坂本龍馬に関する新事実が明らかになった。龍馬が青年時代に江戸で剣術修行した際に道場から与えられた免状「北辰一刀流長刀兵法目録」が、京都国立博物館の調査で本物であると確認されたのだ。

 龍馬は19歳の時に土佐を離れて江戸に出たのち、北辰一刀流の開祖、千葉周作の弟・定吉の道場で剣術を学んだ。しかし、免状の真贋が定まらないことで剣の腕前を疑問視する声もあった。

 今回、免状が本物と認められ、長年の“疑惑”が晴れたかと思いきや……、武術研究者の甲野善紀氏はこう指摘する。

「幕末の道場では、竹刀と防具を用いた打ち合いが主流となり、熟達しても、真剣勝負の場では怯んで力を発揮できない者も多かったようです。龍馬暗殺犯といわれる京都見廻組の今井信郎(直心影流)は“真剣勝負では、免許や目録を得た者を斬るのは容易”という言葉を残したほどです」

 実際、北辰一刀流の使い手とされる伊東甲子太郎は新撰組に暗殺され、伊東の敵討ちに出た藤堂平助も返り討ちに遭った。さて、龍馬の腕前は──。北辰一刀流の技を正統に受け継ぐ「千葉家正伝北辰一刀流第七代宗家」の椎名市衛成胤氏が語る。

「龍馬は北辰一刀流の『皆伝』までいった剣豪であり、弱いはずはありません。龍馬や伊東が殺されたといっても、彼らは不意打ちで斬られただけ。これまで公になっていませんが、『皆伝』の上に“最終奥義”があり、それなら不意打ちも跳ね返せたと言われています。この奥義は精神的な鍛錬が求められる。龍馬らは技術的には申し分なかったが、精神的な部分でたどり着けなかった」

 最終奥義を習得していれば、歴史は変わっていた?

※週刊ポスト2015年11月27日・12月4日号