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父は息子の夢を追いかける 6
大事な息子だ。
何よりも。
妻であるエミリーとどちらが大事か、と聞かれれば正直比べられるものではないと答えるしかない。
が、エミリーと息子であるジョン、二人が同時に命の危機に瀕していたら、俺は息子を助けるだろう。
俺自身、自分の命とジョンの命、どちらか一方しかとれないなら、息子の命をと考える人間だ。
エミリーも同じ答えを言うだろうということは、はっきりしているからだ。
――そんな息子が、死んだだと?
戦乱の時代だ。
人の死などそこらじゅうに転がっているし、ジョンはただでさえ危険な立場に置かれるのが普通である兵士なのだ。
その可能性は決して低くないどころか、むしろすぐに死んでいてもおかしくはなかった。
けれど、あいつは生き残ってきた。
こう言っては何だが、俺の息子ながら、魔剣士の才能を受け継がせてやれなかったし、他の何かに特別秀でているということはなかった奴だ。
あいつが戦場で生き残るのは、簡単なことじゃない。
だから、俺はあいつには兵士になんてなってほしくなかったし、他に何かよい職業はないかと思ったことも何度もある。
けれど、あいつは言ったのだ。
自分は兵士になりたいと、
父親である俺が、強く、立派な兵士だから、そのあとを追いたいのだと。
俺は驚いたものだ。
確かにそれなりに腕はあるつもりだし、職務にだって忠実に生きてきた。
胸を張れる生き方をしてきたという自負はある。
あるが、そんな風に息子に言ってもらえるような何かを築き上げることができたとはそのときそういわれるまで、考えてもみなかったのだ。
だから、まっすぐに俺のことを見つめて、今度の王国兵士の採用試験を受けたいといったあいつを、俺は否定することはできなかった。
そして、あいつは見事に合格してきて、王国兵士になった。
一般兵士の採用試験だ。
一番下っ端の、平兵士としての採用だったわけだが、それでもあいつは毎日充実してそうで、頑張っていた。
遠くの職場とはいえ、基本的には同じ組織に属しているのだ。
それなりに自分の息子の話は聞こえてきた。
そこそこ頑張っている、というのはまじめでこつこつやるあいつのことだ。
そうだろうそうだろうと親馬鹿もそれなりに発揮されて鼻高々だったわけだが、王国内のみならず、国外でも知らぬ者のいない大貴族フィニクス家の総領息子と友人になったと聞いた時には驚いたものだ。
嘘だろうとその話をした王都から派遣されてきた男に言ったし、また本人にも手紙で尋ねたりしたが、どうも事実だとはっきりしたときには、自分の息子がどういう人間だったかわからなくなったくらいだ。
とはいえ、それもそのあと、実際にジョンと、そしてその貴族と顔を合わせるまでのことだった。
何のことはない。
二人そろって、普通の若者に過ぎなかった。
貴族という伏魔殿を歩き回らなければならないことが生まれた時から運命づけられていたその大貴族の息子――ケルケイロが、いたって平凡な、心に含むところのないわかりやすい青年であるジョンと友達になりたかった。
ただそれだけの話だった。
それに、観察していると面白いこともわかるもので、ケルケイロはどうも、ジョンの兄貴分のようだというか、まじめすぎて融通が利かないところのあるジョンをうまくフォローしながら付き合っていた。
ケルケイロは貴族なのだ。
明らかに気を使うべきはジョンなのだが、二人の場合、そんな関係の方がうまくいくらしかった。
貴族と言ったらあまり性質のいいものを見たことがなかった俺は、ケルケイロのような貴族がいて、そして息子の友人になってくれて、心から感謝したことを覚えている。
その後、ケルケイロの父とも会ったことがあるが、さすがああいった息子を持つだけあり、貴族としては非常に変わった人物であった。
名前と顔は知っていたし、以前に言葉を交わしたことも何度かあったが、そのときはしっかりと普通の貴族のようにふるまっていた。
けれど、ジョンとケルケイロが友人になったからか、そのあと俺と会ったときは人払いをし、父親らしさを見せ、お互いに息子について語り合った。
実際話してみると気持ちのいい男で、なんだかんだ言っても所詮は平民に過ぎない俺に対して、下にもおかない対応をしてくれたのには驚いた。
貴族と平民という身分ささえなければいい友人になれただろうに、とふと俺が口にしたのを聞いたその男は、身分差など気にすることはないと言ってくれた。
つまり、俺も友人が増えたわけだ。
もちろん、人前においては今まで通りの、貴族と平民としての関係を保つつもりである。
それは、社会で生きてきた大人として暗黙の裡に了解されたことだが、それでもまたに王都の酒場で、ケルケイロの父の方が身分を隠して酒場にやってきて一緒に盃を交わすようにもなった。
意外なことに、話題は尽きなかった。
単純に仲良くしたい、ということ以外にも、俺たちにはお互いに利点があった。
貴族の考えやあり方を俺は彼から知れたし、反対に、彼は俺たち兵士が何を考えているか、ということを俺から聞くことができるというわけだ。
ありとあらゆる意味でプラスになる関係だったわけだが、それもすべてはジョンから始まったことだ。
息子が繋いだ縁だった。
あげればきりがないほどの、息子の思い出。
口さがない知人には、お前の息子なのに平凡だな、とか力がないとか、そういうことを言う者もいた。
けれど、俺は本当に、心の底から思うのだが、息子は俺などよりもずっと傑物だったのではないか。
腕力は、俺の方が強かっただろう。
戦えば俺は絶対に息子には負けることはなかった。
だが、あいつには妙な悪運と、人を惹き付ける不思議な魅力があった。
カリスマ性とは違う。
あいつのもつものは、そういうものではなかったのだが、そこにいて、話をしているとそれだけで人を落ち着かせる。
人の気持ちを前向きにさせる。
そんなところがあった。
意外と、ああいう人間こそが、歴史を作り、時代を動かしていくのではないか。
俺はあいつのことを想うたび、そんなことを考えていた。
親の欲目かもしれない。
結局あいつはただの一兵士で終わるのかもしれない。
けれど、そうやって、俺の胸に明かりを灯してくれる力は間違いなくあった。
そんな息子が――死んだ、だと?
何を言っているのか。
そんなわけがない。
そんなわけが……。
胸に広がる虚無感、絶望、苦しみ。
これほどまでに空虚な感情に支配されたことはかつてなかった。
立ち直れる気がしない……。
俺は茫然としてしまった。
頭が真っ白になる。
そんな経験は、人生を通して初めてだった。
だから立ち直り方も知らなかった……。
しかし、そんな俺に女は意外な言葉をかける。
「分かったのね。そう、想像通り……あなたの息子は、死んでしまった。魔族の残党に後ろから刺されてね。つまり、彼はもう、この世界にはいないわ。この世界にはね」
その言い方に、俺はひどく引っかかる。
“この世界には”だと?
まるで他の世界があり、そこに俺の息子がいるような言い方ではないか。
「おい……どういう、意味だ? 何を言っている。ジョンは……どうなったってんだ……。それに、そもそも……魔族の残党? まだ戦争は続いているじゃねぇか……それじゃあ、人類が勝利したみてぇな言い方じゃ……」
俺の疑問に、女は答えた。
「戦争は終わったのよ、アレン。魔王は倒されたわ。勇者の手によって、ね。それにあなたの息子は、その瞬間をしっかりと目撃したの。けれど……残念ね。すべてが終わって、気が抜けてしまったのかもしれないわ。その瞬間、魔族の生き残りに刺されてしまって……亡くなったの。一瞬のことだったわ。蘇生措置も行われたのだけど、間に合わずに、ね。それにしても彼は随分と色々な人に好かれていたみたいね。勇者本人すら、彼の蘇生を望んで自らが持っていた1級ポーションまで使っていたわ。でも……それでもだめだったのね」
頭を叩かれたような衝撃が走った。
戦争が終わった?
そんな馬鹿な。
俺は、あの灰色の肌の魔族と戦ったところで記憶が終わってる。
そこから気づいたらここの殺風景な部屋にある台に寝転がっていたのだ。
どれだけ眠っていたにしても、そんなに早く戦争が終わるはずがない……。
ましてジョンが死んだなんて……。
しかし、それでも戦場で鍛え上げた冷静な頭は、何を聞くべきかをしっかりと把握していたらしい。
考えるよりも先に、言葉の方が出てきた。
「今は、一体いつだ? 俺は……どれだけ眠っていた……?」
そうだ。
たまに、いる。
酷い重傷を負い、意識を失ってから、昏々と何年も眠りつづける。
そんな存在が。
俺はあの戦いで何かしら重傷を負って、そんな状態に置かれていたのかもしれない。
そう考えての質問だった。
しかし、女はそんな俺の推測を否定する。
「今はいつでもないわ。あえて言うなら、ここもどこでもないし……あなたは眠りから覚めてすらいないとも言える。そして二度と、目覚めることはない……」
さすがに、この返答には腹が立ってきた。
先ほどから思わせぶりなことばかり言って、けれどこの女は俺の状況について何も答えていないに等しいのだ。
そんな義務があるかどうかはともかく、せめてもう少し説明があってもいいだろうと思った。
「……お前、俺をからかっているのか? さすがにいくら温厚な俺でも怒るぞ?」
そう言った俺に、女は言う。
「別に何一つからかってはいないのだけど……混乱させたくないと思っての気遣いよ?」
「そんなものはいらねぇ。いいからさっさとわかることは全部言え。いいな?」
念を押すようにそういうと、女は仕方ないといった様子で首を振り、それから単刀直入に言ったのだ。
「分かったわ……そうね、まずあなたの状況から」
「おう」
「アレン・セリアス。あなたはもうすでに死んだの」
「は?」
「それと……あなたの息子さんもね。世界はさっき言ったとおり、魔王が勇者によって倒されたことで救われたと言っていいでしょう。今後何も問題なしとは言えないけれど、それはもうあなたともあなたの息子とも関係のない話よね……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! おい」
慌てて止めるが、しかし女は止まらない。
それどころか歌うようにつづけた。
「あなたが気遣いはいらないって言ったのよ? ちなみに、あなたが死んだ時からしばらくしてあなたの息子は多くの人体実験に参加し、その存在を本来のものとは変容させてしまったわ。それが良かったのか悪かったのかはわからないけど……それがなければ最後の瞬間まで生きてはこられなかったでしょうね。ついでに言うなら、彼は魂のほとんどが壊れていたわ。ファレーナに食われてしまったからね。けれど残りの三分の一ほどの魂でなんとか自我を保ち、生きて、最後まで生きた……見上げた根性と精神力よ」
「……!?」
あまりの話に頭がついていかない。
けれど、その話は……何か知っているような気もした。
さきほど、眠っているときに見た誰かの夢。
そのときに見たものと驚くほど似ている。
やはり、あれは……あれは俺の……。
「ま、そんなわけでいろいろあったのだけど、ね。あなたの息子は惜しいと、私たちは思ったの。だから……彼は戻ったわ」
「戻った……?」
「そう……過去に、ね。まぁ、私の担当ではないから、どうやって、とかその理屈はわからないけど、大丈夫なのは間違いないわ。ほら、見て……」
そう言った瞬間、俺の目の前に四角い板が出現し、そこにのどかな村の様子が映った。
どんな技術なのかはわからないが、遠くを映し出せるらしい。
それを見て、俺は首を傾げた。
何をしたいのかわからなかったからだ。
しかし、次の瞬間、その疑問は吹き飛ぶ。
その映像にふっと何の前兆もなく現れた人物に、俺は強烈な見覚えがあったからだ。
最後にあった時より明らかに背も低く、幼いようだが、その顔を見間違えるはずがない。
『……テッド、待てって……』
そんなことを言いながら、少し年上の少年を追いかける男の子。
その名を俺は叫んだ。
「ジョン! 生きていたのか……!? いや、だが、年が……」
「わかったかしら? こういうことよ」
女はそう言った。
けれど俺にはまだわからなかった。
こういうことも何も、あれは子供時代のジョンではないか。
昔の映像を見せて……いったい何だというんだ。
つい、生きていたか、などと言ってしまったが、昔の記録に過ぎないのではないか?
そう思ったのだ。
けれど女はそんな俺の疑問などお見通しのようだった。
「……貴方の息子の表情を見てみなさい」
「……?」
言われて、改めて映像のジョンの顔を見る。
するとそこにあったのは、なぜか妙に大人びた、どこか疲れたような表情だった。
一緒にいるテッドが見ていないとき、ジョンの顔はふっと切り替わるように違うものになるのだ。
目には深い理性が宿り、テッドを見つめる視線も同年代の男を見るというよりは、聞き分けのない子供を見るような雰囲気をしている。
さらに、ジョンの身に着けている雰囲気が、異常だった。
体に緊張感が感じられ、いつ何が起こっても常に対応ができるような、そんな心構えが宿っているような身のこなしなのだ。
あれは、技術と経験のすべてが揃った、一流の兵士でなければ身に着けられないものだ。
少し前にあったジョンにはなかったもの。
それを、あんな子供のジョンが持っているわけが……。
俺は、強く疑問に思い、女を見た。
どういうことか、説明しろ、そういう視線だった。
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