(笑い)昭和を代表する…独特の語り口やコミカルな動きで人気を博しました。
夫婦愛ってやつだな。
(泣き声)そりゃそうとよ。
(笑い)ところが今から27年前の昭和63年52歳で突然亡くなります。
この時18歳だった息子はその死をきっかけに父と同じ道を歩む事を決意しました。
45歳。
テレビや舞台で活躍しています。
妻はタレントの安めぐみさん。
今年子供が生まれ自らのルーツを知りたいという気持ちが強くなりました。
番組では貴博さんに代わって家族の歴史をたどりました。
曽祖父の足跡が高尾山で見つかりました。
ルーツは北方四島の一つ色丹島。
そして…それが…そんなどらごどらごと言ってるとは何が悪いんだ…!
(笑い)ご立派なお子さんをお持ちで…。
ええ。
次男のあの貴博で。
ところが突然の死。
師弟の絆が明らかになります。
この日貴博さんは家族の歴史と初めて向き合う事になります。
東貴博さんの本名は飛田貴博。
飛田家のルーツについては本籍地しか知りません。
飛田家の家系図です。
飛田はもともと祖母の名字で祖父が婿養子に入りました。
まずは飛田家について調べます。
向かったのは…本籍地は大垣城からおよそ1キロ離れた南高橋町一丁目百番地です。
おはようございます。
おはようございます。
あっここになりますか?はい。
ええと…どうぞ。
ここでは昭和40年代からパンを作っているといいます。
手がかりを求めて向かったのは大垣市の図書館。
飛田家があった場所を幕末の城下町と重ねてもらいました。
江戸時代飛田家があった一帯は田畑が広がっていました。
明治26年そんな飛田家の長女として生まれたのがてい。
貴博の祖母です。
大正時代ていは上京。
浅草の料理屋で働き始めます。
そこで夫となる松下弘義と出会いました。
昭和11年ていと弘義は結婚。
三男だった弘義は飛田家の婿養子になります。
その弘義の父貴博の曽祖父松下弥吉についてある事実が分かりました。
ここに弥吉の孫が暮らしています。
松下美都留さん。
貴博にとっては大叔父の長男です。
貴博をはじめ飛田家とは誰とも面識がありません。
弥吉の写真が一枚だけ残されていました。
明治の中頃弥吉は宮内省に入省。
皇居を警備する「皇宮警手」になります。
当時の職員録に名前がありました。
月給19円勲七等をもらっています。
そんな弥吉は明治33年結婚。
その5年後三男の弘義が生まれます。
貴博の祖父です。
美都留さんが思わぬ事実を教えてくれました。
「大正11年高尾山蛇滝堂において死亡」。
大正11年弥吉は高尾山の中腹にある蛇滝で亡くなっていました。
蛇滝は滝行ができる修行道場として知られています。
心身を清めるため各地から多くの人々がやって来て滝の入り口の三光荘という宿に宿泊していました。
八王子に暮らす佐脇さんの祖父が三光荘の経営者でした。
自宅に当時の宿泊名簿が残されています。
これがですね大正7年からですね「宿泊人名簿」というものでして。
70年前に宿は閉じられたためほとんど資料はなく名簿が2冊あるだけです。
松下弥吉というふうに読めますので。
弥吉はこの地で54年の生涯を閉じました。
その死から4年後の大正15年二十歳の弘義は陸軍の騎兵第二十六連隊に入隊します。
2年間の兵役を終えたあとは宮内省で働き始めました。
そんな弘義は浅草の料理屋で一人の女性と出会います。
それが岐阜から出てきた飛田ていでした。
そして2人は結婚。
昭和11年に長男の義一後の東八郎が生まれます。
一人っ子の義一は自宅から程近い浅草によく連れていってもらいました。
父と一緒に当時人気の芝居やミュージカルを見ます。
ところが昭和16年太平洋戦争が勃発。
翌年一家は母方の祖父がいた名古屋へ疎開します。
そして名古屋城に程近いの口町で暮らし始めました。
しかし昭和20年5月アメリカ軍の空襲を受けます。
義一は必死に逃げました。
近所で暮らしていた牛田壬子さん。
あの日の事を鮮明に覚えています。
激しい空襲でついに国宝の名古屋城も炎上。
大勢の犠牲者が出ました。
間一髪のところで助かった義一。
後にこう語っています。
終戦から2年後飛田家は名古屋市内の別の場所で暮らし始めます。
新しい学校に転校した義一はなかなかなじめませんでした。
そんな中で仲良くなったのが…賞金女王にもなったプロゴルファーの塩谷育代さんの父です。
義一とは2年間同じクラスで一緒に登下校しました。
実は義一はあるコンプレックスを抱えていました。
そんな義一に転機が訪れます。
塩谷さんの父が営む鉄工所に立ち寄った時の事です。
進駐軍からの払い下げの靴に目が留まります。
塩谷さんの父が手に入れたものでした。
義一にある光景がよみがえります。
浅草で見たタップダンス。
「この靴で踊りたい」。
義一は塩谷さんの父にタップシューズにしてくれないかと頼みます。
「みんなが注目してくれる」。
この時義一は人前に立つ喜びに目覚めたのです。
昭和24年一家は東京・浅草に戻ります。
当時の浅草は芝居小屋や映画館が立ち並ぶ日本一の繁華街でした。
13歳になっていた義一は改めて華やかな世界に魅了されます。
「いつの日かあの舞台に立ちたい」。
18歳になった義一は一大決心をします。
母の知り合いだった浅草オペラの大御所田谷力三に弟子入りしたのです。
「浅草オペラ」とは戦前から絶大な人気を誇った本格的な歌劇です。
義一は田谷の付き人になります。
しかし譜面を見ても全く分かりません。
更に滑舌が悪く歌もいまひとつでした。
弟子入りから僅か3か月後あきれた田谷に告げられます。
「お前は歌手に向いていない。
舞台に立ちたいならコメディアンを目指しなさい」。
義一の運命の歯車が大きく動いた瞬間でした。
はぁ〜…すごいね。
へぇ〜…。
おじいちゃん曽祖父になるんですかね。
なんかこう…18歳の義一が向かったのは浅草フランス座。
ストリップショーの幕あいにコメディアンが舞台に立っていました。
先輩コメディアンは10人ほど。
八波むと志や渥美清などがいました。
義一は毎朝一番に劇場にやって来て舞台や楽屋の掃除先輩の身の回りの世話を率先してやりました。
当時をよく知る…義一は芸名をもらいます。
それが…それから間もなくして端役で舞台に立った八郎。
そこで厳しい現実に直面します。
客の多くはストリップ目当て。
踊り子が花形でコメディアンはあくまで脇役。
よほど面白くなければ相手にされませんでした。
きつ音だった八郎には客から冷たい視線が注がれました。
しばらくすると八郎は劇場側から宣告されます。
「お前はクビだ」。
しかしそこに救いの手が差し伸べられます。
当時の事を聞いています。
首の皮一枚でつながった八郎。
それからというもの先輩の舞台を欠かさず見て動きや言葉遣い間合いを懸命に学びました。
連日舞台に立つ八郎。
弱点だったきつ音はわざと東北弁のようになまったり早口でまくしたてたりしました。
私がせっかくあっちこっち行ってさがしてきたっていうのにそれを何ですか!そんなどらごどらごと言ってるのは何が悪いんだ…!この…!
(笑い)「…こんにゃろ〜」みたいな。
昭和36年24歳の八郎は劇場のトップコメディアンに上り詰めていました。
このころ一人の若者が八郎の弟子となります。
当時19歳の…萩本さんは八郎からコメディアンとしての基礎をいつも舞台で学んだといいます。
テレビで演芸ブームが巻き起こります。
三波伸介伊東四朗のてんぷくトリオなどが活躍しました。
八郎もトリオスカイラインを結成。
瞬く間にお茶の間の人気者になります。
そんな中浅草にあったある料理屋へ立ち寄りました。
そこで運命の女性と出会う事になるのです。
はぁ〜…。
へぇ〜…。
やっぱり治ってなかったんですねきつ音だとかねそういうのは。
大体「ハナホナバカ」って言ってましたから。
浅草千束通りの中ほどに貴博さんの父八郎さんと母裕子さんが出会った店があります。
もともと母方の祖母が始めたお店でした。
貴博さんはこの店の上でその祖母と一緒に暮らしました。
しかし母方のルーツについては詳しく聞いていません。
母方の木根家。
曽祖父木根金次郎からたどります。
金次郎は明治後期から昭和初期にかけて漁師をしていました。
現在も金次郎の孫が暮らしています。
水産業を営む…貴博と会った事はありますがほとんど話した事はありません。
昭和初期に撮影された木根家の写真を持っています。
金次郎は北方四島の一つ色丹島の付近で漁をしていました。
ここで当時はまだ珍しかったタラ漁へ乗り出します。
更にタラの加工品をつくる工場を色丹島に建て従業員80人ほどを雇っていました。
根室市の資料館で金次郎に関する資料を見つけました。
孫の繁さんのもとには家系図が残されていました。
明治25年に金次郎は富山から北海道に移住しています。
もともと暮らしていたのが…そこから「木根」という名字を名乗りました。
現在も富山には木根という地名が残っています。
そんな金次郎の五女がチヨ。
うん。
面影ある。
明るく行動的だったチヨ。
昭和4年地元の女学校に入学しました。
この写真ですね木根チヨさん。
昭和8年の第10回の卒業生。
卒業したチヨは上京します。
その後北区王子にあった料亭で働き始めました。
チヨのめいの山本玲子さんです。
そんなころ客として来ていた男性と出会います。
いらっしゃいませ。
失礼いたします。
チヨと仲が良かった杉平米子さん。
そのなれ初めを聞いています。
翌年には女の子が生まれます。
こんな写真見た事ない。
戦後チヨ夫婦は商売を始めます。
浅草千束通りに菓子店を開いたのです。
お菓子屋さんだったって言ってた。
あめやビスケットなどを量り売りし大勢の客でにぎわいました。
ところが昭和30年代になると吉原の衰退とともに客足が落ち込みます。
そこで昭和37年地元客を見込んで料理屋に衣がえをします。
22歳になっていた長女の裕子も店を手伝いました。
その数年後ある人気コメディアンが店にやって来ました。
その男性こそ後に裕子の夫となる東八郎だったのです。
へぇ〜出会いがありましたね。
北方領土ってね学校で習ったぐらいで歯舞色丹とかって覚えましたけどそこにルーツがあったとは1ミリも思ってなかったですね。
昭和42年東八郎は既にテレビの人気者になっていました。
そんなある日後輩の南出さんと浅草千束通りの料理屋へ立ち寄ります。
現在はラーメン屋になっていますが間取りは当時のままです。
八郎は看板娘の裕子に一目ぼれ。
2人はすぐに意気投合しました。
そして昭和44年結婚します。
恐ろしい事…!八郎はますます仕事にまい進。
全盛期にはテレビ出演が月120本という超売れっ子でした。
何でこんなもの…。
ブッ!
(笑い)このころ長男に続き次男の貴博が生まれます。
子供は三男二女の5人となりました。
ごちゃまぜに全部?たくさん欲しい。
八郎はどんなに仕事が忙しくても子供たちのために料理を作る事を心がけました。
(子供たち)パパ!は〜い!
(拍手)「不器用なパパだと思っていますが一つだけ上手に作れるものがあると言っています。
それは何でしょうか?」。
シチューです。
(拍手)夜寝る頃になったらね朝食べるようにってね作っておいてくれるの。
はぁ〜…!いやんなっちゃった…。
(笑い)「私たちのパパは面白くてとても優しいです。
テレビでは面白い事ばかりやっているので真面目なところがないみたいです。
家でもふざけてばかりで楽しいパパです。
パパこれからも元気で頑張って下さい。
いつまでも長生きして下さいね」。
(拍手)47歳になった八郎は重度の糖尿病で緊急入院します。
起き上がるのもやっとでした。
それでも仕事を休もうとしませんでした。
熱が出たんじゃないの?
(笑い)見舞いに行った南出さんは当時の状況を覚えています。
このころお笑い番組の全盛時代。
しかし舞台で経験を積んだコメディアンは次第に少なくなっていました。
病を抱えながらも八郎はお笑いの養成塾を始めます。
浅草の舞台で培った芸を若い世代に伝えようと考えたのです。
そんな八郎にとって心配の種が次男の貴博でした。
度を超したいたずらで周囲をよく困らせていました。
そんな時は家の屋上に座らせ貴博が納得するまで何時間でも話し合いました。
高校3年になった貴博。
中学しか出ていない八郎は貴博には大学進学を望んでいました。
ところが貴博は突然「役者になりたい」と言いだしたのです。
息子の言葉に八郎は戸惑います。
「売れるには厳しい芸能界。
貴博にその覚悟はあるのか?」。
しかし貴博は高校を卒業しても役者の修業に踏み出せずにいました。
貴博が高校卒業して3か月後の…突然の悲劇が襲いかかります。
テレビの生出演を終え帰宅した八郎。
ところが翌日なかなか起きてきません。
脳出血で亡くなっていたのです。
52歳という若さでした。
知らせを聞いて駆けつけた萩本さんはなきがらに声をかけました。
萩本さんが葬儀で贈った言葉。
そして萩本さんは貴博に声をかけます。
「役者をやりたいんだって?」。
実は生前八郎は萩本さんに頼んでいました。
「もし息子が本気で芸能界に入りたいと言ったら味方になってくれよ」。
萩本さんと貴博が話し込む姿。
南出さんはその様子をじっと見ていました。
「俺は芸能界で活躍してみせる」。
貴博は父のなきがらに誓ったのです。
ハァ…。
思い出しますねなんかねあの時の事…。
イタッ!あっ!新しい!父の死後貴博さんは萩本さんの下で修業を始めます。
いや〜!いや〜!俺ツッコミやってんだ!その5年後お笑いコンビを結成。
少しずつ名前が知られるようになっていきました。
全然気持ちよくなんねぇじゃねぇかこの野郎。
何がいいんだよこれ。
マジックかそれ!その後「お金持ちキャラ」もブレーク。
今やテレビですっかりおなじみとなりました。
そのかたわらで貴博さんは自ら劇団を立ち上げ舞台に力を注いでいます。
よらないなよらないな。
なんすか。
普通の話真面目に聞いちゃったよ。
更に貴博さんは最近新たな挑戦を始めました。
父が立ち上げ死後中断していたコメディアン養成塾を今年再開したのです。
貴博さんが生まれ育った浅草千束通り。
商店街の人々は子供の頃から見てきた貴博さんを応援しています。
やっぱりね…八郎さんの後輩で弟分だった南出さん。
貴博さんの舞台を毎年欠かさず見ています。
生前父の八郎さんは笑いの神髄についてこう語っています。
(聞き手)人を笑わせる力ってのは一体何なんでしょうね?熱演ですね。
貴博さんの師匠…デビューから現在まで貴博さんを見守り続けてきました。
ハァ…。
ほんとにこう…う〜んみんなに見守られてるなと思いますね。
2015/11/13(金) 14:05〜14:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「東貴博〜父・八郎の面影 子弟の絆〜」[字][再]
父はコメディアン東八郎。謎だった父方のルーツを解く鍵が高尾山にあった。一方、母方をたどると、色丹島にいたことが判明。さらに、父と萩本欽一との絆が明らかになる。
詳細情報
番組内容
父はコメディアン東八郎。これまで父方のルーツが謎だった。岐阜、浅草をたどるうちに行きついたのが、高尾山。そこに驚きの事実が判明する。一方、母方をたどると、北海道の漁師で、北方4島の一つ色丹島で大きな漁場を持っていたことが浮かび上がる。そして、父・八郎さんと萩本欽一さんとの知られざる絆。父の死後、萩本さんの弟子となった貴博さんは、師匠から送られたメッセージに、涙をこらえることができなかった。
出演者
【出演】東貴博,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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