太平洋戦争中に大津市の瀬田国民学校の児童がつづった学級日誌の展示などに取り組む市民グループ「南大萱資料室」のメンバーが、戦時中の暮らしや当時の思いを語る授業が、市立瀬田北小学校であった。5年生のときに日誌を描いた4人の元少女も講師を務め、子どもたちに「戦時中の体験を後世に伝えてほしい」と訴えた。

 授業には、6年生約170人が参加。資料室のメンバー10人を講師に迎え、班ごとに話を聴いた。

 瀬田国民学校の学級日誌は、1944(昭和19)年4月から45年3月まで続いた。五年智(ち)組の担任の先生の呼びかけに応じて、少女7人が、日々の出来事を絵と文で記録した。資料室のメンバーの手で毎年、地元などで公開されており、戦後70年の今年は全188枚を収めた本も出版された。