NHKアーカイブス▽世界を制した科学者魂〜ノーベル賞の舞台裏と飽くなき探求心〜 2015.11.15


号外で〜す!ノーベル賞の号外で〜す!
(森田)先月日本中を沸かせたノーベル賞のダブル受賞。
物理学賞に決まったのが…その功績は素粒子ニュートリノを巡る常識破りの発見。
質量がないとされたニュートリノに重さがあると証明したのです。
世界を驚かせた成果。
どのように生まれたのでしょうか。
受賞決定後梶田さんが語ったのは2人の恩師への感謝でした。
そしてその後を引き継いだものの2008年に亡くなった…強い師弟関係で結ばれた研究者たち。
その拠点は岐阜県飛騨市神岡町の山中にありました。
小柴さんが始めた素粒子の研究はこの地底で20年以上にわたって続けられてきました。
NHKには研究に臨む彼らの姿が残されています。
そこには宇宙の真理を突き止めたいという強い思いがありました。
ノーベル賞受賞を期待されながら惜しくもがんに倒れた戸塚洋二さん。
死の間際まで自らを侵すがんに科学者として向き合おうとしました。
果たして自分はニュートリノの正体に更に迫る事ができるのか。
自らのがんの分析は残された可能性を知るためでした。
世界をリードする日本の物理学者たち。
その日々を支える科学者魂に迫ります。
こんにちは。
お家芸ともいわれる素粒子ニュートリノの研究で日本に新たな栄誉がもたらされました。
今日はそれに携わってきた研究者たちの素顔についてここ東京お台場の日本科学未来館からお伝えしてまいります。
さて私の後ろにありますのが今回ノーベル賞を受賞された梶田隆章さんが監修したニュートリノ関連の展示です。
この電球のようなものがズラ〜ッと並んだものなんですけれども岐阜県の飛騨市神岡町にあります実験施設スーパーカミオカンデの内壁内側です。
そのスーパーカミオカンデの内側に取り付けられているのがこちら光電子増倍管といわれる光センサーです。
実物はこんなに大きいんですね。
月の上で照らした懐中電灯の光さえ感知する事ができるという超高感度の光センサー。
これで極めて小さな素粒子ニュートリノの観測やさまざまな新しい発見が可能になったんです。
こうした装置を使って30年余りにわたって小柴昌俊さん戸塚洋二さんそして梶田隆章さんに引き継がれてきた研究の結果が2つのノーベル賞受賞という快挙を成し遂げたんです。
まずはその世界を驚かせた発見に至るまでの経緯を描いた番組からご覧頂きましょう。
深い山々に包まれましたここは岐阜県の神岡町です。
私の後ろにありますトンネルこの先2キロに世界最大のニュートリノ観測施設スーパーカミオカンデがあります。
ここで物理学の常識を覆す数々の発見が行われてきました。
今日は徹底的にこのスーパーカミオカンデそして研究者のインタビューからその意味について迫りたいと思います。
ず〜っと長いトンネルが続いていますがこの先にスーパーカミオカンデがあります。
こんにちはどうも。
いらっしゃい。
よろしくお願いします。
はいはい分かりました。
戸塚洋二先生です。
寒いですね結構ここ来ると。
気温14度一年全然変わりませんから。
あっちょっと広い空間になってきましたけど。
ここが入り口です。
ここが入り口ですか。
ここから私どもの装置の今天井部分にいるんですけども地下1,000メートルですから穴が崩れないようにこういうふうにドーム状に掘らないといけないんです。
大きいドームですね。
ここが直径40メートル。
それで今我々のいる所から下に42メートル我々の装置が実際はあります。
水槽が地下深くにつくられているのは宇宙から飛んでくる粒子宇宙線を遮断するためです。
水槽は不純物を取り除いた水5万トンの純水で満たされています。
ほかの宇宙線と違いニュートリノは厚い岩盤を通り抜けこの水槽に飛び込んできます。
水槽に飛び込んできたニュートリノはごくまれに水と反応してチェレンコフ光と呼ばれる弱い光を出します。
その光を全ての壁面に取り付けた光電子増倍管という高感度のセンサーで感知し入ってくるニュートリノの数や方向エネルギーなどを観測するのです。
この方法は小柴さんが実現しました。
これが今回のノーベル物理学賞につながったのです。
オーケーじゃあ下がりますよ。
はい。
この時は工事期間中のため特別に水槽の中に入る事ができました。
お〜っすごい!これがタンクのいわゆる内水槽といわれる内部の部分の状況です。
一面に光電子増倍管ですか横360度ズラ〜ッとついてますし一日にニュートリノ何個ぐらい観測できるんでしょう?そうですね太陽からのものが一日20個。
それから大気で出来たものが一日に約20個ですね。
同じぐらいの数。
ニュートリノ自体はもっともっとこの中たくさんある訳ですよね。
たくさんありますね。
でも観測できるのはほんの僅か。
そうです。
みんな信号を出さずに通り抜けてしまうんです。
先生何気なくこのゴンドラ操作してますけどこれやっぱり特殊な試験というか資格が必要なんですかね?ええ資格は持ってますよ。
ゴンドラ運転免許証というのがありましてねだから失業したらビルの窓ガラスが拭けるんです。
(笑い声)仕事ができるんですけどね。
素粒子物理学者というのはいろんな事ができなきゃいけないんですね。
一般に物理学者は全てにわたって潰しがきくという職業なんですけどね。
へえ〜。
謎の素粒子ニュートリノ。
それは一体何者なのでしょうか。
この宇宙に存在するあらゆる物質は全て素粒子から出来ています。
ニュートリノは素粒子の中で最も小さく電荷も質量も持たない謎の素粒子といわれてきました。
研究の始まりは1981年。
小柴さんはスーパーカミオカンデの前身カミオカンデの建設に取りかかります。
最初の大発見は1987年重い星が寿命を終える時に起きる超新星爆発のニュートリノを世界で初めて捉えた事です。
17万光年離れた超新星爆発で放たれた11個のニュートリノを正確に観測する事に成功しました。
いやよくねみんな小柴はえらい幸運だ幸運だっていう…あんなのはこっちに言わせればねあのニュートリノっていうのは世界中のみんなに対して同じように降ってきたんだと。
ただそれをちゃんと観測できるだけの用意をしてたかどうかの違いだろと。
戸塚さんはこの時助教授。
小柴さんの右腕としてカミオカンデを支えていました。
一夜にして私どもはニュートリノの専門家になり更に今までは大マゼラン星雲がどこにあるかも知らなかったのが…一夜にして天文家になりまして。
えっご存じなかったんですか?ニュートリノをやろうという事など1983年の当時は夢にも思いませんでしたよね。
超新星ニュートリノの観測成功のひとつき後小柴さんは定年を迎え神岡のリーダーは戸塚さんに引き継がれます。
なぜ戸塚さんに後継者というふうにお決めになったんですか?だってあの時神岡のコラボレーターの中で彼が一番の専任で彼頑張り屋ですからね彼に後を託すのが一番いいと思った訳よ。
1996年には世界最大のニュートリノ観測装置スーパーカミオカンデが完成します。
水槽の大きさはカミオカンデのおよそ20倍。
光電子増倍管の数は1万個を超えました。
稼働から僅か2年でカミオカンデの40年分に相当する膨大なデータを得る事に成功します。
この圧倒的な観測装置の性能が後の新たな大発見へとつながっていきました。
宇宙に満ちあふれる素粒子ニュートリノ。
物理学の理論ではなぜか質量はゼロ。
つまり重さがないと考えられてきました。
しかし1998年6月岐阜県高山市で開かれたニュートリノ国際会議で戸塚さんたちの研究チームはニュートリノに質量がある証拠を捉えたと発表しました。
では一体どのようにしてニュートリノに質量がある事が分かったのでしょうか。
地球の上空では宇宙線が大気と反応し常にニュートリノが生まれています。
このニュートリノをスーパーカミオカンデで2年間にわたって観測し上空から来るものと地球の反対側からやって来るものの数を比べました。
ニュートリノは地球を通り抜けるため両者の数は違わないはずです。
ところが地球の反対側からやって来るニュートリノの数は上空から来る数の半分しかありませんでした。
これは一体なぜでしょうか。
実はニュートリノには3つの種類があります。
スーパーカミオカンデで観測できるのは電子型とミュー型。
タウ型は測れません。
このうち観測で反映していたのは真ん中のミュー型でした。
戸塚さんたちはこの理由をミュー型のニュートリノが地球の反対側から長い距離を飛んでくる間に測れないタウ型のニュートリノに変わってしまったためだと考えました。
このように粒子が姿を変える現象は質量のある粒子にしか起こらないものです。
これによってニュートリノに質量がある事が証明されたのです。
従来の物理学の理論を大きく覆す戸塚さんたちの観測結果は世界中に報道され大きな反響を呼びました。
ある美しい理論が出来たとしても自然はそれを採用してないかもしれない。
それをジャッジまた判定するのは実は実験なんです。
そういう事でいくら頭のいい先生が理論を考えても我々がひと言それは自然が採用してませんと言えばそれで終わりなんです。
そういう面で非常に快感を催す実験だというふうに考えればいいんじゃないでしょうか。
なるほど。
神岡の研究チームの大きな発見について2002年の番組をご覧頂きました。
今日はその神岡からゲストの方にお越し頂いています。
神岡宇宙素粒子研究施設長の中畑雅行さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
中畑さんは梶田さんの後輩でいらっしゃって長い間ずっと研究を共にされてきたんですね?そうですね。
梶田さんが1981年に修士課程の学生として小柴研究室に入られたんですけども私当時は4年生の学生で一緒に小柴研究室に配属されましてそのころからずっと30年近く一緒に研究をさせて頂いております。
そして今中畑さんはスーパーカミオカンデの責任者?はい。
カミオカンデの当時の頃は十数人ぐらいで始めた実験です。
それが成果も上がってきましてどんどん大きくなってきましてみんな同じ目的に向かって一丸となって研究をしてきましたね。
中畑さんは実際に小柴さんと戸塚さんの指導を受けてこられたという事ですけれどもどんな先生でいらしたんですか?そうですね皆さん非常に厳しい先生ですね。
小柴先生というのは非常にブライトなすばらしいアイデアをポ〜ンポ〜ンと思いつくそういうタイプの先生で…。
アイデアマン?アイデアマンですね。
大きい装置つくろうとかその装置つくるんだったら増倍管もこんなような大きいのを作ろうとかですねそういう事をポ〜ンポ〜ンとアイデアを出してくるそういう先生ですね。
それで戸塚先生はですね何て言うんですかね小柴先生の出してくるアイデアを取捨選択しながらですねきっとこれはものになるかとかそういった事を判断しながら実際にプロジェクトを推進していくそれも戸塚先生は強いリーダーシップを持ってグイグイと実験グループを引っ張っていってそれを成功に導いていくというタイプの先生です。
梶田さんはとにかく地道にステップを踏んでいくという方ですので戸塚先生がこういう方向でやれという感じでやる訳なんですけどもそこでどんどんとそれに従って積み重ねていくというタイプの先生で非常に着眼点がいいという事があるんですけれどもやられてきたという事でその三者三様があってそれが合わさって本当にいい成果に結び付いたという事だと思います。
深い地底にある巨大な施設一体その施設の製作のどれぐらいの段階から皆さんはなさってたんですか?本当にですね我々一からやるんですね。
装置を組む時にどうすればなるべく材料が少なく装置が組めるかとかですねネジのサイズをどうしようかとか本当にもう事細かいところまで全て我々実験研究者デザインをして行いました。
外国だったらばいろんな技術職員さんとかがたくさんいたりとかして研究者はあんまりそういう取り付け作業をしないのかもしれないんですが私自身はそれは逆にいい事だと思っています。
実際に装置をつくってみると装置のどこが強いどこが弱いというんですかね装置のどこに弱点があるかとかそんな事が分かるんですね。
例えば今後ろの増倍管1平方メートルに2個ずつ増倍管がついています。
それで表面の40%を光の感度のある面がカバーしていますね。
でも実は斜めに見るともっと面積広く見えるんですよ。
確かに奥行きがありますもんね。
ええ。
そういった事は実際取り付けをしていると体感できるんですね。
実際体で。
設計図見てただけじゃ分からない?見てただけじゃ分からないんだけどもあっでもそうかこれはこっち方向だからこうなってたんだなという事がパッと思いつくんですね。
結果的にかもしれませんが日本流手作り自力っていうのが研究の成果にも結び付いていったという。
そう思いますはい。
諦めずくじけず皆さんが何か一丸となって続けてこられたのはどうしてなんですか?本当に最終的な目的は宇宙の成り立ちを理解したいという事ですね。
きっとそこには非常にきれいなシンプルな理論があるんじゃないかなと思ってるんですね。
その理論を証明したい。
実験屋としてやっぱりそこがだいご味なんですけれどもどんなきれいな理論もですね実験が証明しなかったら意味がない。
戸塚先生のビデオでもお話しされてたんですけれども我々実験屋が本当に物理学の最後を決めるんだというところでそこを決めるという信念を持って研究をしているという次第ですね。
特に梶田さんの場合には実は大気ニュートリノの結果というのは理論屋は全く思いつかないような結果だったんですね。
そんなの全くありえない。
そんなのはそもそもおかしすぎるというふうに理論屋は思ったんですね。
それによって実験をなかなか信じてくれなかったという事があります。
でもそれが最終的に正しかったんですね。
今その実験屋がニュートリノってこんな面白いんだよというのを理論屋にたたきつけて今理論屋が一生懸命その理論を作ってるところですね。
それはもう本当に実験屋として冥利に尽きるだいご味でした。
そうですね。
ノーベル賞といいますと戸塚先生も小柴さんに続いてノーベル賞が期待されていましたよね。
そうですね。
本当に生きてらしたらノーベル賞だったと思いますけれどもそこは本当に非常に残念です。
その戸塚洋二さんは本当に惜しくも2008年にがんで亡くなられましたがその闘病の様子をブログにつづっていらっしゃいました。
そこには最期まで宇宙とはそして物質とは何なのかその真理を追究しようとする科学者の姿がありました。
今度は…ご覧下さい。
ただいまからビームの行き先をニュートリノターゲットに切り替えます。
宇宙とは一体何か。
私たちはなぜこの世界に存在するのか。
今年4月宇宙の謎に迫る壮大な実験が日本で始まりました。
実験の名はT2K。
TokaiToKamioka。
実験ではまず陽子に大きなエネルギーを加えほぼ光の速さにまで加速します。
宇宙の誕生や消滅を読み解く鍵を握る素粒子ニュートリノを人工的に生み出すためです。
ニュートリノを300キロ離れた地点で観測しその正体に迫ろうというのです。
この巨大なプロジェクトを立ち上げたのは希代の実験屋と呼ばれた物理学者戸塚洋二さん。
この日を見る事なく去年7月がんで亡くなりました。
戸塚さんは1998年世界で初めてニュートリノに質量がある事を証明。
ノーベル賞受賞は確実といわれました。
しかし更なる飛躍を目指したT2K実験の準備段階でがんが見つかり治療に専念せざるをえなくなります。
自宅で過ごすようになった戸塚さんはがんとの闘いをインターネット上の日記ブログで公開し始めました。
専門家も驚く緻密ながんの分析。
しかし戸塚さんのブログはそれだけにはとどまりませんでした。
悩みや苦しみは一体どこから来るのか。
そして死とは何か。
自分の体と心に起こる全ての変化を科学の目で解き明かし伝えようとしたのです。
「天国は本当にないのか?誰もが死にゆく時それが真実かどうかを実体験します。
私も最後の科学的作業としてそれを観察できるでしょう。
残念なのは観察結果をあなたに伝える事が不可能な事です」。
がんと闘い迫り来る死と向き合いながらも科学者である事を貫き通した戸塚洋二さん。
最期の日々をたどります。
千葉県にある戸塚洋二さんの自宅です。
(裕子)ちょっと薄いかしら。
戸塚さんと40年間を共にした妻の裕子さんです。
夫が亡くなったのは1年前。
毎朝写真にお茶を供えるのが日課となりました。
(裕子)おはようございます。
仏壇や神棚は置かない。
それが夫との約束でした。
2階に生前戸塚さんが過ごしていた部屋があります。
長男が独立して使わなくなった子ども部屋を3年前から書斎にしていました。
これは娘が5〜6歳の頃ですね。
これは多分息子が小学生の頃に数少ない家族旅行で…。
長年研究に明け暮れていた戸塚さん。
家族とゆっくり過ごせる時間はほとんどありませんでした。
戸塚さんの部屋に残された病状を記録したノート。
最初に大腸にがんが見つかった2000年から始まっています。
自ら描いた大腸のスケッチ。
脇には闘病の心構え。
薬の種類と服用時間。
体温や血圧。
戸塚さんはこの部屋で自分の体の状態を克明に記録していました。
そして2007年夏この膨大なデータを基にブログを書き始めました。
毎日のようにパソコンに向かう日々。
戸塚さんのブログは病状を心配する同僚や親戚に向けた近況報告として始まりました。
ブログのタイトルは「AFewMoreMonths」。
「あと数か月の日々を」。
「8月4日新規開設。
本日から覚書程度に記録をつけたいと思います。
『AFewMoreMonths』とは妙なタイトルですが病弱な身での願望を表します。
私の将来に対する時間スケールは2〜3か月です」。
1週間後のブログで戸塚さんは自分のがんがかなり進行したものである事を打ち明けます。
「8月12日『大腸がん再々発』。
2年前の2005年9月半年に1回行っているCT検査で大腸がんの再々発が見つかりました。
肺に1センチ以下の大きさですが10個以上の腫瘍が散在しています。
素人目にもこれは手術や放射線では手に負えないなという事は分かりました」。
「私の友人にたまたまがんの大御所がいますのでCT写真を見ながら彼にお伺いを立てました。
『自分が推進し今若手が頑張っている仕事もあるので2009年までは生きてその完成状況を見たいのだけれど』と質問すると『そりゃ無理でしょう』とのつれない返事でした」。
相談した相手は戸塚さんの大学時代の空手部の後輩垣添医師でした。
戸塚さんは2009年の春まで生きられるかどうかを率直に尋ねました。
科学者としての集大成と考えていたT2K実験をどうしても見届けたいという思いからでした。
(垣添)可能性はうんと少なくてもやっぱり治るチャンスに…ほんの少しでもあればそれに賭けたいという。
それはなんとか生き延びてやりたい事がほかにたくさんあるという事から来てるんだと私は思いましたけどね。
「8月22日。
今日は腫瘍のサイズに関して記録しておきます。
CT写真を比較して腫瘍サイズの時間変化をモニターし抗がん剤の本当の効果を判定する必要があります。
医師の先生方は前回のCT写真と今回の写真を見比べて『変わらないな』とか『少し大きくなったかな』などと説明してくれます。
しかし私は商売柄どうしても数値化しないと気が済みません。
そこで先生にご無理を言って写真のコピーを頂いてきます」。
戸塚さんは病院から取り寄せたCT写真を自宅の書斎で分析していました。
患部の写真を1コマずつ撮影しパソコンに取り込みます。
がんが成長する速さは場所や大きさによってどう違うのか。
抗がん剤による治療の効果はどの程度なのか。
12か所のがんを選び出しミリ単位で詳しく測ってその変化を追っていきました。
病院から戻ると一人書斎で分析を始める夫。
その様子を裕子さんは見た事がありません。
しかししばらくすると必ず2階から「ちょっとちょっと」と声がかかりました。
「ちょっとちょっと」のトーンのその「ちょっとちょっと」のその…声の弾み具合でああいい結果を言いたそうだとかちょっと今日は深刻なんだなっていうのはやっぱり分かりますよね。
データを解析するっていうのはその怖さを打ち消すためにやってるんだろうなという事は思っておりましたけどね。
8月22日のブログにはがんの大きさの変化のグラフがアップされています。
「再々発発見から2月下旬まで治療は行わず放置の状態にありました。
そのため腫瘍が倍近く大きくなっています」。
研究現場を離れるまで戸塚さんは副作用で仕事ができなくなるのを避けるため抗がん剤を使いませんでした。
「その後6月までは大部分の腫瘍のサイズが幾らか小さくなっています。
腫瘍は活発で抗がん剤との戦争で敵味方ほとんど均衡状態にある事が分かります。
例外は一番大きなT3で8月以降増大しているようです。
大きな腫瘍には抗がん剤が比較的効きにくい事を表しているのかもしれません。
まるでひと事のように記録をつけていますが研究者として一生を送ってきた者の悲しい性です」。
主治医だった島田医師は戸塚さんのブログを読んでその緻密で正確な分析に驚いたと言います。
冷静に見れば見るほど確実にがんが大きくなっていく。
がんが大きくなる事によって死の恐怖が近づいてくる。
普通であれば多分それは…患者の気持ちであればですね耐えれないと思います。
こんな状況で驚くべき精神力といいますかまあ信じられないですね。
それがなぜって言われたらもう分かりません。
超人ですよ。
果たして自分はT2K実験の開始を見届けられるのか。
ニュートリノの正体に更に迫る事ができるのか。
自らのがんの分析は残された可能性を知るためでした。
ブログを始めて1か月半。
「今日9月23日。
久しぶりに東京・金町にある水元公園に散歩に行きました。
車を降りスティックをついてゆっくり歩きます。
歩行訓練も兼ねます」。
「空手六段の暴れ者が今や原形をとどめぬ哀れな姿です。
まあ生きているだけでも幸せと思わなければいけません」。
このころ抗がん剤治療を続けていた戸塚さんは予想外の体の不調に悩まされていました。
それは涙で目が潤んで見えにくくなるという症状でした。
医師から受けた副作用の説明にはなかったものでした。
抗がん剤の副作用ではないのか。
戸塚さんはそれを確かめる実験を始めます。
市販のサプリメントの服用を中止したのです。
「それぐらいのんでもいいんじゃないの?」って言ったんですけれども「いやデータが正確じゃなくなるから一切のまない。
科学者としてデータうんぬんを言うからにはきちんとしたベースで言わなければいけない」と言って。
「涙目の影響で視力が急速に落ちてきました。
別に目に障害を負った訳ではなく眼球に薄い膜が張って焦点が合わなくなったというのが本当のようです」。
「自動車の中から前方の信号がはっきり見えなくなったり都心でタクシーを拾おうとしても空車マークがはっきり見えなくなる事態になりました」。
サプリメントをやめても涙目は続きました。
抗がん剤の副作用に違いない。
戸塚さんはそう医師に伝えます。
実は涙目の副作用は当時専門医の間で注目され始めていました。
しかし症例が少なく患者には詳しく知らされていませんでした。
がんの治療の専門家として注目しているところを逆に患者さんがパッと指摘したというのはそれなりにすごいなっていう気はしましたけどね。
年が明けると戸塚さんは激しい痛みに襲われるようになります。
体と心に大きな変化が起きていました。
「2008年に入って愕然とするような転移が発見されました。
上の図にまとめてみました。
どうも科学者というのは何でもグラフにするのが好きでかえって混乱するかもしれません」。
「要するに肝臓骨にあっという間に転移が広がりました」。
戸塚さんは迫り来る死をはっきりと意識し始めていました。
「まれにですが布団の中に入って眠りにつく前突如自分の命が消滅したあとでも世界は何事もなく進んでいく。
自分が存在した事はこの時間と共に進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく。
自分が消滅したあとの世界をかいま見る事は絶対にできないという事に気付き慄然とする事があります」。
「個体の死が恐ろしいのは生物学的な生存本能があるからであるといくら割り切っても死が恐ろしい事に変わりがありません」。
死への恐れをつづったその翌日戸塚さんはブログで1冊の本を紹介します。
「科学と仏教に関する佐々木先生の著書については以前に簡単に触れました。
今また気になって読み返しているところです」。
全てが原因と結果の間の自然法則によってつながっているというところに特徴がある。
本の著者佐々木閑さん。
戸塚さんは科学的な視点で仏教を語る佐々木さんに共感し交流していました。
佐々木さんと対談した時戸塚さんは「宗教とは何か?」から始まって「仏教における宇宙観」そして「死後の世界」に至るまで次々と質問を投げかけました。
(佐々木)実験物理学者としての戸塚先生が千何百年もの間積み重なってきた仏教の精神構造を観察した人々の残してきたデータですね。
そういうものを私は知りたいというそういう気持ちがね対談の中に表れてたように思います。
佐々木さんのもとにはこの時の戸塚さんの肉声が残されていました。
ブログには佐々木さんとの対話を通して学び取った事がつづられています。
「仏教の哲学では宇宙は永遠の過去から永遠の未来に向かって進んでいく。
生き物は輪廻転生を繰り返す。
仏教は瞑想修行によりその永遠の輪廻を断ち切って苦悩から解放される事を目指す。
解放された先にあるのは時間も空間も存在しない完全な無である」。
この宇宙は何もない無から誕生しました。
そして終わる事なく膨張し続ける運命だと考えられています。
ところが「ニュートリノに質量がある」という戸塚さんの発見は宇宙の運命に別の可能性を与えました。
質量がある事で生じる引力が一定以上であればその空間は収縮を始めます。
もし宇宙空間の膨張が止まって縮み始めてしまったらその先にはあらゆるものが一点に収縮し時間も空間もない無の世界が待っている。
戸塚さんはいわば実験を通して大宇宙の運命の行方までをも見つめていたのです。
仏教の無と宇宙の無。
戸塚さんはそれを自らに迫る無と重ね合わせていました。
「宇宙や万物は何もないところから生成しそしていずれは消滅死を迎える。
いずれは万物も死に絶えるのだから恐れる事はない」。
戸塚さんは予想もしない事態に見舞われます。
「生まれて初めて意識を失いました。
何が起こっていたのか全く記憶にありません」。
「意識が戻った朝までの事を妻に聞きました。
妻がしばらくして私を見に行くと『どうなってるんだどうなっているんだ』と家の中を動き回って声を出し始めた。
妻は声をかけるが私は全く応答しない。
自分の中に閉じこもって行動しているのみ」。
それまで一度も見せた事のない異常な行動をとる戸塚さん。
驚いた家族はすぐに救急車を呼びました。
搬送先の病院で脳の検査を受けた結果がんが見つかりました。
脳への転移が起こっていたのです。
がんの周辺に出来たむくみが原因で一時的に意識が混乱していたと考えられます。
意識が戻ったのは3日後。
その間家族の顔を見ても反応がなかったといいます。
やっぱり…ちょっと目の焦点がちゃんと合ってないっていうか。
けどトイレとかは行くししっかり手は洗うしっていうとこですね。
ただ僕の事は誰だかは分かってないし人がいる事もあまり気にしてないような感じでしたね。
「しかし不思議です。
外界とは全く孤立しているがその中である程度理性的な行動をし脳の一部は非理性的な事を必死に理解しようとしている。
にもかかわらずなぜ意識が全くなかったのだろうか。
この2つが理解できずすごく悩んでいます」。
突然見つかった脳への転移。
長男の洋史さんが戸塚さんに代わって治療法を探しました。
孫の誕生を誰よりも喜び成長を楽しみにしていた戸塚さん。
洋史さんが探し当てたのは脳に出来たがんに放射線を当てる治療法でした。
「4月3日。
今日予定どおりガンマ線治療を受けました。
まずガンマ線照射時に頭を固定するため頭に枠が取り付けられました。
麻酔をしつつボルトで枠を頭蓋骨に圧着します。
『痛いよ』と言われましたが生来の石頭らしく気になりませんでした」。
治療の時眼鏡を外すよう勧められた戸塚さんはそれを断りました。
「治療の様子をこの目で見たい」。
戸塚さんは眼鏡をかけたまま装置に入りました。
「そして検査が始まりました。
CTMRIの計測を基に頭の腫瘍とコバルトガンマ線の焦点の相対位置関係を決めるため枠のxyz座標を0.5ミリ以下の精度で決めたようです。
その位置に頭を固定して1回20分の照射を3回計1時間半に及ぶ治療が行われました」。
「ティックの音が聞こえるのが分かったので多分1秒ごとに音がしているのではと思いそれを数える事にしました。
2度目の20分治療は数の誤差3分で終了。
3度目では30秒で終わりました。
かなりの精度です」。
放射線治療から1週間。
戸塚さんのブログに1枚の不思議なスケッチが登場します。
「昨日辺りから面白い幻覚が頭に浮かんできます。
恥ずかしいですが笑わないで下さい。
この幻覚がチロチロ浮かんでくるのです。
とにかく浮かんでくるのです」。
「うそでしょ冗談でしょ」と言うと「本当だってば」とか言って。
「じゃあそれどんな形なの?」と言ったら葉っぱの形を描いて「こんなふうに動いてる」とか言って。
でも実に冷静にそれを話してるので「どういう事が脳の中で起こってるんだろう。
脳って面白いね」って言うんですよね。
「別の場所にある理性を持った頭脳があっけにとられてこの絵を見ています。
考えても無意味な事はよく分かっているので今後この幻覚が膨らんで理性的頭脳を圧倒するのかどうかが当面の関心事です。
強がりに聞こえますが自分の頭脳を研究する楽しみが出来ました。
自分の頭脳ですからそこを離れて客観的に観察する事はできません」。
あらゆるものを科学の目で見つめ理解しようとしてきた戸塚さん。
説明のつかない不思議な体験に素直に向き合おうとしていました。
2008年4月T2Kの本格的な実験開始まであと1年。
戸塚さんのがんに有効な治療法はほとんど残されていませんでした。
「4月28日。
今朝知人の先生から『闘い続ける事も選択肢ではありますが無理をしない事ももう一つの選択肢です。
最後はご本人のお考えが大切と思います』。
専門家が見てもこういう意見が出る状態かなと確認できたところです」。
治療の限界を伝える医師の言葉。
病院から帰宅した戸塚さんの目に自宅の庭いっぱいに咲き誇る花の姿が飛び込んできました。
「家に帰るとナニワイバラが既に数十個咲いています。
その横にはコデマリが満開。
下の方を見るとヒメウツギがひっそりと咲いています。
ある一つの命が縮んでいく時爆発的に拡張していく命を見る事ができるのはすばらしい事です」。
絶望的な状況の中でも変わらずブログを書き続けていた戸塚さんのもとに時折がん患者からのメールが届くようになりました。
その中に幼い子どもを抱えて進行がんと闘う男性からの相談がありました。
「私は正直今後の事も恐れるばかりです。
FewMoreMonthsさんは自分という存在を超越し冷静に将来像をおもんぱかっておられます。
その前向きな考え行動はどういう心の持ち方をしたらできるのでしょうか」。
戸塚さんは数日考えブログを通して返事を書きました。
「よく人はしたり顔に『残り少ない人生日一日を充実して過ごすように』とすぐにできるような事を言います。
私のような平凡な人間にこのアドバイスを実行する事は不可能です。
できる限りスムーズに時間が過ぎるよう普通の生活を送る努力をするくらいでしょうか。
私の努力は見る読む聞く書くに今までよりももう少し注意を注ぐ。
見る時はちょっと凝視する。
読む時は少し遅く読む。
聞く時はもう少し注意を向ける。
書く時はよい文章になるようにという意味です。
この習慣が出来ると時間を過ごす事にかなり充実感を覚える事ができます。
Aさんちょっとやってみませんか」。
6月27日。
いつものように2階の書斎に向かおうとした戸塚さんが裕子さんに声をかけました。
(裕子)「もう2階に上がれなくなったよ。
お〜い」とかって呼んで。
「もう無理して2階に行かなくても下でねここでできるからここでやったら?」って言ったら「2階に行く事に意味があるんだ」とかって言ってましたね。
5日後戸塚さんは妻の裕子さんの運転で病院へ向かいました。
もはや一人では歩けないほど体力が衰えていました。
すぐに入院が決まります。
病室のベッドで書かれたその日のブログです。
「7月2日。
ランというのは花の咲いている時期の長い草ですね。
当分楽しむ事ができそうです。
今日病院に外来で来ましたが残念そのまま入院になりました」。
この日を最後に戸塚さんはパソコンが打てなくなります。
家族に「病状を詳しくノートに記録してくれ」と頼みました。
「体温36.9度血中酸素濃度90血圧105と60。
姿勢を変えるとすぐ酸素濃度が80以下に落ちる。
要注意。
コーヒーを綿棒で2〜3回水を2〜3回。
何かにチャレンジしたい気持ちは失せず」。
飲み物も満足に喉を通らない状況で戸塚さんは家族に伝えます。
「退院までの目標を作ってほしい。
そうしないと家に帰れない」。
(洋史)ものすごく前向きに頑張っている。
そんな頑張り屋だっていう事を自分はその時まで知らなかった。
1週間近くずっと一緒にいたのなんて子どもの時以来だったので。
初めて父の人格を知った気がしたと思いました。
入院から1週間。
2008年7月10日未明。
自らのがんを克明につづり続けた戸塚さんの記録は終わりました。
享年66。
最後まで科学者としての生き方を貫き通しました。
戸塚さんが亡くなって9か月後。
T2K実験が本格的にスタートしました。
「ただいまからニュートリノターゲットまでのビーム運転を開始します」。
戸塚さんの構想から10年。
その遺志を継ぐ実験屋たちの手でニュートリノを作り出す日がやって来たのです。
みんなこの辺が弟子ですから。
だから残っているようなもんです戸塚先生がね。
一人一人の気持ちに残っている訳だから。
はいそろそろ出ますよ。
カウントダウンお願いします。
はいカウントダウン。
321はい。
ニュートリノの正体に迫る新たな一歩。
その時がやって来ました。
お行った。
行った行った!
(拍手と歓声)
(拍手)4月23日。
T2K実験はニュートリノを人工的に作り出す事に成功しました。
大宇宙でニュートリノが果たしている役割を探り続けた戸塚さん。
その思いは世代を超え引き継がれていきます。
自宅の庭の片隅に戸塚さんが亡くなる直前に植えたヒメシャラの苗木が育っています。
(裕子)これが根づくかどうか見届けたいという気持ちがもしかしたらあったかもしれないんで…。
でも2本こうやって残されるとこれは枯らしちゃまずいし…。
責任が…。
また宿題を残されたかっていうような…。
「FewMoreMonthsの家族の者です。
皆さん既にご存じのとおり父は7月10日に亡くなりました。
最期まで見守った家族としてはその壮絶な経過を記したいところですが本人はきっと嫌がるでしょう。
ただがんと正面から向き合い最期まで闘い抜いたという事は言ってよいと思います。
これまでお読み頂きまことにありがとうございました」。
戸塚さんの人が死ぬ時に何が起きるのか観察をして人に伝えたいというその思いですね。
それはどのように思われますか?そこは私も本当に難しくてよく分からないんですけれどももちろん死を恐れていたとは思うんですけどもやはりそれを乗り越えるまでの本当の強さを持っていたという事だと思いますね。
本当に自分のがんのマーカーなんて恐ろしいデータですよね。
それをあたかもひと事のようにプロットしてですねそれを解析するんですね。
亡くなる1年ほど前に戸塚先生のとこ伺った時があるんですけれどもパッとグラフを見せてですね「これ俺のデータだ」って言うんですね。
最初何を言ってるのか分からなかったんだけども「俺の体の中のがんのマーカー値の数字だ。
ここはこう上がってこういってるけどもここの…もう効かなくなって新しいのにして落ちたんだ」とか説明してくれるんですね。
本当に驚きました。
実験物理屋の魂っていうんですかね。
本当に…実験物理屋というのはデータを解析しデータを素直に見て正確な結果をそれも定量的な結果を引き出す。
それが実験物理屋の使命なんですけれどもそれを自分の体を使っても実験したようなそんな先生ですね。
梶田さんの発見もそこにあったと…。
梶田さんのデータも常識から考えたらありえない事なんですね。
そこで常識じゃありえないからっていうんで諦めてしまうんではなくてそこのデータを素直に正しく見る事によって新たな事が見つかってきたという事がありました。
そういう小柴先生から始まり本当に戸塚先生データ大事にする方でありそういう伝統っていうのはずっと引き継がれてきていますし本当にスーパーカミオカンデで成果が上がってきたのもそういうベースがあったからだと思います。
今日本はニュートリノの世界で世界をリードしていますよね。
はい。
これからはどうですか?宇宙は138億年前にビッグバンっていうもので生まれてですね無から生まれたんですけどもで宇宙が大きくなってきました。
今我々身の回りにいろんな銀河もあれば我々自身がある訳なんですけどもなぜこういった我々が生まれたのか。
ニュートリノの研究を進めていけばそれが分かるといわれています。
はい。
そのためにはですねまだスーパーカミオカンデをもってしてもまだニュートリノの観測する数が足りなくてですね更に数を上げてもっともっとたくさんニュートリノの値をとって…。
まだまだデータをたくさん得て。
そのためにはもっとおっきい装置が必要で今のスーパーカミオカンデの10倍ぐらい大きい装置を考えています。
皆さんから次の世代へどんどんどんどんとこう…信念を持って真摯にデータに向き合いながらやっていくその研究の姿勢能力っていうのは伝わっている訳ですよね。
はい伝わっていると思いますし本当に若い人たちにもこれからニュートリノ研究に参加して頂いてですねこういった事を続けていきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/11/15(日) 13:50〜15:00
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス▽世界を制した科学者魂〜ノーベル賞の舞台裏と飽くなき探求心〜[字]

ノーベル物理学賞受賞が決まった梶田隆章さん。その恩師小柴昌俊さんと故戸塚洋二さんが語った舞台裏と、戸塚さんの最後の日々を描いた番組から、日本の“科学者魂”に迫る

詳細情報
番組内容
ノーベル物理学賞受賞が決まった梶田隆章さん。その影には02年に同じく物理学賞を受賞した小柴昌俊さん、その後継者でノーベル賞候補と言われながら08年に亡くなった戸塚洋二さんという恩師の存在がある。その指導の下地道な分析と定説への挑戦を続け宇宙の謎に挑んだ結果。二人の恩師が語る成功の舞台裏と、自らの死にも研究者として向き合った恩師戸塚さんの最後を描いた番組から、世界を驚かした日本の“科学者魂”に迫る。
出演者
【キャスター】森田美由紀
キーワード1
ノーベル賞

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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