大阪は久々の晴れ
朝から軽い痛みが頭に。
フランステロ 首謀者死亡
パリの同時多発テロの主犯格とされるアブデルハミド・アバウド容疑者の死亡が19日フランス検察に確認された。(11/20ヤフーニュースより)
主犯をあっさりと捕らえたフランスは、これで終了とはいかない。100余名の無辜の市民が一瞬で殺された悲しみ、怒りの矛先は強く、それは遠くシリアのISへと向かう。このあたりも、仕組まれていると感じるのは私だけではないだろう。フランスの大衆の怒りは、こんな程度では止まらない。
イスラムとの対話とは
日本人は比較的、イスラムに寛容である。神道があり、すべての神々を認めるからだ。キリスト教徒にマホメットが預言者だと認めない者がいる。だから、彼ら西洋人の一部は、イスラムの神のアラーがヤハウェと同一と考えない。
が、日本の学校でこのあたりは単純に教える。一神教はすべて同じヤハウェを崇拝する。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同じ神を信仰する、と。
また日本はアニミズムで先祖崇拝や様々な神を認める。アラーもヤハウェもその一つとして認める。だから、日本人はイスラム教徒に対して、敬意をもつ。ここが、西洋人と日本人との違いだ。日本にイスラム教徒を敵対者と考える伝統はない。イスラム教徒が日本に来て、迫害や敵対者として扱われないから、安心して住めるだろう。日本人という輪の中には溶け込みにくいとしても。
日本人は、イスラムに対しては先入観なく、対話できる数少ない民族である。
哲学の話 人間は最初にどんな社会を作る?
人間は、社会的な動物だ。抑圧なく、自由にふるまえる社会にするにはどうしたらよいか。理性の探求を終えた19世紀からそれを探し求めた。20世紀には、自らそんな社会を作る。そんな人は、最初に何を考えたか?
自由な社会、抑圧がない社会、合理的な社会を作ろうとした。いろんな人が意見を言い合う。それぞれが社会を作ろうとする。すると、小さないろんな組織やグループができる。20世紀初頭、そんな状況になった。
社会学の本では、その様子が描かれれていた。20世紀はじめの英国では、退役軍人会、なんとかクラブ、政治クラブなど、あちこちで小さなグループが生じた、と。その頃、人々は、社会組織を誰もが作りはじめた。今では、多数のクラブや社会グループがある。それは20世紀になるまではなかった。
そんな雑多な小さなグループが生じたら、人はどうするか? それでは大きな影響力がない。だから、一つにまとろうとする。組織を大きくする。自然なことだ。国家も政党が多数あると、意見がまとまらない。誰もがそう感じた。
『大きなグループにしよう』、『権力を一つにまとめよう』。これは実に合理的な発想である。これがいわゆる権力集中、集権化の理屈である。権力闘争という人いるが部分的である。ここから新しいタイプの独裁国家や、権力を国家に委ねる体制ができた。
それまでの独裁国家と20世紀以後は違う。新しいタイプの国家では、組織化が末端の隅々まで徹底したことだ。19世紀前にも独裁はあったが、農民や地方は国がやることとは関係なかった。自由きままにそれぞれ勝手に生活していた。が、20世紀からは、国家の中枢がそんな地方や最下層まで、組織編をはりめぐらしはじめたのだ。国民は、国家のすみずみまで、国家の命令を受け、管理されるようになった。それが強まった。
ヒトラーやソ連の独裁国家、日本における権力集中も過度になった。それが2020年頃から、第二次大戦が終わる2045年まで続いた。
人間は最初に、小さな社会を大きくする。その過程で、2つあった組織が合体させる。権力を一つにする。この流れは、集権化である。集権化自体は、合理的な選択である。なにしろ命令系統が一つでなければ、その組織は混乱してしまうからだ。その集権化の行き過ぎ、その失敗例が独裁国家だった。過剰な権力集中が招く弊害である。
本日の被害
昨日は後頭部が重い感じ。頭痛ほどではないが、体もだるい。毒を飲まされたようだ。
以上