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 中国には、張先兎のような農村女性は数多くいた。そうした"元慰安婦"ら約80人の生活や証言を記録してきたドキュメンタリストの班忠義は、この夏、その記録フィルムを一本のドキュメンタリー映画に仕上げた。「太陽がほしい」というタイトルは、その中に出てくる"元慰安婦"の一人、劉面換が、真っ暗なヤオトンに監禁され強姦される日々を回想し、「外に出たかった、太陽の光がほしかった」と訴えた言葉から引いている。

 山西省の"慰安婦"の存在について、班忠義はドキュメンタリー映画「ガイサンシー(蓋山西=山西一の美人)とその姉妹たち」(2007年)を発表しているが、その最初の取材が始まった1995年から2015年まで何度も現地に足を運び、日本で寄付金を募り、その資金で貧困や性暴力の後遺症に苦しむ"元慰安婦"たちを病院に連れていくなどの支援活動の傍ら、記録を撮り続けていた。

 劉面換は2012年4月12日に病で亡くなった。最初に日本軍による性暴力を告発した万愛花も2013年9月5日に83歳で死亡。彼女は山西省盂県羊泉村に童養媳(農村の幼嫁)として売られ、11歳で共産党に入党、抗日戦線に身を投じ15歳で少女幹部になった革命少女だった。1943年に三回日本軍に捕まり、強姦と拷問を経験したという。班忠義が取材した80人の"元慰安婦"たちは、10人ほどを残して、もうほとんどこの世にいない。

戦争、日本軍、中国政府、中国人

 厳密にいえば、張先兎、万愛花、劉面換らを"慰安婦"というのは違う。山西省から国民党軍が撤退したのち、日本軍が村々に駐屯すると、兵士たちは女性を"現地調達"した。それは軍令違反であるが、混乱の戦時下、誰がそれを気に留めよう。比較的裕福な家の娘が狙われたという。トーチカがしばしば"強姦所"となった。村人も村の一時的平和とわが身の安全を守るために、彼女らの監禁に手を貸した。

 中国人慰安婦もいた。「太陽がほしい」には、元慰安婦・遠竹林が登場している。15歳で結婚し出産するも、夫は日中戦争の混乱期に失踪。幼子と老父の生活のために「旅館の雑務の仕事」を引き受けるが、行ってみると慰安所であった。彼女を騙したのは同じ中国人女性である。彼女は監禁状態で、まさこという"日本名"で体を売らされ、その間に幼い娘と老父は餓死してしまう。望まぬ妊娠をし、堕胎薬の副作用で一生子供の産めない体にもなった。

 その後、とある戦場から逃亡した日本人兵士と相愛になり、慰安所を脱出することに成功するが、終戦とともに兵士は帰国し、彼女は「敵と寝た女」というレッテルを張られて戦後、差別と迫害に苦しめられ続けた。映画の中で、彼女は中国政府への恨みを何度も口にしていた。彼女の人生を狂わせたのは戦争であり、日本軍だが、戦後になっても彼女を苦しめ続けたのは中国政府であり同胞であるはずの中国人であった。袁竹林は、PTSDに苦しめ続けられながら、2006年に脳溢血で亡くなった。


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