BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

日本が普通に好き。 右も左も興味ない是々非々主義です。

石原慎太郎と橋下徹、そして皇室

2012-11-26 | 日記

石原慎太郎氏と橋下徹氏との共通項は「力志向」だと以前、書きました。内部にあっては権力志向です。もう一つの共通項にも触れたことがあります。お二人ともに天皇を不要だと内心考えている。これは非公開で頂いた某情報と併せて最近、確信に近くなりつつあります。

石原氏はまごうことなき「愛国者」ではあります。防衛に対する姿勢は的確に正しい。しかし、保守層もさまざまで、国家を力の理念のみで捉え、天皇を価値観として据えない人たちも少なからずいます。保守だから天皇尊重であるというのは思い込みに過ぎません。主力の保守ブログで、天皇について、また東宮の問題について口をつぐんでいるところが意外に多いのに気づかれるでしょう。それはおそらく禁忌として触れぬのと、実は天皇不要論者として皇室に関する記述を意図的に外してしまうのと、両者あるように見受けます。

先稿で書きましたが国家というものは、最初から確固として存在するものでなく、そこに集う人々の意志で創り上げられたフィクションであり幻想です。守りぬく意志が失せれば、国家は雲散霧消する。守るためには「主義」であれ元首であれ天皇であれ、国家という扇の要(かなめ)が必要です。要は「理念」と言葉を置き換えてもよろしい。理念はすなわち共産主義であり共産党政府であり、合衆国民主主義に基づく国民の意志による代表である大統領であり、そして日本という美しい扇の要(かなめ)に太古より居続けたのは天皇です。

要を要として担保するのは儀式であり、これは世界各国そうです。国により形態が異なりますが日本の場合は、宮中における神事を最たるものとして、日常次元では国旗国歌への敬意がそれに当たります。

日本国の要(かなめ)をどうするか。
従来通り、天皇陛下であるのかそれとも新たな要を置くのか、日本国民はもはや意識的に選択すべきです。終戦以来、戦勝国側の意図による天皇の象徴化、つまりは記号化によりその地位は曖昧になり、多くの日本人が当たらず触らず、天皇の存在は日々曖昧模糊としたものになっています。本来日本国にとって天皇は、万世一系の糸を手繰れば神武天皇に行き着く神でした。

君主制を採用する国は他にもありますが、神話の世界に連綿とつらなる一つの王朝が存在し続けているのは世界に類例を見ません。

天皇は要るのか要らぬのか。

ある日本人にとっては、この設問自体が無意味であり不敬であります。しかし不敬の一言で問題から目を逸らしていては、皇室の弱体化は日々明らかでいずれ崩壊の危機にひんします。不敬の名のもとに問題を放置していることこそ、大きな意味での不敬ではないでしょうか。

また多くの日本人にとっては漠然と「昔からあるものだし・・・」と、積極的肯定でもなければ否定でもない対象です。なくなることに、よしとするほどの信念はないが、かといってなぜ天皇が必要なのかは解らない。

「なくてもいいのではないか」と思う人々も確実に存在します。それをもっと確信的に「不要」と断じて、フランスのごとき共和制国家の青図を描いているのが橋下氏であり石原氏です。
左翼の人々は言わずもがなですが、石原氏はむろん一線を画します。橋下氏に関しては以前書きましたが左翼でも右翼でもありません。価値観の基軸にあるのは権力であり、全ての言動はそれを最も効率的に得るための手段です。ですので、表から見ていればブレます。しかし橋下氏の内部では終始一貫していることです。

天皇不要論は両氏共に明言しているわけではありません。ただ橋下氏に関してはその出自とこれまでの言動の累積から自ずと、ああこの方は天皇の存在に関しては否定的であろうと類推が容易です。文楽という日本の古典芸能排斥に端的に見られるごとく、日本を捉える国家観から伝統と美が欠落しています。
石原氏もまた、どうやらそのようです。と言うと「え、石原さんは作家なのに?」といぶかしんだ友人がいましたが、石原さんがデビュー作以来かつて(本物のという意味での)作家でありアーチストであったことは一度もありません。
障子に屹立した男根を突き刺す、という戦後まだ日が浅く日本が打ちひしがれていた状態からやっと立ち直りつつあった時代に、日本の倫理紊乱(びんらん)の若者小説に審査員も出版社も幻惑され、また「売れる」という商魂もあいまって芥川賞に選ばれ、思惑通り石原氏はスターになりました。石原氏は当時から優れたアジテーターではいらしたのだと思います。
その小説を読んだこともない若者が石原氏の短く刈り上げたヘアスタイルを真似て街を湘南ボーイスタイルで闊歩、そして石原氏はその存在そのものがスターで有り得る条件を備えていました。美貌であり、当時の男にしてはスラリと足が長く、ご成婚前の美智子妃殿下も素敵だと思われた、という当時のゴシップめくニュースの断片が残っています。

見てくれと話題の衝撃性だけで売れたタレントのように、石原氏は作家としての代表作は「太陽の季節」以外ありません。それとて社会的事件であったというだけのことで、今それを傑作と評価する批評家はいません。文章も、その明晰な談話に比して凡手です。石原氏が常に意識していた三島由紀夫の作品の幾つかは小説、戯曲いずれも古典となりつつありますが、石原氏の作品は何も残っていません。
石原氏がそれを自覚していたのかどうか、氏は政治家に転向します。三島が歌を歌えば、石原氏も歌い、映画に出れば映画に出演し、しかしどうあがいても足元にも及ばぬものが文学でした。おそらく氏にはそこへの劣等感がありそれも政治家転身へのバネになったのではなかろうかと、これは愚考です。三島が成し得なかったこと、それは一国の権力者になることです。石原氏はそこを目指しました。しかし、ついに首相になることなく国政を去りました。その後、森・元首相との密約で息子に夢を託すがこれも挫折。見果てぬ夢の代償のように現れたのが、橋下氏ではなかったでしょうか。小論はさておき、権力、力志向、天皇を廃した国家構造を目指すという大局での共通項があります。

石原氏の作品を多く読んでいるわけではないので、断言ははばかりますが三島由紀夫と対比して言うなら、氏の作品から欠落しているのは、日本人としての美意識です。美と伝統の形としての国家観です。そして・・・天皇です。
これをもってして、石原氏が天皇不要論者であると断言するのは軽率ですが、傍証的な事実を上げるなら氏が都税を大枚に費やしつつこだわっていたオリンピック誘致。「皇太子に協力をしてもらいたい」発言があり、言葉を約めれば要するに宣伝マンをやれ、と。この言い分だけではなく、口ぶりに微妙に敬意を欠いていると感じた人はいるのではないでしょうか。ごく微妙な感覚ですが。氏の立場なら、腹で何を思おうと表向きには「畏れながら」という言葉と共に、最大限の敬語で語られるべきだと思いますが、そうではありませんでした。
皇室に敬意を払っている人間は皇太子をオリンピック誘致に使うという発想は持ちません。なぜなら、それで誘致が叶わなかった時、皇太子にそれだけの力がなかったということを世界に示すことであり、皇太子軽侮につながりかねないからです。
以上の「状況証拠」に添えて、非公開で頂いた某情報があるのですが、ご当人が非公開を希望していらっしゃるので書きません。

長々しい論で退屈かもしれませんので、取り急ぎ申し上げておくなら、もしあなたが天皇陛下を尊重する立場であって、しかしもし維新の会に投票をお考えなら、それは矛盾かもしれません、とだけ。

美としての日本を大切に存続させたいなら、天皇陛下の存在は必至です。伝統と美の国としての日本を考え続けた三島由紀夫の心の中にあったのは、常にすめらみことでした。

わたしたち日本人が総て神話を信じる必要はありません。しかし、日本が日本であり続けるための主体性を従来通りの形で求めるなら、神話は少なくとも尊重されねばなりません。GHQの手により記号化された天皇を、しかし彼らの思惑通り人間として扱ってはなりません。双方約束事の上で成り立つ一種の虚構が必要であります。万世一系の神話に心からひれ伏せる人はそれでよし、そうでない人は国体を最も効率的に保てる歯車の中心として、尊重すればよろしい。
こういう皇室のメカニズムを全く理解なさっていないのが、東宮です。神の庭の住人として、あるいは時に神を容れる器として自らを捧げるお役にあることを理解されていない。
キングでもない、エンペラーという世界でも特殊な位置に上るための帝王学もなされなかった。

代々の天皇が言い続け、また書き遺しておられるごとく天皇の要諦は一に祭祀、ニに祭祀、
祭祀に始まり、祭祀に終わるのが天皇なのです。
「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
(順徳天皇「禁秘御抄」)
すなわち・・・宮中内の天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、決して怠けてはならぬ、と。

*「禁秘抄」は朝廷における儀式作法の根源・由来・を究め古来よりの慣習を後の世代に残さんとしたもの。次代の皇子に帝王の道を伝えるもの。

祭祀を抛擲した時点でそれはもう、ただの人間に過ぎません。畏れながら東宮は先帝の方々のご遺志に背いていらっしゃいます。東宮夫妻が天皇皇后となられた時、宮中の祭祀は衰弱します。石原氏や橋下氏が考えるごとき、天皇不要論を実は皇太子夫妻自らが実践されているのが現在のお姿です。あまり深く思いを巡らす方ともお見受けせず、ご本人はそこまで意識されてはいないでしょうが。天皇が形而上の価値を帯びた存在であることにも畏れながら思いは至らぬのではないでしょうか。形而上であるがゆえに負の意味ではなく正の意味でのuntouchable、禁忌なので、禁忌はすなわち「不敬」という観念に連なります。現在の東宮ご夫妻は不敬の一語からいかにも遠いご存在のように思われます。形而上の存在である神から離れて皇室の存在意義はありません。

時代はもはや変わった。ゆえに日本はもはや天皇を必要としてはいない。そういう考え方もあり得ます。しかし、この日本を最も美しい形で、効率良く一つに束ねるための、明確な代案があるかどうか、それをまずお考え願いたいと思います。代案なければ、かつて三島が懸念した通りの、品もないしどけない国家へと日々転落して行くばかりです。

日本のようにくるくると首相も大臣もめまぐるしく変わる状態では、政治家の中から外交的説得力あるスターは誕生しない、という卑近な現実もあります。最も説得力のある外交官は天皇陛下です。東宮の代から急激な格落ちは否めず、ルクセンブルグ他の外国での拙いお振る舞いを拝見するにつけ、むしろマイナスのイメージが日本に持たれてしまうことを懸念します。皇太子の実像はベールをかけての報道しか知らないわたくしたち日本人よりも、身近に接した海外の王族の方々のほうがご存知だと思います。(全てを心得られた秋篠宮の摂政を望むゆえんです)

国家自体が意味を成さないという鳩山由紀夫氏のような考え方もあり得るにはあり得ます。しかし、それは目下、観念としてのみ可能なのであって、世界はいまだ国境と武力と侵略で成立しています。国家国境不要論は、現実遊離の未熟な論議です。世界はいまだ、野蛮な力と虚偽の論理で成り立っています。そういうリアリティを前提に、何を日本という扇の要に据えるか、改めてわたくしたち日本人は考えるべき時ではないでしょうか。天皇が脆弱化してやがて消滅に等しくなった時、天皇に代わる国の要をわたくしたち日本人は持っているでしょうか、

 

【備考過去記事】

天皇とは何か 秘儀の由来
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/25d835617d37501ec782e0baa39ee256

すめろぎは、などて人間となりたまひしhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7714fe93cfc74b2ac9afdf131f1bf3e9

 天皇即位後に行なわれるのが大嘗祭(だいじょうさい)です。秘儀です。新帝は天照大神ほか天神地祇(てんじんちぎ)に、神饌(しんせん)を供え、祈念します。

神社の祝詞(のりと)に相当する「申詞(もうしことば)」は天皇直伝で一般には明かされません。

しかし十四歳で即位した順徳天皇に、父・後鳥羽上皇が大嘗祭の直前、その秘儀について伝授されたことが後鳥羽上皇の日記(建暦2[1212]年10月25日)に記されています。

 「伊勢の五十鈴の河上にます天照大神、また天神地祇、諸神明にもうさく。朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」

 天皇はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られます。それがお仕事です。国がため、民がため日々祈って祈って祈り尽くす。ご公務はおろか神事までないがしろにされる方に天皇を継ぐ資格はあおりになりません。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

かっ、可愛い

2012-11-25 | 日記

 

すみません、記事でも何でもないのですが、あまりのお可愛らしさに。もう少し皇室にも日本の未来にも希望をつないでみようかな・・・。

コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

三島由紀夫の予言 すめろぎは、などて人間となりたまひし

2012-11-24 | 日記

さて預言と予言、いずれを三島由紀夫が市ヶ谷自衛隊バルコニーで飛ばした檄に充てるべきか。漢語の上では双方同義だそうだが、聖書学の上では預言は神からの啓示であり、予言は未来の予測であり、よって常識的にはむろん予言であろうけれど、三島の最後の言葉は単なる未来予測として語るには余りにも重い。

三島の極めて身近にいらした方からお聞きしたこと。「夜、書斎のデスクに伏せてうたた寝をしていると、軍靴の響きが聞こえるんだ」と、三島がその方に語った。詳細は省くが、ニ二六の霊魂たちであろうという結論に達した。三島がそのたぐいを信じていたとは思わないが、その時の会話の成り行きで一瞬青ざめていた、という。最初は笑みで気楽に語っていたのが、ニ二六のある方のお名前が具体的に上がったとたん、さあっと顔色が変わったと。

・・・しかしそれにしてもやはり預言という字はふさわしくない。二・二六事件の将校たちから託されたメッセージだとしても、彼らは神ではないのだから。

などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」

天皇陛下よ、なぜあなたは人間となってしまわれたのか。この言葉の意味が分かったのは最近のことだ。三島文学のきらびやかな美学の奔流に幻惑翻弄されるばかりで、楯の会に代表されるもう一つの「思想」にも「行動」にも関心が向かわなかったせいもある。

ある日ふと、日本というものに目が行き心を傾けるにつれ、三島由紀夫のもう一つの側面に光が当たって見えてきた。(今、都内ではかなりの揺れあり)

・・・・・地震で気勢が削がれたのか書き継ぐ気力が途絶えました。何を書こうとしていたのだろう。三島さんが、市ヶ谷のバルコニーで飛ばした檄を今こそ噛み締めている人達も多いのではないでしょうか。三島さんが憂え、警告を発した通りの日本になっていますね。

それと、三島さんの発した「すめろぎ」に啓発され、皇室小論を試みようとしたのでした。まさに天皇が「人間」となってから、それまで歴史と伝統に支えられ美しい姿勢を保っていた日本がしどけなく崩れ始め、今や目を覆わんばかりの惨状です。天皇も皇室も、なぜそこに在るのか解らなくなっている日本人もいます。

最近のコメント欄にわずかに書いたことですが、国家というものはしょせん幻想であり、フィクションです。実は人間の概念の中にしか存在しないという意味で。よって、絶えずその幻想をリアリズムに近づけるための努力を払わないと国体は瓦解します。幻想にリアリズムの添え木を当てるのが儀式なのです。儀式はある宗教団体や国家に於けるごとく、マスゲームの形態を取ることもあります。共産党大会も儀式です。史実すら美化歪曲、特定国を罵ることを儀式としている国もあります。

国旗は単なる布切れでしかありません。しかし、そこに一国の誇りを託すから命が通う。国旗は常に国歌斉唱、起立という「儀式」が伴う故に、単なる布切れではなくなります。

日本という国の儀式そのものが天皇です。糸を手繰れば一系の神武天皇という神話的現実に辿り着く。神話を実在とするか、ファンタジーと取るかそれはどちらでもよい。日本という美しい幻想の扇を鞏固に保つには天皇という要が必要なのです。

そのためには、天皇は人であってはならない。GHQによって「人間」に降格させられた時から、扇の要は緩み、しどけなく壊れて来ています。儀式とは建前であります。本音をさらしてはいけないのです。あらゆる制服は本音にかぶせる鎧です。天皇を頂点に、日本人が心を一つに束ねることで、日本の国体は、そこに盛られた美意識も情緒も倫理も、最も効率的に保たれて来ました。天皇に代わる何かがもしあるならば、それでもいいのかもしれませんが、おそらく代わるものはないでしょう。

「およそ禁中の作法は神事を先にす」

と歴代天皇がもっとも重んじたのが祭祀です。祭祀とはその神秘的側面はしょせん極主観領域に属することなのでとりあえず触れずにおくとして、神事は決め事であり儀式であります。建前であり様式です。天皇自体が大いなる建前であり様式なのです。

宮中は「神の庭」であるという「虚構」を皇室、国民合意で受け容れる時、神話が現実となります。なべて儀式は虚構にリアリズムを沿わせるための手立てで、これは西洋とて例外ではありません。ただ日本の場合は、万世一系の神武天皇が根っこにおわす。それを信じねば皇室は成立しません。
少なくとも神話という虚構を儀式を通して信じた「ふり」をすべきです。国という、実はこれも実体の希薄なフィクションを成立させるためには、いずれにしてもそれを束ねる虚構が必要です。それが共産思想であれなんであれ。日本では古来より天皇が国体という幻想を束ねる要でした。
国家というものは意識して維持せねば、解体します。幻想なのですから。
幻想は儀式(共産党大会もそうです)で支えねばなりません。
宮家という舞台で、神の取次ぎ人を演じることを捨て去った存在はもはや禁忌ではあり得ません。単なる人間であることを望まれるなら付与された特権のほとんどを捨て、宮城を去るしかありません。

神武天皇は実在であったとする者、神話であったとする者、それはいずれでもよい。天皇を日本国の国体の要として崇めるという約束事が成立した時に、国は一つにまとまります。
女王蜂はそのように生まれるのではなく、そのように育てられます。天皇を天皇として成立せしめるのは畢竟国民の意識でしかありません。国民が天皇を育てます。ひとたび不要と思えばそこには何もない。

皇室というのは、形而上学です。リアリズムの価値観で測っては、とたんに雲散霧消する存在です。国家の数だけ国家観はありますが、美意識に裏打ちされた国家観は日本特有でしょう。そしてそれを根幹で支えてきたのが天皇でした。

 地震に気を奪われ、なにやら文節重畳する半端な論になってしまいました。

 烈士三島由紀夫 英霊の聲(完全版転載編集)

コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

自民党の政権公約 その光と影

2012-11-23 | 日記

http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/j_file2012.pdf

自民党が発表した政権公約の、とりわけ国防、対中国と韓国に関する記述が
なまるぬく、気迫と熱気に欠けること、対外発信としての力強さが無く物足りないこと、先稿で述べました。従軍慰安婦についても、対策としての具体案が何一つ書かれていません。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/aea01a77ab24c128ad4e46e38b79bae5(過去記事)

更に読んでみると、「留学生30万人受け入れ計画」などがあり、なおさら首を傾げざるを得ません。

pdf15Pですが・・・

「留学生30万人計画」と学生・研究者の国際交流の積極的推進
「留学生30万人計画」の実現を目指し(当面20万人目標)、国・地域・分野等に留意しつつ、
優秀な留学生を戦略的に獲得します。東日本大震災の影響により、日本で学ぶ留学生や研究者が減少しないよう、
日本の学校や研究機関の教育研究活動に関する情報発信の強化、生活支援など在学時の受け入れ環境づくり、卒業・修了後の就職支援など社会の受け入れの推進を図ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これが本当に必要でしょうか? 渡航費生活費まで面倒を見て、彼らが何か日本のためになることをしてくれるのでしょうか。データが欲しいと思います。プラスとマイナス双方のデータが。日本人の学生が返却しなければならない奨学金で苦労しているのに・・・。

それに留学生の国籍を記載していませんが、大方が韓国と中国人なのではないでしょうか。それを日本国民が納得しますか? 形を変えた韓国中国へのご機嫌うかがい、媚び外交なのではないですか?

「国防動員法」の存在をどう考えているのでしょう。仮に中国人学生が半分として、場合によっては15万人もの人民軍兵士予備軍を日本に呼び入れる結果になりかねません。

チベット侵攻に反対した聖火リレー妨害のとき、長野に参集した中国人留学生たちの暴徒化した姿は今なお記憶に新しいというのに。しかも、義は彼らにはありません。チベットの民を虐げ犯し拷問し殺害することのどこに、義があるというのでしょう。しかし、彼らは五星紅旗のもとに集い、ここが日本であろうと暴徒と化す。そして、日本の警察が取り締まるのは、日本人たちで中国人たちではないのです。

30万人といえば都内ではほぼ中野区、新宿区、市では秋田市、那覇市などの人口に相当します。

「聖火防衛隊」長野に在日中国人留学生2000人を集結させる

記事抜粋【先般、長野市で行われた北京オリンピック聖火リレーでは、中国人留学生による不法な暴力が頻発した。

警察庁は、長野県警のほか、警視庁や関東管区機動隊などを投入して三千人体制で厳重な警備を敷いたにもかかわらず、器準備集合罪を適用して逮捕することもせず、約四千人動員された中国人留学生らによる集団暴力に為すすべもなかったが、今後の治安対策に重大な課題を残したと言わざるをえない】

いつまでこんないびつな状態を続けるつもりなのか。

留学生30万人受け入れが本当に今、日本に必要なことでしょうか。上げられた消費税に苦しみながら支払うのは日本国民です。いわば暴徒予備隊なのですよ、中国の留学生たちは。

相変わらず宗教法人税には触れず(公明党と組んでいれば出来っこない)、日本の国家予算の数分の一にも及ぶパチンコ業界収入の課税にも踏み込まず、在日の人たちの税制優遇も相変わらずそのまま。消費税アップには反対はしませんが、その前にやるべきことがあるでしょう。言っちゃなんですが、某大教団もパチンコも韓国系ですよね。なぜ、そこに及び腰なのでしょうか。裏で結託している議員さんがいますか?

自民党の政権奪還はもとより歓迎すべきことですが、しかし国民が支持と同時に、厳しく監視、批判して行かないと、またゆるやかな売国政治が再開するだけです。昨今の、ただ叩き落とすための安倍バッシング、自民党叩きには厳しく対抗すべきですが、無条件の安倍、自民持ち上げもまた違いませんか? 日本の再生のためには、よろしくないのではないでしょうか。

本来支援に徹すべきこの時期に敢えて苦言を呈するのは、ネットの外に一歩出た時の一般国民は、いまだ自民党を信用していませんし、一部保守層が熱狂し期待するほど安倍さんに好意を抱いてもいないからです。こんな状況下で、いたずらに擁護持ち上げているだけでは、自民党に必要な真摯なる自省と自己改革が望めず、多くの国民の心が寄り添って行く状態にはありません。大してよくもなかった政党にくたびれ果てて、目新しいのを選んでみたら酷い目に合って、あんまり酷い目に合ったので、大してよくもなかった政党が一瞬光り輝いて見えている層が、一瞬熱狂的に拍手をしているだけです。錯覚はいずれ覚めます。

「お腹が痛くて辞めた人」「またすぐ辞めるのでは」という意見も実にひんぱんに耳にします。そのつど、「いやあれは難病で」とかばうのですが、しかし安倍さんもけじめのつけ方が足りなかったのは事実。辞めた時点で本来なら国民にきちっと説明して、総理の座を投げ出す結果になったことを深々とお詫びすべきだったのです。それを後出しジャンケンで「いやあれは難病で」というやり方では、説得力が薄いのは当然です。しかも、官房長官の頃から行きつけだという韓国料理店で手酌でマッコリ、キムチのお代わりをしてみせる。難病だったというからには、当時も含めてそれなりの節制は必要なのではないですか。自らのポジションに対して無責任ですよ。イ・ミョンバクの竹島上陸、天皇陛下への不敬発言容認とも取られかねない行為であったことは言わずもがなでしょう。総じて何という構えの甘さでしょうか。

党も党で、なぜあの時国民がいっせいに見捨てて民主政権を誕生させてしまい、その結果国を壊し弱体化させることになったのか、真摯に考えるべきでしょう。結局、国民に愛想尽かしさせてしまった自分たちの責任ではないですか。

「留学生30万人受け入れ」案にほとほと萎えながら、自民党に再び付託することに喜びとときめきを感じません。

 先稿で触れましたが、政権公約で外交に関してはこう書かれています。「中国・韓国・ロシアとの関係を改善する」

改善というごときなまぬるい状況に今はありますか? 韓国や中国の教科書を含めた反日教育に対する姿勢もいっさい示されていない。竹島、尖閣、従軍慰安婦、北方領土と全て全て相手側の捏造に基づく主張に対して「関係を改善する」!・・・やる気はあるのだろうか、また先延ばし棚上げの、毒にも薬にもならない文言を連ねた腑抜け外交の再来かと思わざるを得ないのです。

韓国の歴史教科書について。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/rekishi.htm

「歴史とは何かよりも、人々が歴史をどう政治的に使うかだ」 (マサチューセッツ工科大学、ジョン・ダワー教授)

自らの国益のために、日本に贖罪意識を持たせるべく自国では反日教育をしつつ、日本の教科書には主権侵害を犯して、クレームを突きつけて来続けた韓国と中国。

自民党政権はまた韓国と中国の軍門にくだろうというのでしょうか。覇気もない具体案も示されない公約を読んでいると、そう思わざるを得ないのです。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/index.htm

[ 8 : 園田外相の発言 ]
昭和 50 年代に外務大臣を 三度務めた園田直 ( すなお ) という人がいました。昭和 5
6 年 ( 1981 年 )8 月の日韓外相会談の席上、 韓国側が安全保障問題 ( 韓国が共産主義に対する盾になり、日本を守っているとする主張 ) も絡めて、日本に 5 年間で 60 億 ドル( 当時 2 兆 1 千 6 百億円 )という法外な政府借款 ( カネを貸せ )や技術移転を執拗に要求しました。それに対して園田外相は、 韓国では 嫌いな相手 から カネを借りたり、技術を教えてもらう 社会習慣 でもあるのか?。 と公式の席で発言しました。韓国ではその当時から反日教育や反日宣伝を盛んにしながら、その 一方で日本に大量の資金援助、技術援助を求めてきましたが、園田外相の発言は韓国の 非常識で国際儀礼を失した態度 を痛烈に批判したものでした。これに対して韓国外相は歯がみして悔しがったものの、まともな反論もできなかったことが当時話題になりました。世界の常識では常に悪口を言う相手には カネを貸さず、技術を教えないのが常識ですが、韓国人にはそういう常識や礼儀が通用しないのです。悪口を言いながらも平気で カネ を借りに来たり、技術を教えろとを要求するのです。更に カネを借りたり、技術を教えて貰った場合でも、 相手に感謝することを 知らない のです。 良いことは全て自分 ( 自国 ) の手柄、悪いことは全て他人( 他国 ) のせいにするのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

悪口を言いながらも平気で カネ を借りに来たり、技術を教えろとを要求するのです。更に カネを借りたり、技術を教えて貰った場合でも、 相手に感謝することを 知らない のです

現在もこの状況は全く変わっていません。自民党のせいです。韓国を長年つけあがらせて来たのは自民党です。

最後に・・・・旧来のままの自民党に戻って欲しくないので、いくつかネガティブな面を指摘しましたが、むろん公約には評価すべき点もあります!

衆院選 自民党、政権公約に外国人参政権反対を明記

自民党選挙公約(案)  抜粋
政権公約
J - ファイル2012

XII.憲法・国のかたち
日本人の手で、「日本の誇り、日本人らしさ」を示す新しい憲法をつくります。民主党の進める「夫婦別姓 」・「人権委員会設置法案」・「外国人地方参政権」に反対し、地域社会と家族の絆、わが国のかたちを守ります

327 国のかたちを壊す「外国人地方参政権」導入に反対

永住外国人への地方参政権の付与は、国民主権 ・民主主義の根幹に関わる重大な問題です。憲法上、地方選挙を含めて選挙権が保障されているのは「日本国民 」であることから、最高裁判所判例でも永住外国人に対して地方選挙の選挙権を付与する法案は憲法違反であるとされています。わが党は外国人地方参政権導入に反対します。

http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/j_file2012.pdf

・・・・著しく不信感を抱かざるを得ない部分もありますが、その一方、しごくまっとうな愛国の議員さんたちが集うのもまた自民党であります。願わくば厳しき自省と自浄の上、新たな保守党としての再生を願います。カルト教団母体の公明党との縁切りは必須です。

末尾に韓国側の反応は、こんな手ぬるい公約ですら狂乱気味です。

・・・・・・以下引用・・・・・・

来月16日、日本総選挙で次期政権与党に浮上する自民党の選挙公約がひどい。長い間、抑えられた強硬保守派の古ぼけた念願を掻き集めたようだ。植民地支配と侵略戦争の反省を基礎に作られた現行「平和憲法」を全面改正し武力による紛争解決と軍隊保有の解禁、自衛隊の軍隊化および集団的自衛権行使保障、「象徴天皇」の国家元首格上げなどを推進するという。一つ一つが軍国主義時代のぞっとする歴史を呼び覚ますに足る。

さらに現在の島根県単位の地方行事である「竹島(独島(ドクト)の日本名)の日」を政府行事に格上げし、歴史の反省を込めた歴史教科書の記述を全面改正すると断言した。長く民間次元で推進されてきた歴史正当化作業に政府が本格的に乗り出すという約束だ。

当初、安倍晋三元総理が自民党総裁選挙で軍隊慰安婦動員の強制性を認めた「河野談話」をはじめとする歴代日本政府の歴史反省・謝罪談話を廃棄ないし修正すると明らかにした時からある程度予想された動きでもある。ただし安倍総裁をはじめとする自民党指導部の歴史認識と政治感覚がまさかこの程度で、常軌を逸するとは思いもしなかった。

自民党の総選挙公約が指向する日本の未来像は1945年第二次大戦敗戦以前、いや対外膨張を通じて国家アイデンティティ確保と国民統合をなそうとしていた19世紀末への回帰のように映る。もちろん日本の憲法改正は衆・参議院の3分の2以上の賛成を得なければならない点で不可能な空約束に近い。

来月、総選挙で議席分布が変わる衆議院で自民党が過半数を越える可能性は小さく、民主党の参議院支配は続く。また、民主党政権がついに失敗した状況でしかたなく自民党に票を入れるのであって日本の有権者らがこの様な時代錯誤的妄想に惹かれた結果と見るのも難しい。

次期日本政権がささいな政治的利益のために隣国の歴史感情に触る場合、日本国民がどれほど甚大な損失をこうむるか警告する。同時に韓中両国がもはや100年前の弱くて無知な国でないことを念をおしておく。

ソース:韓国日報(韓国語) [社説/11月23日]日本自民党の時代錯誤的妄想、度を越えた
http://news.hankooki.com/lpage/opinion/201211/h2012112221020676070.htm

関連スレ:【国内政治】 安倍は「天皇派」岸の孫〜軍国主義復活が心配=韓国紙★2[11/22]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1353644672/

どうです、遠慮気味におとなしく書いても、どうせこの言われようです。叩き返せとは言わぬけれど、もっと強く毅然とした公約を望みます。ただ「自衛隊」という、ごまかしの呼称を「国防軍」としたのは手柄だと思います。日教組名指しも進歩でしょう。

 

コメント (7)
この記事をはてなブックマークに追加

韓国を潰す方法

2012-11-22 | 日記

竹島、従軍慰安婦と韓国の態度がこれだけ悪いのだから、制裁やむなしと思いますけどね。

三橋貴明氏が語る「無礼な韓国を潰すのは簡単だ」

【三橋貴明】 日韓問題を経済的視点で解説 【渡邉哲也】

日韓関係が元に戻るのは不可能。

 従軍慰安婦は捏造であることを韓国のしどろもどろが証明!

 

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加