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第2章ダイジェスト1
神に、祈っていた。
この世界を作り出したという創世の神に。
手を組み、ひざまずいて、ただひたすら、俺は神に祈った。
あなたはなぜ、こんなことをするのかと。
あなたはどうして、この世に痛みと苦しみなどというものを作り出してしまったのかと。
しかし、いくら尋ねても、誰も応えない。
魔王討伐軍の礼拝用の天幕の中では、静かにゆらゆらと蜜蝋で作られた蝋燭の火が燃えているだけだ。
だから俺は祈りの内容を変える。
友よ、どうか安らかにと。
そう祈って、俺は立ち上がった。
すると、
「……お祈りは、もう終わりましたの?」
背後から高い少女の声が聞こえた。
こんな、最前線の軍勢の張った天幕になど似つかわしくない、汚れを知らぬ美しい声が。
その声にはしかし、聞き覚えがあった。
そして今一番聞きたく、また一番聞きたくない声がそれだったことを、俺は脳裏に焼き付いた強烈な記憶と共に思い出す。
なぜ、君がここに。
声に出たのだろうか。出たとしても、きっと引きつっていただろう。俺は彼女の顔を、まともにみれる気がしなかった。
俺は、奪ったから。
彼女の大切にしていたものを、奪ったから。
「……なぜ、と言われましても。遺体を引き取らねばなりませんもの。父は別の地域で魔族と戦っておりますから、どうしても来れませんの。家族として、妹として、私が参らねばとの思いでここまで来ました。それに、どうしてかしら。私、あなたに会いたかったのですわ、ジョン……」
そう言って、彼女は――ティアナは、ぽふり、と俺の胸の中に飛び込んできた。
本来美しく波打っているはずの金の髪は、よほど急いでここまできたのだろう、普段の美しさなど見る影もなくぼさぼさになっている。着ている服も、上等なものなのだろうが、土と泥と血で汚れていて、無惨なものだ。そうだ。彼女はかなり後方にいたはずだ。ここまで来るのに、無傷でいられるわけがない。彼女か、それとも彼女の護衛か。魔物や魔族との交戦を経て、こんな風になったのだろう。気づいて彼女の体に傷がないか確かめるが、どうやら見える場所にはないように思えて安心する。
「……よかった」
そんな声が、俺の口からでた。ケルケイロを失い、彼女まで失ったら、俺は何を守ればいいのだろう。先ほどまでの絶望と憎しみに染まっていた心が、彼女の顔を見て、少しずつ解れてきた気がする。それが果たして許されることなのかはわからない。けれど、俺にはまだ彼女がいる。そのことだけが、俺のこの世へのよすがとなってくれているように思えた。
そのとき、俺の顔は少し、柔らかくなったのかもしれない。
俺の胸の中で少し顔を上げたティアナは、まっすぐに俺の目を見つめて、それから少し顔を伏せてから、話し出す。沈鬱だが、決して俺を攻撃するような声ではなかった。彼女は、俺のことを恨んではいないようだった。俺が一番恐れていたことは、現実にはならなかったらしい。
ティアナはそんな俺の心を知ってか知らずか、悲しそうに、だが励ますように言った。
「お兄さまのことで……自分をお責めにならないでください」
「……だが、ケルケイロは俺のせいで……」
「違います!」
ティアナは顔を上げて、俺のことを強く抱きしめて言った。
目には少し涙が滲んでいて、額を俺の胸につけると同時に一筋の滴が流れ落ちる。
「……違います……お兄さまは、ジョンにそんな風に自分のことで苦しんでほしいなどと思ってはいませんわ! お兄さまは……きっと、覚悟の上で、ジョンに着いていったのです……私、わかります。だって、私もお兄さまも、ジョン、あなたのことが大好きなのですから……あなたのためなら、何を捨てても構わないと、そんな風に思えるほどに、大好きなのですから……」
「でも……だったら、俺は、何をすればいい。俺はあいつのために、何をすれば……俺は……」
ケルケイロはもういない。
魔族に首を飛ばされ、そして死んだのだ。
俺が何も考えないでタロス村に舞い戻ったせいで、俺の無謀のせいで。
そんな俺があいつに何をしてやれる。
あいつの死後の世界での安寧を祈り、またこの世で自分を責め続けていきることしか、俺には許されていないのではないか。
そうでないとするなら、一体俺に何が許されているというのか。
唇を噛みしめ、血が滲んでいく。
目頭が、熱くなる。これはいったい何の涙なのだろう。悲しいのか、苦しいのか、悔しいのか、辛いのか。わからない。俺には何も……。
そんな俺の頬を、ティアナは優しく包んだ。
それから、涙を拭い、顔を近づけてくる。
彼女は俺の唇に滲んだ血を舐め、それから優しく口づけを重ねた。
ゆっくりと離れていくとき、彼女の顔は泣き笑いのような表情をしていた。
「……きっと、幸せになること、ですわ」
「そんなこと……許されるはずが」
「ジョン、あなたは何のために戦ってきたのですか。これから何のために戦うのですか。なぜ魔族を殲滅し、魔王を滅ぼそうとしているのですか。そのことを、あなたは決して忘れてはならないはずです」
「なんの、ために……」
「昔……あなたは言ってましたわ。親父のような兵士になって、みんなの幸せを守るんだって。ねぇ、ジョン。あなたのするべきことは、幸せを守ることなのですわ。昔も今も、それは変わりませんわ……」
確かに、そんなことを言った記憶がある。
俺はずっと親父のようになりたかった。それは親父が強いからだけじゃない。親父は、守る兵士だったからだ。魔の森の浸食から国を守り、ひいては国に住む人々の生活を、小さな幸せを守る、そんな兵士だったからだ。
だから、俺はケルケイロとティアナとお茶を飲みながら、どうして兵士を目指しているのかと聞かれたときに、答えた。
「俺は、親父みたいな兵士になりたい。みんなの幸せを守れるような兵士になりたい」と。
それを、ティアナは覚えていたのだろう。
あんなつまらない話を、この少女は真面目に聞いていてくれたのだ。
会って間もないはずの、俺みたいな平民の話を、真剣に。
「……私、あのとき思いましたわ。きっと、この方は素敵に兵士になるのだわって。この国の兵士すべてが、この方のような志を持っていてくれたら、いいのにって。……思えば、私はあのときから、あなたのことが……」
「ティアナ……」
名前を呼ぶと、びくり、とティアナは肩を震わせる。
それから、彼女は目をつぶり、こちらを見上げてきた。
俺は彼女の顔にゆっくりと自分の顔を寄せていき……
◆◇◆◇◆
がばり、と俺は驚いて目を覚ました。
あたりを見渡すと、そこには揃いのローブを身に纏った少年少女の姿が見える。
その向こう側には教員が正装をして立っており、正面の壇上には魔法学院の院長であるナコルルが新入生に向かって学生生活の心得を延々と語っている。
その姿はドワーフのものではなく、変化したエルフのものであり、美しく大変威厳のある様子だ。詐欺である。
そんな光景の広がっているここは、魔法学院の講堂。
今日は、とうとう念願の魔法学院の入学式である。
そして俺はそんな入学式の最中に、盛大に居眠りをしてしまったわけである。神聖な式の最中に大変申し訳なく、しかもその間に見た夢の内容が内容だった。
少し前までは、体が子供だったからか、恋心、のようなものをあまり強く感じなかったし、前世でのそれもあまりうまく思い出せず、恋というものがどういうものだったのかも感じられていない節があった。
けれど、最近、どことなく、その恋心、らしきものを顕著に感じるようになってきたような気がしている。
たしかに、こういうものだったような気がすると、前世の記憶もその感覚が正しいと告げている。
だからだろう。そういう夢を見ることも増えてきた。
さきほどの夢も、その一つである。
今考えると、戦争の最中に俺は何をやってたんだという気もしないでもないが、死の危険に毎日さらされていると、恋愛事に対して日頃感じていたはずの躊躇のようなものが一切取り払われて、素直な心を吐露できるようになってしまうのだ。
だから、戦争中はむしろ普段よりもカップルの出来上がる確率と頻度は高かった。
戦争後半になってくると、そもそも人口が減ったり、完全にそんなことをする余裕が消滅してしまって恋愛どころではなくなっていたところもあったが、それでも少なからずカップルは生まれたし、軍の奴らはそういう者を祝福した。
それが、人間として当然の営みであり、そして、俺たちにあるはずの、未来、というものを感じさせてくれることだったからだ。
新しいカップルができる度、俺たちはそいつらの未来を切り開いてやらなければと言う決意で戦えた。俺たちのしていることは、人類の未来に繋がっているのだと信じられた。
きっと色々なものが、あのころの俺たちを支えていた……。
そんな物思いに耽っていると、どうやらナコルルの長い話が終わったようである。
壇上から降りていくナコルルの姿が見えた。
一瞬、こちらに視線が飛んだような気がするが、気のせいだろう。
そう思って、俺は次に壇上でスピーチをする人間の姿を見ようと首を伸ばした。
けれど、誰もそこにはあがらない。
奇妙に思ってきょろきょろしていると、拡声魔道具から、ナコルルの声が聞こえてきた。
どうやら、式次第を読み上げているらしい。
「……では次に、入学生を代表する挨拶、主席フラー=エルミステール、壇上へ」
あぁ、そういう名前の人が主席なのか……。と、ぼんやりとナコルルの声を聴く。
ここで言う主席とは、つまり魔力量の最も大きい者のことなのだろう。筆記試験も実技試験もなかったし、それ以外で判断しようがない。
一般兵士の採用試験では戦闘の実技と、王国法の理解とが試される筆記とがあった。
魔法学院で勉強をしていけば、一般兵士のときのようにそのうち順位をつけられたりするのだろうか……。
これからの学生生活を楽しみにしつつ、俺はそんな風にぼんやりと入学式を過ごした。
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