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第5話 魂を懸けて
「よんだかな?」
その声が聞こえるとともに、中空が黒く染まり、穴が現れる。
そこから煙のようなものが瞬間的に現れ、漆黒の衣装を身にまとった、狂気的な瞳を持つ少女が現れた。
そして、眼前にまで迫って、とどめを刺すべく俺の方にその鋭い爪を差し出している竜に目を合わせつつ、手をかざす。
すると、ファレーナの手のひらの先から少し紫がかった靄のようなものが噴き出て、壁のようなものを形作った。
黒い靄は、とてもではないが、竜の一撃をどうにかできるような力など持つようには見えなかったが、しかし、靄を散らそうとした竜の爪が命中すると同時に、
――がきぃん!
というまるで金属と金属がぶつかったかのような高い音を立て、確かに竜の爪を防いだ。
さらに、俺の形成した“結界”のように消滅することもなくその場に存在し続け、竜の勢いをとどめ、その場に縫い付ける働きまでした。
竜がバランスを崩し、まっすぐ飛ぶつもりが、足がファレーナの作り出した靄に引っかかったせいで、その力の方向を狂わせ、地面に向かって思い切りたたきつけられる。
俺もファレーナも、その場にそのままいたら、竜の頭突きをくらうような形になっただろうが、
「ジョン、だっしゅつ!」
とファレーナが言って俺の首根っこを掴み、その場から離脱する。
近くにはケルケイロもいたが、彼の方はニコが引っ張って竜の衝撃がやってくる場所から引き離した。
そして、俺たちが離脱するのと反対にものすごい速度で俺たちの横を駆け抜けていった物体があった。
それは、ユスタとその背に乗ったエリスである。
彼女たちはその目をちらりと俺とケルケイロに向けて、その無事を確認し安心したのかにこりと笑ってそのまま竜の方へ突っ込んでいった。
大きな魔力の込められたエリスの剣とユスタの角がバリバリと音を立てながら輝いていて、これからあれを竜に叩き込むのだろうということがその一瞬で理解できる。
実際、その直後に龍が地面にたたきつけられて砂埃を上げた地点から、轟音と竜のうめき声が聞こえ、さらにその直後、砂煙の中からユスタとエリスが離脱してきた。
そんな彼女たちに向かって、竜の左前足と思しきものが追いすがるように突き出されたが、そんなものが命中する彼女たちではない。
しっかりと避け、距離とをとるように空中に上った。
「……やったんですか?」
流石にもう首根っこは掴まれてはおらず、ファレーナの力で空中に浮かんでいる俺が、ちょうど近くの位置にやってきたエリスとユスタに尋ねる。
「いいや……足が突き出されるのを見ただろう? まだだね。ただ、腕一本は落とし……」
とエリスが言いかけたところで、
『来るぞ!』
ユスタの声が響き、竜が砂煙の中から強烈な速度で飛び出してきた。
まっすぐに俺たちの方へと飛んでくる。
その目は先ほどまでとは異なり、明確に血走っており、明らかに怒り狂っていることが分かる。
その理由はと思って観察してみれば、エリスの言ったとおり、竜の足の片方が根元から切り落とされ、血液と思しき液体がだらだらと流れ落ちているのが見えた。
なるほど、あんな風にされれば当然怒るだろう。
そして、その傷を刻んだ張本人を何が何でも殺そうと行動し始めるはずだ。
事実、竜は俺やケルケイロをというより、エリスとユスタを狙い始めた。
怪我をしているはずなのに、むしろどんどんと速度は上がっていくようで、竜という生き物の底しれなさが分かると言うものだ。
「……大丈夫なのか?」
ケルケイロがつぶやく。
その質問の答えは俺にもわからないが、若干、竜よりも一人と一匹の方が部が悪そうに思えた。
しっかりと竜にダメージは与えているのだが、それ以上に先ほどまでほとんど命中しなかった竜の攻撃がユスタとエリスに命中し始めている。
油断を誘うためにわざと、という訳でもなさそうで、厳しそうな顔で竜に対応しているのが見て取れた。
「やばそうだな……」
言いながら、俺はファレーナに目くばせする。
この事態に至って、もはや俺がすべきことなど一つしかない。
そのことは、長い付き合いの彼女にもわかっていて、
「さきにいっておくけど、ながくはもたない。そっこうで、けっちゃくをつけてね――」
そう言って、ファレーナは微笑み、俺の方に掌を差し出しながら、つぶやく。
「|だいいちのせいげんかいじょ(ミール・リーモ・イベリゴ)……|だいにのせいげんかいじょ(ドゥア・リーモ・イベリゴ)……」
体に力が満ちていく。
はじめに身体能力が、身体強化魔術を使った時とは異なる形で引き出された感覚がし、次に、体に宿る魔力、奥底にある魔力の泉から突然湧き出たように力が吹き抱したのを感じた。
さらに、ファレーナは続ける。
「|かんのうのうりょくふよ(インダクト・カパロブロ・ドーヌ)……ちゆのうりょくふよ……|ひしょうのうりょくふよ(フーゴ・カパロブロ・ドーヌ)……」
周囲に対する感覚がひどく鋭くなる。
また、自分の体の動きも完全に掌握できているような、そんな感覚もした。
体中にあった細かい傷もすべてふさがっていき、時間の動きが遅くなったように思える。
「さぁ、ジョン。ひさしぶりに、やろうか」
俺は頷いて、地面を蹴り、ファレーナと共に、空中に飛び出した。
ファレーナの力、それは何も彼女個人が魔術を行使出来たり、生き物の魂を食べることが出来るだけにとどまらない。
契約者に対し、その限界を超える力を与えることが出来るのだ。
あの時代に存在していた多くのファレーナの仲間たちは、多かれ少なかれ、そういうことが出来た。
とはいっても、その中でもファレーナは特に万能だった。
身体能力を強化し、魔力を増やしてくれるのみならず、何の補助もなく自由自在に空中を飛び回る力を与えてくれたり、また傷ついても即座に回復するような能力を与えてくれたりもした。
それは、信じられないくらい強力な力で、だからこそ、俺はあの時代を生き抜いてこれたのだろう。
しかし、当然のことながら、この力は全くのノーリスクというわけではなく、むしろかなりハイリスクな力だ、と言える。
まず、これは魂の力、というものを消費するらしく、いつでもいくらでも使用できるという訳ではない。
単純に使用するだけで体には大きな負担――具体的にはのたうち回りたくなるような痛みだ――がかかるし、あまり長く使いすぎると廃人になる可能性もあるというのだ。
短時間の使用でも、おそらく俺は明日一日は確実に起き上がることは出来ないだろう。
寿命もある程度縮んでいるのかもしれないし、いつ手足の感覚がなくなり、一生動かせなくなっても不思議ではない。
そういう力だ。
とはいえ、その恩恵は間違いなくあり、それは何の才能も力もない俺でも、短時間ならば竜とすら戦うことが出来るほどの力を与えてくれるというところだろう。
それに、うまくやれば、せいぜい一日倒れて何もできないくらいで済む。
ただ、間違えば廃人であるから、よほどの時くらいにしか使わない。
普段だって、ファレーナが援護してくれれば、十分に戦えるのだ。
これはあくまで切り札であって、じり貧以外の何物でもないときだけ、短時間だけ、使うものだ。
そして今は、まさにそういうタイミングである。
エリスとユスタが負けかかっている。
そして、ファレーナの存在がかかっているものが、あそこにある。
空を飛ぶ、というよりは地面のように空中を蹴りながら、俺はファレーナと竜のもとへと駆ける。
◆◇◆◇◆
ケルケイロは唖然としていた。
そして、そうでありながらも、目の前の光景が幻覚ではないことがはっきりと理解できるほどに痛む体中の傷に眉を顰めながら、横にふよふよと浮かぶニコに、ぼんやりと質問した。
「……あれは、なんだ……お前も俺に、同じことが出来るのか?」
それに対してニコは少し考えてから首を振り、
「近いことは、できる、けど、おなじ、ことは、でき、ない……。あれは、あの人、にしか、でき、ない……」
その言葉の意味を掴み兼ねたケルケイロは、首を傾げてニコに尋ねる。
「あの人、ってジョンのことか?」
しかしニコは首を振り、愁いのこもったような目でジョンたちの方を見ながら、言う。
「ううん……ジョン、に憑いて、る……あの、人」
言われて、ケルケイロは頷き、ジョンの背後に浮かぶ漆黒の少女に目をやった。
「……ファレーナとか言ってたな」
その名を呼ぶ声が、確かに聞こえた。
その声には信頼が籠もっているように感じられた。
だからきっと、あの少女はジョンにとって、いいものなのだろう、とは思う。
けれど、その気配は、うまく表現は出来ないが、歪なものに思えた。
邪悪、というのではないのだが、違和感がある。
何か、この世に存在してはならないものが、無理やり形をとっているような、そんな気がするのだ。
その気配は、自分の横にいるこの少女にも感じるのだが、ジョンに憑いているらしいあの少女の方のものの方が強く感じる。
ニコは頷いて、
「今は、そう名乗って、るんだ、ね……」
「今は? 昔は違う名前だったのか?」
気になって尋ねれば、ニコは口元に人差し指を当てて、無表情に言った。
「……ない、しょ……」
「お前は……」
呆れたような顔で、ケルケイロはニコを見るが、彼女はやはり説明する気はないらしいことはその表情から理解できた。
「わかったよ……しかし、すげぇな」
ジョンも竜も今やケルケイロとはかなり距離が離れているが、ジョンと竜の距離はものすごい勢いで縮まっていく。
空中をまるで地上のように駆ける姿はもはや物語のようにすら思えてくる。
「空を、飛ばせる、くらいなら、ニコにも、できる、よ?」
「え、本当か?」
少し楽しみになって微笑みかけると、ニコは即座に、
「でも、魂が、削れ、る。死ぬ、ほどくるしい……」
と付け足した。
「それは……後でってことか?」
すると、ニコは首を振って、
「ずっと」
と返答した。
その意味は明らかである。
つまり、ニコなりファレーナなりが契約者に空を飛べるような力を与えている間は、ずっと苦しいのだ、と、そういうことだろう。
今、ジョンはそういう苦痛の中にいるというわけだ。
なぜ平気でいられる、とケルケイロは唖然とする。
すると、そんなケルケイロの心を読んだのか、ニコが、
「ジョンは……痛みに、なれて、る……」
そうなのかもしれない。
ケルケイロはジョンの過去を目にした。
ああいう時代に、環境に生きていたら、そういった苦痛は日常茶飯事で、慣れなければ生きてはいけないような状況だったのかも知れない。
だが、今の時代に、好き好んでそんな苦痛に飛び込む必要などないのに、とどうしても思ってしまう。
それが、今この状況で必要なことなのだとしても。
ただ、ジョンは、そういう奴なのだということも、短い付き合いしかないがケルケイロには分かっていた。
人が苦しんでいる、それを自分が助けられる、力になれると思ったら、そこに迷わず突っ込んでいく、たとえどれほどの苦痛が襲って来ようとも。
そう自然に考えてしまうような、そんな性格を彼はしているのだと。
だからこそ、今ジョンはこの場にいて、竜と相対するような目に遭ってしまっているのだ。
ある意味自業自得だが、しかしだからこそ、彼の周りにはあれほど多くの友人がいて、信頼しているのだろう。
そして、自分もまた、彼を信頼する人間の一人だ。
だからこそ、ケルケイロは思った。
「……俺は、何の力にもなれないのか……?」
竜との戦いに、参加することは出来ないのか。
自分に何かすることは出来ないのか。
そう思って、口に出した言葉だった。
しかし言いながらも、自分に出来ることは何もない、と客観的に結論も出せてしまっていた。
ニコには、ファレーナがジョンにしているようなことは出来ないというのだから。
空は飛ばせるが、その間、苦痛がケルケイロに襲ってくるともいう。
何も痛みや苦しみを恐れはしないが、しかし、その状態でまともに戦えるのか、と言われると、ニコに魂をかじられた時の痛みを思い出せば、不可能だということがすぐにわかる。
努力して、耐えられるようにはいつかなれるかもしれない。
しかし、今すぐに、そんな精神力は手に入らないのだ。
ケルケイロは、ただ、ひたすらに、そのことを無念に思った。
そんな彼に、ニコは励ましのつもりか言った。
「ジョンは、これ、からも……こういう、ことに、巻き込まれ、る……。いつか、助けてあげられるように、がんばれば、いい……ケルケイロなら、それが、できる、よ……」
意外なやさしさに満ち溢れたその言葉に、ケルケイロははっとしてニコを見るが、すでにニコの視線はケルケイロの方を向いていなかった。
ただ、無表情に浮いて、ジョンや竜の方向を見つめていた。
「……お前は……なんだかよくわからないやつだ……」
ケルケイロはそうつぶやきながらも、最後に付け足す。
「でも、ありがとうよ……」
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