黄金色に紅葉がちらほら。
2015年秋。
これが震災ありましたけど本来の都路の表情なんでしょうね。
1年ぶりに福島県田村市を訪ねました。
お久しぶりです!どうも。
いや〜実りましたねえ。
こちらの男性は原発事故の影響で途絶えていた米作りを今年初めて本格的に再開する事ができました。
あの日から4年8か月。
どんな思いで時を過ごされたのでしょうか。
東日本大震災の被災地を訪ねる「忘れじの旅」。
私たちは人々の姿を記録してきました。
地震や津波などで家を流されるなどして今も25万人を超える人たちが避難所での生活を続けています。
きっかけは震災直後のこちらの番組。
各地の避難所に足を運び皆さんの率直な思いに耳を傾けました。
手汚れて…。
いやいや。
その後も皆さんのもとに通い続けこれまで訪ねたのは50か所以上。
自宅が被害を受けた小学3年生の女の子。
6年生になりました。
こんにちは。
あっこんにちは。
繰り返し訪ねるうち本音を打ち明けられる事もありました。
町の運動会が震災後初めて復活。
勝ちました!わ〜!皆さん前へ全力疾走!「忘れじの旅」2015年秋の記録です。
最初に向かったのは宮城県東松島市。
仙台駅からJR仙石線に乗って1時間ほど
津波の被害を受け一部の区間が不通となっていましたが今年5月から全線で運転を再開しました
野蒜駅です。
仙石線の開通とともに高台に移転していました
ここが新しい野蒜の駅です。
私がね以前来た野蒜駅が…あそこ分かります?
見えたのはかつて使われていた旧野蒜駅。
この辺りは松林の続く風光明美な街として知られおよそ4,800人が暮らしていました
私たちが初めて野蒜地区を訪れたのは震災から9日後。
行方が分からなくなった人の捜索が続いていました。
津波の被害で500人以上が命を失いました
東松島市では今野蒜にある高台の造成工事が行われています。
そこに新たな住宅地が作られ来年の夏から土地の引き渡しが始まる予定です
こんにちは。
どうも。
ここでお客さん待ってらっしゃいますけど結構乗られる方いらっしゃいます?
高台からかつての中心部へと向かいました
この家はもうほんとに津波を受けた直後のそのままの家ですね。
津波の爪痕をそのまま残す家。
ですぐ近くには今も暮らしてらっしゃる家がある。
震災直後の時と今とがここは同居してますね。
今も野蒜に暮らす人を訪ねました
お久しぶりです。
どうも〜。
お元気ですか?あっちょっとふっくらしましたよ。
何にもしてないから。
ハハハッ。
和泉さんは津波で家の1階が浸水し大きな被害を受けました。
娘の家族と共に高台に移る事にしています
私たちが和泉さんに出会ったのは震災の翌年。
修理した家に1人で暮らしていました。
その時津波で亡くした妻・悦子さんへの思いを語ってくれました
絵手紙が趣味だった妻・悦子さん。
和泉さんは思い出が残されたこの家だけは高台移転後も残しておきたいと話していました
久しぶりですが…。
ところが今回和泉さんから思いもかけない言葉が出てきました
え!?だってここは残すって言ってたじゃないですか。
和泉さんの大きな決断
前回見せて頂いた部屋は何も変わっていませんでした
40年以上妻と共に過ごした家。
思い出の詰まった部屋。
取り壊しまでの残された時間を和泉さんは大切に過ごしたいと考えています
奥さんのにおいっていうか…ありますか?
高台移転を待ちきれず既に新たな場所に移り住んだ人もいます。
野蒜地区から車で20分ほどの場所にある矢本地区です。
目立つのは工事風景
すごい勢いですねこの辺りは。
建築ラッシュ。
田んぼや畑を造成し新たな住宅地を作る工事が進んでいます
あ〜横田さんちの理容店ありましたよ。
ほらねっ回ってますねクルクル。
この春住まいを再建させたばかりの人を訪ねました
こんにちは〜。
どうもお久しぶりです。
1年と10か月ぶりですよ。
理髪店を営む…妻の…どうですか?この働き心地は。
横田さんは野蒜で父の代から理髪店を営んでいました。
しかし津波で店は全壊
いずれは野蒜の高台にみんなで移転し店を再建したいと考えていました。
しかし願いはかないませんでした。
高台の造成を待っていては経営が成り立たないからです
横田さんはいち早く営業ができる場所を探し新たにローンを組んで店を再建しました
80歳まで?
(2人)はい。
しかし近所にはこれまでのお得意さんがほとんどいません。
仕事が終わると周辺地域にチラシを配って歩きました
更に震災前の野蒜のお得意さんや仮設に暮らすお年寄りなど店までの移動が難しい人には送り迎えもしています
売り上げはようやく震災前のおよそ8割まで戻ってきました
はいすいません。
どうもありがとうございました。
またよろしくお願いします。
ありがとうございます。
新たな土地での試行錯誤が続きます
どうも!こんにちは。
元気ですか?
理髪店のすぐそばで懐かしい顔を見つけました
どうも。
今後ろ姿が…そうじゃないかなあってなって。
どうも。
お元気でございますか?
かつて野蒜に住んでいた…
あっここです。
このお宅ですか?
去年11月新居を構えました
あら元気?えっあれ?ちょっと待った。
え?次女の…?
中学1年生になった…
何お姉ちゃんになったじゃない。
知美ちゃん?そうです。
ちょっと〜お姉ちゃんになったね!・おかえりなさい。
ただいま。
あっ野蒜海岸?え〜…。
山田さん家族は自宅を津波で失いました。
隣町で避難生活を送っていましたが津波の怖さを忘れる事ができず野蒜を離れる事にしました
新居に入りますよ〜。
すいません失礼します。
これが前アパートにあった…。
おばあちゃん。
玄関には津波で亡くなった祖母・とよ子さんの写真が飾られていました
失礼します。
相変わらず散らかってますが…。
引っ越して1年。
新たな生活にも慣れ今では近くの友達も訪れるようになりました
はじめまして。
どうも山本と申します。
実は今回山田さんに頼まれていた事がありました
また改めて見たいとおっしゃったのでこの…私たちの放送したものをちょっと持ってきましたので。
ありがとうございます。
どうぞご覧下さい。
震災直後に話を伺った時の映像。
これを見てみたいという申し出があったのです
山田さんはこれまで当時の自分の姿を見る事ができませんでした
「地震のあと津波から身を守ろうと続々と人が集まってきました。
そこに予想もしなかった大津波が襲ったのです。
体育館の壁には津波の跡が残っていました」。
あの日野蒜小学校の体育館に子供たちと祖母・とよ子さんと避難しました。
しかしその体育館に津波が押し寄せます。
家族全員が流されますがとよ子さんだけが助かりませんでした
山田さんは目をそらさず画面を見つめていました
(一同)「みんな頑張ろう」。
ご覧になって率直なところどう受け止めました?何か何だろうな…その思いじゃないけど…
知美ちゃんが大切にしているものを見せてくれました
野蒜小の?あっ幔幕の?
小学校の体育館に残されていた紅白の幕。
震災後ボランティアの人がお守りにしてくれました
つらい記憶を受け止め力に変えようとしている山田さん親子です
「忘れじの旅」ではこれまで50か所以上を訪ねてきました。
復興が進む町ではその土地ならではの名物や独自の取り組みで地域を元気にしようという動きが生まれています。
漁業の町宮城県女川町。
駅前にあるこちらのお店で新たに生まれた名物グルメとは?女川漁港にあがった特産のホタテが入っています。
ホタテのうまみとトマトの酸味が利いたスパイシーカレーです。
今女川ではカレーが熱いんです。
大きなエビフライが載ったカレー丼。
野菜がたっぷり入ったカレーラーメン。
町の至る所でユニークなカレーが食べられます。
この新しい名物を求めて町へ来るお客さんも増えました。
実は町にとってカレーは特別な存在です。
震災後神奈川県のボランティア団体とスパイス店がカレーで炊き出し。
その優しい味におなかも心も満たされました。
思い出のカレーで町を元気にしたいと震災の翌年「女川カレー」としてあの味を再現。
子供からお年寄りまで食べられるように辛さは抑えアレンジしやすいようスパイスが調合されています。
スープカレーやピザなどにアレンジされた個性豊かな女川カレー。
現在11のお店で味わえます。
続いてはこちら。
太鼓で町を元気にしようとする若者たちです。
人口1万4,000。
福島県川俣町。
(シャモの鳴き声)川俣シャモで知られる自然豊かな山里です。
町の南部にある山木屋地区。
ここに仕事帰りの若者たちが集まってきます。
山木屋太鼓を演奏する皆さんです。
曲の多くはオリジナルで山木屋の豊かな自然を表現しています。
太鼓の全国大会で優勝した事も。
町のお祭りやイベントに欠かせない存在となりました。
しかし原発事故で山木屋地区は避難指示区域となり住民は離れ離れに。
避難生活をしながらも何とか練習を続けてきました。
仮設住宅や復興イベントに出かけては演奏を披露。
人々をつないできました。
この日行われた演奏会にも避難生活で離れて暮らす山木屋の人たちが集まりました。
16人のメンバー全員で演奏開始。
(一同)そ〜ら!終盤太鼓の音色は客席の心を一つにしました。
(拍手)
(一同)ありがとうございました!
(歓声と拍手)
「忘れじの旅」次に向かったのは福島県田村市都路です
1年ぶりの都路です。
去年もちょうど実りの秋にお邪魔したんですが今年はどうでしょうかね。
ああ実ってます実ってます。
黄金色です。
都路は東京電力福島第一原発からおよそ20kmの場所にあります。
豊かな自然に恵まれ古くから林業や稲作が盛んでした
震災前は3,000人ほどが暮らしていましたが原発事故で一時は町の全員が避難を余儀なくされました
お〜お〜お〜お〜運動会やってますよ。
地元のこども園の運動会です
頑張れ〜!ほらほら!
都路では去年4月全域で避難指示が解除され住民の7割ほどが戻ってきました
お仕事ですか。
都路を訪ねるのは7回目。
なじみの人も増えました
(拍手)
私たちが初めて都路を訪ねたのは震災の翌年
通りに人影はありませんでした。
当時原発から20kmを境に町は2つに分断されていました。
外側は既に避難指示は解除されていましたが内側は寝泊まりできませんでした
原発から20kmの内側は今どうなっているんでしょうか
ああどうもこんにちは。
ちょうどよかった。
お帰りになった。
出かけられてたんですね。
どうも御無沙汰です。
1年ぶりでございます。
お出かけでした?
畳屋を営む根内京二さん富起子さん夫婦です。
去年春避難指示の解除と同時に地元での暮らしを再開しました。
根内さんの畳屋を訪ねたのはおととしの8月。
そのころは30km離れた避難先から車で通い仕事をしていました。
避難指示が解除されようやく家に戻れるようになりましたが同居していた2人の子供は原発事故の影響で進学先や職場が変わる事になり都路を離れてしまいました
夫婦生活2人初めてなんですって?いやいきなり初夜と言われても私も何と答えていいものやら…。
1年ぶりに家にお邪魔すると以前とは様子が変わっていました
こんにちは。
あらこんにちは。
こんにちは。
どうも。
こんにちは。
こちらは孫の瑞姫ちゃん
この秋家族で一時帰宅をしていました。
間もなく2人目の子供が誕生。
いずれは本格的に都路に戻る事も考えています
再び家族で一緒に暮らせる日が来る事を根内さんは楽しみにしています
原発事故のあとこういう日が来ると思いました?
原発から20kmの外側で農業を営む人を訪ねました
あっこんにちは寛爾さん。
お久しぶりです。
1年ぶりです。
どうも。
お元気ですか?
都路でトマトを栽培している吉田寛爾さんです
震災直後は郡山に避難した寛爾さん。
自費で畑の除染を行い翌年には農業の再開にこぎ着けました
去年10月に訪ねた時妻裕美さんは出産目前でした
あれから1年
手すりがあるのでここから出ないように。
あ〜!お久しぶりです。
どうも。
1年ぶりでございます。
こんにちは。
お久しぶりです。
あら去年生まれた穂香ちゃん?「はじめまして」って。
こんにちは。
あら〜!こんにちは。
あら笑顔がいいですね。
あら〜かわいいね。
穂の香りと書いて穂香ちゃん。
秋の都路の風景にちなんで名付けました。
間もなく1歳。
食欲も旺盛です。
離乳食に使う野菜は寛爾さんが自分の畑で育てたもの。
これまで以上に仕事に力が入るようになったといいます
あ〜そうですか。
今寛爾さんには気がかりな事があります
あこれですか「減容化事業」って。
都路と隣の村との境に除染作業で出た稲わらや泥などを焼却する施設の建設が決まったのです
安心して野菜を作り続けたい。
寛爾さんの願いです
都路の中心部に向かいました。
ここに私が必ず立ち寄る事にしている旅館があります
こんにちは〜。
・は〜い。
おおっ!御無沙汰してます。
お久しぶりでございます。
どうも。
90年続く旅館の3代目です
お久しぶりでございます。
吉田さんは震災の2か月後に都路に戻りいち早く営業を再開。
地元の人たちが集まれる場所を作りたいという思いからでした。
初めて訪ねた時仲間と語っていたのは原発事故によって生じた住民同士のわだかまりについてです
20km圏外の。
はい。
その後避難指示が解除された今も原発20km圏内で暮らす人たちには賠償金の支払いが続いています。
賠償を受けている人もうない人。
住民の間に見えない壁が出来てしまうのではないか。
苦しい胸の内を語ってくれました
吉田さんが届いたばかりの案内を見せてくれました
「田村市都路町体育祭」?
都路で40年以上続いてきた秋の住民体育祭。
震災後は行われていませんでしたが今年再開される事になりました
今度久々の体育祭に一番期待するものって何ですか?声?うんうん。
「優勝どこどこ」ってうお〜ってなるじゃないですか。
あれかな。
体育祭の当日。
都路中学校のグラウンドには続々と人が集まってきました
よ〜い…。
(ピストル音)
子供からお年寄りまで参加者はおよそ850人
頑張れ!頑張れ!
地区別の対抗戦で行われる体育祭。
都路の12の地区全てが出そろいました
農業を営む吉田寛爾さんの長女穂香ちゃん。
最年少の出場です
(ピストル音)
(一同)よいしょ!よいしょ!よし!いけいけ!よしよし!よし!いけ!いけいけっ!
(一同)よいしょ!よいしょ!
一つのグラウンドで競技に熱中する人たち
勝ちました。
わ〜!
おしゃべりを楽しむ人たち
家族で暮らせる事の喜びを語っていた根内さん
都路の人々の心をつないだ住民体育祭。
にぎやかな声が最後まで響きました
今抱えてるその問題というのは何とかなりますかね?ああなるなる。
(笑い声)
2015年秋の都路です
震災から4年8か月。
さまざまな課題に直面しながらも乗り越えようとしている人たちに出会いました。
これからも皆さんの思いに耳を傾けたい。
「忘れじの旅」は続きます。
(一同)乾杯!宮城県の多賀城市に来ています。
ここ多賀城は海と川から津波が押し寄せまして挟み撃ちとなった町の中心部や沿岸部の工業地帯は大変大きな被害を受けました。
こうした地域でNHKでおなじみの番組を公開収録する事で皆さんに笑顔と元気をお届けしようという…今回はここ東北学院大学の多賀城キャンパスを会場に行われています。
テレビとラジオ8つの番組の公開収録。
そしてイベントや展示が行われました。
「ラジオ深夜便」ではリスナーとのつどいを開催。
仙台出身の稲垣潤一さんが歌と地元出身者ならではの楽しい話を披露しました。
(稲垣)まあふるさと仙台でライブっていうのはデビュー以来何度ももちろん行ってるわけですけどもご町内のおじちゃんおばちゃん連中が最前列とかにいると「潤ちゃん」とかって声かけられそうな雰囲気で…。
・「夏のクラクション」・「Babyもう一度鳴らしてくれInMyHeart」これが終わったら…。
Eテレの「ガールズクラフト」。
かわいいおしゃれアイテムを作ります。
挑戦するのはネックレスとヘアアクセサリーです。
(ラッピィ)3つの花びらを開いて1つの花びらにするような感じ。
・「愛がすべてさいまこそ誓うよ」そして特集番組「明日へつなげるライブ」。
歌と笑いで全国の人の心そして震災の記憶を次の世代へとつなげます。
おいしい酒でしょおいしい料理でしょそして美人ですてきなママ。
あらまっ。
全部そろってるじゃないですか。
ありがとう石丸ちゃん。
・「落ち込んでやる気ももう底ついてがんばれない時も」・「きみを思い出すよ」・「10000回だめでかっこ悪くても」・「10001回目は何か変わるかもしれない」・「人はみな孤独の中」・「あの鐘を鳴らすのはあなた」番組の他にも野外では子供たちに人気の「ワンワンとあそぼうショー」も開かれました。
・「にこにこんぱ!んぱ!」ほんと参加してみて改めてまた若い人たちのね…ほんとにもう励みになりますね。
どんどん風化していくと思いますのでやっぱり忘れないという意味でもですねこういうイベントは続けていってほしいなと思いますし。
この「公開復興サポート明日へin多賀城」で収録されました番組は全国に向けて放送されます。
詳しくはホームページをご覧になって下さい。
では被災した地域で暮らす方々の今の思いです。
山元町の被災地で語り部をしています。
語り部として町内外を見ていると山元町は復興が遅れているように感じます。
行政には復興格差をなくしてほしいです。
山元町沿岸被災地で暮らす有志でフリーペーパーを発行してます。
自力再建する人に光を当てたいという思いで2012年にスタートし間もなく40号を発行する事になります。
形は違えどもにぎわいを取り戻して…山元町の被災地にある写真館の館長をしています。
震災前後の写真を町の皆様からお借りしてオープンいたしました。
ここを忘れてほしくないという思い以上に自然災害は起こりうる事を思い出してほしいと思っています。
お待ちしています。
2015/11/15(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「忘れじの旅2015秋」[字]
▽被災した住宅の移転をめぐり迫られる決断▽名物“女川カレー”▽町の運動会が復活!原発事故が分断した地域の絆を再び取り戻す▽響け!太鼓にたくすふるさとへの思い
詳細情報
番組内容
山本哲也キャスターが東日本大震災の被災地を訪ねる「忘れじの旅」。今回は、宮城県の東松島市と福島県の田村市都路を訪ねる。東松島市では、仙石線が開通し、宅地移転も進む中で、困難を乗り越えて家業を再開した人や、被災した自宅の思い出を大切にして暮らす人たちに出会う。田村市都路では、震災以来途絶えていた町の運動会が復活。原発事故が分断したふるさとの絆を再びつなごうとする人たちの思いを聞く。
出演者
【キャスター】畠山智之,山本哲也,【語り】合原明子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
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