BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

日本が普通に好き。 右も左も興味ない是々非々主義です。

素晴らしい

2013-01-16 | 日記

 八重山日報 (2012/11/23) 沖縄にも左翼紙ではない新聞社があるんですね。

天皇陛下奉迎提灯大パレード(那覇市国際通り)

 君が代斉唱(天皇陛下奉迎提灯大パレード)こちらが特にお薦めです

 

天皇陛下沖縄訪問 奉迎大提灯パレード

天皇皇后両陛下、沖縄行幸啓のお写真が嬉しく見事であったので
全てこちらから拝借しました。

http://hougeiokinawaken1118.ti-da.net/d2012-11.html

記事本体はどうぞ、こちらでお読みくださいませ。

ちなみに、行幸啓とは天皇皇后両陛下がお出ましの旅であり、天皇陛下お一人の場合は行幸と申し上げるようでございます。行幸啓(ぎょうこうけい)。お帰りは「還幸啓(かんこうけい」だそうです。この機会にしっかり憶えておきましょう。

この際ついでに、もう一つ。

聖壽萬歳(せい じゅ ばん ざい) ... 式典に於て、列席者一同が 天皇陛下の御長壽と御健康を祈念して「天皇陛下萬歳」あるいは「すめらみこと彌榮(いやさか)」を唱する場合、「式次第」に「萬歳三唱」と記す場合もあるが、正しくは「聖壽萬歳」であるべき、だそうな。

聖壽萬歳12.4.21沖縄祖国復帰四十周年祝賀国民大集会?

天皇陛下におかれましては、いよいよ弥栄であられますよう、日のもとの民草の一人として伏してお祈り申し上げ奉る。

 

 

 

 

 

 

 

 

【付記】

       清 明 正 直

       このたった四文字に神道の真髄が潜む。

       日本の神々は他国の神をも抱擁して同化する。

        よろしければ過去記事をご覧くださいませ。

 

       http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/23d68379ec384a53bb5bd18ab463346b

        我ら日の本の民、総ての行動の規範に、あかあかと直き祈りありき。

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NHKふれあいのモチダが平然と嘘をついた

2013-01-16 | 日記

【電凸】NHK...CCTV(中国電視台)の報道を日本国民に伝えろ!

「CCTV(中国電視台)は同居していません」 (モチダ) ⇒同居している。中国も韓国も。国会で問題になったくらい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%9B%BB%E8%A6%96%E5%8F%B0
日本支局 - 東京都渋谷区。 NHK放送センターと同じ住所に存在する

公共放送だからという理由で外部発注や俳優のギャラが格安なのに、子会社のエンタープライズ他は肥え太っている。

CCTVが中国でこれを ↓を報道しているというのに、日本の公共放送であるはずのNHKが
全く報道せず。少女時代の来日はトップニュースにするくせに。

 

「戦争の準備をせよ」対日想定/中国軍指導部が全軍に指示」

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130114/chn13011419050004-n1.htm

  • (時事通信) 2013年01月14日 21時14分

     【北京時事】中国人民解放軍総参謀部が2013年の軍事訓練に関して「戦争にしっかり備えよ」と全軍に指示していたことが分かった。14日付の軍機関紙・解放軍報が一面トップで伝えた。沖縄県・尖閣諸島や南シナ海などの問題を念頭に、軍事衝突も想定して、軍の準備を加速させる狙いがあるとみられる。

     解放軍報によると、軍事訓練に関する指示は、習近平・中央軍事委員会主席(共産党総書記)の重要指示に基づいて作成。「戦争思想を強化し、危機意識を高めよ」「戦争にしっかり備え、実戦の必要性から出発し、部隊を厳しく訓練せよ」「戦争能力を高めよ」などと指示している。 

    [時事通信社]

     

次回大河ドラマ「八重の桜」音楽はあの反日・坂本龍一 ブレずに反日NHK

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風よ伝えて・・・パラオからの伝言

2013-01-16 | 日記

 韓国や中国に修学旅行に行かせる愚かしい学校がある一方・・・

 日本航空高等学校のように親日国パラオへ生徒を送り出す見識の高い学校もあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/jaaw2top/63552621.html

 「日本航空高等学校石川 校長 浅川正人」さんのブログより

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
9月20日

今日は、パラオ修学旅行の意義を説明し、歌の練習と神社参拝の練習も行いました。
(一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜
「パラオ修学旅行、本日未明に無事パラオに到着し、今日はロックアイランドで泳ぎました」
9月30日(日)

日本では、今日は台風17号の影響で大変だと思いますが、パラオ修学旅行団は本日未明にパラオに無事到着しています。
昨日は午前10時に山梨校を出発し、靖国神社を団体参拝し、本殿で正式参拝を行いました。
そのあと資料館である遊就館を職員の方の案内で二時間かけてゆっくり見学出来ました。
私がいつも授業で話していることと重複することも多く、生徒たちは真剣に話を聞いていました。
(一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜
「パラオ修学旅行三日目、南洋神社を参拝しました」
10月1日(月)

本日はパラオ共和国の独立記念日です。1994年10月1日にアメリカから独立しました。
今日は、官幣大社の南洋神社の慰霊祭に参加し、参加者と生徒全員で「君が代」と「海ゆかば」を歌い、最後に生徒全員で「ふるさと」を歌いました
昨夜から雨が降り、地面は濡れていましたが、慰霊祭が始まるまでには雨が止み、神事が始まると日が射してきました。
英霊もさぞお喜びであったと思います。
明日は、大東亜戦争の激戦地ペレリュー島の島内観光とペレリュー神社での慰霊祭に参加し、午後からは海で泳ぐ予定です。
〜〜〜〜〜〜
「パラオ修学旅行四日目、ペレリュー島に上陸し島内観光と慰霊祭を行いました」
10月2日(火)
本日は朝から波が高く、ペレリュー島まで船が行けるかどうか危ぶまれましたが、島に近づくにつれて波が静かになり、予定通り上陸することが出来ました。
島の所々には大東亜戦争の跡が残り、日米の戦車の残骸や戦闘機の残骸がありました。また、島に来る途中の海の浅瀬に、海に沈むゼロ戦の残骸がありました。
また、戦闘で破壊された海軍司令部の建物を見学しましたが、頑丈な鉄筋コンクリート製で、大正十二年に建てられたもので、当時としては最新の設備であったことがわかります。
我々は、ペレリュー神社で行われた慰霊祭に参加し、昨日と同様に神事を執り行い、全員で「君が代」 「海ゆかば」 そして「ふるさと」を心を込めて歌いました。
その時曇りの天気でしたが、太陽の光が射してきました。
私は、「ふるさと」を歌っている時、硫黄島の映画のシーンを思い出し、胸に迫りくるものがありました。
召集され兵隊として激戦地で戦い、日本にいる妻子を思いながら国のために散っていく兵士の気持ちが伝わって来て声が出なくなりました。
まさに、砲弾の嵐の中、補給路も経たれ、食料も弾薬も尽きようとする中で、最後まで米国を相手に戦っている兵士の様子が浮かび上がってくるのです。
ペレリューの戦いはまさにその戦いでした。未だに多くの方の遺骨が収集されずにいるのです。
神事を行った宮司さんは、「英霊が大変喜ばれています。普通なら今朝の天候なら来られなかった。それが来れたのは守っているからです。」と仰っていました。
慰霊祭のあと、遺骨が埋葬されている「みたま」と称する慰霊碑を訪れ、我々だけで「ふるさと」の歌を歌いました。
午後からは波が静かになり、太陽の光が射し青空も見える中で珊瑚の海でシュノーケルを楽しみました。
明日は最終日で、パラオの高校との交流をします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

韓国に生徒をやって、わざわざ虚偽の歴史を教えこむ愚かしい学校や教師たちがあまりにも多いことに絶望しかけていましたが、日本航空高等学校や千葉黎明高校のような学校がある間は日本もまだ少しは大丈夫なのかと思えます。

以下は旧記事の復刻ですが、未読の方には是非読んでいただきたく再アップいたしました。

誇リ高キ大日本帝国 「日本とある国のお話」

戦火の火蓋が切って落とされたとき、パラオの男たちは話し合い、自分らも共に闘わせてくれと日本軍に名乗り出る。

「お前らごときとそんなことが出来るかっ!」

と侮蔑的に怒鳴られ、パラオの青年たちは裏切られた思いで悔し涙を流しながら

疎開の船に乗り込む。空襲を避けて夜。

月影のもと、昨日まで苦楽を共にした日本軍の見送りすら無い。大軍で押し寄せるアメリカとは多勢に無勢。一人でも多くの兵士をと申し出た俺達の心がなんで届かぬのか。

日本人って・・・・こんなにも人情知らずの冷たい人たちだったのか・・・

その時。1人が気づいた・・・

あ!

船が沖に向かって進み始めた時、浜にいっせいに駈け出してきた人影は。

日本軍の兵士たちではないか!

おおーい、おおい!

彼らは船に手を振り、日本の歌を声を張り上げて歌った。

パラオの男たちは海に飛び込もうとした。しかし浜はすでに遠い。

そうか、そうだったのか。

俺たちを巻き添えにしないために、俺達を追い払ったというのか、日本の兵士たちよ。

ごめん、ありがとう、一緒に戦いたかったのに。

お前たちは生き残れ、親に孝行しろ、子を可愛がれ、と日本兵の声なき声がパラオの男たちの耳に届く。

そう、日本軍が彼らを冷たく断ったのは、玉砕を覚悟の闘いにパラオの人々を巻き添えにしたくない一心だったからなのだ。

戦は日本軍の覚悟の通り玉砕に終わり、横たわった日本兵のご遺骸をパラオの人たちは嗚咽しながら拾い埋めた。彼らと共に分かち合った笑い、喜び、そして悲しみ、苦しみが脳裏をよぎる。

あの笑顔、あの歌声。幼いわが子を抱き上げ可愛がってくれた若い兵士も冷たくなっていた。ふるさとに、まだ赤ん坊であった娘を残してきたと聞いていた。

運命を共にするつもりであったのに、あなた方は私たちを守り抜き、祖国日本のために戦い抜いた。ありがとう日本。

・・・・しかし・・・パラオの独立記念日に世界からお祝いが寄せられる中、日本の祝はなかった。あたかもその後日本を傷つけ続ける自虐史観「村山談話」の村山内閣の時であった。

 

動画の5分39秒前後より碑文

 この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。

あなたが日本の国を通過することあらば

伝えて欲しい。

この島を死んで守った日本軍守備隊の

勇気と祖国を想うその心根を・・・

 

 ペリリュー島守備隊長、中川大佐の遺影と遺品は靖國神社の資料館「遊就館」に展示されています。

日本と日本軍を愛し敬った人たちは多い。アジアの植民地を自由の天地へ解き放ったのは日本だ。世界には親日国が多い。

   

ペリリュー神社

所在地 パラオ・ペリリュー州
主祭神 天照大神
ペリリュー島の戦いで戦死した日本兵・軍属
創建 1944年(昭和19年)

 碑文の作者はしかも、敵のアメリカ人なのです。

ペリリュー神社の境内には、日本軍の戦いぶりに衝撃を受けた太平洋艦隊総司令官のチェスター・ニミッツの作として

「諸国から訪れる旅人たちよ 、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い 、そして玉砕したかを伝えられよ 」米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ

「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz」

という文字列が彫られた石碑(1994年に建立)がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E7%A5%9E%E7%A4%BE

敵をして見事だと感嘆せしめる。

大和の民は温和なるも、ひとたび立ち上がるや烈々たる気迫に満ちてありき。

真の日本人たちのご遺骨はいまなお、パラオの土にある。

ペリリュー島の風よ、せめて兵士たちの思いを祖国日本へ運んでおくれ。

靖国へ届けておくれ。

彼らのお母さんも、もうこの世にはいない。

(祖国の紅葉をもう一度見たかった。降る雪に額を濡らしてみたかった。

桜吹雪のそのかげを、幼子の手を連れて歩いてみたかった。

妻よ、老いたる母よ、父よ、幼い妹よ)

(おおい、おおい、祖国の愛しきものたちよ。

君がためわたしは命を捨てた。悔いはない)

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中国の主張、瓦解。尖閣は琉球領と記された文書発見

2013-01-15 | 日記

旧記事ですが、昨日の尖閣諸島開拓の日にちなんで、再アップしておきます。

中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識−初めて発見

 

中国外務省の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」の原文コピー。写真右は表紙、同左は75ページにある「尖閣諸島」の文字

 

 

 

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012122700471

 【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。時事通信が文書原文のコピーを入手した。中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。

 尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。

 この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。

 領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。

 続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。

 

東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。

 中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。

 中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。

 領土草案の文書は現在非公開扱い。中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。 (2012/12/27-14:37)

・・・・・転載、ここまで

文書は草案であり、また沖縄(琉球)じたいをそもそも中国領であると主張しているのが中国なので、この文書の発見をもってしても彼らが引くとも思えないけれど、痛手の一つではあるでしょう。
そもそも中国の領有権主張は尖閣に海底資源の抱負なことが解ってからであり、唐突な領有権主張の動機は明白です。

この文書は民主政権時代にすでにインターネットでは出まわっていたらしいのですが、なぜか表には出ず、自民党に政権が変わってすぐ表に現れました。

あとこちらは有名でこれに関しては中国も反論不可能な証拠です。

 

中国政府から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」で中国人遭難者を救助したとして沖縄県石垣村の漁民へを送られた感謝状1920年5月20日付

 

 

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尖閣諸島開拓の日

2013-01-13 | 日記

本日1月14日は尖閣諸島開拓の日です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E9%96%8B%E6%8B%93%E3%81%AE%E6%97%A5

 中国政府から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」で中国人遭難者を救助したとして沖縄県石垣村の漁民へを送られた感謝状1920年5月20日付

 

2011年1月14日におこなわれた式典には、石垣市民や平沼赳夫、下村博文などの国会議員など、約300人が出席した。(今年は片山さつきさん他が出席のようです)

尖閣諸島の日に国会議員が参加できて、竹島の日に参加出来ないというロジックがどうしてもわからないのです。分かる人いたら教えて下さい。
対韓国のビジネス上のことが絡むとしても、経済的に日本がそれほど韓国の下にいるわけではなく、むしろ相当上、韓国経済の生命線すら握っているごとき状態だと理解しているのだけど、違います?

竹島の日が2月22日、韓国の大統領就任式がその3日後の2月25日。これは安倍自民にとっては簡潔な踏み絵となると見ていたら、何の葛藤も無き様子で早々と軽々と竹島の日の政府主催式典延期の気配? 式典主催すると大統領就任式に列席させてもらえぬから、式典中止の方向で動いている? のだとしたら、本末転倒もいいところではないだろうか。竹島の日の政府主催は絶対譲ってはならないところだと思います。もしそれが叶わぬなら、自民党からせめて数名の出席者を。政府主催式典は正式に中止とアナウンスがあったわけではないので、まだ幾分の期待は捨てないことにしますが。

安倍自民政権発足前から大統領就任式の日取りは決まっていたのであり、それがほぼ竹島の日とかぶることも承知だったはず。なんだ、最初から竹島の日の政府主催なんてやる気がなかったのではないか、と突っ込まれても抗弁のしようがないような? 尖閣への公務員送り出しも同じこと。これも早々と延期。延期と中止の境目が薄いのか分厚いのか、それも知りたいと思います。今が時機でないというなら、その時機とやらはいつ来るのか?
大体実効支配を60年間やらせておいて、今やらずにいつ時機が来るというのでしょう?
竹島の単独提訴中止も同じこと。今やらねば今後やる必然性はない。先延ばしが無限に続くだけ。

仮に安倍自民が選挙の時に言っていた竹島の日の政府主催を、今年実行したとする。そのことによって、韓国から大統領就任式には来ないでくれと言われたとする。
それで?
何か困ることがあるのですか? いや、そりゃ貿易相手国だから困ることはあるのだけど、しかしそれはお互い様で、困り具合からしたらあちらのほうが上だと思うのですが。
こと対韓国外交に関しては、無為無策が続くようで・・・。何度も書きますが、韓国と中国は靖国放火犯を媒(なかだち)のごとくして、日本に対して共同宣戦布告して来た形です。
竹島への安倍自民の姿勢はそのまま、尖閣諸島にも及び、尖閣への向き合い方が竹島にも関わって来ます。

特使に立てた額賀さんが民団の新年会に出て、韓国と在日に対してヨイショ発言をやらかして来ていますが、本当にその路線で安倍内閣は今後やって行くのでしょうか。石破幹事長は幹事長で、公明党ヨイショ発言を公明党の新年会で。
その路線で当分行くのなら正直に言って欲しいと思います。
選挙時に強固な保守路線を信じ込ませておいて、なし崩しに路線が薄まり、結局やりません、ということだけは避けて欲しいのです。期待しています。

【付記】

http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/qaworld/20120920-OYT8T00823.htm

中国は、日本政府が日清戦争末期の1895年1月の閣議で、尖閣諸島を日本の領土に組み入れたために、勝利間近の機に乗じて略取したなどと主張していますが、これは、領土問題を歴史問題にすり替えようとするためのでっち上げです。

 なぜなら、日本政府は尖閣諸島がどこの国にも属さず、しかも人が住んでいない、いわゆる国際法上の「無主の地」であることを調べ始めたのは、それより10年も前の1885年のことで、沖縄県が出雲丸という汽船を派遣し、現地調査したのがはじまりです。詳細な調査の結果、「無主の地」であることが判明したため、すぐに日本の領土とすればよかったのですが、当時はそれができない理由がありました。

 それは、当時の清国が日本より軍事的に強大だったからです。それが証拠に、1886年には、世界最強の軍艦である「定遠」と「鎮遠」など4隻の清国北洋艦隊が長崎沖に現れ、上陸した清国水兵は暴行や略奪を繰り返し、多くの日本人が死傷するという「長崎事件」を引き起こしました。圧倒的な軍事力を背景にわが物顔の清国の前に、明治政府はなすすべもなく、賠償金なども妥協しなければなりませんでした。時の井上馨外相は、清国と事を構えれば、沖縄を取られてしまう、という危機感があったといわれています。

 逆に言えば、当時、強大な清国が尖閣諸島を自国領だと言えば、誰も文句が言えなかった時代だったのです。尖閣諸島の調査後、沖縄県は同諸島周辺で漁業活動を続けていましたが、清国を含めどこからも、自国の領土主権を侵害しているという抗議がなかったことから、ようやく95年に正式に日本領としたのです

 国際法上、国家が領土権を主張するには、単に「無主の地」の発見による領有意思の表明だけでは不十分で、実効支配が必要とされています。このため日本政府は、尖閣諸島に「国標」である標杭を建てることに続いて、様々な開拓事業をスタートさせました。毎年のように移民を送り込み、海産物やアホウドリの羽毛を採集し、太平洋戦争が始まるまでは、カツオ節の製造事業なども営まれていました。魚釣島付近で遭難した31人の中国漁民を救助したこともあり、1920年には,当時の中国の外交機関である中華民国駐長崎領事から感謝状が贈られ、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記し、尖閣諸島を日本領土として認めています。

 戦後は、米国の施政権下に置かれ、人の居住が制限され、米軍は射爆場などとして利用してきました。ところが、1969年5月に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、尖閣諸島周辺海域に膨大な石油資源が埋蔵されているとの調査結果を公表、それを機に翌70年に台湾、そして71年に中国が正式に自国領だと主張し始めたのです。台湾、中国ともそれ以前には領有権を主張したことなどなく、日本政府は72年、沖縄返還直後の国連の場で「尖閣列島に対しては日本以外のいかなる国も主権を持っていない。中国の主張はまったく根拠がない」と毅然とした態度で反論しています。

 9月下旬には国連総会が開かれますが、中国政府から送られた1920年の感謝状を示しながら、日本の主張が正しいことを、日本政府は世界に発信しなければなりません

 (調査研究本部主任研究員 勝股秀通)

2012年9月20日 読売新聞)
 
 

http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/230112039.html

米軍は、オスプレイの普天間への追加配備を検討中だとか。明らかに、このところ加速して来た中国の脅威に備えてのことですね。これに対して小野寺五典防衛相が「聞いていない」として不快感を示したとの報道がありましたが、まだ検討中であるからして日本側への打診と報告がないだけのこと。また小野寺防衛相は「沖縄の人たちの気持ち」と表現されたが、この期に及んで何をまた言ってらっしゃるのだろう。中国のリアルな侵略意図に対して「沖縄の人たちの気持ち」もへったくれもあるものか。
小野寺さんは誠実で信頼に足る政治家さんですが、この意識は変えていただきたい。
一国の国防がかかることに、県や知事のご機嫌取りの必要はありません。
どこまで沖縄を勘違いさせ、つけあがらせる気。沖縄のアンチ基地なんて日本国からより多くのお金を巻き上げるためのゴテと、内地から押し寄せた左翼運動家たちのアジテーションだということは、もはや見透かされているというのに。未確認ながら普天間はそもそも、昭和17年に日帝海軍が買い上げている、という説もある。必要以上に沖縄に気を使う日本政府。今回の安倍自民で毅然とその悪しき伝統を断ち切って欲しいものです。

しかし尖閣への公務員送り出しを先送りしたことこそ政府としての内心の責めがいくらかはあってしかるべきで、それをオスプレイ追加配備検討へ不満をぶつけるとは・・・本末転倒。

「具体的に何も聞いていない。 沖縄の皆さんの気持ちを考えると、このような報道が出ること自体、大変いかがなものかなと思う」 小野寺五典国防相

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130113/k10014773491000.html

下記のごとく中国は本気で戦争を考えているというのに、国防相たる者、他にいうことがありませんか? 「沖縄の皆さんの気持ち」? 習近平による人心統一のための煽りもありますが、しかし中国の雰囲気はあちらのマスコミにより過激武力路線へと盛り上げられています。こんな時機に「沖縄の皆さんの気持ち」!?

「戦争の準備をせよ」対日想定/中国軍指導部が全軍に指示」

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130114/chn13011419050004-n1.htm

* ちょっと情報が錯綜していて、すでにCV22は沖縄へ送られた、という説もあります。
こちらではむろん把握し切れない情報なので、多少の前後の時系列の乱れは
ご寛恕ください。【追記】 すでに送られたのは、ステルス機のF22戦闘機12機で送り先は嘉手納基地でした。緊急配備です。戦闘機のニックネームは「ラスター」。確か猛禽類という意味だったような?


 『普天間飛行場は昭和17年に帝国海軍が航空基地を創るため買収済みだった。従って殆どが国有地のはずだが、戦後殆どが私有地に変身、しかも地主の主張持分を総合すると、普天間基地があと二つできる、おかしいんじゃないの?」 (恵隆之介)
 

【追加参考記事】

  • (時事通信) 2013年01月14日 21時14分

     【北京時事】中国人民解放軍総参謀部が2013年の軍事訓練に関して「戦争にしっかり備えよ」と全軍に指示していたことが分かった。14日付の軍機関紙・解放軍報が一面トップで伝えた。沖縄県・尖閣諸島や南シナ海などの問題を念頭に、軍事衝突も想定して、軍の準備を加速させる狙いがあるとみられる。

     解放軍報によると、軍事訓練に関する指示は、習近平・中央軍事委員会主席(共産党総書記)の重要指示に基づいて作成。「戦争思想を強化し、危機意識を高めよ」「戦争にしっかり備え、実戦の必要性から出発し、部隊を厳しく訓練せよ」「戦争能力を高めよ」などと指示している。 

    [時事通信社]

     

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