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父は息子の夢を追いかける 4(第1章ダイジェスト4)
なぜ、戦っている――
何のために――
そんな疑問が心の中に湧き上がってくる。
けれど、二人とも楽しそうで。
だから、その戦いが決して悪いものだとは思わなかった。
むしろ、それは必要なもので――尊い何かが宿っているのだと、鈍い頭の働きの中で本能に近いものが教えたような気がした。
そして、夢は進んでいく。
先ほどまでのものとは違う、暗く、悲しい何かに場面が移っていく。
そこにな見たことのない、けれどどこか見覚えのある青年が二人――
◆◇◆◇◆
――お……ろ………。
……?
なんだ。何か聞こえる。
――起き……ン…………。
だからなんだ。
何が言いたいんだ。
「……起きろ!! ジョン!!!!」
耳元で響いたその巨大な音に、俺の意識は完全に覚醒へと導かれた。
びくり、と体が痙攣し、跳ね上がるように体が起きあがる。
ぼんやりとした状況認識のもと、それでいてキンキンと耳鳴りの聞こえる中、目を開くとそこには見慣れた顔があった。
端正な顔の作りの割にその笑みはどこか悪巧みをしているかのように思えてしまうその男は、魔王討伐軍の中でもなぜか好んで俺と連むことが多い変わり者だ。
平民なら何もおかしいことはないのだが、こいつは平時であれば俺など足下にも寄りつくことの出来ない巨大な一門の総領息子だ。
その癖、どうしてなのかこうして俺みたいな平民上がりと気があってしまう、奇妙な男だった。
「……ケルケイロ。耳元で大きな声を出すなよ。もっと軽く肩を揺するとか……あるだろ?」
言葉遣いだって、もう遠慮はしていない。
最初は声にも色をつけて出来る限り敬って聞こえるように努力していたのだが、この男は何とも言えない気持ち悪そうな顔で「鳥肌が立つからやめろよ、それ。というか頼むからやめてくれ、お願いします」と言い放った。
大貴族の思いの外の軽い口調に当初は面食らったくらいだ。
ただ、相手はそれこそ俺など簡単に踏みつぶすことのできる巨大貴族の総領息子である。
これはおそらくこの方の遊びのようなものなのだと思って、どんなに下らないことでも一応付き合わなければならないとの悲壮な決心でもってその時から敬語をやめて、普通の友達のように振る舞うことにした。
俺以外の人間にもこの男は同じようなことを言っていたので、余計にそうしなければならないと思った。
けれど、後々、俺以外の奴らの口調を聞いてみれば、以前と変わらぬへりくだった敬語なのだ。
俺だけがこいつに対し不敬にも対等の態度で対等な口を利いていて、そんな俺を外の奴らが奇妙な目で見つめているのを、ケルケイロは吹き出しそうな顔で笑っていた。
つまり、俺は田舎者過ぎて気づかなかったのだが、いくら貴族の方から楽にしろ、とかそんなようなことを言われても本当にそのような態度をとってはならず、むしろ「ありがたき幸せにございます!」などと言いつつも、今までより一層職務に励むのが貴族に対する当然の振る舞いであって、それを知らないと言うのは非常にまずいことであったらしかった。
本来なら打ち首ものらしい俺の所行にそのとき俺は初めて気がついたのだが、意外なことに俺の首は未だに繋がっている。
他の貴族なら、その場で憤慨しただろう俺の態度は、ケルケイロにとってはむしろ望ましいものであったらしい。
後に聞いたところによれば、真実、本当にこの男は敬語など使わなくていいと思って俺にそういったらしく、だから俺の態度も問題にならないと、そういうわけらしかった。
以来、この男、大貴族の総領息子ケルケイロは、その貴族としての名前の他に、俺ジョンの親友という肩書きを増やしたのだった。
そんな男が俺を天幕まで尋ねてきて起こしに来た。
いつもならこのまま訓練に誘われるか酒盛りにでも連れて行かれるかなのであるが、今日はどうも違うらしい。
ケルケイロは申し訳なさそうな顔で、言った。
「ジョン、悪いが、ちょっとついてきてくれ。参謀殿がお呼びなんだよ」
「参謀殿が? ははぁ、何か重要な決定でもあるのかな。明日だろ、魔都シルラーンの攻略は」
「分からないが……俺の貴族としての肩書きが必要らしくてな」
「お前の支持があれば通らない無茶も通るもんな、大貴族殿」
「ばっか、茶化すなよ! 俺はなぁ……」
「貴族なんてつもりはない、か?」
「そうだよ。分かってるじゃねぇか。俺はただの兵士としてここにいるんだぞ」
「はっ。馬鹿な奴だぜ。本当なら三年で将軍になれるエリートコースに乗れただろうに、わざわざ一般採用で軍に入るなんてよ」
「うるせぇ。お陰でお前に会えた。俺は満足だ。さ、いくぞ」
そう言って、ケルケイロは俺を引きずり始める。
その行動が、くさい台詞を言っったことによる恥ずかしさを隠すためだと、付き合いの長い俺には分かった。
ケルケイロが向かっているのは、我が魔王討伐軍第5師団の参謀殿の天幕だ。
俺を連れて行くのは、その参謀殿が俺と顔見知りだから、というのもあるだろう。
たどり着いた天幕のフェルトをくぐり、俺とケルケイロは敬礼をして参謀殿に挨拶をした。
「魔王討伐軍第5師団第2連隊オーテン大隊所属、ケルケイロ、参りました!」
「同じくオーテン大隊所属、ジョン、参りました!」
すると、天幕の奥、急造の執務机に腰掛けた小柄な男が振り返り、ゆったりと笑った。
「よくいらっしゃいました。二人とも。今日は折り入ってお二人に相談事がありましてね……内密なもので。そう、だから、お二人以外にはお話しするわけにはいかないな……ちょっと、君」
彼の横には参謀補助と思しき男が立っていたが、彼が耳元に口を寄せて二、三言発すると、敬礼をして天幕を出て行った。
それから、男はゆったりとした笑みを些か品のない、けれど先ほどよりもずっと鋭く似合う笑みに変えてから口を開いた。
「おう……それでお前等、なんで二人で来た。俺が呼んだのはケルケイロだけだぞ」
その男――数少ない俺の同郷出身の出世頭、コウはそう言って俺を睨む。
とは言ってもそれほど恐ろしい視線ではない。
むしろ親しみすら感じる目線である。
ただ単純に俺まで一緒にきたのが疑問なのだろう。
「そう言われても、俺はこいつに引きずられてきただけだぞ。俺がいるとまずいなら出るが?」
俺の言葉に、コウは額を少しもみ、それから言った。
「……いや、いい。むしろお前にもいてほしい」
「いいのか?」
「あぁ……」
どうも煮え切らない態度だが、それだけ大事な話なのかもしれない。
そして、コウは本題に入る。
「明日、お前らも知っての通り、魔都へ侵攻する。とは言っても、ほとんど無人なのもお前らも知ってることだな。あの都にいた魔族の奴らの大半は俺たち人類の都を攻撃するために出て行った。その隙を突いての作戦だ。あそこを取れば、人類の勝利へ一歩前進する。大きな一歩だ」
緊張した面もちで、俺とケルケイロはコウの話を聞く。
明日の作戦次第では、今までの劣勢を覆せるかもしれない。
そういう戦いだからだ。
けれどコウの顔には、その喜びというか、期待のようなものが伝わってこない。
なぜだろう。
不思議に思ったのはケルケイロも同じらしく、疑問が口をついて出た。
「その割には嬉しそうじゃねぇな? なんでだ」
その疑問に、コウは一枚の地図を出して答えた。
そこには魔都を出た魔族の予想される侵攻場所、及び斥候や各地に存在する連絡所から届いた魔族の軍勢の目撃情報などが統合されて描かれている。
それを見るなり、俺の息が止まった。
「……ジョン。どう見る」
コウが、静かにそう言った。
俺には分からない。
地図の内容がじゃない。
なぜ、こいつが、コウがこんなに冷静なのかが、だ。
俺の心臓は、今や早鐘を打つようだ。
この地図が伝えることは想像以上に俺のショックを与えた。
俺は焦るように、懇願するようにコウに言った。
「コウ……これは、嘘だろう!? こんな……これじゃ、これじゃあ! タロス村が!!!」
そう、この地図によれば、後、数日で、タロス村は魔物の軍勢に飲み込まれる。
そうとしか予想ができない――地図は、そんな情報を伝えていた。
なのに、コウは冷静なのだ。
信じられなかった。
何か、タロス村が無事であるという確信があるのだと、そう思った。
けれど、コウはゆっくりと首を振って言った。
「もう、あの村はだめだ。あきら」
めろ、まで言う前に、俺はコウを殴っていた。
言わせる訳には行かなかった。
俺たちは何のために戦っている。
人類のため?
それは確かにそうだろう。
けれど、何よりも自分の大切な人のために戦ってきたんじゃないのか。
俺達の身近な人を守ると言う目的の為に。
それが最大の原動力であったはずだ。
それなのに、どうしてそんなことを言える。
それだけは、言ってはいけないんじゃないのか。
たとえ、冷静に考えれば簡単に分かる話なんだとしてもだ。
絶対に、言ってはいけない話だった。
何度と無く、コウを殴り、最後には馬乗りになって。
それから、俺の拳とコウの顔がほとんど血だらけになった辺りで、肩にケルケイロの手が置かれるのを感じた。
「……もうやめろ」
沈痛な声だ。
そこで不思議に思う。
ケルケイロは何で止めなかった。
いくら同郷出身でもコウは上官だ。
こんなことをしたらただではすまないのは俺もケルケイロも同じで、普段ならそれを分かって止めるはずだ。
けれど、ケルケイロは言った。
「そいつが殴られたそうな顔してたからだ。コウ。起きろ。ジョンだって手加減してたんだ。こいつも分かってる。ちゃんとな」
「……あぁ」
目の周りが青くなった顔で、コウがむくりと起きあがった。
そんな顔だが、なぜか、泣き出しそうな顔をだと思った。
そうだ、少し考えれば分かる。
こいつが悲しくないはずがないのだ。
「……悪かった」
俺の謝罪に、コウは一つも恨み言を言わなかった。
「いや、いい。俺が悪いんだ……なぁ、ジョン。これからどうする」
決まってる。
「俺は戻る」
「どこに」
「タロス村に」
そう言って、俺は天幕を出た。
二人の顔は見なかった。
見れなかった。
これは立派な軍法違反だ。
処刑されても文句は言えない。
特に、軍の人員が大幅に減っている昨今の情勢の中では。
けれど、タロス村を見捨てるなんて言う選択は、俺には出来ない。
もちろん俺一人が戻ったって何にもならないことは分かっている。
ただ一緒に死ぬくらいしかできないだろう。
けれどそれでもだ。戻らなければならなかった。
馬に乗らなければ間に合わない。俺は厩舎に向かって走った。
けれど、そんな俺の背中に声がかかる。
「……ジョン、待て!」
振り返ると、ケルケイロだった。端正な顔に、汗が一筋流れた。
「止めにきたのか?」
「いや、違う。そうじゃなくて……これを使えと言おうと思ってな」
そう言ってケルケイロが差し出したのは、手綱である。
特殊な素材を使ったもので、これを持っているのは特別な人間だけのはずだった。
「竜騎の手綱じゃないか! こんなものどこで!」
「俺は大貴族様だからさ。いざって時はしっぽ巻いて逃げれるようにって、そのための手段を確保させられたんだ」
その顔は、決して嬉しそうではない。
そんな選択をしなければならない自分の身分を嫌った顔だ。
人を指揮できる人間は必要だ。
血筋と教育がそういう人間を作る。
ケルケイロはその両方を持った、今の時代には稀有な人間であるから、それくらいは当然だ
ただ、ケルケイロ自身はそんな自分の身の上を好きではないようだが……。
「だが、それが今は役に立つ。ジョン。これを使ってタロス村まで行こう」
「けど、俺には魔力が……」
竜騎の手綱は魔力がなければ扱えない。
するとケルケイロが首を振った。
「この手綱には俺の魔力が登録してある。一緒に行くぜ、親友!」
「だめだ! そこまで迷惑は」
「誰も迷惑なんざ思っちゃいねぇよ。なぁ、ジョン。俺はお前を親友だと思ってる」
「……俺もだ」
「親友だったら、いざって時には命賭けてやるのが当たり前だろ? なぁ?」
笑ってそんなことをいうケルケイロに、俺は不覚にも涙腺が緩みかけた。けれどそんな俺の肩を掴み、ケルケイロは言う。
「まだ早いぜ、ジョン。さっさとタロス村に行って、村の奴らを避難させよう。さっきの地図の情報は頭に入れてきた。魔物の軍勢が通らない土地に抜けられるルートもあった。今ならまだ間に合う。行くぞ!」
「……あぁ!」
そうして、俺とケルケイロは竜舎へと走った。
竜舎の担当者からは戻るようにと言われたが、昏倒させて竜を奪って飛んだ。
戻って来たら軍法会議でも何でも来いだ。
どうせ俺たちを死刑にすることも戦えなくなるような傷をつけることもできないのだから。
そう思って、タロス村までのしばしの空の散歩を楽しんでいたら、ケルケイロがポケットから何かを取り出し、差し出してきた。
「……こいつはなんだ?」
聞くと、ケルケイロは、
「……コウからだよ。軍法違反のため罰を与える、だそうだ」
「早くもかよ」
「あぁ。まぁ、ちょっとした冗談だろ。とはいえ、あんまり冗談とは言えない代物らしいがな」
見ると、それはペンダントのようだった。トップについているのは七色の輝きを纏った宝玉である。
明らかに魔力的なものが宿っているが、まるで用途が分からない。
ただ、魅入られるような不思議な光がぼんやりと浮かんでいる。
「冗談とは言えないってどういうことだ」
「ソステヌー出身の奴らが造ったっていえば分かるか?」
「……魔導部か」
それは軍の中でも悪名高い部署だった。
魔族との戦争が激化していくに連れ、高い品質の魔法武具や戦術的に有用な魔導具、アイテムを必要とした軍は、その構成の中にそんな品々を研究、製造する部門を創設し、多額の予算をかけた。
結果として、そこに集まった人材はソステヌーの学術究理団を中心とする非常に高い能力を持つ狂える学者たちばかりになり、ありとあらゆる実験がなされ、結果を出し続けている。
その実験の一つが、軍の人間をその実験体とした人体実験であり、これは軍に所属している以上断ることができない。
幸い、魔導部の連中は研究馬鹿ばかりである。
嘘はつかない。
彼らが実験が必要だと言えば事実必要なのである。
そして彼らとて、今の時代、人間という資源がどれだけ重要かは理解していた。
したがって、使い捨てにするようなこともまたしないのである。
だからこそ許された人体実験であり、またそれだけのことをしなければ人類の劣勢は覆せないと言うことでもあった。
ケルケイロのもっているペンダントは、まさにそんな連中の造ったもの。怖くて身につけるのも恐ろしいが……。
「まぁ、いずれ一般兵士全員に配るらしいからな。いつかつけるなら、今つけても同じだろ?」
そう言って、ケルケイロはそれを首に通した。
何も起こらないのを見て、俺は安心して同じようにペンダントを首に通す。
そんな俺の様子を見て、ケルケイロは思うことがあったのだろう。少し眉をしかめた。
「俺を毒味役にするんじゃねぇよ」
「お前がいつつけても同じだっていったんだろ」
「まぁ、そうだけどよ……」
「それで、これはどんな道具なんだ?」
「よく分からん。魔導部の奴らは"皿"って言ってたらしいぞ」
「皿だぁ? なんで食器なんだよ」
「分からん。あいつらのネーミングはいつもよく分からんからな。今回もかって感じだろ」
「まぁ、確かに。使い方は?」
「つけてるだけでいいんだとさ。ただそれだけで発動するとか何とか……まぁ、よくわからん」
「なんか、物騒なものなんじゃないだろうな」
「あいつらの造ったもので物騒じゃないものなんかねぇよ、この間なんか……」
そう言ってケルケイロは魔導部の連中の作り出した魔導具によって体が熊のように巨大化してしまった兵士や、片腕が蟹のような奇妙な腕になってしまった話をして笑わせてくれた。
思えばこれは俺の気を紛らわせるためにしてくれた話のような気がする。
そうして、俺たちはタロス村へとたどり着いたのだった。
「……ジョン」
鎮痛な面もちで、ケルケイロが俺の肩をつかんだ。
俺は、何も言うことができずに、その場に立ち尽くしていた。
「どうして、こんなことに……」
ケルケイロは辺りを見回して言う。
分かっていた。コウの差し出した地図を見た時点、こうなっている可能性も十分に予想できたはずなのだ。
けれど、俺たちはあえてその可能性を無視してここまでやってきた。
そんなことはないのだと、心に言い聞かせて。
けれど、無駄だった。
そうだ。
タロス村は、もう、この世になくなってしまっていた。
辺りに燃えさかる家々の残骸が転がっている。
魔物たちはもう、ここを通り過ぎた後のようで、見あたらない。
変わりにそこら中に転がっているのは、壊れてしまった様々なものだ。
死体や骨もそこら中にある。
懐かしい顔もそこにはあった。
「ジョン……なんて言ったらいいのかわからないが……」
ケルケイロに言葉を返せない。
俺もなんて言えばいいのか、全く分からなかった。
ただひたすらに、村を歩きながら、その言葉を考える。
だが、それを思いつく前に、俺たちの前にそれは現れたのだった。
どこかに一人でも生き残りがいないかと、ケルケイロと別れて村を散策していた。
すると、俺の耳にふと、ずるずると、何かを啜るような音が聞こえた。
誰か生きているのかと慌てて俺は走っていった。
けれど、そこにいたのは、人類などではなかった。
そこにいたのは、
「おやぁ? まだ生き残りがいたのですか。やれやれ。私が美味しく頂いてあげましょう」
灰色の顔をした、人に似た存在。
それは、こう呼ばれる――魔族、と。
そしてその口から伸びた長い舌は、その魔族の両手にぶら下がるものへと交互に伸びてはその中身を啜っていた。
その魔族の持つ、両手のもの。
それは――
「……母さん? ……カレン?」
俺のよく知る、二人の女性の首だった。
その瞬間、俺の喉から、今までの人生で聞いたこともないような奇声が鳴り響く。
それを聞きながら、目の前の魔族は、ゲタゲタと笑った。
「おもしろい、おもしろい! ははは。人が狂うと、こうなるのですねぇ。ははは。あっはっは」
頭が、パンクしそうだった。
いろいろな感情が体の中を駆けめぐっていた。
その中でももっとも強いのは、あの魔族を殺さなければならないという、復讐心だった。
けれど、俺のもっとも冷静な兵士としての部分が、あの魔族の力量を正確に見抜き、そんなことは不可能だと告げていた。
どうあっても、俺の復讐は不可能だと。
俺はこの場で殺されると。
ケルケイロがここに来ても同じことだ。
二人がかりでも間違いなく殺される。
どうにかして、ケルケイロだけでも生かさなければならない。
ここに来ないでくれ、ケルケイロ。
どうかここには。
そんな奇妙な心が俺の声を奇声に変えていたのだろう。
この声を聞き、そして逃げ帰れケルケイロと。
そんな思いで。
だが、あの男が、俺の親友がそんなことで逃げるはずがないことも分かっていた。
どうあっても、ここに来てしまうことを理解していた。
「おい、ジョン! どうし……」
とうとうやってきてしまったケルケイロが、灰色の魔族を見て時を止めたのと同時に、俺は剣を抜いて魔族に飛びかかった。
どうにかケルケイロの命だけでも救おうと本能が理性よりも早く俺の身体を突き動かしたのだ。
けれど、魔族は俺よりも早かった。
俺よりも早く、そして魔族は俺ではなく、ケルケイロを狙った。
次の瞬間、魔族の手はケルケイロの首を跳ねていた。
高く、飛んだ。
まるでボールがだれかに蹴られてしまったかのように、高く。
そうして、俺は狂った。
感情の何もかもが、復讐に塗りつぶされていくのを感じた。
絶対に、お前は殺してやるのだと、たとえ殺されたとしても、殺してやるのだと、それだけの憎しみが俺の中に青く燃えたのを感じた。
そして、それはやってきた。
――きこえたよ。
――にくしみのこえが。
――きいたよ。
――ふくしゅうのうぶごえを。
――ここにはおさらがある。
――ぼくはぎょうぎがいいからね。
――おさらがないとたべないんだ。
――でも、きょうのぼくはたべるよ、そのごちそうを。
――にくしみも、ふくしゅうもだいこうぶつなんだ。
――おさらもあるし、きれいにたべれるよ。
――だから、きみにあげよう。
――ぼくのちからを。
――くろくそまった、ぼくのちからを。
歌うような声だった。
少女のように無邪気で甘いソプラノ。
それを聞いた瞬間、俺の意識は消えた。
◆◇◆◇◆
気づいたとき、目の前に広がっていたのは、灰色の魔族が口から血を吐きながらこちらを睨みつけている断末魔の表情だった。
「……ぐっ……ぐふ……あなた……あなぁたはぁぁぁ!」
言葉にならない悲鳴を上げながら、魔族は俺に何かを言おうとしていた。
けれど、それはきっと不可能なことだった。
一体いつどうやってやったことなのか分からないが、俺の手には剣が握られていて、その刀身はその魔族の胸元を深く貫いている。
いくら魔族であると言っても、肉体が壊れれば死ぬ。
いかに魔族が人を遙かに超える能力を持っているのだとしても、魔族も本質的には生き物である以上、この理は変わらない。
よく見れば、目の前の魔族の体中に切り傷があった。
浅い傷も深い傷もあって、その数は数えきれないほどだ。
魔族にこれほどの傷を負わせることが出来るのは、かなりの実力者でなければできないことのはずだった。
少なくとも、俺に出来ることじゃない。
なのに現実に、俺の剣は確かに魔族の胸元に刺さっているのだ。
魔族が俺を睨んでいるのも、俺がこの魔族を切り刻んだからに他ならないのだろう。
しかし俺はおそらくあったのだろうそのときのことを、全く覚えてはいなかった。
俺が魔族を、倒した。
そんなことをしたのだと言われても、とてもではないが信じられない。
なのに、なぜ。
何とも言えない気持ち悪いような、薄ら寒いような感覚を覚えながら、けれど俺はその魔族の胸元に刺さった剣を抜き、そしてもう一度ゆっくりと刺した。
俺の心のうちから沸き上がってくる感情が、その魔族の命をまず間違いなく絶たねばならないと告げていた。
剣が刺さる瞬間、魔族は一瞬、大きく目を見開いた。
体中が痙攣し、小さく悲鳴を上げた。
けれど、それが最期だった。
魔族の目はゆっくりと閉じていき、そして灰となって崩れ落ちた。
「……一体、どういうことなんだ」
全てが終わって、呻くように呟いたそのとき、
「……!?」
明確にどことは言えないが、体の中心あたりから、信じられないほど強い疼痛が前進に駆けめぐった。
「……うぐあぁぁぁ!!!」
それは今まで味わったどんな痛みよりも鋭く強い痛みであり、またその範囲も広く、寝転がっても立ち上がっても体を捻ってもどこかをつねっても、どんな体勢をとろうとも決して引いてはくれなかった。
痛い。
信じられないほど。
痛い。
満足に息を吸うことすら苦痛だ。
いくら時間が経とうとも引かないその痛みは、辺りが暗くなるまで俺の体と心を蝕み続けた。
いっそ、殺してくれと、そう叫びたかった。
けれど、俺を殺してくれる者はここにはいない。あるのは、家々の残骸だけだ。
そうして、痛みに耐えて、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
永遠に等しいと思えるような拷問の時間がささやかに引いたそのとき、銀色の月明かりが村の残骸と俺を照らす中、じっと俺を見つめる一人の少女が目の前に座っていたことに気づいた。
一体いつからいたのだろう。
始めから?
それとも、俺が痛みで苦しんでいる中、どこかから現れたのか。
聞いて、納得したかった。
その少女はあまりにも場違いで、そして奇妙だったから。
けれど、その疑問を尋ねるべき喉は、未だにその機能を発揮しようとはしない。俺はどうにかして少女に対し何か言葉を発しようとするが、喉に力を入れるとその瞬間、全身を針で刺すような苦痛が駆けめぐるのだ。
これではとてもではないが会話など出来ない。
そんな俺の様子を理解してくれたのか、その少女は自ら口を開いた。
「んー、いきてる?」
物凄く軽く、そう聞かれた。
だから俺は言葉にせず、体に痛みがこれ以上広がらないように十分に注意しながら、頷いた。
それはただの確認のようであったが、その少女にとっては何か意味のある質問だったらしい。
少女は不思議そうな顔で、頷く俺を見つめ、そして意外そうな声を上げた。
「おー、たしかに、こわれてない。ちゃんときこえてるんだね。ぼく、びっくりしたよ」
そう言って目を見開いた少女は、よく見ればおそろしいほどに整った顔立ちをしていた。
これが人間の顔なのかと不思議に思えてくるくらいに。
着ているものは真っ黒の布地の上に銀糸で精緻な縫い取りのなされた美しいがひらひらとした服で、何かに似ているな、と思ったところで頭の中に蝶の記憶が過ぎった。
そうだ、この少女の着ているものは、蝶に似ている。ひらひらとして美しく、そして深い闇をはらんでいるような。
少女は俺を指先で触れたり、つついたりしながら、確かに動くこと、反応することを確認しては驚きの声を上げた。
そして全ての確認を終えたらしい少女は、深く頷いて、俺にゆったりとほほえむ。
「よくこわれなかったね。にくしみは、たしかにきみのこころをあおくもやしたはずなのに」
一体この少女はなんなのだろう。
何を言っているのだろう。
そんな疑問が浮かんでくると同時に、俺は大事なことを忘れていたことに気がついた。
そうだ。
ケルケイロは、どうなった。
母さんは、カレンは。
口に出したかは分からない。
ただ、そう思ったのは間違いない。
すると、少女は首を傾げ、
「あぁ、きになるんだね?」
と言って唐突にどこかへと歩いていき、そしてしばらくしてから軽い足取りでひょっこりと戻ってきた。
それから、まるで果物でも扱うような軽い手つきで、俺の目の前に、三つのそれを置いたのだった。
彼女は続ける。
「きみのさがしているのは、これかな。それともこっちかな」
ぽんぽんと、それの上部を撫でながら、少女は笑う。
歪んだ笑みだった。
明るさはあるが、それは明らかに狂気の類に属するものだった。
月が、彼女の姿を妖しく照らしていた。
「ねぇ、どれ?」
かわいらしく首を傾げた彼女の持ってきたもの。
母さんとカレンとケルケイロを探す俺に、彼女が持ってきてくれたもの。
それは、どう見ても、俺の探す三人の首だった。
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