BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

日本が普通に好き。 右も左も興味ない是々非々主義です。

韓国への修学旅行でこう洗脳される?  生徒たちの作文

2012-10-11 | 日記

韓国に修学旅行に行った(行かされた?)帝塚山学院泉ヶ丘高等学校の生徒たちが学校のHPに寄せた感想文の抜粋です。

こうまで捏造をまともに受け取るのか、洗脳されるのかと慄然としますが、中にはどうも教師受けを狙って「ハイハイ、こう書きゃ満足で、内申書良くなるよね」的なしたたかな文章も見受けますが、とりあえず検証。19人の生徒が寄せている文章をアットランダムに抜き出してみます。(HPに作文を求められたということだけでも、それなりの制約が自動的にかかり本音は書けないですね。それをデータに収穫があった、と判断するのも違うだろうと思います)

韓国5千年の歴史とかw、日韓併合で朝鮮の人々は言葉を奪われたとか、そのたぐいの嘘を本気で信じて書いているのか、教師用学校用に建前で書いて涼しい顔をしているのか、ちょっと読み取れませんが。

気になったのは「個人として会って良い人」だから韓国人良い人、韓国良い国、話せば解るふう結論に持っていくのは、ある種の大人もそうですが、錯覚ですね。個人の集合体が国家であり、国家としての韓国は国是が反日、日本と日本人には侮蔑と憎しみを根底に置きます。

突っ込みどころ満載の感想文ですが、敢えて注釈無しでそのまま載せます。皆様でご批評ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●西大門刑務所には本物のようなロウ人形があって、とてもリアルに感じました。兵士が受刑者を拷問しているロウ人形などがあって,日本人はこんなにもひどいことをしていたのかと思い少し悲しくなりました。(中略)日本人として過去にこういうことがあったのだと記憶しておくことは大事だと思いました。

●生まれて初めて軍人さんを見ました。DMZ(非武装地帯)ツアーはためになったと思います。日本では軍隊というものがないので、独特な緊張感がありました。

● 日本と韓国の関係について,日清・日露戦争で日本が勝って以降、韓国を植民地にして日本の文化を習わせたり、きつい労働条件の下で働かせたりと韓国の人々にとってひどいことをしてきたことは学校の授業で習っていました。けど私は、授業でもただ普通に聞いているだけで興味も余り持ちませんでした。戦争で勝った日本と負けた韓国、弱肉強食という考えが今よりももっと強かった時代では「当たり前」とさえ思っていたほどです。ですが、3日目に訪れた西大門刑務所歴史館では、私が想像していた以上に日本が韓国に対してひどい仕打ちをしていたのだと思いました。

●そこでは,刑務所に収容されて拷問を受けている人々の様子がロウ人形で再現されていました。ロウ人形でも痛々しく見えるのに、実際の人間だとどうなるのだろうと考えるだけで恐ろしいです。しかも、拷問をする人間が拷問を受ける人と同じく韓国人だと知りました。もちろん上の人は日本人であるにしても、同じ韓国人同士でそんなことになっているのがとても悲しいことだと思います。

●同じ国民同士をそんな関係にしてしまうような原因をつくった私たち日本人は、現在でも韓国人から憎悪の対象として見られるのも納得してしまう程、西大門刑務所の光景はつらいものでした。

●淑明女子高等学校のペンパルとの交流で感じたことは、西大門刑務所歴史館で感じたこととはまったく異なるものでした。西大門刑務所歴史館で感じた悲しみや不安といった負の感情を改善しようとしてくれているような,前向きな心がペンパルとの交流で感じられました。国境を越えた小さな交流は、過去の出来事によって生じた日本と韓国の間の溝を越えるかけ橋になってくれると思います。

● 一年前、私はオーストラリアに二週間の語学研修に行きました。その時にホームステイをした家には、中国人と韓国人が一人ずついました。私はホームステイをする以前、正直なところ韓国や中国に偏見をもっていました。メディアを通して見る彼らは、完全に日本人のことを嫌っていて、まったく友好的ではなかったからです。でも、その考えはホームステイが終わるころには一掃されていました。そこにいた二人はとても優しく親切で、私は毎晩彼らと話しこんでいました。

●韓国の人たち(特に年齢が高くなるにつれて)が、とても上手に日本語を話しているということです。日本人である自分が聞いても上手だなと思うくらいでした。買いものをしたり道を聞いたりする時はとても助かりました。ただ韓国にいるときには気付きませんでしたが、今考えてみればこれはとても悲しいことだと思います。

●日本は100年ほど前に韓国に侵略し、併合しました。その結果,一時期,韓国の人たちは自分達の国の言葉を奪われました。今では韓国語は韓国人独自のものとして戻りました。一部の人たちはこの戦争のせいで日本を恨んでいると思います。日本では、一年前の自分にように,日本への恨みをもつ人たちをメディア越しに見たときに抱いた感情をもつ人はたくさんいると思います。それは仕方のないことかもしれませんが,時間があれば解決できる問題だと思います。


●例えば、日本を西と東の二つの国に分けるとします。あなたなら西と東のどちらを選びますか?選ぶ権利すら与えられなく、強制的に西と東に分けられ、その地で一生を過ごすとしたらあなたはどうしますか?もちろん東の人は西の人と会うことはできません。西の人も東の人と会うことはできません。その状況で東と西の間で戦争が起きてしまったとして、自分が東、大切な人たちが西にいたとしたら、あなたは戦うことができますか?ドイツ,ベトナム,そして朝鮮半島。これらの国や地域は悲劇としかいいようのない惨劇を味わってきたと思います。あなたにその人たちの気持ちを理解することができますか?

●(チマチョゴリ)私は、日本の着物より楽に着ることができるので良いのではないかと思います。
 

●やはり日本で聞く話と現地で聞く話は感じ方が全然違うと思った。負の歴史を聞いて、「日本人は何をしていたのだ」と思わされた。この歴史の上に僕たちは生きているのだと痛感した。

●韓国の人に限らず、自分の住んでいる国が好きという人は世界にたくさんいる。先生の話でも、韓国の人たちには自分の住んでいる国が好きだという人がたくさんいるということを聞いていた。ガイドさんの話を聞いていると、この人は韓国が好きなのだなと何度も思った。

●果たして僕たちは心から日本が好きだと言えるのだろうか。自分の住んでいる国が好きと言えないのは本当に悲しいことであると思う。

●僕は泉ヶ丘校の外国語選択で韓国語を選んでいますが、韓国語を選択した理由は,韓国研修旅行に参加することを意識してのことでした。

● 次に案内してもらったのは、広々とした現代風の図書館でした。そこには、日本のマンガをはじめとするたくさんの日本に関係する書籍を置いていました。日本の文化が同世代の韓国の高校の中にあることに驚きうれしくなりました。

●そして、相手を思いやる心が世界中に広がって欲しい。まずは人と人から、いずれは国と国が互いを思いあえば、きっと今よりよりよい関係を築けるのではないだろうか。
  日本人、外国人という概念以前に、私達は同じ人間なのだから。

●その大学生は、余り道に詳しくないようで近くにいた男の人に道を訪ねた。当然ながらその男の人は親切に道を教えてくれた。ただ当り前のことが当り前に目の前で行われたことが、僕以外の誰かならおそらく気にも留めないような日常的な一場面に,僕の心は大きく動いた。あぁ、この国の人達も日本人も同じなのだと、当り前のことを当たり前に思った。


●だから双方ともに、相手の国を理解し合うことが友好的な関係を築く上で必要であるのだろう。又、自分の得になることだけでなく、相手の得になることも考えられるようになればさらに良いだろう。そうすれば世界も平和になるだろうに…。

●そして、この研修旅行で、一番心に深くきざまれたのが、戦争中、日本軍が韓国に対して行っていたことです。このことについては小学生のときから今まで学校でいろいろな話を聞いていましたが、自分の目で確認してみると、とても悲しくなりました。これらは忘れてはいけないし、現在を生きる自分たちが、この悲しい過去を背負っていかないといけないのではないかと思います。このことから目をそらしていけば、これまでの関係、これからの関係がなくなってしまうと思います。これらをすべて承知すれば、自分たちは、韓国やいろいろな地域の人と仲良くなれると信じます。

●韓国人は日本人を敵視している。そういったイメージを持っていたが、驚いたことに私が会った韓国人はとても親切だった。例えば、明洞である。明洞は大きな繁華街。ブティックがたくさん並んでいたし、韓国人の若者もたくさんいた。生まれて初めて逆ナンされたときは、韓国でもイケているのだとわかった。しかし、日本という国に好意を持っているかと聞かれるとおそらくNOだ。

●五千年の歴史といわれる朝鮮は、ひとつの言葉を話し、ひとつの民族としてどんな困難にも立ち向かってきた。

●38度線は軍国日本の置き土産であるということだ。広島・長崎への原爆投下(八月六日、九日)→ソ連の参戦(八月八日)→ポツダム宣言受諾(八月十四日)。このソ連の参戦によって、日本の植民地であった朝鮮をアメリカとソ連が奪い合ったのだ。そして、これが元になって起きた朝鮮戦争を契機に日本は経済大国へと成長した。まさに甘い蜜を吸っていた日本に好意を持てというのは難しいと思う。

●韓国語はほとんど知らなかったので不安でしたが、韓国の人たちが日本語で積極的に話しかけてくれてうれしかったです。

●人間は民族や人種、語系によって人間を区別したがる、しかし私が韓国に行き感じたのは、日本人と韓国人という枠組みではなく、ただ人と人という関係が存在しているだけであった。

●日本と韓国は地理的にはとても近く、大阪から2時間で到着する。しかし,日本と韓国は,昔の人が作り出した,見えない大きな壁によって隔たれているように思っていた。何故なら、両国の歴史に、日本による併合というとても大きなものが横たわっているからである。


●到着して最初に感じたことは、日本人と韓国人とは一目見ただけでは分からないということだ。実際私も何度か韓国人に間違われたことがあった。このことからも日本人と韓国人のルーツは近くにあるのだろうと思えた。

●国という視点で見ると、韓国籍を持った韓国人と日本籍を持った日本人ということだけのことになるであろう。しかし,これにはどうも違和感があった。民族学的には近いところにいる両者が,一方に侵略されてしまうということに。

●西大門刑務所には夥しい数のロウ人形があった。重厚な鉄格子の奥に、泣き叫ぶ子供、拷問にかけられる母親、血まみれの青年、そしてその傍らには恐ろしい形相の日本軍の軍人がいた。それを見た私は、悲しみと大きな怒りを感じた。何故日本人がこのような状態を産み出したのかと。拷問にかけられた韓国の方の事を思うと、どうにもいたたまれなくなった。

 
●研修旅行で経験し、学び,考えたことの結論として、日本と韓国が歴史面で手を取り合い、両者の関係を深め、両国がどんどん発展していくという未来図を描きたいと思う。
  

●日本と韓国の大学入試のレベルに差があるのか,どちらが難しいのかは知りませんが、日本は気持ちで負けている、というか少し消極的であるように感じました。韓国の生徒たちはとても積極的です。少し話が大きくなるかもしれませんが,将来、国際的な視点で見たときに,日本はこのままでは、知らない間に韓国や他国に対して不利になるのではないかなどと思いました。

● 日本は見て楽しむもので繊細な料理が多いですが、韓国は体にいいものを料理としているので,見た目よりその点を重視していることがわかりました。

 

「人間万事塞翁が馬」 京都大学iPS細胞研究所所長 山中 伸弥 教授

29分44秒

「先生の言うことを信じてはいけない」

【村田春樹】これでも謝罪しますか?韓国反日記念館の実態[桜H22/8/31]

前半は参政権。8:00あたりから。

こちらで文字起こしをしてくださっています。

http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e2b9.html

「反日記念館」は帝塚山学院泉ヶ丘高等学校の生徒たちが行かされた西大門刑務所以外に複数が韓国内にあるのですね。

【書き起こし】抜粋

●こういう風に散々、日本人が拷問をしたと言っているが、実は日本が併合した時に、韓国であまりにも激しい拷問をやっていたんでビックリしちゃった。

日本はそれで『拷問禁止令』を真っ先に出す。拷問した人は最高で懲役3年にするという罰則を作り、徹底的に取り締まった

帝塚山学院泉ヶ丘高等学校の生徒の皆さん、これが真実です。

修学旅行で教えられるのとは裏腹の、糞尿にまみれていた朝鮮。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121011-00000005-scn-kr

ちなみに「いたいけな少女まで性奴隷として強制連行」と言われている従軍慰安婦ですが、実のところキーセンとしてまだ幼い少女の処女の売り買い(水揚げ)を禁止したのは、日本です。

事実は逆ですので、記憶しておいてください。いたいけな少女を性奴隷にしていたのは当時の朝鮮の風習で、それを禁止したのは日本。朝鮮は禁止されたほうです。

韓国の国営売春婦 キーセン

漢江の奇跡を経て、1980年代に韓国経済が軌道に乗り始めると、国営妓生の志望者は減少した。不足を埋める形で成長した民間の妓生では、フィリピンやインドネシアなどの東南アジアから女性を誘致するようになった。ソ連崩壊後は、ロシア人女性も誘致の対象となった。
 
だが、やがて外国人娼婦に対する違法行為が頻発し、一部で社会問題化する】

そして国営の売春婦制度が無くなったのが、ついこの間の2004年です。

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懲りない高校

2012-10-11 | 日記

修学旅行といえば萩津和野、自由行動は3班に分かれて、陶芸、ガラス細工、和紙の手漉き体験なんて風雅がある一方、相変わらず韓国へ生徒を送り出す学校が多いので、一体これは何なのだろう。

費用はパック旅行の2倍、3倍なのに飛行機は安い大韓航空に、最安値パック旅行御用達の不便粗悪な宿泊所がお約束。とりわけ毎年韓国へ生徒を送り込む学校には割引が効くはずなのに高価格。浮いた少なくはないお金はどこに消えているのでしょう。

「修学」の中味は、戦争記念館で韓国兵士の追悼を自動的にさせられたり、致死に至る農薬散布で騒ぎになった景福宮で焼失が日本のせいだと嘘を教えられたり、「何しに行くの?」状態だけど、学校は「国際感覚を養う」「日韓の友好の礎に」ときれい事を並べるばかり。

世論の批判に抗しきれず韓国を中止する学校がある一方、千葉県印旛明誠高校のようなしぶとい学校もあるわけで。

 

千葉県初の韓国修学旅行

  9月13日(火)〜16日(金) (注 昨年度23年)

http://www.chiba-c.ed.jp/inba-h/

  9月13日(火)から16日(金)まで、印旛明誠高校、初の海外修学旅行を韓国で行いました。4日間通して晴天に恵まれました。1日目は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が見える「統一展望台」と「自由の橋」。2日目は、ソウル市内班別行動。3日目は、現地の「文(ムン)賢(ヒョン)高等学校」との交流を行いました。とても充実した修学旅行になりました。

・・・・・

こちらは、中国とも仲良しごっこがお好きなようで、

「なんのために?」と訊きたくなっちゃいますね。いや、返ってくる答えは定形で分かりきっているのだけど、今回の暴動や李明博の竹島上陸を見ればそんなもの「まやかし」でしかないことは明らかなんですけどね。

2011年度 印旛明誠高校  韓国修学旅行予定表  
ならびに事前調査報告
http://www.chiba-c.ed.jp/inba-h/korea.html

 韓国文賢高等学校が「姉妹校」らしいけれど、李明博の竹島不法上陸以降もあちらが「姉妹」と思っているかどうか。教科書問題その他、韓国の気に入らないことが起こると即、手のひら返しして「友好中止」となるのは中国も同じ。

それでも、にこにこと「友好」を望む日本の学校ってなんでしょうか。在日教師が席巻している学校があるのは分かっているけれど。

千葉県立松戸国際高校では、そのぼったくり価格も問題になっています。

http://logsoku.com/thread/ikura.2ch.net/ms/1349005530/ID:XDS71ylE0

[抜粋]
 
“格安”となる料金は、旅行会社が仕入れた鉄道・航空・バスの座席やホテル・旅館の部屋を、 その組み合わせ方を工夫し、旅行のオフ期(閑散期)に販売するため可能になるわけです。 修学旅行も最低1年前くらいには行き先が決定してオフ期に販売してるので、修学旅行が相場より高額になる反論にはなってない。更に、修学旅行の方が決まった業者に定期的に大量に依頼するのだから、より低額になる市場原理が働くはずだが現実は強制力の方が強いので高額になってる。
朝鮮人の論理と同じでとりあえず高くなると言っておけば勝ちみたいな論理で幼稚園児以下である。

松戸国際の例で言えば、千葉県の修学旅行費用については10万以下との通達があるが、今回の値段はまさに上限の天井である10万である。
同校は5年前にも韓国に行ったようだが、客観的に見て5年前の為替相場に比べて円ウォンは約二倍で円高になっており五年前は10万以上であったと 推察できるが、千葉県の通達がある以上、五年前の旅費が10万を超えたとは考えられない。
従い、今回と前回の旅費については超円高を全く考慮しないで決められたボッタクリ価格である事が指摘されるのである。

http://cms1.chiba-c.ed.jp/matsudokokusai-h/schoollife-1/%E4%BF%AE%E5%AD%A6%E6%97%85%E8%A1%8C/?action=common_download_main&upload_id=306

「ロッテ観光」が間に入っている。

http://cms1.chiba-c.ed.jp/matsudokokusai-h/schoollife-1/%E4%BF%AE%E5%AD%A6%E6%97%85%E8%A1%8C/?action=common_download_main&upload_id=307

やはり「戦争記念館」に行かせられていますね。

3階の海外派兵室

ここでは、韓国軍がベトナム戦争に参戦した背景や様子、駐ベトナム韓国軍の活動やUN平和維持軍の活動の様子などを見ることができます。・・・・と、されていますが韓国人による現地人への大虐殺、拷問、強姦など幼児胎児まで含めた凄まじい暴虐に関しては皆無です。自国の軍事力の顕示です。それを日本の生徒たちが見て何を学ぶ?
 
教師たちに問う。それが教育なのか。教育足り得るのか。
 
戦争記念館における「護国追慕室」は戦死者の追悼空間になっていて、日本の学生たちが自動的に韓国兵の追悼に参加させられてしまいます。
 
韓国の修学旅行生が靖国神社に行かせられたとして、無事に済みますか?
それが、なぜ日本人の生徒が韓国兵の追悼施設に行かされて無問題で見過ごされるのでしょう? 
 
これが教育か?

教師たちは友好を言い立てますが、相手に友好は基本でないです。なぜそこを、ごまかすのでしょう。

日本人の生徒が友好という名の蜃気楼に呼びかけても・・・・

 

 

 

 

 

韓国人は日本に修学旅行に来て反日活動しています

腹の中に潜むのは反日です。日本を憎み罵れと幼い頃から叩きこまれて育つのですから、それが自然なのです。

そこを隠して「友好」や「学び」をいう教師たちは偽善者の嘘つきです。

もし本気で韓国に友情を望むなら、反日教育を直視、それをどう改善していくか、あるいは友好はあり得ないのだと悟るか・・・・そのシビアなリアリティに生徒を向き合わせるのが真の教育というものではないでしょうか。

日本の修学旅行生が「竹島は日本の領土です」と大書した横断幕を韓国で掲げられますか? それ以降韓国には教師、生徒共に入国できません。

日韓に親善や友好があるか? これがその答えです。ありません。

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「とくダネ!」小倉智昭の反日作家アゲ

2012-10-11 | 日記

フジテレビの「とくダネ!」で村上春樹特集をやっていて何となく見ていたら、国内や中国他でいかに人気があるか、座談会まで出しての村上春樹賛美。ノーベル賞の候補になっていることだし、海外でも知られているらしいので、その事自体は構わないのだけど、番組の締めで小倉智昭が唐突に朝日新聞に村上春樹が書いた、例の反日文章を褒め称え、その記事が大写しになって、終わり。

露骨・・・・。

 

結局、村上春樹の日本毀損発言をヨイショすることが目的だったように思えます。小倉智昭はさりげなく「村上さんが朝日に書いた文章は素晴らしい」と持ち上げましたが、すかさずその記事が画面に大写しされたので、朝日記事賛美内容は構成台本にあって朝日の記事の画像が前もって用意されていたとしか思えませんね。

村上春樹が売れてもいいし、愛読者がいることも事実でしょう。

しかし、一方でマスコミが妙な持ち上げ方をしているのも事実です。以前たまたま見かけたのですが、ちょうど新装開店のヤマダ電機(韓国系)の特集で朝から人が並んで、開店したらバンバン製品が売れているというのをCMではなく番組として延々とやっていて(週刊誌のグラビアで記事に見せかけたPR.週刊新潮のチャン・グンソク記事など。あれを思い出して)異様な気がしたのだけど(テレビでもそういうのないのだろうか、番組に見せかけた実はCM)あたかも、ヤマダ電機がなぜか大々的に取り上げられたその番組と同じ枠で流されたのが、村上春樹新刊発売日の告知番組。

人気作家なので、新刊発売もニュースになる。(少女時代の来日をNHKがトップで報道したのをちらっと思い出したけど)その事自体はいいとして、本屋に殺到するファンたちという画面がさっきのヤマダ電機報道とそっくり同じ。書店の開店を待つ行列の状態も、村上さんの新刊に群がるファンと、電気製品に群がる人たちと同じ撮り方。

ここで、ちょっと妙な感じがし始める。だって、いかに人気作家だとしても、その新刊に人々が行列を作って殺到、次から次に手を出して瞬くまに棚がカラになる、などという情景は見たことがないので。でも、自分が見たことがないだけで、そういうこともあるのかもしれない・・・・? と見続けていて・・・・いや、これは、さすがにないでしょ・・・と思ったのが、カメラは村上さんの本を手にとった一人の若者を家まで追うのですよ。しかも、早く家にたどり着いて読みたい! というそぶりで。(演出と感じたけど)

で、いやこれは嘘でしょ、と思ったのが若者について屋内に入ったカメラは、若者がいそいそと早速ページを開いて「読書に没頭する」さまをかなり長く写すのです。

いやいや。

もし、あなたが。

本屋の前で列を作って待ち、開店早々飛び込んで好きな本を手にした時に、テレビの取材を申し込まれてOKしたとして、さてそれから家に帰るまでの時間、「あー早く読みたい」という表情とか足取りをくれ、って言われて応じられます?

カメラの前でページをめくって、読書に目を輝かせながら没頭(たとえフリでも)って出来ます?

出来る人もいるのかもしれないけど、その時の奇妙な記憶と今朝のとくダネ! がシンクロしたのでした。まあハッキリ言えば、パチンコ業界を含めテレビ界を席巻する朝鮮勢力が都合のいいタレントを重用すると同じ仕掛けが村上さん持ち上げ報道にはあるのではないか、と疑っているわけです。(村上さんの作品とは別次元の話なので愛読者の人は気を悪くしないでね。構造としての反日の話なので)

某地ヤマダ電機の新装開店を延々と番組で取り上げることの違和感と同じ違和感を感じたというお話でした。(ちなみに、韓国妻と離婚でもめている俳優さんがヤマダ電機のCMに起用されたのは、韓国女性と結婚した後のことではなかったでしたっけ?)

今夜日本時間8時に文学賞の授賞者が決まります。村上さんにもしなったら、日本中がお祭り騒ぎになって、おめでとうという言葉が飛びかい、実情を知る少数の人々以外は、日本人がまた受賞、と無邪気に喜ぶのでしょうが、しかし、それって村上さんの今後の日本毀損発言拡大を祝うこととちょっと同義っぽくもあるのですよね。今でさえ、村上さんの海外における日本貶め発言が活発なのに、ノーベル賞受賞者となれば更に講演やインタビューの場は飛躍的に広がり、また国内でもさらにものが言いやすくなりますね。

候補にお名前があがり続けていれば今回を逃しても、いつか受賞する可能性は大で、それは止めようもないことです。

せめて。

村上さんの作品は別として、政治的にはこういう立ち位置にある人だと人々には伝えたい。それとマスコミが妙な持ち上げ方をしていることも。

あと・・・調べてないのですが、村上さんって日本在住でしょうか。原発反対運動の坂本龍一のように海外居住で納税は日本では行わないという暮らし方を選択している人かも? という気がふとしたので。・・・・・調べてみます。(調べてノーだったら、こちらに付記するかここ削除します)調べている過程でこういうツイッターに遭遇しましたが。https://twitter.com/KeikoTheCalico/statuses/213674901712809985

(いやいや、「発言が海外でなされたから」批判されているわけではなく、事実誤認に基づく反日発言であるので批判されたのです。それを日本人が海外でばらまいて歩くということへの憤りはむろん、あるでしょう)

⇒ 現時点で分かった範囲 【近年の年収は海外分が既に国内分を上回っており、事務所の仕事量も3分の2は海外とのものであるという

反原発と言えば、今朝のテレビ朝日は民主党の古川さんのインタビューを交えて、「日本は脱原発すべき」特集をやってました。何度も繰り返していますが拙ブログも脱原発それじたいには賛成、しかし拙速な脱原発は国を損ねる。また国防軍の形態も持たぬ、抑止力としての核も持たぬ日本が核の知識とノウハウをも手放すことになるが、それでいいのか。そして反原発運動の先導者たちの多くが反日組織であることを警戒せよ、ということですね。(調べたら村上さんも日本政府の原発政策の批判者でした)

あと、しじゅう小さな事故は起こしていて表に出ないと言われる韓国の原発と対馬はほとんど国内距離で、日本だけ原発廃止でもどうなのよ、という現実もあります。

さて日本時間の今夜8時どうなりますか。村上氏受賞なら日本は第2の大江健三郎氏を迎えることになります。海外での人気度と知名度では更に規模を上回る反日言説員となるでしょう。

中国であれだけの日本企業や店の襲撃があっても日本人は冷静に、今まで築きあげてきた友好を壊してはならぬと説く村上氏はこの現実をどう見るのでしょうか。

日本で生活保護を受けている中国人は4018世帯、国籍別で3位 最多は韓国・朝鮮人の2万7035世帯。

コスポリタンな村上氏は国籍問わず援助せよとおっしゃるのでしょうか。日本人が中国と韓国で援助を受けられるでしょうか。日本だけが面倒を見続け、言われ放題されていよというご意見でしょうか。

【後述】

 【ストックホルム=三井美奈】莫言氏へのノーベル文学賞授賞を発表したスウェーデン・アカデミーのペーテル・エングルンド事務局長は11日、読売新聞など一部メディアとの会見に応じ、莫氏の作品は「現代中国の不愉快な真実を語っている」と指摘した。

中国礼賛の村上春樹氏は、さてどういう評価でしょうか。

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アメリカ人が語る太平洋戦争の「これが真実だ」

2012-10-10 | 日記

ヘレンミアーズさんGHQメンバー)

 「なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」と非難されるか理解できない」

ヘレン・ミアーズは、1920年代から日米両国が開戦する直前まで東洋史地政学を研究し、二度にわたって中国本土と日本を訪れ調査した。太平洋戦争中はミシガン大学ノースウェスタン大学などで日本社会について講義していた。連合国軍占領下の日本ではGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして、戦後の労働基本法の策定に大きな役割を果たした。

戦前・戦中においては、国際政治問題は「道義的」かどうかではなく「合法的」かどうかが問題とされていたのであり、戦後になって韓国併合や満州事変も含め、道義的責任を追及する事は偽善である。

実際に戦前・戦中の段階で、日本の政策に対して人道的懸念を公式表明した国は皆無であり、自国の「合法性」を主張する言葉でのみ日本を非難し続けるのは不毛であるとする。

 

大東亜戦争とも第二次世界大戦とも太平洋戦争とも、それぞれの史観によって呼び名が変わるあの戦争は決して侵略戦争ではなく、白人の植民地化から身を守る戦争、戦った結果、日本は敗れはしたがアジアの国々が独立を果たした戦争であった。

・・・・と拙ブログでも再三述べて来ましたが、外国人それもGHQという占領軍の一員であった方の言葉のほうが公平に耳を傾けてもらえるかもしれませんね。望外の読者数を得て営んでいますが、どれだけの人たちが日本無罪説を知ってくださっているのか・・・・・コメント欄に常に書き込まれる人たちには自明の理でしょうが・・・今日はヘレン・ミアーズの言葉をアットランダムに拾ってみます。(色文字強調はべべこ。解説は極力避けるつもりですが、たまにあるかもしれません)

本当は「日本に侵略されるまで朝鮮はずっと独立国家だった」などと大嘘を教えられ、ソウルの「独立門」を「日本からの独立」などと思い込んでいる韓国人にこそ読んで欲しい文章です。

朝鮮は長年、支那王朝の属国として虐げられてきていたというのが史実。

日清戦争で勝利した日本が、支那から開放してあげたなどと知ったら、彼らの自我は崩壊してしまうのかもしれませんね。

以下、ヘレン・ミアーズさんの文章の任意・抜き書きです。

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「なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」と非難されるか理解できない。もし奴隷にしたならば、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。

 日本の韓国での行動は全てイギリスの同盟国として「合法的に」行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも原則は日本が作ったものではない。欧米列強が作った原則なのだ。

1910年、日本が韓国を併合したのは、韓国皇帝が「請願」したからだ。

 歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、とほめるのだ。台湾は清から日本に割譲された土地であり、大日本帝国に参画した責任がないからだ。

 しかし、朝鮮は1910年の併合条約で朝鮮王朝、朝鮮政府の意思に基づいて大日本帝国に参画した。また台湾人は、参政権&被参政権を得ることも、日本軍の士官になる事も出来なかった。

 ところが、朝鮮人は、日本に暮らしさえすれば参政権&被参政権を得ることができた。その為、2回も代議士になった朴春琴(paku chungumu) や帝国議会の貴族院にいた朴泳孝(paku yonhyo)を初め、戦争末期には、何と7人の朝鮮人が帝国議会の議席を得ていたのだ。

 もちろん、参政権だけではない。朝鮮人は、志願制が導入される以前から、士官学校に入学して、日本軍の士官になる事も許されていた

韓国は被害者ではなく日本の戦争に加担した加害者だった。

満州での治外法権を最初に放棄、中国当局に具体的に約束。中国行政当局に租界を返還したのは日本。

私達は経済封鎖によって日本の補給路を遮断したから、戦争に勝てた。封鎖は日本を破る武器だった。日本を破るのに本土爆撃など必要なかった。本土爆撃のための発進基地を奪う必要もなかった。


日本人は世界を征服する野望にとらわれていたのではない。世界のどこの国にも征服されたくないという気持ちに動かされてきたのだ。


フィリピンハワイでの高い関税障壁。ヨーロッパ列強がアジア太平洋地域で諸外国との貿易と投資に大幅制限。
欧米列強は日本製品を締め出すか事実上規制。
アメリカの「自由経済」とは自国製品を「後れた地域」に無関税で、あるいはアメリカが決めた税率でもち込むことなのだ。その一方でアメリカは、本国だけでなく、日本製品が歓迎されるかもしれないハワイ、フィリピンのような遠隔の支配地でも、外国製品の輸入を規制している。日本からみれば、不公正競争をしているのはアメリカのほうなのだが、私たちはそうみなかった。

(第一次大戦後)日本企業は繊維製品などの生産を拡大し、アジアとイギリス、オランダ、フランスの植民地で売った。植民地市場での日本の競争力は、ヨーロッパ諸国の恨みを買った。日本製品は安かったから、各国は不公正競争であると非難した。
しかし、高いものは買えない現地住民は日本製品の安さを喜んだ。

輸出拡大をつづけることはできなかった。諸外国が日本製品に対して障壁を設け始めたのだ。日本製品の輸入を減らすためには、いたるところで関税が引き上げられ、輸入割当制限のようなさまざまな規制措置がとられた。


彼らはアジア太平洋地域で大国に「包囲」されていると信じ込んでいいた。
「大東亜」の民のために「共栄圏」を建設するという日本の構想は、アジアを自由経済から切り離すことを企図したものではない。第一、アジアの植民地には、もともと自由経済などというものは存在しない。日本は自分達の周囲に築かれた障壁を破って、自分達の域内に人と物を自由に流入させようとしたのだ。

私達が日本の韓国「奴隷化」政策を非難するのは、要するに日本の植民地経営が著しく拙劣だったからである。しかし、一般に「進歩」の基準とされている、病院、学校、官庁(とくに現地行政機関)に占める韓国人の割合、通信施設の整備、産業化、資源の開発などの分野で見ると、日本の経営は他の植民地主義諸国にくらべて劣っていなかったばかりか、むしろ勝っていたといえる。 (注;要するに植民地化とは力による支配と搾取であるべきなのに、日本はそうしなかった、ということですね)

いかなる大国も日本を処断できるほど潔白でない

 日本人は近代以前に「戦争美」を創出し、「武士階級」を崇拝し、常に「軍事独裁者」に統治され、天皇を生きた「軍(いくさ)神」として崇めてきた。そして日本人の宗教である神道は日本人を優れた民族と信じさせ、神である天皇を世界に君臨させるため日本人に「世界征服」を命じている。私たちはそう教えられてきた

 私たちの戦後対日政策には、神道と「天皇制」は本質的に戦争を作り出すものであるという考え方が組み込まれている。(注;基本的誤解ですね。著者は誤解に気づきます)

 神道と天皇崇拝は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表すものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統をもっているのと同じ国民感情である。伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡の危機には、戦時体制の、国民一丸の要となる。

 日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が「国家に忠誠を誓う」のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない。

 私たちの国旗は軍事的象徴ではない。それと同じように、戦争が無ければ、日本人にとって天皇軍事的象徴ではなかった

 アメリカでさえ、戦争中は多くの教会が祭壇の後ろに星条旗を掲げ、礼拝の中で国家を歌っていたのである。

 彼らは均質の民族的伝統を発展させた。隣国の中国は、少なくともその15世紀前から高度に発達した文化を持っていたが、日本の移住民はその文化を受け継いだのではない。彼らは中国人の後を継がなかった。

 17世紀まで、彼らは中国文化借りながら自分たちの文明を発展させてゆくが、それも無制限な借用ではなかった。ある程度接触したところで必ず隔離期間が置かれ、その間に中国文化を民族状況に適合させていった。最後の隔離期間は、私たちも知っているように、2世紀以上も続き、そして、今度は日本人自身によってではなく、ペリー提督に代表される他からの力で終わったのである。

 日本人は、2世紀もの間、自分たちだけで生きてこられたし、それに満足していた。・・・彼らの文明はそれほど深く根を下ろし、彼らと一体化していたから、20世紀になって日本に流れ込んだダイナミックな西洋文明の奔流にも、毅然として立ち向かうことができた。

 私たちが民族となり、国家となるためには、ヨーロッパから自由を獲得する必要があった。インディアンを隷属させ、発明し、南北の隣接国と戦い、戦争や財力で、あるいは外交で領土を広げていく必要があった。

 前近代の日本人にとっては、事情はまったく違った。・・・彼らは環境を征服したり、変えたりするよりは、自分を環境に順応させることを選んだ。

 つまり、日本人は文明を発展させるにあたって、土地も富も少ない現実を受け入れ、集団化に慣れ、物が無くても耐え、もてるものを最大限利用することによって現実に適応してきた。土地は狭かったが、農作物の種類を制限し、一度に二種類の作物を栽培し、一つの土地に多くの人間を抱える集団農耕技術によってそれを克服してきた、この耐乏経済は集約農業と相互保全策を生み、それによって土地は肥沃に保たれ、島は美しい庭園になった。

 日本人は密集して生きることを受け入れ、小さな家に住み、物質欲を捨て、しきたりに順応し、家族、村、集団に従属することによって居住空間の狭さを乗り越えた。そして、個人による自己主張の欠落を、親への孝心、先祖崇拝、儀礼の徹底した形式化によって、品位あるものに高めていったのである。

 前近代の日本は暴力によって支配されていたのではなく、しきたり、共同体の意見、法律の力によって支配されていた。これは他の社会と同じである。職業軍人を抱合する「サムライ階級」は世襲の特権階級であった。

 私たちの日本人感は、支配体制を「軍事独裁」と呼んだことで混乱してしまった。支配階級は世襲官僚で、実際に国を動かしていたのは「神のサムライ」、すなわち舞台裏で仕事をする行政官(職業的知識階級ホワイトカラー)だった。

 彼らは警察権力の恐怖政策によってではなく、まことに綿密につくられた法と規制で安定を維持していた。

 私たちは急いでいた。広大な大陸を手なずけ、収めなければならなかった。・・・私たちは形式にとらわれず、やるべき仕事を直進しなければならなかった。

 日本人の場合はまったく逆だ。性急であるより気長である事に重きを置いた。・・・彼らは形式を無視するどころか、極限の儀礼を求め、伝統的に正しいとされる行為の礼を社会制度の基本にしたのである。

彼らは節約信仰を作り出し、何物も無駄にせず、持っているものはすべて完全に使い切った。

 私たちは大きいものを信じた。日本人は2エーカーの農地から、小さな家、箱庭、根付、盆栽といった独特の表現様式にいたるまで、小さなものを信じた。

 私たちは自然を征服することを考えた。日本人は自然を敬い大切にした。

 日本が総じて安定した非侵略的な独自の文明を作ってきたことは記録に明らかだ。

そして、外国を征服しなかったことは事実である。日本人を「間違い」で非難するなら、世界の大国になった近代国家で、こうした歴史を誇れる国が他に在るか、探してみるべきだ。

日本政府は少なくとも1945年5月に降伏の打診をしているが、この打診は米国政府により公式に無視、あるいは拒否された。

 ハルゼー提督は、「日本が二度と戦争出来なくなるまで叩き潰して、初めて戦争目的は成就する。」と語っている。「広島と長崎の原子爆弾が日本を敗北させたのではない。

戦争を終結させた敵指導部が証言するように、原爆は日本に無条件降伏の受諾を強いるものではなかった」原子爆弾が投下されなくても日本は1945年11月1日までに無条件降伏をしていただろう。私達が日本人に対して使った原子爆弾は、 日本人に対して使ったのではない。何故なら日本は既に敗北していたからだ。原爆はソ連との政治戦争に使用されたといえる。(注;それと実験の側面があったと思います)

 

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国賊

2012-10-10 | 日記

ゲス野郎。民主党農林水産政務官

鷲尾英一郎

 新潟2区

「諸島は日本の領土。誰が所有しようとも関係ないはずだ。中国政府が所有したっていい。語弊があるが、日本の登記簿に『中国政府』と書いてもらったらいいだけの話だ」

9日、東京都内であった自身の政治資金パーティーのあいさつで、尖閣諸島の国有化について。

http://www.asahi.com/politics/update/1009/TKY201210090529.html

流れの中の単なる「失言」と捉える向きもあるかもだけど、いえいえ、この人もともとが「いわくつき」なのです。

 

 

鷲尾英一郎議員は、「アンカー」(2011年7月13日)で青山繁晴氏が北朝鮮との関わりを名指しで批判した人物の一人です。

鷲尾氏と「わしお会」「わしお英一郎 東京応援団」は平成18年〜19年に、「市民の党」に対して数百万円の献金をした。

この「市民の党」は「北朝鮮と関連をする団体である」という疑いが濃厚なのです。
 

青山繁晴「アンカー」7/13 スクープ! 原発問題で隠れる”巨額献金” 菅首相だけでなく民主党ぐるみか? 深い闇の真相を青山がズバリ!・ 民主党政権と原発と北朝鮮 (絶対必見!)キーワードは「民主党政権と原発と北朝鮮」、「北朝鮮による日本侵食」。
疑われても仕方のない事なのではないでしょうか。←(昨年の動画ですでに削除済みのようで探しだせません)

 

青山繁晴氏 番組内での発言
 
「まず(『わしお会』)の所在地が『市民の党』と同じなんですよ」
「で、『わしお会』で言うと、ここの会計責任者は、『市民の党』の代表の方なんです」
 
「それから(『わしお会』の)事務担当者は、『市民の党』と同じ人」

「そしてこの『わしお英一郎東京応援団』の方は、ここも所在地が『市民の党』と全く同じで」

「代表そのものが『市民の党』と、この『わしお英一郎東京応援団』と、同じなんですよ」

「ここ(『市民の党』)の代表の方が、平成12年に北朝鮮に行って、そして『よど号』事件の関係者・・・と接触したっていうのは、これは実は確認されてる事実なんです」

「それで今、鷲尾さんはどういう弁明をなさってるかというと、いや、もう解散してるからっていうことをおっしゃってるわけです」

「しかし去年の夏、解散したからといって、このつながりがそれで何か変わるわけじゃないですよ」

「これもし、日本にスパイ防止法って法律があったならば、これとっくに、強制捜査の対象になっててもおかしくはないです」


(*文字起こしは「ぼやきっくり」さんから拝借しました。感謝)

市民の会には菅直人や鳩山由紀夫による献金も指摘されています。こいつら、本当にもう・・・。

北朝鮮に直結した市民の会

べべこ 過去記事

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7238469dbfcd4a4e78ed514501216fd8

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/d5fe4b0e701a44c6e6c0d4ae5dc7839a

出自を秘めて三鷹市議に立候補する「よど号ハイジャック犯」長男
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20110310/
(週刊新潮3/17)

4月の統一地方選で東京三鷹市の市議選に意外な人物が立候補する。

出自を秘めているが、よど号ハイジャック事件のリーダー田宮高麿の長男である。三鷹市の民家や商店の壁に張られている「市民の会」のポスターには森大志氏(28)の写真が載っている。

 

【追記】

記事とは無縁だけど、民主党が世界にばらまいた30兆円? もしこれ本当なら増税、消費税、とんでもないのだけど? (調査中なので。とりあえずアップ)

http://matome.naver.jp/odai/2133501991804400101

野田政権14兆3333億円の海外支援。

http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/105.html

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