NHK高校講座 日本史「明治維新」 2015.11.13


歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。

(汽笛)文明開化に沸く明治の日本。
進んだ西洋の技術や文化を取り入れ社会は大きな変化の波にさらされます。
大政奉還によっておよそ700年続いた武士の世が終わり明治天皇を中心とした国家の中央集権化が推し進められたのです。
今回の時代は19世紀中頃の明治時代初め。
今回押さえるべき「三つの要」は…新政府はなぜ中央集権の国家を目指したのでしょうか。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
今回は「明治維新」。
明治政府は王政復古の大号令によって天皇を頂点とした中央集権の国づくりを行います。
中央集権国家これ随分前に習いましたね。
覚えてますか?7世紀の大化の改新でしたよね。
天皇を中心とした中央集権国家の建設を行いました。
でも平安時代の終わりから武士が台頭して江戸時代には将軍を中心とする幕藩体制にならなかったっけ?江戸時代って中央集権じゃなかったんだ。
そうなんですね。
江戸時代の…そこで明治政府はこれを改めまして中央集権国家の建設を目指したんです。
何でだろうね。
何で?その理由を今日も「三つの要」に沿って推理していこう。
その一。
1868年3月発足したばかりの明治政府は五箇条の誓文として基本方針を発表。
天皇が神々に誓う形を取って発表する事で天皇が国の中心である事を示しました。
そして公の議論を尊重した政治を行い国民が団結して国を繁栄させる事を掲げます。
続く4月には政治体制を示した政体書を公布。
太政官を最高官庁とし立法行政司法の三権分立を原則とする。
このような太政官への権力の集中は中央集権国家の樹立を目指したものです。
明治政府は旧幕府から没収した所領のうち東京京都大阪などの大都市を府としその他を県と定めました。
一方藩はこれまでどおり藩として残します。
府藩県の三治制を行ったのです。
しかしこれは中央集権化の妨げになりました。
1869年1月こうした状況を打開するために新政府は薩摩長州土佐肥前4藩の藩主に版籍奉還の建白書を出させます。
「すべての土地・人民は天皇のものであり私有すべきではない」として版と籍つまり領地と領民を朝廷に返上させたのです。
4藩が版籍奉還に同意した理由は次の一文にありました。
実は徳川幕府では将軍が交代する度に支配権を幕府に返上させ改めて幕府から交付するという手続きが取られていました。
そこで藩主たちは今度は天皇を中心とする新政府が幕府に代わって支配権を与えると思ったのです。
有力藩に倣いおよそ260の藩が雪崩を打って版籍奉還を申し出ました。
これによって藩主は知藩事という新政府から任命された地方行政官になります。
しかし知藩事たちが当然与えられると信じていた支配権は再交付されませんでした。
土地と人民は天皇の下に置かれたままとなり新政府が実質的な支配権を持つ事になったのです。
こうして新政府は藩の力を弱めようとしましたが税の徴収権や軍事力は各藩が保持したままでした。
そこで新政府が次に行ったのが全ての藩を廃止する廃藩置県です。
1871年7月天皇が知藩事を東京に呼び藩の廃止と知藩事の罷免を一方的に宣言しました。
残されていた藩は県になり…明治政府は全国を直接統治下に置き軍事租税の権限を一手に握ったのです。
中央集権国家を作るためには廃藩置県が必要だった事が分かりました。
ところで版籍奉還あるいは廃藩置県を行った事で武家社会にとって重要な関係これが一新されました。
それは殿様と家来の主従関係です。
(3人)うん。
それじゃあ武士はそのあとどうなっちゃうんだろう。
気になりますよね〜。
ここで「三つの要」その二。
公家とそして武士のうち大名を華族。
一般武士を士族に。
農民と町人らの庶民を平民に改めました。
天皇を中心とする中央集権国家建設のため皇族以外は全て平等であると定めたのです。
平民も苗字を名乗り華族や士族と結婚する事が認められ居住や職業の制限も廃止されました。
これによって士族は身分上の特権を失いました。
政府は更に士族のリストラを進めます。
実は政府は廃藩によって職を失った士族に対し家禄を王政復古の功労者には賞典禄という給与を与えていました。
この2つを合わせて秩禄といいます。
この秩禄が国の支出の30%以上を占め大きな負担になっていたのです。
政府は士族の秩禄を打ち切る事を計画します。
まず秩禄奉還の法を定めます。
希望者に対し秩禄の支給を止める代わりに一時金を支給するというものです。
更に秩禄の受給者に最大で年間支給額14年分に相当する金禄公債証書を与える事で秩禄の支給を全て廃止しました。
これが…士族は経済的な特権も失います。
金禄公債の利息だけでは生活できなくなった士族の大部分は公債を売り払い商人になる者も現れます。
しかし慣れない商売に失敗して没落する者が続出しました。
武士はこちらも失います。
1876年3月廃刀令の公布によって武士の魂ともいえる刀も取り上げられてしまうんですね。
(生徒たち)え〜。
皆さん。
武士の一番の仕事これ何でしたか?戦う事?領地を守る事?戦いのプロが武士だった。
政府はその武士の仕事を奪う制度を作りました。
え〜!「三つの要」その三。
近代的な軍隊の創設を目指す政府は国民全てが国に奉仕すべきだとし徴兵令を公布します。
これによって士族平民の区別なく…これに反発したのが士族たちです。
兵役を担ってきた自分たちの特権を奪うものとして非難しました。
また平民からも反対され暴動が各地で起こります。
江戸時代まで兵役の義務はなかったからです。
しかし政府は士族や平民の反発を力で抑え徐々に国民皆兵を推し進めていきます。
徴兵制によって軍備を整える一方明治政府にとって財源の確保が急務の一つでした。
租税の徴収権は明治政府が押さえましたが江戸時代以来の年貢制度がそのまま踏襲されていました。
これでは税率が藩ごとに異なる上に不安定な米の物納では安定した財源の確保ができません。
そこで政府はまず土地の利用と売買を解禁。
課税対象を米の収穫高から土地の価格に変更し物納を貨幣での納税に改めたのです。
税率は3%とし…これによって各藩ごとに異なっていた年貢は全国一律に貨幣で徴収される近代的な租税となり財政を安定させたのです。
強い国をつくるためには軍隊とお金が必要だったって事ですね。
もう一つ大事なものがあります。
何だか分かりますか?は〜い!それについて私が調べてきました。
「三つの要」その三。
はい!今日は長野県松本市にやって来ています。
私の後ろに見えるのは明治時代に建てられた小学校なんです。
明治の子供たちがどんなお勉強してきたのか今日は私が調べに行ってきます。
土保さんがやって来たのは1873年に開設された旧開智学校です。
現在は学校の役目を終え重要文化財として保存されています。
1872年明治政府は新しい教育制度である学制を公布し小学校から大学までの学校制度を定めました。
6歳以上の全ての男女が等しく就学する国民皆学を目指し全国で2万を超える小学校が造られました。
こんにちは。
こんにちは。
学芸員の遠藤さんです。
明治の小学校の授業を教えて頂きます。
早速当時の教室に向かいました。
わあ〜!えっちっちゃいですね全部。
教壇に向かって並べられた机。
実は教師が前に立ちそれに向かって子供たちが並ぶスタイルは明治時代に始まったものです。
江戸時代の寺子屋では思い思いの場所に座る子供たちを先生は個別に指導していました。
また教育内容も寺子屋ごとにばらばらでした。
明治の学校は大勢の子供に効率的に新しい知識を教えようとしたため一斉授業と呼ばれる方式を導入しました。
全国でほぼ同じ内容の授業が行われたのです。
それでは明治時代の小学校1年生の授業をやってみたいと思います。
教科書はないんですか?当時の教科書はこちらになります。
うわ〜!すご〜い。
教科書の代わりが掛図でした。
当時教科書はまだ高価なもので購入する余裕のない子供が大半だったためこのような掛図を使用したのです。
ではまずこの図を使ってですね漢字の読み方の授業をしてみたいと思います。
この字を読んで下さい。
「なす」です。
はい正解です。
おっやった。
こちらは分かりますか?「しょうが」ですか?あっ正解です。
よく分かりましたね。
絵を見て分かりました。
ほかにも「だいこん」や「にんじん」など今では使われない難しい漢字が並んでいます。
それでは次に書き取りを行ってみたいと思います。
ノートはないんですか?ノートの代わりに用いられたのが石板です。
この石板に石筆という石の筆記具で書くのですが…。
おっめっちゃ力いりますね。
はい。
大変。
手がもうもちませんね。
アハハハハ…。
寺子屋での勉強もすごい難しかったと思うんですけどそのままじゃ駄目だったんですか?国民皆学を目指しまして…学制公布直後30%もなかった就学率はその後どんどん上がっていきました。
そして35年間でほぼ100%になります。
教育の普及と充実は日本の近代化を進めていく上で大きな役割を果たす事になったのです。
土保君明治の授業っていうのはどうだったんですか?1年生の問題にしてはすっごい難しくて暗記物が多いなって思いましたね。
でも……だなって思いました。
偉い!
(3人の笑い声)学制兵制税制この3つの改革は近代化の基礎となり国民の生活に大きな影響を与えました。
教育を振興し経済を発展させて国力をつけるとともに軍備の整備を進める。
これがいわゆる富国強兵ですね。
この富国強兵政策によってこの後の日本の形がつくられていく訳です。
小風先生に更に趣のある深〜いお話をお伺いしましょう。
(一同)よろしくお願いします。
先生。
そもそも明治維新のきっかけになったのは何だったでしょうか。
きっかけ?江戸幕府が動揺し始めたのは…。
(小風)そう。
ペリーがやって来てからですよね。
ペリーがやって来たって事は外国の圧力をひしひしと感じて「今のままでは駄目だ」という事から始まった訳ですね。
そういう…外国の脅威っていうのはやっぱり相当厳しく感じてたんですかね。
それが事実であったかどうかは別としてそういう意識が非常に強く働いて明治維新になった。
でそのためには何が必要か。
廃藩置県の時に掲げられたスローガンに「万国対峙」というのがあります。
これはどういう意味かと言うと世界の国々と対抗して日本が自立していくという事をスローガンに挙げてる訳ですね。
つまりそれを進めるために廃藩置県を行う中央集権国家を作るという事ですね。
やっぱり中央に全部集めてそれで一つにまとまっていかなければいけないって…。
そうですね。
明治政府になって始まる訳ではなくて…その連続で明治維新政府になってそれが実現していくと。
しかし非常に短い時間でそれが確立されていくというか…。
その国際感覚というのは非常にすばらしかったろうと思いますね。
(生徒たち)うん。
すごい日本人。
いや〜面白いね〜。
(一同)どうもありがとうございました。
館長。
私たちもこれからは世界的視点を持って歴史を学びたいと思います!じゃあそのためにはまず海外に修学旅行に行きましょう。
それでは…ちょっと怪しい。
怪しいって言われちゃった。
アハハハハ。
2015/11/13(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「明治維新」[字]

日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)

詳細情報
番組内容
江戸時代の幕藩体制では各藩が独自に政治や税の徴収を行っていた。いわば地方分権だったのである。これに対して明治の新政府は「版籍奉還」「廃藩置県」などを行って中央集権化を推し進めた。新政府はなぜ中集権国家を目指したのだろうか? またそれはどのようにして進められたのだろうか? 新政府が同時に進めた「身分制の廃止」や「兵制」「税制」「学制」に関する改革とあわせて、その目的と内容を考えていく。
出演者
【司会】高橋英樹,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【講師】お茶の水女子大学大学院教授…小風秀雅,【語り】杉村理加

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:1716(0x06B4)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: