BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

日本が普通に好き。 右も左も興味ない是々非々主義です。

秋篠宮が天皇になる日

2013-05-25 | 日記

 

皇室批判を忌む保守層が
見落としている視点があります。

皇太子は皇太子であり天皇は確固として
天皇なのであり不可触である、と。
民がそこに口をはさむことは最大の
禁忌に触れ、それを認めると皇室を
無条件に尊崇するという、約束事が
瓦解してしまう、と。
それは正しい。

しかし、批判派が戦っているのは
皇太子ではなく、その背後にある
半島であり、半島カルトであり、
左翼であり、自虐史観の反日日本たちで
す。

皇室は批判せず、が成立していたのは
民間からの輿入れがなかった時代です。
あろうことか犯罪企業に連なる人物さえ
入り込め、お血筋どころか国籍出自のチェック機能も
麻痺した現在は
事情が異なります。
皇太子大事とそれを放置していると
彼らの手により、皇室は壊される。
皇室を批判せず、を民が守っても
皇室にも天皇皇后両陛下にも尊崇の念を
持たない妃は皇室史上前代未聞、それを放置すれば
皇室自体への民の尊崇も薄れます。

皇室批判という形で国民のチェック機能が働かなければ、
「人権」とやらが宮内庁の調査を妨害、韓国人が出自を

ロンダリングして宮中に入ることすらあり得る時代になって来ました。
となれば、もはやそれは皇室ではありません。

女性天皇が擁立されれば、その夫に国籍ロンダリングの
男が伴侶としてあてがわれるケースも有り得ます。
女性天皇に能力無ければその夫が実質的天皇と
なってしまう可能性があり、韓国人中国人の血筋の
天皇を日本が戴くことさえ。

それでも、よろしいとされるのか。
批判するなと言われるか。

批判者を批判する者は、その意に反し皇室瓦解を容認、
手助けすることになりかねません。

皇太子殿下と雅子妃の即位を最も喜ぶのは誰でしょうか。
半島・中国勢力、在日・部●、左翼、反日日本人、皇室無用論者たちです。

皇室典範の早急なる改正、秋篠宮殿下へのご移譲を願いつつ、拙い記事を書き継いできたけれど、文藝春秋でもっと学識見識の豊かな方が、過去に書いていたのだった。
もっとも、こちらはタイトルほどにセンセーショナルではなく、いかに皇太子殿下に自覚がなく、秋篠宮が実質現在の皇室の核としての存在におなりか、それを書いてあるのだけど。(しかし実のところ、隠れテーマはご移譲だと思う)

 

物故者にひどく無礼不遜なのを承知で言ってしまうけれど、広告の右側に皇室と(ひいては日本の)救世主みたいな秋篠宮さまの記事、左端に売国ジャーナリストとして日本毀損発信で民衆をたぶらかしてきた筑紫哲也の記事が両極に並んでいるのが暗示的な感じ。

ここ数日間、いっそ皇室問題に集中して腰を据えようとあれこれ調べるにつけ、突き上げる思いがあり、それは「絶対に皇太子殿下と雅子妃には天皇皇后になって欲しくない」「なったら、皇室も国も滅びる」という思いでした。それと反比例に浮かび上がって来るのが秋篠宮さまのご人格の重厚さと、紀子さまの誠実さです。
そしてお二人の素晴らしさを押しつぶすようなデマのひどさ。
しかし人のことは言えぬので、実はお二人を支持しながらも昔耳にした
ひどい噂はあったかもしれない、程度には思い込んでいたのです。
嘘ですね。わかりました。実にもっともらしく、でっちあげられ巧妙に流された噂です、ほとんどが。日教組の嘘つき教師に教えこまれ信じ込んでいた構図に
似ているかもしれません。百歩譲って過去が事実だとしても「今」を
信じます。

皇室継承権の順番は決まっていること、声を挙げても虚しいという意見もありますが、かといって黙っていたら何も動かず、それにあのお二人が天皇皇后になったら、もうやり放題です。声を上げ続けることで、いくらかでも暴走の歯止めにはなるだろうという思いもあります。またざっくり、あられもなく言ってしまえば、東宮の某件、そこをつついて首に鈴をつける人が現れれば・・・・。ご病気を口実に自らリタイアを申し出る道はあります。なに、病気を表看板にうんぬんは、東宮家の、もはや得意技ではありませんか。

皇太子と雅子妃の即位でまず懸念されるのが、人心の荒廃です。義務果たさず権利のみ要求の夫妻が、天皇皇后になられることは、モンスターペアレントに代表される今の悪しき風潮になお拍車をかけ、国を傾かせるのではないかという怖れ。

まじめに努力を重ねている秋篠宮家が報われず、莫大な国費を使いつつ遊びと静養に明け暮れているご夫妻が苦もなく天皇皇后となられ、さらなる大きな権力と富を得られることは、日本国民の倫理観にも影響をあたえるでしょう。

また皇太子妃と違って皇后陛下ともなると「病気だから」ではすみません。

この記事から4年が経過した現在、秋篠宮さまが天皇陛下の果たす公務の一端を担われ、それが年々に過酷なものになりつつありますが、国民に知らされません。一方あの貧弱なオランダご公務が華々しくテレビで報じられ、皇太子と雅子さまがいっぱし、公務をなさっているふうに伝えられ、雅子さまに対してはけなげに努力していらっしゃる。国民は温かい目でお見守りを、という論調が席巻。

「秋篠宮が天皇になる日」というタイトルは羊頭狗肉ですが、多くの国民の潜在願望であり、この記事が出て4年経過した現在、なおその願望は高まっているようです。
文藝春秋という手堅い雑誌に載せる記事としては、書き手の保坂氏も「移譲」というなまなましい言葉は使っていませんが、文章の主張の必然として移譲か、摂政に行き着くと思います。

原文は、過去火のないところに煙を立たせて秋篠宮さまを貶めていた事実があったことに触れ、そしてその内容を完全否定しているそうですが、残念ながらその箇所が今、見つかりません。


以下は、保阪正康氏による文章の抜粋です。黄色での強調は、ブログ主の任意、青文字はブログ主の私的感想です。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2009年2月号(1月発売)

 

昨年の2月、羽毛田長官は、皇太子一家が天皇・皇后のもとへ参内する回数が増えていない、と記者会見で苦言を呈し、世間を驚かせた。

オランダ訪問を決められず返事を延ばしに延ばしていたときの、風岡長官の談話と同じである。本来、長官が皇太子ご夫妻の「恥になること」は口にしない。
まして風岡長官は、創価学会の信者とも一部噂され、雅子妃側と目されている人物。(雅子妃が学会員であるという断定ではない)

そういう人物が人前で、東宮と雅子妃の非をあげつらう談話を出さざるを得ないというのは、おそばにいる者の「悲鳴」のようなもので、「よほどのこと」なのだ。
妃殿下がドタキャン、ドタ出で周囲を混乱に落とすやり口はもう常態化していて、「人の迷惑」に、鈍感になっているのだろう。傲慢である。
オランダ紙ワールドクランチのスッパ抜きによると

It is said that 13 members of the Crown Prince’s household quit within five years because of Masako’s domineering nature in the privacy of their home,

雅子妃の「横柄な仕打ち」によりこの5年間で、お仕え人が13人も辞めている。

 宮内庁長官が独断で皇太子を批判することは考えられない。その背後に、天皇の強い不満があること は明らかだ。その容易ならぬ事態を踏まえ、誕生日会見で秋篠宮は以下のように答えている。

「それと参内についてということですけれども、みんなで意見交換を行ったり、話し合いをしたりする場所であり、そのような機会をこれからも大切にしていきたいと思っております。」と述べているがまさにそれこそが、天皇と皇太子との間に欠けているものだといっていい。

秋篠宮は積極的であり、言葉通りその後実行なさる努力を重ねていらっしゃる。一方皇太子は、4年も前に言葉だけ発したまま、いまだ行動なく、やる気なし。


羽毛田発言を受けての皇太子は、「御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。
家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います。」こうした皇太子の態度に、天皇は強い怒りを抱いているとも考えられる。

皇太子のお答えのいい加減さ、誠意の無さはこれが過去記事であるので、よく解る。言葉でつらっと返されただけで、この記事の時点からすでに4年以上経過。雅子妃愛子さまのペースに合わせたまま、天皇皇后両陛下への無沙汰と不義理ぶりは改善されず、雅子妃のお気持ちを考えて、と伝えられているが、お一人での参内もなさっていない。
舅姑と折り合いの良くない嫁の機嫌取りに汲々として、実家の親と疎遠になる世間並みの亭主とどこが違うのだろう。(大体、折り合いが悪いという世間的感覚を宮中に持ち込む嫁がそもそも失格者なのだけど)

相手は親である前に日本国の天皇陛下と皇后陛下である。ここらへんの、けじめのつけ方がお分かりではないのではないか。

それに「プライベートなこと」とはなんという、言い草だろう。公人の中の公人として果たさねばならぬ責務があり、そこが出来ていないのであるから、出来ていない部分に関しては情報開示の義務がおありである。
ご夫婦でやるべきことも果たさずに「プライベート」「人格」と、おっしゃることは世間並み。しかし特権だけは、世間の100倍。
姓も戸籍もなく、犠牲にせねばならぬものも多いお立場だからこそ、莫大な
国費で暮らしがあがなわれているのに、「義務は放棄します。特権は当然の権利なので享受します」と、おっしゃっているのに等しい。

 こうした一連の経緯を見ていると皇室内での秋篠宮の存在が大きくなっているといえる。
天皇の公務の軽減について、いち早く言及したのも秋篠宮だった。

それに対して、本来、天皇のつとめを継ぐものとして、この問題に最も意識的であっていいはずの皇太子は、

「陛下のご年齢を考えますと、陛下のお仕事の全体の量をよく把握しながら、ご公務の調整をしていくことは大切なことと思います。
私としては、陛下がもう少しお休みになれる機会をお作りし、ごゆっくりしていただくことを周囲が考える必要があると思います。この辺のことは、周囲が、陛下とよくご相談しつつ、陛下のお気持ちに沿う形で事を進めていくことが大切と考えます」

いかにも皇太子らしい優等生的な回答だが。具体的なことは何も言っていない。
また、「周囲」という言葉にはどこか他人事のようなニュアンスが含まれている。また皇太子自らの公務についても具体的なかたちがいつまでたっても示されていない。

第一声は「自分が代わる」であるべきではないのか。それが皇太子の役目ではないか。自分が積極的に何をどう改善しようかという意志は皆無。そして「公務を減らす」ということを、人ごとのように主張なさる。どの公務が重要でカットできず、この公務なら不義理してもいいという発想もなく、第一公務に軽重をつけてはならぬという皇室の基礎建前すら心得ていない。「周囲が」と二度繰り返し、ご自分は責任逃れ。

公務がしんどければ減らせばいいという安易なお考えであるなら、妻である雅子妃が海外からの賓客にはお会いにならず、乗馬を楽しまれようと、お付き添い通学には出られようと、ご注意なさる気もないであろう。

世間では「お守りします」と雅子妃に言ったその約束を守っている、素晴らしいという評価もあるようだが、忘れてはならない、皇太子も妃殿下も、単なる家庭の一私人ではない、肩に背負っているのは日本国家であり、その国家が一挙手一投足にかかっているのだ。


一方、秋篠宮は両陛下の公務の数を減らさずに、負担を減らす方法を提言している。これは公務に対して誠実な天皇・皇后の意向にも沿う、現実的な提言と言っていいだろう。こう見ていくと、皇太子と比較しても、いまの皇室にあって(陛下と)重要なコミュニケーター役を果たしているといえる。

公務の数を減らさずに、負担を減らす方法提言とは、自らと紀子さま、眞子さま佳子さまのお肩代わりの覚悟であろう。本来なら、これは皇太子が述べる筋合いのこと。
秋篠宮さまとて、当然兄君にも分担して欲しいところだろうが口には出さない。
雅子妃殿下は「ご病気」でも、ご自身は健康なのであるから、本来なら「雅子が迷惑をかけているぶん、私が1人で頑張るよ」となるところ、月によっては公務ゼロ。やっと出かけたかと思えば、「雅子と一緒に昔見た絵がなつかしいので」と美術館。
公務に名を借りたレジャー。それなのに秋篠宮の数倍の護衛が付き、秋篠宮家にはつけられない白バイ誘導の信号ノンストップ。愛子さまのために民間を排除、スケートリンクを貸しきる時も、交通規制をかけ白バイノーストップ、おびただしい護衛。
東京ディズニーランドを貸しきって、雅子妃の妹さんが同行した時もそうだった。

いったい、何なのだ。この不快な不平等感は。

遊びに白バイ、信号ノンストップ、多大の護衛。
一方、将来の天皇陛下を擁した公務、神事、外交のご一家は
白バイなし、護衛手薄、家計費も僅少。

秋篠宮さまが不平をおっしゃっているわけではないけれど「日本が、国民が本当に大切にお守りせねばならぬのはどちらだ」と言いたい!

皇太子が即位すれば、秋篠宮様は黙々とサポートして、天皇皇后がやらない公務のしわ寄せをカバーしつつ激務をご一家でやられる方だけれど・・・だからこそ、大切にしたい。


(中略)

たしかに、様々なメディアが発信する皇室情報の洪水を眺めていると、その暴走ぶりや歯止めのなさにめまいを覚えることもある。しかし、皇室側のこうした個々の報道への言及が、かえってメディアの乱反射を生んでいるのも、否定できない事実だろう。

実にいびつな形でしかなく、また実は現地でも好評でもなかったオランダご公務を「つつがなく大成功」と、テレビも提灯持ちの女性週刊誌の一種の捏造報道も多い。
批判記事だけを目の敵にするのは間違いである。


そもそも昨年二月と十二月の二度の羽毛田長官会見は、天皇家の家庭問や健康問題といった、いわば「オク」の領域の問題を、「オモテ」の存在のトップが公の場に持ち出したことになる。
一部メディアの報道に節度がないと批判をするのは容易だが、それは、皇室から発信されるメッセージが公と私の境がはっきりせず、皇室がどこに進むのかという方向性に乏しいことの、いわば歪んだ鏡像ではないか、という思いがつきまとう。

だからといって一度は自ら、雅子妃の人格が否定されていると発言しながら、参内問題などに対して、すべて「プライベートだからコメントしない」で押し通す皇太子の姿勢にも疑問を感じずにはいられない

全くもって同意。おおやけに出す文章には、書けないだろうからマイナーブログで言わせていただく。「卑怯です」と。爆弾だけ仕掛けておいて、後はだんまり。「雅子妃が傷ついていて可哀想」という、ヨイショ週刊誌が持ち上げるにまかせ、
結局悪いのは、思いやりのないマスコミであり、国民であると、責任が転化されていく。

そのかたわら、秋篠宮家への貶めキャンペーンも抜かりない。

やることやらず、国費を湯水に、遊び歩いているのは誰なんだ!

東宮側は「傷ついた」ことばかりをアピールするが、公務を休んで愛子内親王の運動会を応援したり、乗馬や高級レストランで食事をすることに対する、国民への納得のいく説明はなされていない。

平成16年5月、皇太子は「それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」と発言した。以後、現在に至るまで4年あまり、事態はほとんど変わってないといえる。

今年ですでに9年である。 

このとき、秋篠宮は十一月の誕生日会見で、天皇とのコミュニケーションの重要性を強調し、

「少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,その上での話で あるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います。」

と述べた。

「この一言で、『秋篠宮は大人になった、皇室の一員としての自覚が表にでてきた』と評価がぐっと上がりました。

ところが、「新潮45」に「なるひと・まさこ」が書いた・・・・もとい鳴門雅彦が書いた文章によると、秋篠宮のもっともな発言に対して、いまだ恨み骨髄。さぞかし、お二人で弟と義理の弟君の悪口を言い合っていらしたのかもしれない。(いや書いたのは鳴門雅彦というライターであるが、関係者に直接聞いていなければ書けない筆致。雅子妃の心情まで代弁しているのだから!)

翌18年には悠仁親王がお生まれになった。皇統継承という皇室最大の問題を解決したのですから、秋篠宮殿下の在感は否応なしに大きくなった。
両陛下も、皇太子殿下との亀裂が大きくなるのと反比例するように、秋篠宮殿下をよりいっそう頼りにするようになったのです」(皇室関係者)

こういう実情に比して、ちんけなご公務がさも大したことのように大々的に報道され、国民にアピールされるのは皇太子と雅子妃であり、ほぼ毎日が公務と神事の明け暮れである秋篠宮家のご活動は無視され、歳費も東宮に比べれば実に乏しく、おそらくやりくりが紀子さまは相当大変。公務には眞子さま佳子様もお出ましなので、ヘアやお衣装にもかかる。
東宮は遊びと静養のサイクルなのに、湯水のように国費が費やされ、物凄い数の地元警察が動員されているというのに。


75歳を迎えた今上天皇の体調は芳しいとはいえない。皇后もまた、平成19年三月には腸壁からの出血で短期静養をとっている、天皇に万が一の自体が生じれば、皇太子が天皇となり、秋篠宮が皇位継承順位第一位、悠仁親王は第二位となる。

悠仁親王が皇太子となるのは、父である秋篠宮が天皇になったときである、近代皇室が経験したことのない皇統の移動が現実となるのだ。

天皇家や宮中の官僚には帝王学教育はあっても、弟宮のための教育はきわめて不十分で、かくあるべしというモデルも存在しない、という事実だった「兄宮を補佐する」という抽象的な役割は与えられているが、具体的に兄である天皇が弟宮に公式に相談したり、意見を聞くシステムはなかった。

ところが、悠仁さまのご名代という名目ではあるが、秋篠宮さまが皇太子と並んで天皇陛下からじきじきに帝王学を伝授されているとのこと。
これが秋篠宮さまへの譲位を見据えてのことなら、どんなに嬉しく心強いかわからないが、しかしおそらくは皇位継承権はそのままであるだろう。
無念である。しかし、以前は皇太子退位論が出ると、「帝王学を受けているのは、皇太子、秋篠宮は受けていないから不可能」という意見をしたり顔にいう人がいたけれど、これでそれは言えなくなった。
第一「公務が負担なら減らそう」と平然と言い放つ人が、いかに帝王学を授けられたところで、不毛であろう。
教えられずとも、帝王学を体現なさっているのは秋篠宮殿下である。

しかし、それにしてもまるで漫画のようにわかりやすい、出来の悪い兄とそのトンデモ嫁、ご両親と皇室を支える弟君とできた妻、という構図である。
単なるネガキャンで流されたのかどうなのか、チャラいと言われていた弟君がしっかりと頼もしく、誠実で真面目とみなされていた皇太子が、みるも無残な変貌。左翼思想家小和田恒の家に、あたかも入り婿して義父に遠隔操作されている形。
口を開けば雅子が、愛子が。プライバシーが人格が。
普通の発言をなさりたいなら、普通の人になられたらどうか。止める国民は非常に少ないと思う。
お働きにならずとも、一家三人豊かにお暮らしになれる分、国庫から出る。
今より規模縮小は否めないが、どうせどのみち働かぬなら、国民から批判も浴びず
堂々と遊んでいられるお暮らしを選ばれたらどうか。

中略

皇太子の高校時代の担任であった小坂部元秀は『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)で美智子妃との父母面談について記している。
浩宮の作文が喜怒哀楽の感情表現に乏しく、当人の気持が伝わってこない、という担任の指摘に現在、皇太子の会見から感じる平坦さ、無機質な印象がすでにあらわれているともみることができる。

確かに語彙も表情も乏しく、「ま、ま」と感嘆詞ともつかぬ合いの手を自らの言葉に多用し、何か恥ずかしいといおうか国民としては、居心地の悪い思いを抱くのが皇太子の会見であるけれど、その一方、誕生会見の時、雅子妃のご病状他、皇太子言うところの「プライバシー」を記者に突っ込まれたときは、怒りの色も露わに、目が釣り上がり、皇族がここまで感情をむき出しになさるのかと、見てはならぬものを見た思いで目を伏せた。
雅子妃は雅子妃で、愛子さまのことを語られるときは涙で絶句なさるし、お立場にしては感情抑制の効かないご夫婦である。

「使用人が雅子の傲慢な使い方に、この5年間に13人が辞めた」というオランダ紙の報道が事実なら、東宮内ではさぞ感情も露わな叱責でもなさっているのであろう。
1年間に2人以上が雅子妃の「横柄さ」に耐えられず東宮家を飛び出しているのだという。

 興味深いのは近年の秋篠宮の活動をみていくと、天皇・皇后の志を継承しようとする姿勢が見て取れる事だ。その最大のテーマが「戦争」である。

父・昭和天皇の時代の「戦争」に対し、今上天皇には天皇家は追悼と慰霊ををつづけていかなければならないという強い使命感がある。そして天皇家の一員である以上、次世代にもこの思いを共有し、継承してほしいという願いを持っている。

東京・新宿で開催された「学童疎開船メモリアルウィーク」を訪れた。展示会で説明役を務めた対馬丸記念会の高良誠勝氏によると、「秋篠宮殿下は遺品のランドセルが置いてあるところがあって「こっちへ来て、見てごらん」と声をかけたりして詳しく説明されていました展示を見ながら紀子さまや、眞子さま、佳子さまは目をうるませていらっしゃったようです」

何という素晴らしさだろう。国民としてはこちらまで目がうるむ。こういう重厚なご性格であることも、国民には知らされず、若いころ誰が流したのかチャラ男のイメージでいまだにいう人も多いのが悔しい。

戦没者にこれだけ心を寄せられているなら、さぞ靖國神社にもお参りされたかろうに、靖国参拝を外交問題化させた朝日新聞は今更ながら売国新聞である。

それに引き換え、皇太子夫妻は8月15日に静養先の那須で、テニスや花火に興じているのである。言ってはならぬことを言わせていただく。この日にお遊びとは、あなた方日本人なのか!
今上陛下が、「記憶しておくべき4つの日」広島の原爆記念日、長崎の原爆記念日、終戦の日、沖縄戦終結の日。
その全部を無視しているのが皇太子と雅子妃なのであり、これは今上陛下のお言いつけに背くことでもあり、不敬であろう。
 


秋篠宮と二十年以上の交流があり、海外調査なども数多く同行している赤木攻氏(東京外語大学特任教授・大阪外語大学名誉教授)は、「この四つの日には、殿下はたとえ海外にいても必ず黙祷を行っています。一昨年、殿下と眞子さんが一緒にマダガスカルに行かれたのも八月でした。このことでは同行している私も、いつも頭が下がる思いがする」と証言する。決して目立つようにではなく、たとえ一人であろうと静かに黙祷する姿からは、父の教えを忠実に守ろうとしていることが伝わってくる。

 

日本国の終戦の日に、雅子妃とテニス、花火と興ずる皇太子。旅先であっても、1人であっても黙祷なさる秋篠宮。いずれが天皇にふさわしいご人格だろう。


平成十六年、皇太子四十四歳の誕生記者会見で、昭和天皇が終戦の御前会議を開いたのが四十四歳だったが、皇太子が同じ年齢になったことについての感慨を、と問われたのである。それに対する皇太子の答えは、

「昭和天皇は本当にいろいろご苦労もおありだったと思いますし,本当にその激動の時代を生きられたと思います。本当にそういう面で大変なご苦労がおありになったと思います。その当時の世界の情勢,そして日本の情勢というものを考えてみますと,今私が置かれている状況とは本当に比べものにならない,ある意味で今そういう時代でないということが一つ幸せなことであるわけですけれども,そういう意味で本当に昭和天皇がご苦労されたということを私もよく身にしみて感じますし,今改めてこの44歳でそういうことをなさっておられたという事実にやはり深い感慨を覚えます。」

というものだった。あたりさわりにない言葉だが、私には皇太子は明治ー大正ー平成という時間の流れに自らも連なるという感覚が伝わってこないように思える。

皇室の伝統の継承とは、同時に、皇室の歴史、日本の歴史に思いをはせることでもある。

同意である。皇太子の言葉には他ならぬ日本の戦争を我が痛みとして引き寄せ、味わう想像力に決定的に欠けている。ここでも、どこまでも他人事なのである。東京裁判をきちっと学び考えた方なら、もっと心の奥底から発せられる言葉があるはずだ。
この方の言葉の何という軽さ、浅さ、無責任さ。




皇太子家と秋篠宮家では制度の上でも予算などでも待遇は大きく異なる。
職員数も東宮が51人に対して、秋篠宮家は15人とかなりのひらきがある。

なんで・・・・遊びと静養にほとんど費やす一家が職員51人で、ご一家総出で公務、神事、皇室外交と激務をこなしていらっしゃる秋篠宮家が15人なのか、決まり事とはいえ、柔軟に対処できないものか。

現在、秋篠宮家には悠仁さまに3人つける形ですがそれで回すのは無理だと思います。一方東宮は愛子様に養育係りが3、4人もついている。また学習院の幼稚園の先生を養育係にした。いわば先生を使用人にしてしまったのです
また小学生にあがったいまでも幼稚園教育のエキスパートがそのままついてる。
秋篠宮家に養育係などいません。紀子妃がGパンで悠仁さまを追っかけまわしています

将来の天皇陛下に養育係がいない! あの年頃だというのに、いまだ国民が声さえ聞いたことがない、いずれ降嫁される愛子様に3,4人の専任者!
こんな、ばかなことがあるだろうか!


冒頭でもみてきたように、現在、天皇・皇后と皇太子・雅子妃の間には深刻なコミュニケーション不全がありもはや隠しようもない状態にまで立ち至っている。そのなかで二男である秋篠宮の役割はますます重要なものになっている。



皇太子は雅子妃が病気のため難しいというのなら、愛子内親王だけでもいいから、その手を引きながら、天皇・皇后のもとを訪れるべきではないだろうか。そうしなければ、誤解・曲解がメディアの力を借りて急速に肥大し、手がつけられないものになってしまう危険性がある。秋篠宮の近年の言動はそれを防止するために、兄宮にメッセージを発していると私には思える。

愛子内親王の手を引いて天皇皇后の元を訪れたりしたら、おそらく雅子妃が「5年間に13人を辞めさせた」というパワフルなお騒ぎぶりで皇太子も出掛けられないのではないだろうか。

秋篠宮には天皇となる可能性があり、息子である悠仁親王を次代の天皇として育てなければならないという重大な役割を担っているからである。

いや、秋篠宮さまご本人に次代の天皇陛下になっていただきたい。そして、悠仁さまが皇太子という位置の、なんとしっくりと安定感のいいこと!

・・・・・・・・・・・以上

さて、今回は今まで余りにも女性週刊誌的ゴシップで、掲載を避けてきた雅子妃の有名な衣装ストーカーについて触れてみます。(必要があるので)

宮中に於いては皇族方のお衣装がかぶらぬよう、事前に格下の方から
格上にお召しになる衣装のご報告が上がるしきたりだそうです。ところが・・・

紀子妃が当然、「当日は白のスーツに白の帽子でございます」と、雅子妃に上げるわけです。
本来、雅子妃はそれなら別のお色を、となる・・・・はずなのに、敢えて同じ格好をお選びになり、そうすると格の下である紀子妃の落ち度となるわけです。そのことをもって、宮内庁に叱責されるかどうか不明ですが、女性の心理としてはご長男の嫁でもあれば皇太子妃と同じ格好をして、お隣に並ばされるのはご性格が律儀であるほど、居たたまれぬ思いであったことでしょう。

また花嫁の清子さまを差し置いて白いロングドレス。民間でこれをやる嫁がいたら親戚から袋叩きです。この異様なまでの常識の欠如。お側にいるものが当然、注意すべきところ、おそらく聞く耳持たぬどころか、ヘタしたら怒鳴られるか、口をきいてもらえなくなるのかもしれません。「(あなたなど)信頼していません」とはっきり言われることもあるそうな。オランダでの、襟をファンデで汚した、シワシワのだらしないローブモンタントも、同じことですね。下手に注意などしたら、恐ろしいことになる?

ストーカーぶりは海外の賓客にも及びます。むろん、あちら側からお衣装の事前提示はあるので、同じお色は避けるのがマナー。ところが色どころか、仕立てまで。

なぜこれをアップしたかというとある疑念を抱いたからです。
内実素晴らしい秋篠宮と紀子さまであるのに、なぜこうも巷間
あらぬ噂が流され、しかもそれをいまだに信じこんでいる人達が多いか。

紀子さまご懐妊の翌日、雅子妃が泣き腫らした目でメディアの前に
登場、それでいっせいに雅子様お可哀想、紀子さま計算高くて
御立場逆転を狙っているというキャンペーンが繰り広げられたようなのですが・・・
「泣き腫らした目」もたまたまだろうと、記事にもしたことはないのですが、
衣装ストーカーにみる、凄まじい意地悪さを見るに、世論の
同情を引きつけるため、そのくらいのことはなさるかな、と、ふと。
わかりませんけどね・・・・。

その後の経過を見ると、雅子妃のご懐妊がないので、バースコントロールを
10年間にもわたり強いられた紀子さまのほうが、本当は屈辱的でお気の毒なお立場でした。
そして、生むなと言われていた期間、紀子さまは実直に制限していらっしゃいます。
そして、雅子妃の懐妊がついに絶望的になった時、やっと生むことを
許され、ご出産、そしたら神の采配か、男子。
そのありがたいことですら、悪しき噂を流す一派にかかれば図太い女、と
なってしまうわけです。

世継ぎをなさねばならぬという重圧から雅子妃は病気になったという
触れ込みだったのだから、本来は悠仁さまのお誕生により、
心が開放され病状がよくなるはずなのに、今度は「愛子が
天皇になれない」とお塞ぎだとかで・・・・。もう、いいです、この方。
被害者ぶるのがお上手だけど、同情から一抜けます。
もうだまされません。

 

 

 

祓い給い清め給え

お清め画像

アクセスレポート 

2013.05.24(金) 24553 PV  5834 IP  22 位 /  187万6千267ブログ

 

2013.05.12 〜 2013.05.18  15万5千536 PV  3万6千362 IP 24 位 / 187万3千373ブログ
コメント (26)
この記事をはてなブックマークに追加

皇太子と雅子妃の「不敬」 【拡散フリー】

2013-05-23 | 日記

また皇室ネタか・・・という声が聞こえて来そうだが、保守ブロガーで
この問題を真っ向から取り上げているところが意外に少ないし、
この機会に述べるだけのことは述べておく。

一般国民が皇太子の退位や譲位について語るのを不敬として忌む向きもあるようだが、そもそも天皇は日本国民の総意に基づいて存在する。

日本国憲法第一条「天皇」第一章にいわく天皇の「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」

ブログ主は現憲法の肯定論者ではなく、安倍首相の改憲論に100%の賛同を示すものではあるが、「国民総意」の部分には賛意を表する。・・・・いや、それも不正直な言い方で、率直に言うなら、皇太子夫妻自らが皇室に対して、ここまで不敬の存在であったことなど、歴史にもなく、皇太子のありように対して国民から疑義が、なかんずく皇太子妃に対して、シビアな批判がおおやけに出る事例もなかったのである。尊崇の念は言われずとも国民の側に自然に備わり、皇室と国民との関係は無事機能してきたし、おおやけに批判など発想だになかった。
それが今、明らかに破綻しつつある。

「不敬」という言葉など用いずとも、皇族が皇族として姿勢正しくいらしたら、国民は言われずとも敬愛の念を抱き続けるのである。そういうふうに霊的DNAに刻印されている。それが批判に向かわざるを得ない、というところに問題がある。

ご高齢により、天皇皇后の公務肩代わりが、具体的に示唆された今、国民は
次期天皇皇后両陛下について、真剣に考えるべき時にさしかかっていて、ことは急を要する。

もはや、論ずるのがいいとか悪いとかの次元ではなく、現在の皇太子殿下と雅子妃殿下が、「天皇皇后の重責を担うことが現実に可能かどうか」という単純でシビアな問いかけがなされている。問題を先延ばしに、なぁなぁで済ますことはもう出来ない。浅い感情・心情論で忌避すべきことでもない。

まず現実を見ることから始めねば、ならない。

●宮中祭祀は不可能である。(皇太子殿下はおやりになる意志を見せず、妃殿下は「ご健康上の理由」で不可能。

●したがって、天皇皇后両陛下ご親修による宮中祭祀は、東宮即位の代で絶えるが、国民はそれをよしとするのか?

●国内外における公務は、天皇皇后両陛下はご夫婦単位で行われる方法論を確立なさったが、それは皇太子の代で様変わりする。国民はそれでいいのか?

●皇室外交が貧相になる件。国内でお迎えする王族方、賓客に対して皇太子お一人が迎え、晩餐会を催すことになるが、その寒々しさを国民はよしとするのか?

●国外における皇室外交の華は皇后陛下であり、皇后陛下のまとわれるお着物、衣装がクローズアップされる。オランダはかろうじて一部だけご参加可能であったものの、お衣装チェンジの機会があるセレモニーには欠席というふうで、外交は地味にならざるを得ず、それは取りも直さず日本という国への印象になるが、それでもいいのか? 

●日本国内には報じられていないが、オランダ現地での雅子妃評は非常に厳しいものだった。本来外国でも皇室王族に対しては控えめなのだが。


(この視線が薬のせいか、と話題に)

●もっとはっきり言えば、妃殿下の「ご病気」が必ず報道されるので、日本への印象自体が暗くなるし、妃殿下のご病状が語られるとき、宮中の「牢獄」という言い方がされ、皇室の印象を貶める。因習に満ちた皇室の犠牲者という切り口で語られていて、本来妃殿下は皇室の広報ウーマンであるのに、ネガテイブキャンペーンの主になっている。

●皇太子お一人での海外ご公務の不手際も、日本では遮断されて報じられないが、大変残念なことに、一人前のご公務は厳しいと言わざるを得ない。現地メデイアも大変シビアな視線で見ていて、批判画像が多量にアップ、糾弾されていて、これも他国の皇太子には異例の、非礼なる扱いである。それほど「目に余る」ということである。それでよしとするのか。あるいは、今からの「ご教育」で何とかなるレベルなのか? しかし、「臨機応変」「気働き」といった性格的なことも要することなので、資質の問題もあるのではないだろうか。

各国王族賓客の中、カメラを持ち込みパシャパシャやっているのは
1人だけ。あちらの人々の目には奇異に映る。

他の賓客と一定距離を保たねばならぬところ、密着してしかも
話しかけ、後ろ手。

 Luxembourg Royal Wedding 2012 (Part I)

1分30秒辺り。賓客を運ぶマイクロバスの昇降口の前に立ちふさがって、他の客が降りづらく注意を受ける。

5分辺りから、各国の賓客がカップル単位でアナウンスされ、撮影されるので
一定の間隔を空けて歩かねばならぬところ、皇太子はどこかの
カップルにビタっとくっついて、団子になって歩かれている。くっつかれた(たぶんレティシア)王妃は困惑気味。

そして「哀れな日本の皇太子には女房が必要」と揶揄される。

Poor crown prince of japan needs a wife.

かと思えば、女房はいるものの、ビョーキで長旅も出来ず、お城に幽閉されている、と座敷牢扱い。

The wife of prince of japan was a health problems she can not travel in very long hours, that is why the prince was alone to attend.He has a wife. She is kept inside the palace in Japan.

 

 

どうしても現状移行するしか仕方のない現実であるなら万やむを得ぬが、かたわらにご家族全員がご健康で、公務、神事、皇室外交と総てをつつがなくこなしていらっしゃる秋篠宮家がおありなので、委譲、摂政という形態を視野に、論議が持たれてもよいのではないか。皇室典範の変更は、憲法改正ほどの難事ではない。

秋篠宮ご夫妻も海外へ行かれるが、現地の評判は大変いい。それなのに、秋篠宮様ご夫妻、お嬢様たちのご公務は国内外ともに、報道されない。
お遊びも静養も非常に少なく、地道に本当に一生懸命ご家族でこなしていらっしゃるのに。

国内でも・・・・慰霊式典に平服でお出まし。妃がご健全ならこういう失態もない。
その妃の、オランダでの皺々で黄ばんだ衣装の首回りはファンデーションで汚れていたし、見るからにキューテイクルの傷んだ髪はパサパサ、ご自身の身なりを整えられない方が、伴侶の衣服に気は配れない。本来その目配りも妃の仕事なのだが。

皇太子殿下が、おおやけよりも「私」を優先されているのは、もはや衆目の一致するところ。ならば、退位なさり、国民の納得できる形で、ご家庭専一に生きられる道を選ばれてはどうだろう。

小和田式国連流「新しい公務の形」などということを、次期天皇として本気でお考えなら、いずれ国民との間に乖離を来すことは必至。なにゆえ、姓なく戸籍なく、ご自身に莫大な国費が注がれているのか基本がお分かりになっていないのだろう。
そのお考えでは、じき皇室の存在是非論にまで及びかねない。
天皇陛下のご意志に著しく背くことであり、不敬である。神事を第一にすべしという代々の帝の遺訓にも背いて更に不敬。

「一生お守りします」という言葉は、民間の女性に向けられたものならまことに
美しく、お守りになればよろしいが、本来姓なく戸籍なき天皇が第一に守らねばならぬのは日本であり国民であるので、妻一筋にかまけられては国民も迷惑なのである。
宮中祭祀で祈念されるのは、国の安穏、五穀豊穣であり、民の息災であるが、
皇太子殿下は早々と祭祀を放擲される意志をお見せになっている。
祭祀放棄は、国も国民も守らぬ、という宣言と同義であろう。
退位された上で、妻を心ゆくまで一生お守りなさればよろしい。
仕事もしないお二人に、なぜここまで多額の国費が費やされなければならぬのだろう。ちょっと動くだけで数百万、数千万。はっきり言えば、静養と遊びに莫大な国費をかける意味が無い。

東宮職医療団以外のセカンドオピニオンを受けられては、という記者団の
提案(実は現状批判)を、皇太子は、はねつけられ、雅子妃の
意向なのかもしれないが、無責任である。無責任でもあれば、本気で病の
回復に取り組むお気持ちがおありなのか、ということになる。
10年目にして回復の兆し皆無。それを放置ということは許されない。専門医の
見解では、もし「適応障害」ならストレス性因子が排除されば、半年以内に快癒のはずだという。

実は適応障害ではない。「新型うつ」ではないかという。いい加減にされたい。
10年間も言を左右して、時に治りの遅さをマスコミや国民のせいにして「適応障害」と言い張ってきて、国民を愚弄するのもほどほどに。皇太子殿下に愚弄の意志があろうとは思わぬけれど、次期天皇、次期皇后陛下という、おおやけの上にもおおやけのご存在であることへの自覚が余りにも希薄ではなかろうか。

本来半年で治るはずの病名を10年間も使いまわしてきて、
この期に及んで「体調の波」とは、もはや国民の多くは聞く耳持たぬ。
治療が長期になるならなるで、新たな病名の発表、今後の治療方針への
説明とともに、次期天皇皇后として、いかに責務を果たすのか、果たさぬのか
その表明をなさるべきだ。それなしに、公費を湯水のように使い、ほぼ遊びと静養の交互サイクルを延々と続けることは、もはや許されない。

半年の治療で向上するはずの「適応障害」で10年も引っ張ってきた
無責任と「嘘」をどう釈明なさるおつもりか。

「新型うつ」とは、自分の意にかなうことをやるときは元気いっぱい、
そうでないときは気持ちが沈んで体も「鉛様疲労感」で動かなくなる症状だそうな。
少しでも批判を受けると「拒絶過敏性」という過剰反応を示すという。
思わず失笑してしまいそうだが、これをしてエゴイストのわがまま病とは言わない。医師が分類するなら、そういう病気もあるのであろう。
「新型」とは、しかしつけもつけたり。昔はそんな、都合のいい身勝手な病名はなかった。

雅子妃は「被災地に心を添わせる」とおっしゃったが、被災地にはもう2年間も
足を向けておられない。はっきり言えば被災地に心を添わせてなどいない。
今月浮上していた訪問案は「オランダでのお疲れで」
延期。

新型うつとやらは、意に叶うことならこよなく、いきいきと元気にこなされ、
やりたくないことは、体が動かずだめだというから、要は被災地になど本音は行きたくない、ということであろう。本気で気にかかり行きたい場所であるなら「新型うつ」とやらの定義によれば2年も不在はしていない。いやいや出かけては被災地の人々にも失礼である。励ましになどなりはしない。

雅子妃を常に擁護、賛美する皇室ジャーナリストは「現地で何が出来るのか日々お考え。公務が近づくにつれ、重圧やストレスがのしかかり、結局キャンセル」と、かばう(週刊新潮5/30)のだが、「何が出来るのか」考えるほどのことか。赴いて、心からの励ましの言葉をかければいいだけのことだ。

要するにそれが「やりたくない」のだ。皇室ジャーナリズムも、もういいかげんに不健康な擁護と美化の嘘報道をやめたらどうか。「首尾よく外国ご訪問をなし遂げられ」というたぐいの嘘も、ネットの発達によりもう見抜かれる時代だ。総てのイベントに出たわけでなく、向精神薬投与の結果ではないかと噂される、不自然なヘラヘラ笑いと式典中のお喋り、挙句両親と私的に会った時間が公務より長く、現地邦人は選り好みして部屋に呼びつける。どこが「首尾よくなし遂げられた」だ。嘘報道も、もういいかげんにしよう。

「いっぺんにすべてのことが、お出来になるわけではない」というたぐいの、東宮大夫の弁明も国民はもう聞き飽きている。
巷間話題にされたドレスのシワも、「戴冠式に出るか出ないか迷って座り込んでいる間についた」という言い訳。何千万円も国費をかけて、出来るか出来ないか分からない海外の公務にもうお出ましにならなくても、よいのではないか。

秋篠宮ご夫妻なら華やかに明るく、さくっと飛ばれ、総ての公務を果たして元気いっぱいお帰りである。何かをなさるたび、グダグダと湿った話題ばかりがつきまとうご公務なら、ご本人もつらいだろうが、国民も疲れ気が沈む。

帰国後は相変わらず、勤労奉仕団へのお会釈1分間の公務もなさらない。
総てが「体調の波」。たった1分間も波次第で出来ない。

一方の秋篠宮ご夫妻は5月9日から福島県を訪れられた。仮設住宅、中学校仮校舎とまめに歩かれ、驚いたことに放射性物質を含む汚泥を乾燥処理する終末処理場までご視察になられている。その足で、更に放射性物質検査を行う県農業センターもご視察。原発事故後に皇族方としては始めて立ち入られるエリアだった。
何度もご夫妻はお見舞いを重ねていらっしゃる。

紀子様はお一人のご公務も懸命にこなされ、5月に入ってからだけでも赤十字や結核予防会の催しにお出まし。秋篠宮様と双方のご公務の他に、である。
本来はこの激務、皇太子と雅子妃が担うべき筋合いのもの
そのために歳費が莫大に出ているのに、公務はなさらずお遊びにお使い。
秋篠宮家が乏しい歳費の条件下で、お子様方含めて公務に明け暮れている
間に皇太子は熊野古道のお散歩。雅子妃は離任大使との接見はおろか、お手振り1分間が出来ないと言いはり、引きこもり再開。

皇室にまつわるお仕事がおいやでたまらぬなら、もう正直になられご自分を開放してあげたらいかがか。
離婚という選択肢がないのなら、皇太子と共に退位なさる道がある。
おそらく多くの国民は止めない。

雅子妃の心情を察して、皇太子は天皇皇后両陛下のおわず御所へも赴かれないそうだが、本末転倒でなかろうか。

いつまでも真実を隠匿していては、お暮らしはいずれ破綻する。また、「国民には秘匿しない」という天皇陛下のご方針に逆らう皇太子と雅子妃こそが、不敬ではなかろうか。

我が子であるから天皇陛下皇后陛下ともにお辛くはあろうけれど、ことは心情で片付く問題ではない。国民のほうも。日本という国家の屋台骨の一つを担っているのが皇室であるのだから。

名目は悠仁さまご名代ということだが、秋篠宮様が天皇陛下よりじきじきに帝王学を授かっていらっしゃるならなおのこと、皇位継承権は秋篠宮へのご委譲か、せめて秋篠宮殿下の摂政を請い願う。このままでは皇室は弱体化、いずれ壊れ、それは日本の命運をも左右しかねない。

実質的に天皇皇后両陛下のお肩代わりで激務をこなされている秋篠宮家には、将来の幼い天皇陛下もいらっしゃる。お嬢様お二人、悠仁さままで公務をなさっている。本来皇太子一家の役割を秋篠宮家がなさっているのだ。皇太子ご一家の遊びと静養にまわす莫大なお金と警護の半分でも、秋篠宮家にまわしたらどうなのだろう。生きたお金の使い方になる。

ご病気自体を貶めるわけではないが、向精神薬を投与されている
お身の上で、しょせん無理。お子と共に退かれ、養生
専一にお暮らしなされたい。お子様のためにも。
ご病気でお務め10年も果たせぬ身なら、自らそれを口にされてもよかった。
口にされるどころか、国民に対して「ご心配をおかけします」の一言とてない。
それは皇太子も同様であり、当然のごとく国費を莫大に費やし、遊び歩かれる。
一般の家の嫁ではない。一国が肩にかかる。病の身で担うのは不可能。
精神も肉体も健全なお家にお譲り願いたい。

 

 

 

 

 

 

 

アクセスレポート 

2013.05.23(木) 27382 PV  5790 IP  20 位 / 187万5千767ブログ

 【備考】

第1章 天 皇

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。 ←Yahoo オクの一件はどうなったのだろうか。本来、事件性の濃い、厳しく追求さるべきことなのに。

関連過去記事 (すべてリンク拡散フリー)

雅子妃と皇太子を覆う、小和田恒氏の日本毀損史観http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/

雅子妃のご病気が皇后陛下のせいだとする、友納尚子氏への反論【拡散希望】http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6fad2cb06ed7b4a49b691d334891907f

皇太子と皇太子妃のnoblesse obligeとは何か
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eb704163f234fef7a1b26be6bbb4dc3f

一目瞭然
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/

父兄同伴公務http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/69a2df3f4d93c24d00b633971f8d8eb6

国民が真剣に向き合いたい現実http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/bbd236ae1fd3f2abf87bc907d4dbfbc4

ご移譲をと願う心が不遜でしょうかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/590a374feef65465003b02ac43de7c00

雅子妃擁護・褒めまくりの目的は?
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2c6c76921e614ddaae25392ac339a393

貧相なご公務http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6ef7a10c626e03605e35cba644c81a50

コメント (38)
この記事をはてなブックマークに追加

雅子妃と皇太子を覆う、小和田恒氏の日本毀損史観

2013-05-23 | 日記

「不敬」という名のもとに、思考停止、あらゆる皇室批判を忌避する
自称保守の方にこそ読んでいただきたい。

反原発や九条改正反対の反日主義者が繰り出す東宮擁護、雅子妃同情賛美に
耳を傾け、まこと国思う者たちが鳴らす警鐘に耳ふさぐ
愚を犯して欲しくない。

皇太子と皇太子自身が不敬を犯している前代未聞のケースが、東宮ご夫妻だ。

このたびの、“不完全”であったオランダご公務に先立つ2006年、静養のためのオランダ訪問時、皇太子と雅子妃殿下の“恥ずかしいお振る舞い”は海外ニュース経由で耳にしていたものの、ソース不十分で書かずにいた。

たまたま産経新聞(元記事は週刊文春)で見つけたので、いささか旧聞ながら記しておきたい。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/print/books/breview/648092/

【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】

たとえばこんなことがあった。
ベアトリックス女王の案内でマウリッツハイス美術館を訪問、当時はオランダが誇る名画の数々をゆったりとご覧になったと報じられたが、〈実際には、皇太子ご夫妻はたった十五分でご鑑賞を切り上げられた〉。
 

アーネム市のブルヘルス動物園では「今日はレストランにVIPが来る」と連絡が入り立食パーティーの準備をして待っていた。ところが−−
 〈「いざ、レストランに入っていらしたご家族は、まず一目散に奥のトイレに向かわれた。(中略)用を済ませられると、ご一家はそのまま出口に向かってお帰りになってしまったのです」(従業員)〉

........................

皇太子も雅子さまも愛子さまも、トイレに突進、国賓が来ると急に言われ、慌ただしくもてなしの準備をし、ご一家をお待ちしていたオランダ人従業員たちには目もくれず、「一言もなく、出て行かれた」(従業員証言)

食事の準備もしていたというので、そういう時間帯での急なお立ち寄りであったのだろう。

恥ずかしいことである。日本の週刊誌の取材に対して、現地の動物園スタッフが7年前の出来事を答えた内容である。

お迎えしたオランダ人のスタッフたちは、無言で現れトイレに突進、無言で立ち去った日本の皇太子ご一家がどのように目に映じたであろう。ドタキャン、ドタ出を日本でなさり、それが許されるので、民間でも心得ている普通の礼儀の感覚さえ麻痺なさっているのではないか。不意に出たり出なかったりすることによる、周辺の混乱、大変さは視野にない。警備の問題もある。

わずかながらでも、やっと日本でも隠さなくなった。海外では大きく報道されても日本では全く報道されない、どころか美化して伝えられることが多いので、日本国民は皇太子殿下と雅子妃の真の姿を知らされないでいる。

美化に関しては、たとえば上記の、

>ベアトリックス女王の案内でマウリッツハイス美術館を訪問、当時はオランダが誇る名画の数々をゆったりとご覧になったと報じられたが

実体は入館してから出るまでわずか15分。15分が、「数々の名画をゆったりとご覧」に化ける。捏造報道である。今回のオランダ行きで「雅子妃にオランダ人が何と美しいと驚嘆」という報道も原文を探しているのだが、ない。

この広い建物内にわずか15分。

美術館の短時間滞在も、ご病気だから? 致し方ないと言えばそれまでだが、こと身内とのお食事とか、スキー旅行などは前々から決まっていても「ご体調の波」は訪れず、きちっとお出かけなので、国民はわけがわからない。海外からの賓客があってお会いになるのを拒んだ日に、乗馬をなさったり、お付き添い通学だけは大丈夫であったり。香淳皇后の収斂の儀(葬儀)は欠席でも、お身内の葬儀は絶対に外さない。
医師も小和田家が差し向けた「都合のいい医師」で、病状説明もなされず、皇太子は別医師の見立てを峻拒なさる。

この時のフライトにかかった費用だけで、お付き含めて1,652万円。2週間の滞在で計2千200万円超の出費。「静養」(レジャー)にヘアメイクまで含めた11人ものお付きを引き連れ、実質無料。これをして、悲劇の妃ぶられたり、被害者を演じられると困ってしまう。

今年の渡蘭は専用機なので、一飛びそれだけで国費数千万円。それが悪いとは言わぬ。だが見合った仕事はして欲しい。無理ならしようとする誠意を見せて欲しく、不十分であれば、国民に申し訳ない、という誠実さが欲しい。
国費数千万円に対して、たった3時間のご公務で、日本のマスコミはやんやの喝采。小和田の父は東宮職を差し置いて談話を出し、誉めそやす。今月予定に組まれようとしていた被災地へのお見舞いは雅子妃の「オランダへのお疲れ」でキャンセル、皇太子殿下は山歩き。皇祖神伊勢神宮のそばに行かれながら、立ち寄りもなさらない。総て予見通り。


拙ブログでは海外サイトから、皇太子のご公務における、信じられない常識外れの幼いお振る舞いの画像と記事を載せてきた。改めてそれには触れない。 

このたびのオランダが、多少首かしげるお振る舞いを皇太子雅子妃ともにお見受けしたものの「一見、何とかご無事」であったのは、雅子妃におそらくは、オランダ王室に格別のはからいでつけることを認められた、女官の密かな現場指示があったからではないか?

たとえばルクセンブルグ皇太子の成婚における式典の場には、各国王族共にお付きは許されず、皇太子殿下お一人で参列なさっているのだが、これが目を覆わんばかりの惨状なのだ。過去記事に確か2回ほど、画像と現地の記事とをアップしているので、関心のある方はそちらでチェックされたい。(一方、秋篠宮様ご夫妻の海外ご公務については、これといった悪評、ブーイングは聞こえて来ない)

大体、一国の賓客に対して現地マスコミは、悪評は控える。国民も批判は慎む。
日本のみならず世界のマスコミの常識である。まして妃が「ご病気」と報じられていれば、同情もある。それが、とりわけ皇太子に関しては遠慮会釈がない。
現地のマスコミで、悪しく報じられるのは「よほどのこと」「目に余る」ことなのである。

日本にいらした海外からの王族その他の賓客を、悪しざまにいう状態を
考えて欲しい。「極度に、よほどのこと」でしかあり得ない。皇太子はルクセンブルグ大公国の公務においてはShame「つらよごし」「みっともない」とまで浴びせかけられているのだ。

Shame...Japanese Prince Naruhito does not know how to behave in such occasion and honor the seniority..... It's an important protocol everyone must observe...

ルクセンブルグの人々がとりわけ無礼だというわけではない。自らも王室をいただき、敬意の払い方は心得ている。まして自国の皇太子の結婚式に遠路来てくださった日本の皇太子に対して「みっともない」という評価は、相当のことなのだ。
本来なら自国の皇太子を悪しざまに言われれば、何を、無礼な、といきり立つ。しかし、
画像を見る限りでも、言われても仕方がないとうなだれるレベルではあった。

拙ブログは、皇室に関しては秋篠宮様への皇位継承権委譲、もしくは摂政を望む立場でずっと書いている。理由はそのつど、るる述べて来たが、今日は雅子妃の父親の思想について触れたい。これもすでに複数回述べてきたことだが、今回は西尾幹二氏の言葉を借りたい。

一言で言えば、小和田恒氏は反日思想の持ち主で、それを敷衍すれば皇室否定の立場である。それがなにゆえ娘を入内させたのか、テーマが別になるので、今回は触れない。
雅子妃殿下が父親の反日思想にいかほど、影響を受けているのかいないのかは分からない。ただお振る舞いを拝する限り、影響の跡は見出さざるを得ない。そして、皇太子殿下もまた、小和田家の影響下にあるようにお見受けする。

さて、西尾幹二氏の、小和田恒論である。ご本人のサイトから、引用させていただく。記事は2012年3月3日の配信である。(色文字とゴチックはブログ主の任意による)

 『週刊新潮』の記事

『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。

 「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事

雅子妃が療養を始められてすでに8年が過ぎた。なぜ、このような事態が続いているのか。その謎を解く1つのカギは、父親の小和田恒氏(79)にあるという。評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。(注:昨年3月時点の年齢である。療養は始めてから10年目になる)

 雅子妃殿下のご父君、外交官小和田恒氏の七十九年の人生は、妃殿下の一連の不可解な行動がなかったら誰の関心をも呼ばず、無難に外交史の一隅に小さな名を留めるに過ぎなかったであろう。妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。

 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。

 安全保障はアメリカに委ね自らは再武装せず経済福祉の追求に全力をあげるべしという「吉田ドクトリン」と、その基礎にある憲法第九条は、小和田氏にとっては時代が変わっても動かぬ永遠の真理、神聖な大原則であるかに見える。世界の新たな情勢下で、軍事力の分担すべき責任がふえている昨今、憲法を改正して再武装への道を開くべきだ、と主張する人がいるが、「この質問に対する答は『ノー』であるべきだ、と思う」とはっきり書いている(『参画から創造へ』第四章)。

 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディキャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。

 平和条約第十一条は巣鴨に拘禁されている戦犯を赦免、減刑、仮出獄させる権限は講話が成立した以後、日本国にのみあることを明示している内容でしかない。英文では、その内容のjudgments(判決)を受諾する、と書かれていて、「裁判」を受諾するならtrialかproceedingsかが用いられる。国際法学者・佐藤和男氏は英語だけでなくフランス語、スペイン語の正文も参照して、日本は東京裁判そのものを十一条で「受諾」しているわけでは決してないこと、講話後もあくまでも東京裁判史観に縛られることを良しとする日本悪玉論が政府内にも残っていることに強い警告を発している(『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』、原書房)。

 要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。

 傲慢で権威主義者

 1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。

 すべての外務官僚がこういう人ばかりではない。現実を変えようと戦った人もいる。元駐米大使の村田良平氏は日本の自立自存を求めた理想主義者で、その回想録の中で、アメリカが日本の核武装を認めないなら、在日米軍基地を全廃するべしと言っている。

 アメリカの核の傘が事実上消えてなくなっている極東の現実を直視している。徹底した現実家だけが徹底した理想家になれる。小和田氏のような現状維持派は現実も見えないし、どんな理想とも無縁である。彼は船橋洋一氏との対談で、日本という「国を越えた共同体意識」の必要などと言っているが、それは理想ではなく、ただの空想である。

 理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。

 自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である

 運が悪いことに、皇室とは余りにもそれが合わない人格だ。なぜなら皇室は「無私」の象徴であるからだ。天皇皇后両陛下が現に国民の前でお示し下さっているたたずまいは、清潔、慎ましさ、控え目、ありのまま、飾りのなさ、正直、作為のなさ、無理をしないこと、利口ぶらないこと――等々の日本人が最も好む美徳の数々、あえて一語でいえば「清明心」ということであろう。1937年に出た『國體の本義』では「明き浄き直き心」ということばで表現された。

 皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。

 確信犯的無信心の徒

 雅子妃は2003年9月以来、宮中祭祀にほとんど出席されていない。ご父君は娘に注意しないのだろうか、これが巷の声である。娘が皇室に入ったのは、ある意味で、「修道女」になるようなことである。覚悟していたはずだ。個人の問題ではなく国家の問題である。勤労奉仕団に一寸した挨拶もなさらない。スキーやスケートなどの遊びは決して休まず、その直前に必ず小さな公務をこなしてみせるので、パフォーマンスは見抜かれている。皇后になれば病気は治り、評価も変わる。今の失態を人はすぐ忘れると、ある人が書いていた。あるいはそうかもしれない。私もかつてそう言ったことがある。しかしそれは妃殿下にウラオモテがあり、畏れ多くも天皇のご崩御を待っているということであろう天皇皇后に会いたくないとは、今までに前例のない皇太子妃であり、日本国民は代が替わってもこのことは決して忘れはしない。

 皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直だったといわれる。私が恐れているのは皇室がなくなるのではないかという危機感である。小和田氏は代替わりした皇室に対し外戚として何をするか分からない。昔、天皇の顔を正面から見ると目が潰れると言っていた時代がある。今はそんなことを言う人はいないが、皇室に対する畏れと信心の基本はここにある。小和田氏にはどう見てもそういう信仰心はない。彼の師・横田喜三郎氏には皇室否定論の書『天皇制』(1949年)があるが、横田氏にせよ小和田氏にせよ、左翼がかった法律家は日本の神道の神々に対しては確信犯的な無信心の徒である

日本の民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。祭祀を離れた天皇はもはや天皇ではない。一説では、皇太子ご夫妻が唱えていた新しい時代の「公務」――天皇陛下から何かと問われ答えなかった――は、国連に関係する仕事であるらしい。何か勘違いなさっている。私が恐れるのは雅子妃が皇太子殿下に天皇としてあるまじき考えを持たせ、行動するように誘いはしないかという点である。まさか皇室廃止宣言をするような露骨なことはできまいが、皇室から宗教的意味合いを排除してしまうような方向へ持っていくことは不可能ではない。「祭祀王」ではない天皇は、もう天皇ではなくただの「王」にすぎないが、権力のない今の天皇は王ですらなくなってしまうだろう。ただの日本国国連特別代表などということになれば、日本人の心の中からは消えてなくなる。

 女性宮家の問題がここに深く関わっている。1月24日発信の竹田恒泰氏のツィッターに、旧皇族の一部の協議が23日に行われ、いざとなったら男系を守るために一族から皇族復帰者を用意する必要があると意見が一致した由である。重大ニュースである。

 私は小泉内閣の皇室典範改正の有識者会議を憂慮して、2005年12月3日朝日新聞に次のように書いたが、これを今改めて提出して本編を閉じる。
 

もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。

 どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。

 今から30〜50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。

 今の天皇家は左右から挟撃される。南北動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐するものだ。有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ

  - 西尾幹二プロフィール -
1935年東京まれ、東京大学文学独文科卒業。同大学大学院文学修士、文学博士。電気通信大学名誉教授。若い頃から、文学、教育、政治、国際問題等に関する評論活動を展開。著書に「ヨーロッパの個人主義」「ニーチェとの対話」「国民の歴史」「西尾幹二の思想と行動」(全3巻)、「江戸のダイナミズム」ほか。

・・・・・

いかがだろう、当ブログが拙く主張、懸念し続けてきたことを、簡潔に的確無比な言葉で書いてくださったと思う。

小和田恒氏を評して西尾氏は、一般紙への寄稿文であるから「皇室とは余りにそりが合わない人格」と婉曲に表現なさるが、要は東京裁判肯定の反皇室、反天皇の立場。東京裁判では天皇処刑の可能性すらあったことを想起されたい。その裁判の肯定者なのである。

「不敬」という言葉の前にうなだれて、思考停止する心弱い保守の人々に申し上げたいのは、現在皇室と天皇陛下皇后陛下に最大に不敬なのは、皇太子殿下と雅子妃殿下である、と。更に、上回って妃殿下の父親である、と。

参内もろくになさらず、雅子妃にいたっては天皇陛下に口答え、ご入院の折りにはお見舞いすらなさらず、何が不敬と言って、「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
すなわち・・・宮中内の天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、決して怠けてはならぬという、順徳天皇以来代々受け継がれて来た先帝たちのご遺訓に、皇太子、とりわけ雅子妃は完璧に背いていらっしゃること。
宮中の神には敬意なく、外の鳥居も決してくぐらぬ。

これを不敬と言わずして何というのか。

最大の不敬は、皇太子殿下ご本人と、雅子妃殿下だという言い方を理解していただけただろうか。

他の記事であれば瞬く間に何十とつくツイートが、皇室関連にはわずか。
それだけ日本人のDNAには「不敬」が刻印されているのであろうが、
不敬という言葉や概念が先にあるのではなく、先に尊敬し仰ぎ見ることの出来る皇室ありき、で東宮夫妻が現れるまで、大半の国民の心は自然について来ていた。
今はお相手自身が不敬を働かれ、呆れられる存在に成り果てている。
尊敬は強制されてするものではない。

国護るにあたっては心情に流されず冷静に
賢くありたい。

オランダのWorldcrunch紙に寄せられた批判コメント

 What would you think if a princess of a European county always refuses to go to church?  and refuses to see her own people?

痛烈で、これを読んだヨーロッパの人々は一瞬にして、雅子妃の不敬を悟っただろう。キリスト教圏で、教会に行くことを拒否する王妃など論外、最低なのだ。
日本は神道の国で、天皇陛下は最大の祭祀者、神官なのである。
(ベースであって、むろん他宗教容認である)

refuses to see her own people

her own peopleという言葉に留意。「彼女の民」である。ヨーロッパの王女の
お立場に託して雅子妃の「臣民」への無関心をついた一文である。
ところが、皇太子にも雅子妃にも「わが民」という意識は皆無。
自らの安泰と権利に住して外には視界及ばず、民の幸せも健康も関心外、
被災の民の苦難すら放置。「雅子が」「愛子が」としかおっしゃらず、「雅子は苦難にも耐え、よくがんばっている」
戸籍無く姓持たず、日本国憲法第一条においては、「人格」すら認めずという
特殊なお立場をご本人が理解されていない。ご自身が国民の一員とでも
思われているのであろうか。国民に専用機は飛びはしないけれど。

小和田流・国連式「新しい形の天皇」をお考えならそりゃそうだろう。
この方の視野に国民はいない。
西尾氏もさすがに皇太子殿下には「皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直」と控えめに美しく表現するが、言葉の裏を返せば自我の確立無く、
頭脳俊敏とは言いがたく、周囲に影響を受けるご性格ということだ。周囲が良ければ美質だが、現在の如き左翼自虐史観、天皇否定の義理の父に支配されている状況では最悪である。

雅子妃の入内にあたっては、父親の思想調査はなかったのだろうか。
あれば、一発で危険信号が点ったはず。否、それ以前に極悪の企業犯罪、
チッソがあったので、小和田雅子嬢は皇太子妃候補から、一度
完璧に姿を消している。

ところが、強固な反対者であられた昭和天皇がご崩御された後、
反日カルトや、朝鮮半島、部●、左翼といった日本の地下にうごめく暗部勢力が
奇妙な形に結託して、雅子妃を宮中へと押しやる。雅子妃もその動きに
抗した気配はない。お断りの意志があれば、さほど困難な状況ではなかった。
いったん候補から完全に滑り落ちた立場であるのだから。
その間の動きに関しては、差し支えない範囲内ではあるが、旧稿で述べた。

拙ブログ主は連打で皇室を憂える記事を掲載しているが、告白すれば
なにほどの愛国者でもない。
ただ日本国の良さは重々承知、その良さを古来より支えてきたのが天皇家で
あることを理解している。
この美しい日本を中韓の如き蛮族にむざむざ侵食されるのは腹が立つし、
皇室もできればお守りしたい。

流れを見つめていると、もはや皇室も良き日本も廃れ行く時代に入ったのかとも
気弱いあきらめが頭をもたげることもあるが、しかし希望は悠仁親王であり、
親王を守り、育む秋篠宮家の存在なのである。

小和田恒というメフィストフェレスに操られた闇の者と、光の存在が
熾烈な戦いを繰り広げている皇室が、現在の日本国家のアーキタイプ
(原型・ひな形)であるような気がしてならないのだ。
中韓の闇が、日本本来の光を覆い奪おうと、列島に押し寄せているが、
雅子妃を「使った」皇室毀損も、その波の一つだと拙ブログでは捉えている。

 【関連過去記事】

いずれも、リンク拡散拡散フリーです。

秋篠宮様へご移譲の可能性か? 【リンク拡散フリー】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c7493d416b2f2ac88a9f9e8d234ccec8

新装版 英文記事に見る雅子妃 【リンク拡散フリー】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5f1a5761d28151f52ea77bb40f45f3cd

雅子妃のご病気が皇后陛下のせいだとする、友納尚子氏への反論【拡散希望】http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6fad2cb06ed7b4a49b691d334891907f

皇太子と皇太子妃のnoblesse obligeとは何かhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eb704163f234fef7a1b26be6bbb4dc3f

一目瞭然
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/

父兄同伴公務http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/69a2df3f4d93c24d00b633971f8d8eb6

国民が真剣に向き合いたい現実http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/bbd236ae1fd3f2abf87bc907d4dbfbc4

ご移譲をと願う心が不遜でしょうかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/590a374feef65465003b02ac43de7c00

雅子妃擁護・褒めまくりの目的は?http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2c6c76921e614ddaae25392ac339a393

貧相なご公務http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6ef7a10c626e03605e35cba644c81a50

外務省に大量に送り込まれ巣食う朝鮮カルト。そのグループ大鳳会と雅子妃との親交は一般紙でも報じられた。

外務省には表に出ているだけで300名の創価学会員がいる。 大鳳会と称して一大勢力を形成。雅子妃とも親交。 役所の中でも、池田大作直接の息がかかった学会員の占める比率が高いのが、外務省であるとされている。

 

 

コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

日本が守るべきはこのご一家 

2013-05-21 | 日記

 

美しい。

このお二人がお若い頃から海外にプリンス、プリンセスとして
お出ましであれば、国民はさこそ、誇り高くくいられただろうにと、
叶わぬ繰り言・・・

でも、まだ遅くはない・・・

ご移譲を・・・・それが叶わぬなら摂政を。

宮内庁は高齢の天皇陛下、皇后陛下のお肩代わりを皇太子ご夫妻他へと
発表したが、白々しさに吐息。皇太子と雅子妃がやられるわけもないでしょうが。
担われるのは結局、このお二方。

現在でも東宮夫妻の公務懈怠のしわ寄せを受け、多忙を極めていらっしゃるのに、もっと大変になられます。お体をなにとぞおいといくださいませ。

両陛下の施設訪問、来年まで=こどもの日と敬老の日−宮内庁
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201305/2013052000514&g=soc

宮内庁の山本信一郎次長は20日の定例記者会見で、天皇、皇后両陛下が1992年以来行ってきたこどもの日と敬老の日にちなんだ施設訪問を来年までとし、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻に譲られることを明らかにした。
山本次長によると、両陛下はこれまで両祝日の時期に合わせ、保育所や高齢者福祉施設などを毎年訪れていた。しかし、両陛下とも高齢であることから、宮内庁は祝日の趣旨を踏まえ、より若い世代による訪問を検討。陛下が今年、皇后さまが来年80歳を迎えるのを機に譲ることを決めたという。

(若い世代って結局秋篠宮ご夫妻と、佳子様眞子様、悠仁様のこと。皇太子夫妻と愛子様はなさらないのに、歳費も護衛も湯水のようにお使い。しかもお遊びと静養に。秋篠宮家は公務の毎日を、乏しい歳費でやりくり)

 と愚痴はこのくらいにして・・・・心楽しいアルバムを。

紀子さま。礼宮さま。いずれ結ばれ幼いふたり。
このお二人が未来の天皇をなされるだろうと、いったい誰が想像したでしょう。

 

 

 

 

 

写真写さないで、も指差し恫喝の妃とえらい違い。茶目っ気。

 

国民との触れ合いが自然・・・・。

 

 

 

 

 白人賓客優先、有色人種賓客無視のどこかの妃と大違い。

 

 

この安定感と安心感。オーラが明るい。

ごく自然に寄り添われる。

 

皇太子ご夫妻とお呼びしたくなる・・・・。この安定感。

 

 

 

うさぎさんを下に落とさぬよう、両手でお守り。こんな、何気ない時に
御心が出る。

 

幼くして日本のプリンスとして世界に発信される。

 

 

 間もなく「愛らしい」から「ハンサム」へ移行の予感・・・・。

将来の天皇陛下。思うに・・・

オランダのWorldcrunch紙に投稿された批判文・・・・

 【requiring to be guarded by thousands of policemen, which does not happen even with the Emperor himself ,
雅子とその夫、皇太子は天皇陛下でさえお使いにならないほどの数の護衛の警官を要求し・・・・】

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5f1a5761d28151f52ea77bb40f45f3cd

お仕事も神事もなさらぬ東宮ご一家が、天皇陛下も及ばぬほどの厳重、大人数の護衛をお遊びと静養に要求、湯水のごとく公費を使われる。その一方、将来の幼い天皇陛下がいらっしゃり、実質的に天皇皇后両陛下のご公務をお肩代わりして激務の秋篠家が、歳費少なく、護衛も乏しく・・・本当にお守りせねばならぬご一家は秋篠宮家なのでは。

  

 

 

宮城・岩手の被災地にて。雅子妃は東宮内で「黙祷」されたそうな(自己申告)
被災地に心を寄せると言いながら、雅子妃は「オランダのお疲れ」で
今月予定の被災地ご訪問は無し。皇太子さまはお一人で三重県の山歩き。

 

皇太子、皇太子妃、とつい言ってみる・・・・・。
海外にお出ましでも安心。

そして、厳しいまでのご両親との距離とけじめ。

紀子様のご両親は、出産後すぐ駆けつけられたが、天皇皇后両陛下がまだお会いになっていないということから、新宮さまのお顔さえ見ずに、お帰りになった。
悠仁さまお誕生の時にも、それは同じだった。
腰低く身を縮めるようにして、カメラの前に現れる。言葉も無く。
未来の天皇陛下の、祖父母はこちらでいらっしゃるのに。


天皇皇后両陛下より先に、愛子様を抱き上げた小和田恒・優美子夫妻。
挙句その後に記者会見で喋り散らす。 オランダでも東宮職を差し置き、ふんぞり返って談話。雅子妃を宮中に入れることを画策なさった高円宮は天皇皇后両陛下を反日国韓国へ訪問させたかった方だし、小和田恒氏は反日国中国へ天皇皇后を赴かせた外務省側の立役者にして、日本はハンデイキャップ国家なのだから、中韓にはおとなしくしていよ、と唱える土下座外交派。この「反日父」はなにゆえ、皇室に娘を嫁がせたのだろう。皇太子をクン呼ばわりするほど、皇室には尊敬の念を持っていない方。

 国民は紀子さまの母上のお顔もわからぬほど、ひっそりとしていらっしゃる。 
ふだん、国民は紀子さまや悠仁さまの背後に川嶋家を連想はしない。
雅子さまや愛子さまのお姿には常に、反日・小和田恒・優美子夫妻が背後霊のように貼りついているではないか。

・・・・・明るい清々しいお写真で気持よくまとめようと思っていたのに、ついやはり出る批判。
でも、秋篠宮家ご夫妻の健康的な明るさも、お子様たちの美貌と気品も、小和田系統の湿った闇ありてこそ、なお光が増すよね、ということで、締め。

 

 

 

コメント (26)
この記事をはてなブックマークに追加

秋篠宮様へご移譲の可能性か? 【リンク拡散フリー】

2013-05-21 | 日記

皇太子殿下退位論を載せた「新潮45」が、今度は皇太子と
雅子妃擁護論を載せて、話題を呼んでいる。
題して「雅子妃『適応性障害』の核心」

一読、奇妙な思いを抱いたことがある。
この鳴門雅彦という筆者はプロなのか?

小和田家に近い人なのではないか、という思い。

前者は、文章が悪文だからで、素人ではないが、優秀なプロではない。
男名を名乗ってはいるが、感性と文体が女性。
小和田家に近いのかと感じた理由は、あたかも雅子妃に成り変わったかのような
心情表白がある点で、これは友納尚子記者にも見られる、(よく言えば)憑依型文章で友納氏は、エスパーででもない限り、雅子妃発小和田家経由というていの
文章を書かれる方。
今回も同じ。鳴門雅彦を調べてみたが正体不明、要は今回限りの
使い捨て筆名で、それも、うろん。

鳴門雅彦、なるとまさひこ、の【ひ】「妃」を抜いて他に移動すれば、なるひとまさこ、徳仁雅子に変化する。なるとまさひこ ⇒ なるひとまさこ というアナグラム。

感情ダダ漏れの、悪しく女性的文章の集積はニ言で要約できる。

「秋篠宮が天皇に即位したら、日本は滅びる」

「したがって国民は、皇太子殿下と雅子妃を大切に崇めよ」

ということであり、不謹慎ながら噴きだした。「わかりやっすーう!」
他に誰が、こんなこと言うのよ、という思い。

と同時に、今この露骨な文章が現れるということは、ひょっとして宮中内・しかるべき筋にも「譲位」の機運があるのかな・・・、それゆえに焦って提出された文章かも、と反射的に感じた。オランダ以来、雅子妃とその実家、皇太子のなさりようが国民に知れて、今までになく東宮への風当たりは強い。
となれば、希望の一文でもあるのだが。

文中「天皇制」という表現があり、これは左翼の言い方。皇室は制度ではない。
ここに留意して欲しい。雅子妃と東宮擁護は、「本来は」保守派右翼の仕事のはず。
ところが、このご夫妻に限っては擁護にまわる者の中にどうやら左翼か、左翼的考えを持つ者がいる。


あと文章上の未熟さで気づくのは、雅子妃のご病気の原因は「国民がいけない」と叱りながら「我々国民が」と途中で唐突に主語をすり替え、文脈整わず、いかにも三流ライターである点。
正しくは「的を射る」というフレーズを、「的を得る」という素人ミスを犯してしまっている点。

小和田家の息のかかった三流ライターだと感じた。(感じた、だから、主観である)
女性ライターが男の名前で大急ぎで書いた、東宮妃殿下age、秋篠宮sageプロパガンダ文章。「国民がいけない」はそう言えば、小和田家紹介の主治医、大野医師の言葉でもあった。
雅子妃のご病気は、美智子皇后陛下のせいであると書いたのは、友納尚子記者であるけれど、鳴門雅彦氏の文意もまた、皇后のせいであり、マスコミのせいであり、国民のせいなのである。全部人のせい。
お誕生会見の折りの皇太子殿下のお言葉をたまわっていると、やはりそう。
自らを省みて、国民へ「心配をかける」という言葉の一片もなきまま。

雅子妃が批判されるとき、必ず美智子皇后のご苦労と苦難の道が引き合いに出され、それに比べて雅子妃は責任感が薄く、覚悟が足りない、と言われる。

新潮45の文章は、まるでそれに反発するかのように、あたかも日頃の鬱憤を晴らすかのように、雅子妃は美智子皇后より大変である、と力説するのであるが、その理由を明確には書けないでいる。

『ほとんどの国民は理解していない。雅子妃は美智子皇后が経験することの無かった重荷を背負っていることを』

だそうだが、何がそんなに
重荷なのだろう?

美智子皇后はお辛いときにも、一人で耐えて来られたし、親や妹などのお身内が東宮に入り浸りで、住んでいるに等しい状況でもなく、また、入内も初の民間からで、風当たりが厳しいお立場にあられた。
スケート場を貸しきってみたり、宮中祭祀をボイコットしたり、まして公務を放擲されてもいない。
どんな重たい荷物を背負っているのか、理解に苦しむ。宮中にありながら、身内を同居させているに等しい、そのけじめなき一種の薄汚さ。

インドネシア大統領、ブータン国王ら国賓の歓迎式典や晩餐会は欠席しながら、同じ日に乗馬を楽しみ愛子内親王に付き添い登校する。ほとんど全ての公務や祭祀はニグレクトする一方で、私的な遊興や静養は活発。節目の命日の「式年祭」を迎える歴代天皇について、その天皇をしのんで祈りを捧げるため準備の一環として行われる事績の進講は出席(こちらはラク)、肝心の式年祭は欠席する。

『“適応障害”という病名は核心を糊塗する表層にすぎない』

難しく持ってまわった悪文典型だが、要は適応障害という病名は実は便宜上の「仮の」病名なのだ、と言わんばかりで、それなら仮病であるのかと問い返したいが、『皇位継承者たる男子を産めなかった皇太子妃』という立場が重荷で、今の病的な状態なのだそうだ。

皇太子妃になるということは、当然世継ぎを期待されることで、その厳しい覚悟もなく入内なさったのか、と申し上げたい。それは嫁ぐほうも受け入れるほうも、ある意味もっとも果たさねばならぬ課題であるのだから、そこを今になってガタガタ言うなら、皇室になど嫁ぎなさんな、ということではないだろうか。

それに、雅子妃が男児をなさなかったといって、マスコミや国民が雅子妃を責めたということもなく、むしろ同情的だった。それと併せて、「優秀な外交官がキャリアを捨てさせられて、嫁がせられた」という事実に反する同情論までいつしか定着していて、誰かが意図的に流さなければこうはならない。雅子妃は父親のコネで入った、単に外務省の職員であったに過ぎない。有能かどうか、まだ仕事もろくにしていない頃の入内である。当時の外務省内の評価はさして芳しくもなく、交通費を受給しながら、禁止の自家用車通勤をなさり、父親用の駐車場に車を駐めていたことが、写真週刊誌にスッパ抜かれている。

それに男系のお世継ぎは秋篠宮家に誕生され、雅子妃は重圧からも開放されているはずではないか。不調が、お世継ぎ問題に核心があると言うのなら。

それに、やれ微熱が出まして、体調がよろしくなく、心がふさぎ・・・・ということを理由に、公務お休みは、「ご病気」が発症してからのことではなく、ご結婚初期の健康な頃からすでに始まっていた。病気と言うよりも気構え、ご性格に帰するものも大きいのではなかろうか、と多くの国民が漠然とながら感じ始めている。

『国民は雅子妃の適応障害が隠喩であることが理解できず、彼女を押しつぶした重荷の実像が見えていない』

「適応障害が暗喩」とはまたご大層な文章で失笑したが、中身が希薄だ。国民は誰ひとりお世継ぎをなさなかったことを非難はしていない。テレビもだ。女性週刊誌に至っては「決意」「お覚悟」という言葉を多用して、雅子妃殿下のけなげさを美しく書き立て、その一方、秋篠宮家の「無神経さ」やら紀子様の図太さ計算高さをでっち上げてきた。果ては秋篠宮の「女問題」まで。

「重荷の実像」も何も、国民が非難しているのは男児をなさなかったことではなく、公務に取り組む誠意の無さ、たとえ出来なくてもやろうとなさる意志、それから宮中祭祀と神事に関するいっさいの放擲。そこも「病気」と言われれば批判もならず10年間辛抱してきた。が、目に余るのは公務、祭祀を行わぬのとあたかも反比例に、グルメ、お買い物、ご静養、お遊びが過剰な点で、批判はそこに向かっている。
仕事をなさらぬことに対して、皇太子殿下と共に自省が皆無なことも。
昭和天皇、香淳皇后と多産系だが、いずれは外れくじを引く運命の皇太子妃は「必然」で、それが雅子妃だと鳴門氏は書くが、国民もマスコミも男児をなさなかったことを、責めたことは一度もない。

ご懐妊に関する記者団の質問が雅子妃には、

『鉄の塊を脳天に打ちつけられたように響いたことだろう』

と、鳴門雅彦なる人物はあたかも、雅子妃に成り代わったような書きっぷりであるが、あなた、どこでそれを聞いてきたの? 鉄の塊に脳天打ち砕かれ、ってどんだけー、と揶揄したくなる。


『男子を産むことを絶対使命とする天皇制とそれを当然のように期待する国民。日本全体が一人の女性...に過剰な負担を負わせている状態だが、“自分が同じ立場だったら”と考える人間はほとんどいなかった』

>天皇制

左翼用語であることに留意。

>男子を産むことを絶対使命とする天皇制とそれを当然のように期待する国民。日本全体が一人の女性...に過剰な負担を負わせている状態だが

だから、それを織り込み済みの結婚が皇室の結婚なのだ。覚悟はなかったのか。
結果、生まれなかったといって、誰が責めた? それに秋篠宮家に誕生されたのだから、もういいではないか。男児を産めなかったことを理由に公務を怠け、祭祀を行わぬと言うのなら、もうその重荷は取れているはずだ。

>“自分が同じ立場だったら”と考える人間はほとんどいなかった

はて、異なことを聞く。なにゆえ、国民が「同じ立場だったら」と考えねば
ならぬのだろう? 国民からたった一人選ばれる、世界にも類例の稀な、目も眩むように高い位置なのだ。ローンもない広大な敷地の屋敷に、何十人の使用人、護衛、列車は専用、ホテルは貸切り、海外は専用機。
格別だから格別な責任が伴う。当たり前ではないか。


逆に国民が問いたい。雅子妃と皇太子殿下は国民と「同じ立場」だったら、
とお考えにはならぬのだろうか?と。
国民がお二人のお暮らしを手に入れようと思ったら、500年働き詰めでも
足りない。なにゆえ国民が「自分が同じ立場だったら」と考えねばならぬのだろう。

鳴門雅彦なる筆者は高松宮妃にまで、怒りをぶつける。大変奇妙な眺めである。
なにゆえ、雅子妃に言われた高松宮妃の言葉に一緒になって怒るのであろう。
女児を出産した雅子妃に、高松宮妃は「一姫二太郎」という言葉を用いて、なぐさめられた。最初は生命力の強い女の子を産むのが、育てるのが楽なのよ、と、世間一般でも使われるフレーズだ。ところが雅子妃は(といおうか、鳴門雅彦氏は)、その言葉を曲げて取る。よくも、二人目は男の子にしなさいと、押し付けてきたわね、と。
高松宮妃が聞かれたら、曲解され根に持たれていたことに驚かれるだろう。
これをして鳴門氏は「皇室の非情な裏面」とすら表現する。

その「非情な裏面」があるかないか知らないが、代々の皇太子妃は同じ条件の中で公務をなさりつつ、生きていらした。

そして、文章は秋篠宮への非難へと移って行くが、客観的に読んでいると、
あたかも言いがかりレベル。高松宮妃が、なにげなく励ましの意味で発した
お言葉を曲げて取り、根に持つごとく、秋篠宮の一言に対して、瞋恚のほむらを
燃やす。秋篠宮は、皇太子の「雅子の人格が否定された」という発言に対して、
記者に公表なさる前に、両陛下にご相談すべきだったと述べられたかと
記憶している。いたって正論ではないか。
皇太子のおっしゃった「人格否定」とは、要するに男児出産に対しての
雅子妃へのプレッシャーであるようなのだが、何を言おうとなさったのか、いまだに分からない。「人格否定」という場違いな言葉だけが異様に耳に残り、一人歩きして、深く考えない国民はここでもまた「雅子妃は(何だかわからないが人格まで否定された)お可哀想な被害者」だと刷り込まれた。

雅子妃に国民があまり冷たくすると、皇室への嫁入りをする娘がいなくなり、
悠仁さまが将来独身のままで、お困りになるぞ、と言いたげな筆致に至っては、あなた何者なの? とその恫喝を笑うしかない。 大丈夫、世の中にはきちんと育てられ芯の通った本物の令嬢はいらっしゃる。大抵の娘の父親は反日思想の持ち主ではないし、母親が犯罪企業経営者の娘でもない。

鳴門氏の文章は秋篠宮を斬る刃を、あろうことか今度は国民へ向ける。

『雅子妃が人格を否定されたと感じているなら、その犯人は“皇位継承者たる男子を産む”ことを絶対使命として要求する皇室の制度そのものである。そして、それに何の違和感も持たず、男子を期待するプレッシャーを与え続けた国民は共犯だ』

>皇室の制度そのものである

制度がよくないと批判するなら、皇室そのものへの批判で、要は皇室否定論者。
皇室否定論者が、その一方でなにゆえ皇太子と、なかんずく雅子妃を擁護するのだろう? あたかも、これは自虐史観小和田恒氏の立ち位置で、しかしながら娘を嫁がせてしまった以上かばわねば、というジレンマとして読めるのは、うがち過ぎか。

・・・・そして私たち、何をしただろうか? 犯人呼ばわりされるほどの、落ち度があったろうか? 少なくとも10年間は、じっとお待ちした。
お待ちしても、男児が生まれなかったことを非難する国民などいなかった。
待っている間に、公務と祭祀のおさぼり、それに比して静養とお遊びの比重が
どんどん大きくエスカレートすることに批判が生まれ、国民に対して
「心配をかける」という一言もなく、まるで雅子も私も何も悪くない、義務は果たさぬが、持っている権利は最大限使うのが当たり前、というおふるまいに、国民が
不信の念を持ち始めた、というのが現在。口を開けば「雅子が」「愛子が」で「国民が」「国が」
という言葉は絶えて聞けぬ。
国民がこのご夫妻に対して「適応障害」になりつつある。

お世継ぎをなすのが、皇太子妃の務めではない、というのがご主張なら、
公務祭祀、皇室外交と有無を言わせぬお仕事ぶりで示して見せればよかった。
お世継ぎなさず仕事せず、遊びと静養は盛大、挙句の果てに国民が悪い、犯人、では・・・・。

 
『ネット世界では週刊誌報道を真に受けた“愚者たち”が読むに耐えない罵声を雅子妃に浴びせるようになった』

いや・・・・むしろ皇室批判ブログはややもすると「不敬」の名のもとに糾弾されることのほうが、多い。だからこそ書くたびに、いちいち日本毀損の勢力が書く東宮雅子妃賛美論にたぶらかされず、真の保守の書く批判論に耳を傾けよ、と言葉を添えねばならない。
今回も、まさにそれ。
2chレベルの罵詈雑言は、雅子妃に限らず著名人は誰しも浴びる日常語で、このレベルをいちいち取り上げていたら、世の著名人は軒並み、適応障害で今頃引きこもりの仕事拒否状態だろう。いやしくも「論」に取り上げるべき対象ではない。

それ以前にかくも怨嗟の声に取り囲まれた皇族など前代未聞である。
それがなぜなのか、お身の不徳をまず考えられよ。

国連にも、国連大学にも小和田恒氏の関与があり、その双方で従軍慰安婦の集会が催され、要は双方反日色の濃い組織。園遊会にすら出られないと主張する雅子妃が、国連大学には通われる。時には皇太子を伴って。いったい、何なのだ。

>週刊誌報道を真に受けた“愚者たち”

という言い方を援用するなら、それこそ「女性自身」や「女性セブン」のヨイショ記事を「真に受けた愚者たち」が、お見送りでいまだに、「雅子様ー」とはしゃいだ
声を上げているのである。
週刊誌を目の敵にするが、なに、ヨイショにも多大に一役買っているではないか。
さんざん週刊誌を利用しておいて、賛美の記事はいいが、批判はいけないという。そんな都合のいい理屈は通らぬ。

紀子様ご懐妊の時、雅子様がお気の毒、紀子様は図々しく計算高く無神経、と世論誘導したのも女性週刊誌だった。いまだにその図式を信じている国民も多い。
一説では、第三子はなさぬようにと、それこそ人権侵害ふうに抑えこまれていたのが秋篠宮家で、第三子お誕生は、雅子妃にはもはや出産はあり得ないとして、ご懐妊「解禁」されて後の、秋篠宮家のおめでたであったのに。
それでも、雅子妃を悲劇のヒロインに、紀子様を悪役に仕立て上げ、東宮に都合のいい情報を流してくれたのは、他ならぬ「週刊誌報道」ではなかったか。
今更、週刊誌悪者論などと、さんざん利用しておいて何を言う。

愛子さまへの毎日の付き添いは

『たしかに非常識に見えるが、雅子妃が背負う重荷を思えば枝葉の問題である』

何という論理のすり替え・飛躍であろう。人は重荷を背負ったら、「枝葉の問題」として、非常識が許されるのか?

世の中にはありとあらゆる苦難と不幸がひしめき、人はそれぞれが何かを背負って生きている。雅子妃の「重荷」程度ごとき、いったい何だろう。
雅子妃の母方祖父江頭豊が犯した企業犯罪ともいうべき事件、その被害者たちと家族が担った重荷の一端にでも、雅子妃は思いを致したことがあるだろうか。


そして、鳴門氏の文章は、以下の結論となる。

『皇室の存続のためには嫁ぎ先が“格子なき牢獄”ではないことを実証するしか無い。 そのためには皇太子夫妻を時代の天皇・皇后として、人間としての尊厳を損なわないように遇することだ』

いろいろ、不都合はあるけど、ガタガタ言わないで見逃し、皇太子殿下と雅子妃を天皇皇后にせよ、できりゃ愛子様を天皇陛下にというのが主張なのだ。
「格子なき牢獄」というのは、文脈上お世継ぎ問題のことかと 思われるが、
それも秋篠宮悠仁さまのご存在で重圧からは開放されているはず。
仕事はせぬまま、ほぼ静養と遊びの交互サイクルでお暮らしの方に「牢獄」など、
もうないだろうに。
「人間としての尊厳」とは何だろう。尊厳は人間としての義務を果たして生ずるのではないのか。それに、代々最高最大の神官として、厳しい神の庭に住まう「家」のお方が、「人間」とか「人格」」と主張なさるなら、皇室はお離れになるべきではないのだろうか。脱出可能な「牢獄」である。
日本国憲法第一条には、天皇陛下に「人権」はないことが明記されている。
皇族もそれに準ずる。世界でも特殊な存在なのだ。それゆえに世界の稀種であり貴種としてプロトコル(儀典)の最上位に置かれる。それを「人格」だなどと、心得違いも甚だしい。

雅子妃は、いったんお后候補から完全に外されたお方である。理由はこの方が入内されたら、皇居にチッソの怨旗が立つ、ということだった。
失礼ながら、現状を拝するにまさに怨旗は立ったと言わざるを得ない。そして、今後それは数を増して行くのではなかろうか。

友納尚子氏の書く「雅子妃お可哀想記事」と同じく、常に誰かのせい、何かのせいで雅子妃が苦しんで、それゆえに、あれが出来ない、これが出来ないという論法である。
友納氏は美智子皇后の感情的叱責が雅子妃の心を折って、病気にさせられ回復も出来ないでいる、と主張しているが、鳴門雅彦氏の◯◯のせい、は「世継ぎを当然のこととして期待する“天皇制”と、マスコミと、国民のせい」で、いずれも、雅子妃は、傷つけられた被害者なのだ。そして日々被害者意識と権利意識ばかりが肥大する。

そろそろいい加減にして欲しい。次期天皇と皇后であらせられる皇太子と皇太子妃など、日本の中でも公的存在の最たるもの。それゆえ、小和田家が差し向けた都合のいい医師のまま、記者会見もせず、病状報告もなく、妃殿下とは何の利害関係も有しない医師のセカンドオピニオンを得ることもなく、「病気なのだ、それを国民が批判するから妃殿下は回復しないのだ」と主張しつつ、あられもなく言ってしまえば、天皇陛下のご崩御待ちで、一日ずつずらして行っている印象。
即位したら、思いのまま。言外にそう聞こえるようで、しかし、国民と宮内庁内、政府の批判の声、秋篠宮へ譲位の声が思わぬ高まりを見せて来て、これはまずいと、
一文が慌ただしく新潮45に渡された、と思えてならないのだ。

美智子妃殿下のご注意を根に持っているさまが、高松宮妃殿下の言葉に対してと
同じく陰湿な恨みを感じる鳴門氏の記事ではあった。

最後に決定的な反論をしておきたい。「読むに耐えない罵声」を浴びて来たのは、
何者の仕業かは知らぬけれど、秋篠宮様と紀子様とて同じ事。
しかし、紀子様は引きこもらず、適応障害とやらにもならず、公務神事共にこなされ、ご家庭を健全に営まれてきた。お子様方も健やかにお育てになっている。
歳費は東宮の数分の一の慎ましさで、ご静養先も定点があるわけでもなく、
お召し列車がしつらえられるわけでもなく、グリーン車は一般と同じ。
お世継ぎのプレッシャーは、雅子妃に男子が誕生しない頃から、むしろ
紀子様におありになったはずではないか。
しかし紀子様は、公務も神事も貫き通された。
警備一つとっても、悠仁さまという、かけがえのない将来の天皇陛下を擁した秋篠宮家にこそ必要であろうに、そのことに対して異を唱えられるでもない、ただ黙々と主婦業と公務とに勤しんでいらっしゃる。
誰のせい、何のせい、という言い分は言い訳、嘘っぱちである。鳴門雅彦氏とやら、誰に頼まれて上から目線で、代弁しているのだ。
行間からある女声が聞こえてくるのだけれど。時としてある男声も。

・・・・・・行きがかり上、悪文と妙な論旨に具体的にツッコミはしたが、「秋篠宮を排して皇太子と雅子妃を大切に扱い、天皇皇后に即位していただこう」という趣旨の文章が出るということは、秋篠宮へ移譲の動きが、宮中他でもあるのか、と感じ、それが当記事の眼目である。
秋篠宮内親王、紀子妃殿下の即位の可能性を希求しても、可能性はゼロではないかもしれないという期待が全てなのだ。

公務と宮中祭祀を怠り、ご家族第一で唯一の天皇陛下、精神疾患の皇后陛下などあり得ない。日本人の基本の公徳心、倫理観まで破壊されてしまう。

せめて秋篠宮殿下の摂政を請い願う。

「共犯」と呼ばれた国民の一人として、畏(かしこ)み申す。

【付記】

日本国憲法第一条

天皇が「象徴」の地位にあること、また今後もそうあり続けられるか否かは主権のある日本国民の総意に基づいて決定される。また、天皇自身は日本民族ではあっても日本国憲法に定める日本国民の外部に置かれた(よって第3章を根拠に国民に保障される人権は有せず、同時に義務も課されない。


皇室典範

   第一章 皇位継承

第三条  皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
 
(重大な事故・・・・・。・・・・・・・。・・・・・・・・。Yahoo)

 反日勢力が、雅子妃と東宮を持ち上げているのだという事実に冷静に気づいてください。そして、秋篠宮ご夫妻へのネガテイブキャンペーンがなされている現実にも。

 真の保守系による東宮と妃殿下批判よりも、反日系によってなされる東宮と雅子妃擁護を信じる愚を犯さないでください。

 

関連過去記事

雅子妃のご病気が皇后陛下のせいだとする、友納尚子氏への反論【拡散希望】http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6fad2cb06ed7b4a49b691d334891907f

皇太子と皇太子妃のnoblesse obligeとは何か
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eb704163f234fef7a1b26be6bbb4dc3f

一目瞭然
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/

父兄同伴公務http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/69a2df3f4d93c24d00b633971f8d8eb6

国民が真剣に向き合いたい現実http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/bbd236ae1fd3f2abf87bc907d4dbfbc4

ご移譲をと願う心が不遜でしょうかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/590a374feef65465003b02ac43de7c00

雅子妃擁護・褒めまくりの目的は?
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2c6c76921e614ddaae25392ac339a393

 
 
【備考】

オランダ新王妃の父が即位式参列できず&小和田夫妻と公私のけじめ
http://www.facebook.com/permalink.php?id=100001926880555&story_fbid=458627704211455
オランダの国王即位式では、雅子妃の出席に話題が集中していたが、世界が注目していたのは、マクシマ新王妃の父親であるアルゼンチンの元農業大臣ホルヘ・ソレギエタ氏が出席するかだった。
結局、結婚式のときと同様に出席を拒否されてしまったようだ。ソレギエタ氏は人権侵害で知られる軍事政権の閣僚だったので、婚約時に大問題になった。農業大臣で治安問題とは直接関係なかったが、結婚は認めるが、結婚式には出席させない、マクシマさんは父親と政治的信条を異にすることを宣言することで決着がついた。そののち、孫の洗礼式にはオランダへの入国を許されたので、今回の処置が注目されたのだが、やはり「NO」で厳しい倫理を求める姿勢が貫かれた。。
一方、雅子妃がオランダ在住の小和田夫妻と会われるかも注目されたが、5月1日にホテルを小和田夫妻が訪れ3時間ほど滞在した。小和田夫妻は頻繁に帰国しているから、なにも公私混同といわれるこの機会にこれみよがしに会うこともないと思うが、そんなことを気にしないのが小和田夫妻らしいところだ。
しかも、小和田大使は、「両殿下とも無事にお務めを果たされて、ほっとしているご様子。オランダ側の配慮により、(雅子さまが)出席することができ、ご夫妻は配慮に感謝されていました」と記者団にコメントしたが、どう考えても出過ぎたことだ。平安時代の関白でもあるまいし、両殿下が帰国して内外に正式の声明として出されるべきところをマスコミにべらべら話すのは不適切だ。
しかも、この日は 水俣病の公式確認から57年目で、水俣では「水俣病犠牲者慰霊式」が営まれ石原環境相が患者や遺族に厳しく糾弾されていた。雅子妃の外祖父である江頭豊氏は,1964年から73年までチッソの社長・会長をつとめ、それ以前は主力銀行の役員、会長辞職後も相談役だった。チッソがホルムアルデヒドの生産を中止したのは1968年、熊本水俣病第一次訴訟が始まったのは翌年だ。そのとき、江頭社長は、1959年に見舞金契約を結んで死亡者に30万円、生存者には年間で10万円を払い、「今は水俣病の原因がよくわからない。将来、水俣病の原因がチッソということがわかっても、それ以上の要求はしない」としたことを盾にそれ以上の補償を理不尽に拒否していたのだから、この日に江頭豊氏の家族が晴れがましいところに出るのはいかがなものか(ちなみに小和田邸は江頭邸の敷地内にあって夫人の実家としての通常の関係より深いつながりだ)。
オランダ新王妃の見事なけじめと比較しても割り切れないものがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%92%8C%E9%83%8E

https://twitter.com/YawataKazuo

 

八幡和郎

‏評論家・歴史作家。徳島文理大学教授。元通商産業省(現経済産業省)大臣官房情報管理課長。国土庁長官官房参事官。1951年、滋賀県大津市(本籍守山市)生まれ。東京大学法学部卒。フランス国立行政学院(ENA)留学。沖縄に住んでいたこともあります。(テレビ・講演担当 (株)キャスト・プラス いさご 03-3589-8011)

京都市在住

 *同素材で、文章をお書きのブロガーの方がいらしたので、ご紹介しておきます。
(拙ブログより、はるかに多く皇室関連を取り上げていらっしゃるようです。宝塚やドラマの話題が混在していて、好きな人には楽しくもあるブログかもしれません)「ふぶきの部屋」さんです。

h

ttp://blog.goo.ne.jp/yonyon4009/e/aac805b28e2d752b4250479b1b151a03

アクセスレポート  

2013.05.20(月) 21409 PV  5614 IP  21 位 / 187万4千249ブログ
コメント (21)
この記事をはてなブックマークに追加