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カレン①
開いた口が塞がらないとはこのことだ、とぼんやりとした頭で私は考えた。
私――つまりはタロス村のカレンとしては、だ。
迷宮部の部屋の前の掲示板に掲示された成績表。
それには、この間に行われた迷宮探索の成績が順位をつけた形で評価され掲示されている。
そこではクラスは関係なく学年全体の順位が表示されているため、当然私たちのパーティの名前もある。
それほど悪くはないだろう。むしろ上位の方である。学院に入ってまだ数か月しか経っていない状況で組んだパーティでこれだけの成果を残せたのだから十分に満足すべき順位であると言えた。
だけど、当たり前の話だが一位ではない。
一位ではないのだ。
学年一位など、そんなに簡単にとれるものではないのだから、当然だ。
そのはずだった。
「……カレン、どうしましたの?」
呆然として立ち尽くす私の後ろから、少し気位の高そうな、けれど決して居丈高ではない気遣うような声がかかった。
振り返ると、そこにいたのは私のクラスメイトであり、同時に迷宮探索時のパーティメンバーでもあるエレオノーラ=カサルシィが立っていた。
少し不安げな表情は彼女にしてはかなり珍しく、かなり近い関係でなければ見ることは叶わないものだ。
なにせ、彼女は普段、もっと高飛車で威張り腐った態度をとっており、さながらクラスの女王と言った雰囲気の少女だからだ。
にもかかわらず、彼女がこうやって私を気遣う理由は簡単。
それは私と彼女が友達だからに他ならない。
私は気遣ってくれた友人に微笑みかけ、それから順位表を指さして言った。
「ほら、あれ……少し、驚いちゃったんだよ。一位……」
「ジョン=セリアス……ですか。お知り合いですの?」
「幼馴染だよ。そして、アレン=セリアスおじさんの息子」
「アレン=セリアスの!? なるほど、英雄の……でしたらあの順位も納得ですわね……」
顎に手を当てて自分に言い聞かせるようにそう呟くエレオノーラ――エルは、年相応に可愛らしい。普段の態度からは想像できない少女らしさだ。しかしそれを指摘すると恥ずかしそうにするので置いておくことにし、私は話を続ける。
エルの驚きはわかりやすいものだ。アレンおじさんが凄い人だから、その息子も才能を継いでいると考えている。だからこんな順位でもおかしくないのだと、そう考えている。
けれど、それは間違いだ。私は知っている。いや、私だけじゃない。タロス村の出身者はみんな知っている。ジョンは、アレンおじさんの才能を何一つ受け継いでいないということを。ジョン自身ですら、そのことを深く理解していて、アレンおじさんもそうであることを否定しない。
ジョンが受け継いだのは、アレンおじさんの心根だけ。力も、魔力も、ジョンは大して持っていやしないのだ。
それなのに、彼はやってのけた。そのことにどれだけの価値があることか……。
しかしそんなことをエルに言っても首を傾げられるだけなのは分かっていた。
だから私はエルの言葉に頷いて、
「……そうだね」
と一言言った。
本当は、ジョンがどれだけ頑張ったかを、彼自身が持つ凄さを説明して理解させたかった。けれどそういうわけにはいかない。
ジョン自身が、それを認めないからだ。
彼の持つ力は、今はまだ広める時期ではないからだ。
それは私にとって歯噛みするほど悔しいことだ。
誰よりも凄いのに、誰よりも努力しているのに、それを誰も見ないということは。
いっそ大声で触れ回りたいくらいなのに、それを一番嫌がるのはジョンなのだ。
だけど、それでもいい。
私は知っている。
いずれ、彼はこの世界で最も有名な人間になる。
そのことを私は知っているのだから。
だから今は口を噤もう。
そして、そのいつかのために、少しでも彼の力になれる様に努力をしよう。
どんな努力をするのかって?
そう――たとえば、公爵家の令嬢と仲良くなる、とか、そういうことかな。
◆◇◆◇◆
今でこそエリート養成校である魔法学院に在籍しているが、私は元々タロス村のただの村娘だった。
今でも気分としては村娘のままで、たとえば国のために自分が力になるとか、そういうことを身近なものとして考えることは難しい。
授業で教授たちが言うには、魔術師というのは選ばれし者のみがなることのできるエリートであり、その力は国のために捧げられるべきで、だからこそたとえ平民だったとしても貴族に準じた扱いをされるのは当然のことである、とのことだった。
魔術師になりさえすれば、平民も貴族と同じものとして扱われるらしい。その性質上、一代貴族のようなものらしく、子供が出来ても継がせることはできない地位らしいが、それでも十分な優遇である。功を上げれば継がせることの出来る爵位も頂けるらしく、その可能性も一般兵士に比べればかなり高いとのことだった。
そのことがどれほどの優遇措置なのか、村娘でしかなかった私にははじめ、理解できなかった。
村を出る前に、ジョンは私たちに、貴族には決して逆らってはならない、という話を何度も何度もした。
けれど、村にはそのような人物はいなかったから、どうしてピンと来なくて、結局そのままの状態で学院までやってきてしまった。
学院には確かに貴族、と呼ばれる人物が何人もいたが、そのどこが私達と異なっているのか理解することは出来なかった。
同じ人間にしか見えず、そして実際、同じ人間でしかなったのだから。
ただ、何日か学院で過ごしていると、その違い、というものが理解できるようになってきた。
彼らは総じて貴き血の誇り、と呼ばれるものを持っているということに価値を感じているようで、それを他の誰もが崇め奉るものだと信じてやまないらしい。
彼らに対して、貴い血を汚すような行動に出た人間は罰を与えられて当然であり、そのような人物に罰を与えることは自分たちの権利であると同時に義務であると感じているらしい。
全く頭のおかしいことである。
なぜ同じ人間なのにそこに優劣があるのか。
貴い血、などと言われても、そんなものは外から見ることはできない。
本当に貴いのであれば、それに見合う力を見せてもらいたいものだと思ったが、授業や実技で見る彼らの能力はそれほどでもないようだった。
確かに、他の平民の生徒たちと比べれば彼らは総じて成績がよかった。それは認める。
けれど、その理由は彼らが学院に入る前から学問においても武術においても魔法においても教師をつけ、学んできたからに他ならない。事実、時間が経つにつれ、意欲の高い生徒たちに徐々に抜かれていく貴族が増えてきて、そのような貴族は“貴族の恥”などと呼ばれて未だ上位にいる貴族に唾棄されるような扱いを受けるようになっていった。
だけどそれでも、貴族は貴族らしく、そのような貴族が平民から血を汚されるような行いをされた場合には、上位にいる貴族も怒り狂ってその平民に罰を与えるのだ。
一体貴族であるということの何がそれほどまで重要なのか、私には理解できなかった。
ただ、その光景を私はどこかで見たことがあるような気がした。
何かと似ている、そんな気がしていた。
そして、ふと気づいた。
あぁ、これはつまり、見栄なのだなと。
村には貴族はいなかった。
けれど、子供の間で力を持つ者とない者が明確に分かれ、前者は後者に対し居丈高な態度を取りがちだった。
そのことと、きっとこれは同じなのだと私は思った。
村の友人たち――テッドやコウ、それにフィルと言った者は前者に属し、ジョンは後者に属していて、今のように仲良くなる前は、テッドたちとジョンは対立しがちだった。
対立と言っても、テッドたちがジョンを邪険にしていただけで、ジョンは何も気にしないで一人遊びをしていただけなのだが、それがまたテッドたちは気に入らなかったらしい。
あいつは生意気であると事あるごとに言っていたものである。
今は決してそんなことはしないのだが、あの頃は誰もかれも子供だったと言うことだろう。今も子供であることは間違いないのだが、自分の感情を少しでも抑えることができなかったのだ。ただ何度かのぶつかり合いを経て、お互いに分かり合えるようになった。相手の持つもどかしさを、テッドたちとジョンは理解した。
だからテッドたちとジョンは和解し、そして友人となった。
私はと言えば、テッドたちの側にも、ジョンの側にも属さないで好き勝手に両者と遊んでいた。それは、テッドたちの行動の原動力となっているもの――今思えばそれは見栄だった――が私には意味が感じられないものだったからだ。
同じ村に育った者たちである。仲良くすればいいのに、どうしてわざわざ分裂するのか。
そう思いながら、私は彼らと接した。その結果分かったのは、彼らには譲れないものがあり、それが見栄であって、乗り越えるには時間やきっかけがどうしても必要なのだという事だった。
だから私は、彼らを和解させるために様々なことをやった。
お互いのいいところを吹き込んだり、何をやったのかを話したり、また同じ場所に引っ張り出してみたり。
そういうことをする中で、彼らの気持ちが徐々に近づいていくのを私は感じた。
何のことはない。お互いがお互いを気にしているのは私には火を見るより明らかな事実だった。
テッドとジョンがアレンおじさんと一緒に森に出かけてからは、何となく仲良くなったように見えたが、それでもまだお互いに踏み込めていない部分があるように感じれた。
だから、二人のお互いに対する興味が限界に達していると感じた頃、私はテッドとジョンを戦わせるように仕向けた。
それほど仲が険悪でない今、その関係を固定しようと思ったのだ。
以前から、テッドはジョンを生意気だと思うと同時に、得体の知れないものを感じているという事を私は知っていた。テッドたちの作る集団にうまく入れない子供と言うのはジョン以外にも存在した。けれどそういう子供は引っ込み思案だったり、うまく話せないことが理由であって、そう言う場合、テッドたちは面倒見の良さを見せ、誘いに言ったり、その子供が興味を持つような遊びを考えたりして自らの集団の中に引き入れていた。
けれど、ジョンはそういう子供たちとは明確に違った。
まずジョンは誰と話すときも変わらない。年上のテッドと話すときも、年下の子供と話すときも、大人と話すときも、その雰囲気、喋り方に一切の変化が見られない。誰とでも対等に口を利く。そんな子供は、他に誰一人としていなかった。内容は子供らしいのだが、態度の端々から感じられる堂々とした雰囲気はぬぐえなかった。大人は気づかなかったようだが、子供から見るとそれは異常だった。だから、テッドたちはそれを気味悪く思っていたのだろう。
それに、ジョンは強かった。アレンおじさんがたまに開く剣術道場に村の子供、特に男の子はみんな参加するのだが、その際に模擬戦をさせたりもしていたので、誰が強いかは周知の事実だった。その中で、テッドとジョンが飛び抜けて強かった。その次にコウたちやフィルがつけ、その後は団子になっているような状態だった。
そして、ジョンは毎回テッドとの模擬戦で負けていた。何のことはない。テッドの方が強いのだ、とみんな考えていたが、実際に戦ったテッドは違う感想を持っていたらしい。ジョンは、手を抜いているとそう思っていたようなのだ。そして、ジョンは自分よりもおそらく遥かに強いのだろうとも。
テッドの感じていたジョンに対する得体の知れない何かは、もしかしたら恐怖だったのではないかと思う。自分の目の前に、牙を剥けない猛獣が目の前にいるような、そんな感覚。その猛獣とはたまに喧嘩するが、決して負けることはない。けれど、猛獣は牙も爪も決して使おうとはしないことを自分は知っている。あれを使われたら、自分はまけるのだと。
だが、私は思った。
目の前に猛獣がいること自体をテッドは恐れているのではなく、その猛獣がトラなのかライオンなのかわからないことをテッドが恐れているのではないかと。
正体がはっきりすれば、それはその正体に従って扱えばいい。
けれど、相手は正体を明かすつもりがないという事に、もどかしさを感じているのではないかと。
だからこそ、私はジョンに一度本気でテッドと戦ってもらう必要があると考えた。
そうすれば、きっとすっきりする。テッドとジョンの仲も良くなるだろうと。
だから、私はジョンを無理やり、テッドとの勝負の場に引きずり出した。
ジョンが敗北するとは思わなかった。
早朝、私はジョンがアレンおじさんと対等に戦っているところを見ていた。テッドと模擬戦をするときとは明確に異なるその剣技。
そのときの私には剣のことは分からなかったけれど、それでもはっきりと理解できる程度に、ジョンの剣は速かった。
だから、私はジョンに言った。見ていたことを。ジョンが強いという事を私が知っているという事を。
手加減はしないでほしいという牽制でもあった。ジョンは自分の強さを隠そうとしている節があったから、すでに知っている人間がいれば、躊躇しないのではないかと思った。
実際は、はじめジョンは手加減して戦っていた。けれどテッドが手加減をするなと怒鳴ってからは、本気になっていた。今までの模擬戦ではそんなことを言われても本気になったりはしなかったから、私の言葉が後押しになった部分もあったのではないかと思う。
そして、本気で戦ったテッドは、負けた。
意外だったのは、ジョンも負けたという事だ。
自分で吹き飛ばした剣に頭をぶつけるという無様な形で。
それから、ジョンとテッドは、はっきりと親友になった。聞けば一応少し前に森に一緒に入ったころから友人にはなっていたらしいのだが、何かくすぶるものもあったようで、それが戦う事ですっきりしたらしい。
テッドは負けたのにすがすがしそうな顔をしていたし、ジョンもジョンで何かほっとしたような顔をしていた。
ジョンの意外な油断というか、うっかりな性質と言うか、そういうものを見ることができたのも大きいだろう。
結局、ジョンも普通の人間に過ぎない、ということにテッドは納得したのだ。
周りの子供たちも同様で、それからは素直にジョンのことを評価できるようになった。
これで村の子供たちはみんな仲良しになって、平和になる。
私はそんなことを思いながら満足した気分で毎日を過ごすようになった。
それまでのジョンとテッドたちとの少し緊張感のある雰囲気は、あんまり好きではなかったから。
けれど、ジョンを巡るエピソードはこれだけでは終わらなかった。
それは、テッドがアレンおじさんとジョンと森に入った話を私にしたことから始まる――
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