BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

日本が普通に好き。 右も左も興味ない是々非々主義です。

韓国の国定教科書に記載されている「竹島は日本領」

2012-12-30 | 日記

水間政憲「ここに書いてありますけどね」動かぬ証拠連発!

わずか6年前、2006年版の韓国の国定高校教科書と地図帳に記されている「竹島も対馬も日本領」

 

国立国会図書館京都別館にある資料から、そのページだけが破り取られている。

スケートリンクを半島にもたらしたのは日本である。

野球場、テニスコトートもしかり。近代スポーツは全て日本が半島にもたらした。

火病を起こして討論未満で終わってしまう韓国人との対話。

韓国国定高校教科書を調べていたら、竹島を独島と証明しているとしょうする朝鮮の古地図を掲載してあり、よく見ると逆に竹島が日本領と証明できる地図なっていました。(水間政憲)

以下、水間政憲氏のブログより

*写真は、韓国国定高校教科書に掲載されている鬱陵島と于山の地図です。

●《韓国国定高校教科書が竹島を日本領と証明していた》

■『いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実 国益を守る「国家の盾」』(PHP研究所)のカラーグラビアに掲載してある、日本が統治する前の韓国の教科書『大韓地誌』 (1899年)に所収されていた江原道の行政区(鬱陵島を含む)の地図と、韓国国定高校教科書に掲載されている地図は同種類のものだった。

『大韓地誌』の原本は国立国会図書館京都別館に一冊だけ所蔵されていたのであり、江原道の地図を破り取った人物の意図は、韓国国定高校教科書に掲載してある地図と同種類であり、破り取った地図が存在すると、竹島が日本領になってしまうので、焚書したのであろう。焚書された地図を再度どこで見つけたかは、また焚書の危険性があるので明らかにしないが、日本国内にあります。

その韓国国定高校教科書【5近現代の政治】の〈2開化と主権守護運動〉の項目に掲載されている地図(掲載写真)をジックリ見てください。

笑い話のようですが、韓国で使用している国定高校教科書は、学生に竹島は日本領と教えていることになっているのです

それは、同地図の解説が「朝鮮の地図の鬱陵島と独島部分(18世紀、ソウル大学奎章閣所蔵)|大きな島が鬱陵島であり、右の于山と書かれた島が独島である」となっているからです。この嘘は、『大韓地誌』と合わせて見ると明らかになりますが、于山とは、鬱陵島の北東に付随した小さな島のことなのです。

『大韓地誌』では、大韓民国の東端は「東経130度35分」となっており、于山は韓国の東端内にしっかり入っているのからです。

因みに、竹島は「東経131度52分であり、韓国が第1次日韓協約(1904年)第2次日韓協約(1905年)で、大韓民国が外交権を失う前に編纂した地図で竹島を日本領と認識していたのです。

また、韓国が盛んに外交攻勢をかけている「東海併記問題」も、竹島問題と同根であり、韓国が外交権をもっていた1899年の大韓民国の教科書に「日本海」と単独表記しています。

韓国国定高校教科書が竹島を日本領と証明していることは、動かしがたい事実ですので、『いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実』のカラーグラビアと本文で確認して、皆様方も笑ってあげてください。

韓国の国定教科書から、同地図が近々削除されることだけは想定できますが、久しぶりに爆笑させて頂きました。

※「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」代表 ジャーナリスト水間政憲http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-591.html?cr=ba5237382c263b508786a3b46575c7c8

6年前の韓国の国定教科書が竹島を日本領として認め、日本海と単独表記している。

さて、これほどにも明々白々たる事実として竹島は日本領であるのに、
韓国との外交を優先して竹島の日の政府主催を中止、韓国の大統領就任式列席を優先することが、正しい日本の道なのでしょうか。

朴槿恵大統領が親日派だとして期待する向きもあるようですが、そもそも李明博の就任時、この在日を「大阪人」であるとして、親日をこぞって期待したのは、いったいどこのマスコミであったでしょうか。
親日と目されれば韓国の政界では生き延びられぬことは自明、さすれば朴槿恵氏がいかなる姿勢で日本に臨んで来るかこれも自明ではないでしょうか。

安倍自民の思惑は経済最優先にして参院選を勝ち抜くということでしょうが、
対韓国への姿勢を従来のゆるい構えに戻して票を集めることが出来るのかどうか、いささか首をかしげるところではあります。

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在日、これがその典型メンタリティだ

2012-12-30 | 日記
テレビで「金嬉老事件」という在日立てこもり事件をやっていて、興味を引かれ
調べてみたら、これが在日の典型的メンタリティを体現したような事件だったのです。
加害者なのに被害者ぶる。 戦前はなかったと言われている差別という名の区別が
なぜ始まったのか、そこに思いを致さない。密入国で押しかけ、居着き、犯罪多発の
外国人を優しく扱う国など、日本に限らずどこにもにもない、ということにも思慮が及ばない。
 
Wikiの記事に赤文字で注釈を入れながら、その典型的在日メンタリティの
足跡を辿ってみたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

金嬉老事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

金嬉老事件(きんきろうじけん)は、1968年2月20日に39歳の在日韓国人二世の金嬉老(キム・ヒロ)、本名:権禧老(クォン・ヒロ)、1928年11月20日 - 2010年3月26日)が犯した殺人を発端とする監禁事件寸又峡事件とも呼ばれる。いわゆる劇場型犯罪の最初のケースである[1]

事件概要

1968年2月20日、手形トラブルが高じて暴力団から借金返済を求められた金は、返済を約束して静岡県清水市(現・静岡市清水区)の歓楽街にあるクラブ「みんすく」で暴力団員と面会。その場で暴力団員2人(未成年の少年1人を含む)をライフルを乱射して射殺、翌日には同県榛原郡本川根町(現・川根本町寸又峡温泉の旅館で経営者・宿泊客ら13人を人質として籠城した。金はM1カービン用の30発弾倉を取り付けた豊和工業製の猟銃「M300」とダイナマイトで武装していた。88時間にわたった籠城の結果、2月24日に金は報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員と記者らによって取り押さえられ逮捕された。

事件の直接のきっかけは借金返済問題であったが、金がずっと以前に目撃したと主張する警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪することを人質解放条件として要求し、それ以外の要求を殆どしなかったため、「差別問題」と絡めて報道されるに至った。

暴力団からお金を借りるようないかがわしい男が殺人を犯した。それだけのことが、なぜ「差別問題」に姿を変えるのか。 在日というと、即差別問題だとして報じるマスコミと日本の体質にも問題があるのではないか。日本人がされている差別のことは報じない、日本人もそこは考えない。

仮に警察から「侮蔑的発言」があったとして、そこに理由はなかったろうか。密入国で押しかけられて、犯罪率が高く、強制送還しようとしても韓国が受け取りを拒否する、その一方密入国は引きも切らず、収容所は満杯という状況の中で韓国朝鮮人に対して日本側が抱く感情は不当であろうか。

戦前は在日への差別はなかった、差別は戦後のことだとする孫正義氏の実父(密入国者)の証言(週刊ポスト)を信じるなら、戦後の差別は朝鮮進駐軍その他による韓国朝鮮人たちの暴虐に由来してはいないだろうか。

 

金が籠城する様子はテレビラジオ実況中継され、関連するとされる警察官がテレビに出演するなどもした。連日各局のワイドショーは人質被害者の安否や被害者家族の意向などお構いなしにスタジオから「ふじみや旅館」に独自に生電話を入れて視聴率を稼いだ。NETテレビ(現・テレビ朝日)などは、銃を持って戸外を警戒している金に対し「金さん、ライフルを空に向けて射ってくれませんか」と要望を出し、金が空に向かって数発、ライフルを乱射しているところをカメラで映して演出までした(のちに金本人が法廷陳述で一連のマスコミ報道の裏を暴露して不満を表明している)。また金の母国である大韓民国でも大々的に報道され、金は「差別と戦った民族の英雄」として祭り上げられた。

マスコミの腐敗ぶりは今になって始まったことではない。

裁判

金は静岡刑務所未決監独房に身柄を移され殺人罪監禁罪、爆発物取締規則違反で起訴された。裁判では金の在日韓国人としての生い立ちがどれほどの影響を与えたかとが主な争点となった。

人権擁護派が犯人擁護に用いるのが「生い立ち」「社会環境」だが、同じような生い立ちと社会環境で育った人間が、皆殺人を犯すのか!
どんな環境で育とうと、人を殺すのがよくないという最小限のことぐらいは教えられるはず、わかるはず。それも解らぬのなら人間以下で、温床は無用である。

裁判中に刑務所内での金に対する特別待遇の実態が判明する。金の独房は施錠されておらず散歩や面会なども自由で脱獄手段に用いられる出刃包丁、ヤスリ、ライターなどを持ち込んでいた。これは金が自殺をほのめかしたりして、規則違反がエスカレートしたものだった。

ここでも在日の典型的手口。被害者ぶって相手を脅迫、それにより特別の資格を得る。
またそれを日本人的気の弱さ、お人好しから受け入れてしまう日本人がいる。

特別待遇は刑務所上級職員の間で申し送り事項になっていた事実も判明し、刑務所の管理体制が問題となって衆議院法務委員会でも責任追及がされる。その結果、法務省矯正局長以下13人の法務関係者上級職員、専従職員13人が停職・減給・戒告・訓告などの処分を受けた。包丁を差し入れたとされる看守が後に服毒自殺をしている。

なぜ特別待遇が申し送り事項になったのか。在日だから。それに尽きる。在日に関わると厄介だから、見ぬふり、触れぬふり。そして在日が増長する。

1972年6月、死刑求刑に対し静岡地裁は無期懲役の判決を下す。1974年6月、東京高裁が控訴棄却。1975年11月4日最高裁が上告棄却し無期懲役が確定。熊本刑務所府中刑務所千葉刑務所などで服役。

1999年9月に、韓国に強制送還し二度と日本に入国しないことなどを条件[2]に70歳で仮釈放。東京保護観察所を経て、韓国釜山に帰国させられた。これにより在日韓国人としての特別永住資格は喪失した。

犯罪は微罪であっても、強制送還すべし。今は少々の犯罪でも強制送還出来ない。

帰国後

1999年9月7日、韓国政府から助力を得、釜山にて新生活を始めた。本名を金嬉老から権禧老に再変更し、1979年に獄中結婚した女性としばらくして同居するようになる。2000年4月13日、韓国国民として国政選挙に投票して主権を行使した。4月25日、夫人が生活定着金など4750万ウォンもの現金をタンスや権の銀行口座から引き出して逃走、窃盗と私文書偽造の容疑で指名手配され1年5ヶ月逃走後の2001年9月25日に夫人は逮捕された[3]

獄中結婚した同胞が更に犯罪者であった、というあたかも韓流ドラマの展開。

2000年9月3日、講演会がきっかけで内縁関係になった愛人の夫の殺害を計画、凶器を持って押し入り乱暴を働いた上に家の中に火を付けて、夫への殺人未遂放火および監禁事件を引き起こした為、現行犯逮捕され服役した。そのため、韓国での彼の人気は地に堕ちたという。

日本に楯突いた、抗議したと韓国でもてはやされた英雄の正体が、やっぱり殺人犯。殺した相手が日本人だったから英雄だったのに、今度は同胞だったので憎まれた。これが韓国固有の倫理観。

晩年の権は「日本にある母親の墓参り」を理由に、2010年3月に日本の法務省に入国要請を、韓国政府を経由して日本に入国を認めてもらえるよう陳情する予定だった[4]。しかし前立腺がんのため2010年3月26日に釜山市の病院で死去した[5]。享年82。本人の希望により、遺骨は静岡県掛川市に納められている[6]

日本に二度と入国しないという条件での釈放であったのに、このぬるさ。日本は遺骨すら叩き返すべきであったのに、ここでも甘やかす。

その他

  • 金嬉老は、窃盗などを重ねて1943年に逮捕され、終戦まで相愛少年保護院で過ごす。また、1946年にも窃盗・横領罪で服役し、同年離婚、その後の約20年間も、窃盗、詐欺、強盗などの犯罪を繰り返し、刑務所を出たり入ったりするような生活だった[7]
  • 金嬉老事件の人質監禁88時間は警察が包囲する人質監禁時間として日本の最高記録になったが、1972年に発生したあさま山荘事件の人質監禁216時間で更新された。
  • この事件を機に警察に狙撃隊が創設され、2年間で警視庁北海道宮城愛知大阪福岡の各警察本部機動隊)に100丁の豊和工業製ゴールデンベアライフル狙撃用ライフル)が配備された(銃器対策部隊の創設)。狙撃隊が初めて出動したのは2年後の1970年に発生した瀬戸内シージャック事件であり、大阪と福岡から部隊が派遣された。
  • 自殺に追い込まれた看守に対して金嬉老は何の感情も反省も持っておらず、他人事のような態度をとったことに対して、特別弁護人を務めていた佐藤勝巳は非常に驚き愕然とし、原朝鮮人とも云うべき存在に初めて会ったと述懐している。
  • ダイナマイトで脅迫するという事件は、同年12月に発煙筒をダイナマイトに見せかけて現金を強奪した三億円事件が発生している。
  • 獄中時代から田代まさしのファンで、田代が金を訪ねた際には喜んだという(田代のシャネルズでのデビューは事件から12年後の1980年)。なおこの時期は田代が自らの不祥事で謹慎中であり、田代の不祥事を伝え聞いた金は「あの田代君がそんな事をするわけないじゃないかと言ってやったんだ」と田代に話し、田代は正直に経緯を話すことができなかったと『』の連載に書いている。
  • 事件の舞台となったふじみや旅館では、2010年2月20日で事件から42年になるのを機に、旅館内に資料館を設け、事件の資料を一般公開している[8]。しかし女将の高齢化と観光客の減少を理由に、2012年1月をもって廃業している。

以下は「釜山・韓国ニュース」より。

http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090415/20090415_0003.shtml

【連載】今、語る 再取材・日韓現代史<2>「銃声」今はどこに響く
人質籠城事件の元服役囚 金 嬉老氏(80)

2009年04月17日 10:59
 
■日韓併合から100年(2010年)■

 日本で民族差別問題をあぶり出す契機となった1968年の金嬉老事件。在日韓国人の金氏は静岡県で、借金をめぐり暴力団員2人を射殺。さらに以前差別発言をした警察官に謝罪を求め、人質13人を取り旅館に4日間籠城(ろうじょう)した。無期懲役確定後、韓国永住を条件に99年に仮釈放。祖国では「民族の英雄」とされたが、移り住んだ釜山市でも事件は起きた。
 
>日本で民族差別問題をあぶり出す契機となった
 
ここでも「民族差別問題」として一括され、戦後朝鮮進駐軍に見られるように、朝鮮人が日本人に対して行った差別は看過され、彼らの異常な犯罪率の高さにも触れていない。

 −金嬉老事件とは何だったのか。

 「事情はどうであれ、ひと2人を殺(あや)め、(ライフルを手にした人質籠城事件という)法を犯した行為は、今も正しいとは思わない。しかし、朝鮮人への差別発言をした静岡県警の警察官がひと言『悪かった』といえばそれで終わっていた。その言葉を聞くことができれば、籠城した旅館で自殺するつもりだった」
 
>朝鮮人への差別発言をした静岡県警の警察官がひと言『悪かった』といえばそれで終わっていた
 
息を吐くように嘘をつく。問題のすり替えである。現に彼はその後、祖国でも殺人未遂を犯している。発言した時点では本気でそう思っていたのかもしれない。有能な詐欺師の特質でもある。嘘をいつしか真実であると思いこめる能力、ないしは精神病理。

 −その警察官は、暴力団と在日朝鮮人のけんかを止める中で「てめえら朝鮮人は日本に来てろくなことをしねえ」と言った。偶然通り掛かったあなたへの発言ではない。

 「自分は幼いころから朝鮮人というだけで、社会から徹底的な差別を受けたり、警察から不当な取り調べを受けたりしていて、日本社会の理不尽さを憎んでいた。殺した暴力団員もわれわれの仲間を虐げていた」
 
>「てめえら朝鮮人は日本に来てろくなことをしねえ」
 
現実としては実にそのとおりであった。まして暴力団員との喧嘩に駆けつけた警官が言う言葉として、とりわけ逸脱したものだとは思えない。この言葉が犯罪の誘発になったというのは、すり替えであって、現に彼は釈放後も祖国で犯罪を犯している。
 
>警察から不当な取り調べを受けたりしていて
 
少年時代から窃盗、暴力を繰り返している分際で、これを言っても説得力が無い。


 −旅館に居合わせた宿泊客ら人質は無関係だ。

 「本当に申し訳ないと思っている。しかし彼らにも謝った上で、言い分を聞いてもらった。私は逮捕されるまで、彼らには優しくしたつもりだし、そのことは後の公判で証明されたはずだ」

 −移住した釜山市で2000年、殺人未遂と放火の罪で逮捕・起訴されたのは事実か。

 「そうだ。懲役3年の実刑判決を受けた。この国に来てすぐ、地元の経済人が(民族差別と闘った)英雄を歓迎しようと、私のために焼き肉店でパーティーを開いてくれた。そこで花屋をしているという40歳くらいの女性と知り合い、周りからは冷やかされた」

 「その後、彼女が20年間亭主に奴隷のようにされていることが分かった。彼女はコルセットをしないと歩けないくらい暴力をふるわれていた。亭主は(焼き肉店でのうわさを聞き)私を殺すと言って回った。『そんなら果たし合いだ』と、私は刺し身包丁を持って家に乗り込んだ」
 
韓国男の妻への凄惨な暴力。これも筋書き通り。

 −それから。

 「そのときは、誰かの通報で警察が飛んできて、私に『先生、これはどういうことですか。その包丁は預かります』といって収まった。私は、国を挙げての歓迎を受けた有名人。警察は男に『この方が誰か知っているのか』としかった」

 「それでも男は私を殺すと言っていたらしいので、後日もう許せなくなった。もう一度家に乗り込んだら、折れたテーブルの脚であごを殴られた。今もこの通り大きな傷がある。本格的にやり合った後、新聞に火を付けたらレースのカーテンが燃え上がった」

 −その事件で、「英雄」に対する韓国メディアの評価は地に落ちた。

 「もともと英雄なんかじゃない。それに評価も落ちていない。落ちていたら、こんな(各界から経済的支援を受けての)生活はできていない」
反日であったというだけで、各界の支援を受けられる韓国。
 
−今、日本社会に言いたいことは。

 「私は人生の終着駅にたどり着こうとしているが、日本人の素晴らしさに学ぶことは今も多大だ。残っている寿命があるとしたら愛する日本へ行き、この目で世界一美しい富士山を見て死にたいと思っている」
 
どの口で言いやがる。
さんざん差別差別と日本でも韓国でも宣伝して、日本が恋しくなったら日本人の素晴らしさ?
富士山?
 
おそらく在日も、韓国へ帰ったとしても日本の秩序や風光や人情をなつかしむ。
日本人は知ったことか、と突っぱねるべき。
・・・いや、その前に彼らは決して帰りはしないけど。なぜなら祖国より
日本が良い国であることを知っているから。
 
 
テレビで「金嬉老事件」という在日立てこもり事件をやっていて、興味を引かれ
調べてみたら、これが在日の典型的メンタリティを体現したような事件だったのです。
加害者なのに被害者ぶる。 戦前はなかったと言われている差別という名の区別が
なぜ始まったのか、そこに思いを致さない。密入国で押しかけ、居着き、犯罪多発の
外国人を優しく扱う国など、日本に限らずどこにもにもない、ということにも思慮が及ばない。
 
Wikiの記事に赤文字で注釈を入れながら、その典型的在日メンタリティの
足跡を辿ってみました。
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年末の日本列島を侵す韓国食品の“バイオテロ”?

2012-12-29 | 日記

昨日から、K-FOODという韓国食品の安全性をうたうCMが唐突に連発。

韓国農水産食品流通公社によるCM。しかも、韓流が最も
ゴリ押ししているKARA起用。

韓国産食品が原因ではないかと疑われるノロウィルスによる患者が大量発生している最中に、非常にいかがわしい。

それにつけても、韓国への旅行者が賢明にも激減している中、
年末年始に韓国に出かけ、円を落としてくる人たちには
脳がないのでしょう。むろん、食べ残しの使い回しを食べさせられることとか
糞尿まみれの魚介類とか、蛔虫の卵付きキムチを食べさせられるとか
そんなことだけではなく、日本の領土を侵略した上に歴史を改ざん、
従軍慰安婦の嘘で日本の名誉を傷つけ続けている国をわざわざ
潤しに出かけるとは、バカとしか言いようがありません。

KARAのK-FOOD TV CM(キムチ編)

 

KARAのK-FOOD TV CM(パプリカ編)

 

KARAのK-FOOD TV CM(柚子茶編)

 

KARAのK-FOOD TV CM(マッコリ編)

韓国の「きれいな海」で育った? 韓国では海洋への糞尿投棄がなされています!

糞尿の海で養殖された韓国の海産物がノーチェックで日本に輸入されています。

日本を罵り倒しながら、韓国の食品を買ってくれ、韓流も買ってくれ、とは
何という図々しさでしょう。

韓国の食品の汚染ぶりを広めましょう。

出来合いおせちの、さわら他の海産物と、栗きんとんに要注意。
それ、韓国産ではありませんか?

 

(これらの画像は「正しい歴史認識」さんより拝借しました)

店員の残飯を客に出す韓国料理屋。前の客が残した食べ残しは、次の客へ。

韓国伝統酒、ウンコ酒「トンスル」の製造現場。

 テレビでは相変わらず成田を写し、韓国へ「買い物が安いから」と脳天気な
若い女性を捕まえ語らせ、食の不衛生も治安の悪さも旅行者の激減も
伝えない。

買うな触れるな韓国不潔食品。

 

日本と韓国が戦争をしたらどうなるか

あくまでもシミュレーションですが、韓国による対馬の土地の買い占め、街路樹を引きぬいて
韓国の国花、ムクゲに植え替えているのは現実です。シミュレーションの結果、日本の
圧勝ですが・・・・。韓国は執拗に今後も対馬の領有権を主張して来るでしょう。
経済制裁であれもこれも一発で牽制できるのに、なんとも不可解でもどかしい
歴代政府の及び腰でした。安倍政権になって、半歩でも先に対韓姿勢が進むことを
願っています。
組閣における政務官含めたアグレッシブな人事に、安倍総理の意志を感じるだけに
期待しています。

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村山富市 河野洋平を証人喚問せよ

2012-12-27 | 日記

とりあえず二つの新聞報道を置きます。

・・・・以下転載 

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121227/plc12122707030007-n1.htm

菅義偉官房長官は26日深夜の初閣議後の記者会見で、植民地支配と侵略を認めた平成7年の「村山談話」について「第1次安倍内閣として18年にこれまでの立場を引き継ぐ考えを表明しているので、これまでの歴代内閣の考えを引き継ぐ考えだ」と述べた。

 村山談話は「遠くない過去の一時期、国策を誤り」と決めつけ、「植民地支配と侵略」への「痛切な反省の意」と「心からおわびの気持ち」を表明したもので、終戦50年にあたる7年8月15日の閣議で、当時の村山富市内閣が唐突に決定した。

 村山談話をめぐっては、安倍晋三首相は今年5月の産経新聞のインタビューで「かつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきた」と指摘した。その上で「政権復帰したら、そんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることはない」と述べていた。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121227/stt12122712190013-n1.htm

慰安婦問題に関する「河野談話」見直し含め検討 菅官房長官

2012.12.27 12:17 安倍内閣

記者会見に臨む菅官房長官=27日午前、首相官邸

 菅義偉官房長官は27日午前の記者会見で、戦時中の従軍慰安婦問題に関し、旧日本軍による慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官(当時)談話」について、見直しを含めて有識者が検討するのが望ましいとの認識を表明した。「学者や有識者の研究が行われている。そうした検討を重ねることが望ましい」と述べた。

 河野談話は、自民党の宮沢喜一内閣が細川護煕連立内閣に替わる直前の平成5年8月に発表された。慰安婦の募集に「官憲等が直接これに加担したこともあった」などという表現で、日本の軍や警察による強制連行があったとする内容になっている。安倍晋三首相は9月の自民党総裁選で見直しが必要との認識を示していた。

 また、菅氏は植民地支配と侵略を認めた戦後50年の「村山談話」について「第1次安倍内閣で、歴代内閣の立場を引き継ぐということを表明している。この立場を今後とも引き継いでいきたい」との見解を改めて示した。

http://www.jiji.com/jc/p_archives?id=20121227125938-0013804107&rel=j&g=pho

菅義偉官房長官は27日午前の記者会見で、従軍慰安婦問題に関する1993年の河野洋平官房長官談話を見直す可能性を問われ、「この問題を政治、外交問題にするべきではない」との見解を示した。 【時事通信社】

・・・・転載終わり

ちょっと、こちらも混乱気味で整理しきれていないので、誤解や事実誤認があれば
速やかに訂正するので、ご指摘いただきたいのだけれど、現在時点で安倍総理は「河野談話を見直す」と言い「村山談話や河野談話」に捕われることはない、と。

だが、菅官房長官は「村山談話は踏襲する」と明言。報道によれば。
はっきり「総理と官房長官の意見食い違い」として報道しているところもあります。

現在、拙ブログで考えることは村山談話に関しては総理の正式談話なので、もはやいじれない。(そうなのか? 不明) 河野談話(当時は官房長官)は見直し可能である、と。(そうなのか?)

もう一説仮説があって、村山談話を持ち出して韓国からの突き上げには「謝罪済み」と突っぱね、賠償要求に関しては「河野談話見直し」ではね返す、というのを某所で読みましたが、さていずれがいずれやら?

しかし時事通信のように、河野談話じたいの見直しを菅官房長官が否定したと伝える記事もあるので、余計に錯綜しています。

それにしても、日本をこれだけ傷つけ延々と苦しめることになる村山富市が九十になんなんとして、いまだ矍鑠、この間の大分の選挙応援では元気に活躍している姿を見せつけられ、憤慨の念を禁じ得ませんでした。こんな大国賊を無傷でおいてよいものか。
それは河野洋平とて同じです。

二人を国会に呼びつけて談話発表に至る経緯を究明すべきだと思うのです。

日本政府が集めた二百数十点に及ぶ公式文書の中には強制連行を裏付ける資料は皆無だった。河野洋平談話発表の直前に行った韓国人元慰安婦16人からの聞き取り調査だけで強制連行を認めてしまったという安易さ。(石原信雄元官房副長官の証言)

▽河野洋平は国会喚問に応じ、談話の誤りを率直に認め、談話の破棄がなされなければならない。

▽村山富市も同じく、身体が喚問に耐え得るうち、国会によぶべきだ。(ついこのあいだの選挙戦では元気に活動していたから、今ならまだ大丈夫)

▽「河野談話」の談話の基となった証拠は皆無といっていいほどに稀薄である。

▽村山富市、河野洋平の証人喚問を通じて、世界にも従軍慰安婦の捏造姓を世界に広く流布すべきである。

▽同じく、宮沢喜一(逝去)のアジア諸国へのお詫びも見直し、破棄すべきである。

▽李明博韓国大統領が竹島不法上陸の理由として上げたのが、慰安婦問題への日本の対応であるならば、日本は早急に李明博の言動の根拠となった河野洋平談話の見直し、破棄をせねばならない。

▽ 安倍自民政権政権は河野談話を再検証したうえで、破棄する手続きに速やかに入るべきである。

▽河野談話は、自民党の宮沢喜一内閣が細川護煕連立内閣に代わる直前の平成5年8月4日に発表された。

▽ 「従軍慰安婦」という朝日新聞の捏造用語を使い、その募集に「官憲等が直接これに加担したこともあった」などという表現で、日本の軍や警察による強制連行があったと決めつけた内容である。

▽ありもしなかった公権力による強制があったとの偽りを国内外で独り歩きさせ、韓国内外での反日宣伝に誤った根拠を与えた。

▽慰安婦が日本軍に脅迫され暴行されて強制連行された事実はない。

▽石原元副長官が河野談話作成の経緯を告白したのは、談話発表から4年後の平成9年3月である。

 ▽同じ月の参院予算委員会で、当時、内閣外政審議室長だった平林博氏は、元慰安婦の証言の裏付け調査が行われなかったと証言した。

▽談話に基づく強制連行説の虚偽が露わになって以降も、それを踏襲し続けた歴代内閣は国民への背信行為で糾弾されるべきである。このたびの安倍内閣には今までの内閣の二の舞を演じぬよう切に願いたい。

河野談話の元になった韓国人元慰安婦の証言をいまだに公開していないのも、河野談話の信ぴょう性を疑わせるに十分であろう。

安倍内閣の下で、河野談話の検証が行われたこともある。米下院で慰安婦問題をめぐる対日非難決議案が審議されていた時期の平成19年3月、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定した。

米下院の決議案には、「日本軍は第二次大戦中に若い女性たちを強制的に性奴隷にした」など多くの事実誤認の内容が含まれていた。

▽これに対し、安倍首相は「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れていくという強制性はなかった」と狭義の強制性を否定し、「米下院の決議が採択されたからといって、われわれが謝罪することはない」と明言した。

▽一方で、「間に入った業者が事実上強制していたケースもあったという意味で、広義の強制性があった」とも述べ、河野談話を継承。(注;これをやるから、分かりづらくなり、強制連行があったと、誤解され広まる。『国家としての』強制の有無が問われている一件に、なぜ民間のそれも大半は朝鮮側の業者の事例を持ち出すのか。)

▽この安倍首相発言の趣旨は当時のブッシュ政権や米国社会に受け入れられなかった。安倍氏の妻のCNNの取材中「あなた本当にそんなこと言ったんですか!?」という安倍氏を責めるごとき愚かしい質問があたかも、安倍氏が虚偽を述べた印象で、世界を駆け巡った。(注:夫人の責める口調を受ける形で安倍氏は、慰安婦の人々へのお気の毒発言をしてしまい、これが強制連行慰安婦への同情発言として受け止められてしまった。私的な慰安婦は単にビジネスとしての売春婦たちであり、従軍慰安婦問題の場に持ちだしては混同され、誤解を更に促す結果になる)

▽アーミテージ元米国務副長官ら超党派の外交・安全保障専門家グループが発表した日米同盟に関する報告にも、「日本は韓国との歴史問題に正面から取り組むべきだ」との誤解に満ちた文言があり、この部分に関する安倍氏の中途半端な姿勢と、なかんずく夫人の認識不足による政治的発言の責任は極めて重く、自戒されたいが、またしても「反原発」その他の不用意発言が頻発していて、夫人自身はもちろん安倍氏も伴侶の政治的発言がもはや、個人の領域を超えて世界に発信されること、夫人に教え込むべきであろう

▽かくして誤解したままのアメリカでは、韓国人による従軍慰安婦糾弾活動が活発で、日々捏造された慰安婦物語が発信されている。こうした侮辱に対抗するためにも、日本は河野談話の誤りをアメリカ筆頭に海外に必死に発信し続けなければならない。

▽そのためには、記者会見で問題の発端となった河野洋平の「慰安婦強制連行を認めた」発言を糺し、談話に至るまでの経緯を究明すべく、国会は村山富市、河野洋平の二者を証人喚問で呼ぶべきである。そのためには、国民がいっせいに安倍内閣に要望を届けねば、いつまで経っても単に河野談話の否定程度では、ことは解決すまい。

▽安倍氏は総裁選の頃、河野談話に加え、教科書で近隣諸国への配慮を約束した宮沢喜一官房長官談話、アジア諸国に心からのおわびを表明した村山富市首相談話も見直す考えを表明しているが、今後トーンダウンして引くことなく、着々と実行していただきたい。

村山富市

 

河野洋平

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在日の嘘、打破法

2012-12-27 | 日記

某掲示板からの拾い物ですが、いい出来で感心しました。
在日問題の時、参考になります。

 

強制連行されたという在日朝鮮半島人は以下の質問に答えなさい。

・ 誰によってどこへ強制連行されたのか詳細を述べなさい。
・ 戦後67年間,祖国から返還請求がない理由を述べなさい。
・ 戦後67年間,祖国に助けを求めなかった理由を述べなさい。
・ 戦後67年間,祖国が在日朝鮮半島人を問題視していない理由を述べなさい。
・ 戦後67年間,自分達で帰国事業を立ち上げなかった理由を述べなさい。
・ 戦後67年間,日本人に対して返還事業を提案しなかった理由を述べなさい。

質問に対する回答が無い場合,
在日朝鮮半島人は「違法入国者」の末裔,もしくは当人であるとみなします。
つまり「犯罪者」であるということです。


在日朝鮮半島人のすばらしい「愛国心」

・ 強制連行されてきた外国人のはずだが、祖国に帰らせろとは言わない。
・ 祖国は日本よりすばらしいと言うくせに、帰ろうとはしない。徴兵も無視。
・ 帰る祖国が存在するのに、帰る場所はないと言う。
・ 日の丸を見るのも嫌な外国人のくせに、日本から出て行こうとはしない。
・ 立派な朝鮮人名を名乗らず、屈辱なはずの日本人名を自らの意思で名乗る。
・ 大嫌いなはずの日本人に、リアルでもネット上でも成りすます。
・ 外国でトラブルに遭うと、祖国の大使館ではなく日本の大使館に泣きつく。
・ 祖国に帰れば参政権があるのに、なぜか先に日本での参政権を要求する。
・ 祖国を良くするための諫言はしないが、日本には内政干渉をする。

盧武鉉大統領が在日を語る (03年6月の訪日時TBSのテレビ番組で)

第16代目韓国大統領

 

「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」

「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。
日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞にそんなことを言う資格などない。」

「私は僑胞の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、 日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、いいとこどりではないか。
私たちが苦しい思いをしていた頃、僑胞の連中は私たちよりいい暮らしを日本でしていたのだ。僑胞は僑胞だ。韓国人ではない。」

 

・・・・要するに祖国韓国に捨て去られた棄民なんですね。だったら、他人の国に住まわせていただいているのだから、もうちょっと謙虚にという要求が過大でしょうか。日本を罵りながら憎みながら、祖国を賛美してそのくせ、日本にしがみついて帰ろうとはしない人たち。

              在日コリアン永住許可廃止

【備考】韓国の棄民 http://megalodon.jp/2009-0212-0022-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090211-00000059-yom-int

在日韓国人の強制退去、韓国側が拒否…70年代外交文書で判明

2月12日0時3分配信 読売新聞

 

 【ソウル=前田泰広】日本政府が1970年代後半、日本で犯罪を犯した在日韓国人を韓国に強制退去させようとし、韓国政府が受け入れを拒んでいたことが、韓国政府が12日公開した外交文書で明らかになった。

 拒否された日本側は、強制退去対象者を北朝鮮に送還する可能性を韓国側に「暗示」したとしている。

 外交文書によると、韓国政府は「韓国に生活基盤がない」などとして強制退去対象者20人の受け入れを拒否。在日韓国大使館は78年7月、「日本政府が北朝鮮に送還することを暗示した」と分析し、「日本との協議で1人の受け入れを決めた」と韓国外務省(現外交通商省)に報告した。だが同省は、「受け入れられない」と大使館に再協議を指示したとされる。

 

最終更新:2月12日0時3分

読売新聞

 韓国人の大嘘の一つに日韓併合で名前まで奪われた、というのがあります。
これが「創氏改名」ですが、実態は中国人からの差別を嫌った朝鮮の
人々が日本の姓名をつけさせてくれと願い出たというのが真相です。
有料制でした。強制に有料ということはあり得ません。
強制ならこんな呼びかけ広告など必要ないでしょう? 慰安婦募集もそうですが。
応募者の自由意志だったのです。

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/442.html

こちらのサイトに詳しく経緯が述べられています。

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