ザウルスでござる

真実は、受け入れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け入れられない者には不快である。
ザウルス

“パリ同時テロ” という騒ぎ: 被害演出の歴史は繰り返す: ボストン、ロンドン、パリ ・・・

2015-11-16 04:21:49 | いわゆる “テロ事件”

“被害演出” の歴史は繰り返す: ボストン、ロンドン、パリ ・・

このブログでボストン爆破事件について真実を知った人ならば、今回の “パリの騒ぎ”についても冷静に判断できるはずである。120人以上が死んだ?あなたは本当だと思うか?テレビ、新聞の報道をそのまま真に受けるひとが世の中の 99.99% 以上である。

仮に本当に120人以上が死んだとしよう。しかし、それが “被害演出” である可能性は十分にある。被害演出には2つある。一つはボストンマラソン爆破事件のように、実質的に被害ゼロの“被害演出” と、 盧溝橋事件(→日中戦争)やメイン号事件(→米西戦争)、9.11事件(→イラク戦争)のように、実害をともなう “被害演出” とがある。

何のための “被害演出” か?

もちろん、“攻撃の正当化のため” である。“正当な報復という大義名分” を得るためである。今回はイスラム系の国に対する攻撃の正当性を得るのが目的である。フランスはさっそくシリアを空爆している。これが本来の目的であって、フランス国民や国際世論の承認、支持を得るためには “パリ同時テロ” が手っ取り早かったのである。とにかく議論や説得の必要がないではないか。

そして、イギリス人や、アメリカ人の “犠牲者” がいることで、英軍と米軍もお墨付きを得て、イスラム系の国々に対する攻撃を本格化させる。そもそも “被害演出” は “開戦のための常とう手段” として、戦争の歴史においては上述した以外にも無数にその例はある。

ちなみに “被害演出” は英語の false flag のザウルス訳である(通常の直訳は “偽旗”)。false flag operation  を “被害演出作戦” とわたしは呼んでいる。“偽旗作戦” のほうがいいというひともいるだろう。

 

2013年のボストン爆破事件のときから2年半経った現在、世界的にもスマホが当時よりもはるかに普及している。そうであるならば、素人による画像、動画がボストンのときよりも何倍もネット上に流れているはずである。たしかに今回もそういうものは多少はある。しかし、事件の現場での実際の凄絶な阿鼻叫喚の様子を伝えるような画像はほとんどない。

本当に一度に何十人も死ぬような自爆テロだったら、吹き飛ばされた手や足や頭がバラバラになって散乱しているはずだ。肉片が辺り一帯に散らばって血の海であるはずだ。実際、中東での自爆テロではそういった画像がある。当然、生き残った人間はその惨状を伝えようとするはずだ。あなただったらどうだ?自分の身の安全の確保が当然優先するだろうが、ある程度落ち着けば、自分の置かれている異常な状況を証拠画像として記録しようとするのではないか?もちろんそばに傷ついている人間がいれば助けようとするだろう。しかし、少なくとも10人に1人くらいはスマホや携帯のカメラでその現場の惨状を記録するはずである。

事件から数日経ってもネット上にはそういう画像は、ほとんどない。不自然だと思わないか?そして、どう襲ってきたか、どうやって無事に逃れたかといった 「お話」 ばかりである。 何人死んだという 「数字」 ばかりである。そして、「なるほど、そういいう奴らがやったのか」 と無知な一般大衆がそのまま納得するような、上手に作られた実にまことしやかな「犯人のプロフィールや政治的背景」 ばかりである。

ひとつはっきりさせておこう。阿鼻叫喚の “事実” がなければ、当然その “画像” もあるわけはないだろう。違うだろうか?

 

以下の画像をごらんいただきたい。イギリスの新聞の1面をかざった写真の半裸の男はまるで磔刑の十字架から下ろされた殉教者のようではないか。しかし、よく見ると、この男にはどこにもこれといった大きな外傷は見当たらない。自爆テロで何十人も死んだのなら、もっと重傷の悲惨な負傷者がたくさんいそうなものだ。手足をもぎ取られたような血だらけの負傷者が至る所にいた “はず” である。

つまり、こんな写真しかないということが逆に不自然さを深めている。イギリスを代表するような新聞がこんな写真しかないのである。殉教者のイメージでなんとか “受難” を印象付けようとしている。たしかに新聞、テレビではあまりに “グロい”ものは避けられるが、ネット上ではそんな遠慮はなく、いくらでも出てくるはずなのだ。新聞でも一面では出せなくてもぺージをめくればいろいろ出てくるはずである。しかし、それが今回はない。

目立った大きな外傷は見当たらない。そもそもなぜ半裸なのか。お答えしよう。これは被害者がいかに無防備であるかを印象付けるための演出である。無防備な人を傷つけたことを印象付け、“テロリスト” への怒りを募らせるための一つの演出である。

 

何十人も一挙に死んだ直後にしては人々は落ち着いた雰囲気である。コンサートホールの負傷者には当然瀕死の者もいるだろうに、この“五体満足” の人物ばかりに関心が集中しているように見えるのは奇異ではないか。

 

 とにかく “五体満足” なようで、ま、何よりである。

 

 

 

このスマホ男の写真もいくつかあるが、この “血痕” の不自然さは “ボストン”並みである。これだけの出血をしながらもスマホで電話しながら平然と歩いているということか。特殊部隊の隊員が付き添っているが、支えてもらっているわけでもない。そもそもこの男にもこれといった外傷は写真からはどこにも認められない。このおびただしい赤いシミは自分のではなく事件現場の他の犠牲者の “血” だと説明するのであろうか。それにしても、極めて不自然な付き方ではないか。

 ひとりでも平気で歩ける様子なのにわざわざ特殊部隊の隊員が付いているのは、カメラ撮影のためにそのように指示する人間がちゃんといるからである。この男はこうして写真に撮ってもらうためにステージブラッド(舞台用血液)まみれの白いTシャツを着ているのである。白いTシャツを着ているのは偶然ではない。ステージブラッドを引き立たせるためである。冷静に考えてみたまえ。11月の半ばのパリはかなり寒いのだ。どうしてこいつはTシャツなんだ。それも念の入ったことに白なんだ。おかげで “血” にまみれた状態であることが理想的に了解できるではないか!赤いTシャツ、黒いTシャツじゃダメだったのだ。この男に“血”にまみれた白いTシャツを着せて、武装警官に付き添われて歩いているところを写真に撮らせるように立案した人間、そして現場で指示している人間がいたのである。つまり、これらはすべて演出である。となりの重装備の特殊部隊の隊員も、写真がたった1枚で “テロ事件” 直後であることを示すために必要だったのである。

これは通りかかったカメラマンがその場で思いついて被写体の人物にちょっと注文をつける、といった罪のない演出などでは断じてない。“事件” を起こす側が周到で綿密な計画に基づいて用意したステージブラッドを染み込ませた白いTシャツを下に着込んでいたに違いない。混乱に乗じて、上着を脱いで “被害者” の出来上がりという段取りであっただろう。この方法は “ボストン” でも使われている。

さらに言おう。男が羽織っている断熱シートをよく見てほしい。11月のパリの夜は寒いから当然Tシャツの人間には必要だろう。ほぼ同じ時間帯に他の連中は以下の写真のように皆上半身をシートで包んでいる。しかし、この男は何とTシャツなのにそうはぜず、前を空けている。そして武装警官が、シートがすべり落ちないようにさり気なくうしろから右手で押さえている。特殊部隊の隊員がそんなことに気を使っている場合か?これはすべて “血にまみれたTシャツ” を露出して写真に撮らせて世界のマスメディアに流すためである。防寒のためにふつうにシートで上半身をすべて包んでしまったら、せっかく“血にまみれた白いTシャツ”を着ている意味がなくなってしまうというわけだ。この重装備の武装警官はこの男と同様、 実際は“役者” の一人である可能性がある。パリ警察がここまで気を利かせて演出に協力してくれるとはとても思えない。現地にはアメリカのCIA系のエージェントが百人以上役者として入り込んでいたと思われる。今回の “パリ同時テロ” は明らかに “被害演出作戦” として遂行されている。もちろんオランド大統領もすべて承知の上だ。“同時テロ” を受けての大統領声明も、少なくとも1か月前には用意されており、非常事態宣言発令も、オバマ大統領からの支援の申し出も、シリア空爆も織り込み済みだったと考えていいだろう。

 

悲しいことだが、わたしにはこうした裏工作がよく見えるのだ。ふつうのひとがそのままふつうに自然なものと受け止めるようなものが、実は入念に操作され、工作された “ウソ” であることが透けて見えてしまうのだ。

 

この男も奇跡的に “五体満足” なようで、結構この上ない。

 

 

 

“テロの惨劇”の現場あとには、やはり “泣き女” が不可欠のようだ。被害演出作戦の立案者たちは、女性を効果的に使うことが鉄則であることを知っている。人類の半分は女性である。一般大衆の感情操作をするには、女性を上手に使うことだ。

 

 

 そして今や定番の “負傷者の搬送”

 

 自爆テロで何十人もの死傷者が出たはずの現場から、“五体満足” の女性が、4人もかかってダラダラと搬送されていく。上の2枚の写真をもう一度見て欲しい。救命士たちの “すぐ向こう側”に救急車が停まっているのが見えるではないか。最初の写真ではこの女性はまっすぐ立っているのだから、実際はそのまま救急車に乗り込めるのである。この “4人がかりのダラダラ搬送” は実は報道写真の撮影のためであり、そうした指示をする “振付師” がその場にいることを物語っている。

参考までに、ボストンマラソン爆破事件の際に搬送されていた以下の “憐れな女性たち” は、すべて “役者” であったことが地道な調査によって判明している。一般大衆は無意識のうちにこうした金で雇われた“女優たち” に感情操作されていたのである。

 

ここまで見てきたように、今回はボストンマラソン爆破事件での演出に起用されたような アンピュティーアクター(手足などの欠損の俳優)はほとんど登場していないようだ。わたしの考えでは、ボストンでの被害演出作戦での反省材料から、ヘタに手の込んだことをすると却って分析されてネット上で暴かれるという教訓を得たようである。この暴露には不肖わたくし、ザウルスもかつて貢献させて頂いた。とはいえ、今後、パリでの “テロ” で手を失った、足を失った、目を失った、と言い出す輩が出てくることが考えられる。その治療費を募るためと称したネット上での募金サイトもきっと出てくることだろう。“ボストン” ではそうしたサイトを立ち上げて、してもいない “大けが” で大儲けをした自称 “被害者” が、車椅子搬送で全世界に知られたバウマン以外にも数人いた。言うまでもないが、バウマンはイラク戦争で地雷を踏んですでに両足を失っていたアンピュティー・アクターであったが、ボストンでの被害演出作戦の “主役” に抜擢されたのである。

 

莫大な募金を集めることに成功した、歴史に残る “アンピュティーアクター”、ジェフ・バウマン

2年半前のボストンマラソン爆破事件の直後にわたしが確信を持って予言した通り、彼を主人公にした映画が現在製作されている。タイトルは "Boston Strong" である。映画は、“既成事実化” “歴史化” のためには欠かせないプロパガンダの強力な武器なのである。“南京虐殺” をテーマにした映画は中国政府がふんだんに金を出している。“従軍慰安婦”をテーマにした映画はもちろん韓国が金に糸目をつけずに製作している。日本は何を作っているか?せいぜいアニメである。しかし、日本人の幼児性は映画にとどまらない。

“ボストン” での死者は6人ということであった。パリ同時テロ” では120人以上死んだことになっているから、これもいずれ映画化されないわけがない。これからいろいろな英雄譚や美談が浮上してきて、材料には事欠かないであろう。とにかく舞台は何といても花の都パリである。同じ反イスラムを基調としたプロパガンダでも、ボストンよりもずっと絵になるし(エッフェル塔がある!)、女性客も大いに期待できよう。パリで出会って恋に落ちた男女がたまたま “同時テロ” に巻き込まれ・・・ という展開で、いくらでもストーリーは作れそうではないか。

ここでひとつ注意していただきたい。映画になってはじめてプロパガンダになるのではない。プロパガンダはテレビ、新聞による事件の第一報からすでに始まっているのだ。映画を見る人間だけがプロパガンダで染脳されると思ったら大間違いである。ほとんどのひとは、もうすでに耳まで浸かっているのだ。映画は耳から頭のてっぺんに過ぎない。

 

もし、新聞やテレビで報道されている “パリ同時テロ” なるものが本当ならば、銃乱射と自爆テロによって惨劇の現場は “ボストン” の何十倍も凄惨をきわめたものであったはずだ。とにかく120人以上が死んだと報道されているのである(11/16現在で、150人説もある)。“ボストン”では “死者6人” である(実際は実質的には“死者ゼロ”だった。“実害ゼロの被害演出” のそれなりに見事な典型例であった)。

誤解のないようにお願いしたいが、わたしは “パリ同時テロ”の死者もゼロとは現段階では断言していない。その可能性もあるというのが今日現在(2015.11/16)の立場である。今日現在では、実害の有無は別として、とにかく “被害演出” であるという結論である。

  

銃乱射と自爆のテロで “120人以上の死者” が出ていながら、報道写真のみなさんは “五体満足”でふつうに話もできているようだ。よかった、よかった。  

 

  

 

120人以上の死者?人数は別としても、同時テロ直後の写真として、これは不自然さの極みではないか。どうやら犠牲者が横たわっているということらしいが、そこにあるのは本当に人間の遺体か?生身の “俳優”が、運んでくれるまでじっとしているのか、毛布でも丸めて枕といっしょに置いたふうにも見えないか。

 

反対側からの撮影

 これが “遺体” ということか?放置されているという状況もさることながら、遺体にしては不自然なシルエットではないか。このまま現代前衛美術の作品になりそうである。ポンピドー美術館にそのまま展示できそうだ。タイトルは "11/13 Paris" か? 

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-11-17 04:54:32
“泣き女”は強烈ですな。

“泣き女”をもっと詳しくやってください、そこから突破口になるんじゃないですか?

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