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 こうした"慰安婦"たちに旧日本軍や日本政府が公式に関与していたかというと、これは異論がある人もあるだろうし、実際に慰安所を運営していたのは傀儡政権下の中国人商人であろう。だが、そこに旧日本軍に道義的な責任がなかったわけではない。そう考えると、"慰安婦"ら戦時性暴力被害者に日本人として無関心ではいられはしない。

 ただそれは個人としての、人間としての心情であり、外交問題となるとまた様相が変わって来る。外交上は、日本の"戦争犯罪"は国際軍事法廷で裁かれ、その責任を負った戦犯約1000人が死刑判決(後日の減刑を含む)を受けた。戦後賠償問題も各国との間で交わされた条約・協定で国際法規上、決着している。中国への戦時賠償は日中共同声明で、中国側から放棄すると言明している。

タブーから、煙のない戦争のカードへ

 それを今なお、歴史認識問題として蒸し返され、謝罪要求が繰り返されているのは、この歴史が外交カードとして利用されているからに他ならない。戦争は外交の一種の手法(禁じ手ではあるが)だが、外交もまた煙のない戦争だ。いずれも戦いであり、負ければ国益を損ない、国民が貧困や社会不安に陥る。相手国が明らかに政治として慰安婦問題を持ち出してくるのならば、こちらも政治として対処するほかない。

 そもそも、中国において慰安婦問題は90年代、タブーであった。

 「太陽がほしい」の中で中国民間対日賠償請求連合会会長の童増がそう語っている。「92年、二つのタブーがあった。慰安婦問題と三峡ダム問題だ」。

 戦後、中国は"元慰安婦"の存在を無視し、彼女たちも、同じ中国人からの差別と迫害の対象になることに耐えられず、ひっそりと息を潜めていた。そういう時勢の中で、山西省の農村小学校教師の張双兵は1982年に蓋山西と呼ばれる伝説的元慰安婦・侯冬娥と知り合い、元慰安婦支援活動と調査を開始した。92年に万愛花に日本政府へ損害賠償請求訴訟を行うよう勧め、支援したのも彼だ。山西の農村の一介の教師であった張双兵は、地元紙で対日戦時損害賠償請求を訴える童増の署名記事を見て、連絡を取り、"元慰安婦"の対日賠償訴訟が実現に向かうのだった。


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