2015-11-18
翻訳の退場勧告
SICPを訳し直したと、一年前の記事の善意のひどい訳についてに関して、はてな匿名ダイアリーのほうで言及していただきました。
誤訳の指摘ありがとうございます。
差し支えなければ追って反映したいと思いますが(反映について明示的に許可をいただければと思います)、まずはお礼を兼ねてお返事から。
また、タイトル575ありがとうございます。
77でお返しするのが礼儀かと思ったのですが、どうも思い浮かばず… 申し訳ありません。
ところで、匿名の方でお呼びしにくいので、増田*1という意味でMさんとお呼びしますね。
前もって申し上げますが、元記事にはごちゃごちゃした人間的な感情の絡む雑音的な部分も多いので、お返事できそうなところを自分でピックアップして回答しています。
「いや、ここも答えられるだろ」というところがあればご提示ください。
まず、訳文を見ていただけばわかるように、私は翻訳を専門的にやったことはありません。
最近になってやっと、有名な「英文翻訳術」を読んだところです。
そういう私が、「学生時代の専攻が英文学だったことから、翻訳の仕事や、翻訳の校正の仕事をたびたび引き受けてき」たという方から誤訳の指摘をいただけるというのはありがたいことです。(本来ならお金が発生するところではないでしょうか?)
ところで、降って湧いたように翻訳経験者から誤訳の指摘をいただけたわけですが、どうもおかしな人だなという感覚はあります。
というのは、このご指摘の前と後で、私の自分の英語力に対する認識は変わっていないからです。
私は英語の基本的な読み解きはできますが、翻訳の専門的な訓練を受けたことはなく、実力も当然その範囲内です。
Mさんは、私の誤訳を指摘することで「お前の翻訳は間違いだらけだ」と言いたいようですが、そりゃ経験者から見たら穴だらけでしょう(ご指摘の箇所は、特に前編はほぼその通りです。後編については、文脈を見て取捨選択することになりそうです)。
それともMさんは、私が(翻訳者としてのトレーニングも受けずに)自分のことを商業レベルの翻訳者だと思い込んでいると思ったのでしょうか?
それは並みの思い上がりじゃありませんよ。(もちろん、そんな思い上がりはしていません)
で、私の自分の英語力に対する認識は変わっていないので、以前から持っている「手のつけようのない翻訳をそうであると判断する程度のレベルはある」という認識も変わっていないわけです。
それとも、Mさんの意見では、この認識が間違っているということでしょうか?
私が手のつけようのない翻訳だと判断したものが、英語の上級者の視点から見ると全然そんなことはない、これこれこういう理由で優れている、私の指摘は間違っている、ということであれば、それは私にとっては revealing ですし、ぜひお聞きしたいところです。
「致命的な誤訳」「最低クラスの翻訳」「手のつけようのない何か」「身の程を知ってほしい」「そびえ立つクソの山」「腐った翻訳」「自作ポエム」「異世界語版」「有害」「腐臭を放つ吐瀉物の山」といった発言は、人間(真鍋さんの用語で、アスペルガーではないヒトのこと)の言語の運用においては、おそらく指摘ではなく侮辱、退場勧告として機能するでしょう。
Mさんにとっては、侮辱と退場勧告は同じようなものなんでしょうか?
私にとっては、それらは全然別のものです。
退場勧告というのは、何かをするうえでの実力がないんじゃないかという意見を告げるものです。
また、いま実力がないということは、この先も実力がないままであるということを意味しません。
そういう意味で、私の発言が退場勧告として受け取られたとしても、それは私の意図に反するものではありません。
「英語の構文解析ができない人間は(それができないうちは)英文和訳をしてはいけない」というのが、一貫した私の意見です。
(私が訳を批判してきた方々はそれができていないという私の認識は変わっていません。これについても、上級者から見るとそうではないということであれば、そう主張していただければと思います)
それに対して、侮辱というのは基本的に必要のないものです。
私はこれまで、翻訳に対してクソの山だとかは言っても、○○氏はクソだという侮辱はしたことはありません。
まあ、「翻訳をクソだと言うと、それは自動的に訳者をクソだと言うことになる」とお考えなのであれば、それは考え方の違いということになります。
私はそう考えていません。
(私に対する誤訳指摘も侮辱だとは受け取っていません。そう認識させたいという痛いほどの努力は伝わってきますが)
ここの認識の違いがある人とは、永遠に平行線なんだろうなと思います。
(ところで、「腐臭を放つ吐瀉物の山」等のいくつかは、全世界に公開しているとはいえ、個人的なつぶやきです。「つぶやく」ことと「相手に向けて言う」こととの間にはまだ違いがあると私は認識しているのですが、Mさんにとってはそうではないのでしょうか?)
日本語訳を読んで、おかしいと思った箇所だけ原文を参照することにします。一般読者は翻訳の質を判断できないという――わたしの感覚からすると一般読者をずいぶん侮った――主張に対するひとつの反証になるかもしれません。
やだなぁ、もう。(呆れてキャラが変わった)
「学生時代の専攻が英文学だったことから、翻訳の仕事や、翻訳の校正の仕事をたびたび引き受けてき」た人が一般読者なわけがないじゃないですかぁ。
一般読者というのは、minghai氏版SICPのブクマや山口さんの翻訳記事のブクマのような人たちのことを言うんですよ。
私の指摘以前に、翻訳の質に言及している人、いますか?
一般読者は翻訳の質を判断できないからこそ、minghai氏版がずっと問題にもならずに検索上位に出ることになっていたわけじゃないですか。
私が「王様は裸だ」と言わなかったら、誰が代わりに言ってくれたんですか?
しかし、そのようなミスを犯す方が、他人のミスに対して次のような発言をするのであれば、そこには何らかの認知の歪みがあるということになってしまいます。
まあ、人間はミスを犯すものですし、ちょっとしたミスで実力を判断するのは正しいとは限りませんね。
ただ、Mさんが見つけた私のミスと、私が見つけた山口さんのミスは、(当然ながら)別のものです。
私は、その手がかりから「この翻訳は手がつけようがない」と推測して、結果としてそれは(私としては)当たっていたと思っています。
Mさんは、私のミスを見て、「この翻訳は手がつけようがない」と推測されたのでしょうか。
また、それは当たっていたでしょうか。
最後に。
まず、真鍋さんがなぜそれほど憤っているのか。翻訳には言語に関する才能と一定の経験が必要で、十分な品質に達していない翻訳は有料・無料を問わず世に溢れています。それは自明であるにも関わらず、なぜことさら嘆いてみせるのだろう? 一般の人はそのことに気づいていないとでもいうのだろうか?
「嘆いてみせ」ているのではなく、「嘆いている」のです。
十分な品質に達していない翻訳があふれている状況を、自明なものだとあきらめていないからです。
「翻訳には言語に関する才能と一定の経験が必要」とはいえ、そういう才能と経験を持った(Mさんのような)人はいくらでもいるわけです。
それなのに、なぜ英語の構文解析すらできない(私よりもさらにできない)人間が翻訳をしているのか。
なぜ「統計学を拓いた異才たち」のような本が世に出てしまうのか?
英語の「翻訳術」の良し悪しは、単純に評価できるようなものではありません。
しかし、英語の構文解析を間違っているような、翻訳以前の間違いであれば、英語の読める人なら誰が見ても——もちろん、Mさんが見ても——わかるはずです。
それなのに、なぜそういう翻訳以前の間違いだらけの「翻訳」が、有料無料を問わず生き延びているのでしょうか?
私から見ると、そういう状況を支える要因のひとつとして、「人間」——Mさんのような——の遠慮があるように思えます。
明らかな間違いがあっても、相手への配慮のために、「なかったことに」してしまう。
その結果が、いまの悲惨な状況なのではないでしょうか?
私は、たとえ自分自身の英語の実力が完璧ではなくても(もちろん完璧ではありませんし、その認識は変わっていません)、致命的な誤訳について「致命的な誤訳である」と声を上げることを続けていくつもりです。
*1:アノニ“マスダ”イアリーの通称。
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