくさんあるんだもの。

ちなみついでにいうと、
天正14年(1586)の大洪水で木曽川の川筋は現在の場所になりましたが、
それ以前の木曽川は、墨俣(大垣市墨俣町)に流れ込んでいました。

「あかなべ」は広大ではあるけれど、旧木曽川のすぐ北側にある。
斎藤道三の居城までけっこう遠かった。

そこから考えると、斎藤道三は自分の見立てを家臣たちに言いたくて、
がまんしきれなかったんですな。

戦国の史跡は残っているものがすくなく、パーツもばらばらなんですが、
こんな具合に地元に住んでパーツをこつこつ集めてみると、
史書にはのこされていない戦国武将の内心がわかるものなんであります。

 

(鈴木輝一郎・小説家)


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