場 所 岐阜県多治見市 土岐市 瑞浪市 可児市 笠原市 他
素 材 陶磁器
特 徴 窯業上、瀬戸の1地域として、陶工の往来も盛んに行われ
瀬戸と共に発展してきました。平安時代には白瓷(しらし 須恵器
を改良し、釉薬を使ったもの)という陶器が焼かれました。
このころから焼物の産地として栄え、信長が美濃を併合してから
瀬戸の陶工が美濃に入り、桃山時代から江戸初期にかけて茶陶を
はじめとして、志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒などに優れた品を
作りました。伝統工芸品として指定されている美濃焼は15種類あり
様々な技法で現在も作られています。
作っているもの 花器 茶器 飲食器 置物 など
私達が普段何気なく使っているうつわ・やきもの。
以外にも歴史は深く、長い年月を経て現在に至っています。
ここでは「日本六古窯」など、伝統的工芸品を産地と技法からご紹介します。
聞いたことがあるもの、使っているもの、知らなかったもの。単なる茶碗じゃなかった?
今使っている物が、ちょっと違って見えたりして・・・
画像をクリックすると、説明に飛びます。
産地 / producing area
技法 / technique
< 産地 >
会津本郷焼(あいづほんごうやき)
場 所 福島県大沼郡会津本郷町 会津高田町
素 材 陶器 磁器
特 徴 東北では日本最古の白磁の産地。
陶器も磁器も両方製作しています。磁器は染付や色絵、陶器は飴釉
白釉・緑釉など。良く使われる絵柄は花鳥・山水・松竹梅・四君子・鶴亀
鬼唐草・蛸唐草・渦巻文 他。
作っているもの 食卓用品 茶器 酒器 花器 など
ニシン鉢(ニシン漬け用の鉢)が有名
赤津焼(あかづやき)
場 所 愛知県瀬戸市
素 材 陶器
特 徴 始まりは、奈良時代に焼かれていた須恵器。江戸初期に現在の技術
技法が確立しました。志野や織部、黄瀬戸、御深井(おふけ)など。
尾張徳川家の御用窯として栄えた。
作っているもの 茶器 花器 飲食器 など
上野焼(あがのやき)
場 所 福岡県田川郡赤池町上野
素 材 陶器 磁器
特 徴 1602年に千利休から直接茶道を学び造詣が深かった細川忠興が
小倉藩の藩主になった時、朝鮮の陶工を招いて一族に上野で
登窯を作らせたのが始まりで、茶器や日用品を作る。
後に遠州に好まれ、遠州七窯のひとつに数えられました。
高台が高く、「撥高台(ばちこうだい)」といわれる形をしています。
時代や窯によって特色に違いがあり、初期は土灰釉や藁灰釉・鉄釉を
使っており、朝鮮唐津や古高取に作風が似ている。後には白釉に
上野青釉(銅緑釉)や三彩を掛けたものも作られ、今に至っています。
作っているもの 茶器 酒器 花器 飲食器 香器 装飾器など
天草陶磁器(あまくさとうじき)
場 所 熊本県本渡市 天草郡大矢野町 五和町 苓北町 天草町
素 材 陶器 磁器
特 徴 天草では江戸初期・中期より村民の自活のため、陶磁器が焼かれて
いました。優れた陶石が産出されており、全国の陶業地に送り出されて
います。1673年以前から磁器が焼かれ、陶器は1765年に水の平
(現在本渡市)に水の平焼が創業されて始まりました。日用品が
主に焼かれています。
透明感のある純白の磁器や、黒釉を使った個性的な製品が多いです。
作っているもの 日用品中心の陶器 磁器
伊賀焼(いがやき)
場 所 三重県上野市 名張市 阿山郡島ヶ原村 阿山町 名賀郡青山町
素 材 陶器
特 徴 7〜8世紀に農業用の種壺が作られ、飛鳥時代には寺院の瓦も
作っていた。後に日用雑記も焼くようになり、室町時代末期には
農民の余技陶業から、専門的に職業化し茶器類が多く生まれました。
安土桃山時代の伊賀藩主筒井定次の奨励により、盛況に。
後に遠州の指導で、厚さの薄い「遠州伊賀」と呼ばれる製品が
作られるようになり、名が広まった。素朴な雰囲気を持っています。
すぐ近くの信楽と比べて硬く、やや重い。窯変によるビードロ釉や
焦げ付き具合、器そのものの力強い形や色が特徴。
高温に耐えられる陶土を使用しているため、火に強く丈夫。
作っているもの 茶器 花器 土器 食器 行平 土鍋など
出石焼(いずしやき)
場 所 兵庫県出石郡出石町
素 材 磁器
特 徴 江戸時代中期に大量に白磁の原石が発見されたことから
藩主の援助を受け、佐賀県有田の陶工を招き、城下町で
磁器を焼いたのが始まりです。
磁器産地の中で、唯一の「純白」を誇り、白磁の面に彫刻を
施しています。
作っているもの 茶器 花器 など
伊万里・有田焼(いまり・ありたやき)
場 所 佐賀県伊万里市 武雄市 西松浦郡有田町 西有田町 他
素 材 磁器
特 徴 16世紀末の朝鮮出兵の折、佐賀藩主が朝鮮から陶工 李参平
を連れ帰りました。有田泉山に陶石が発見されたのが始まりです。
このとき焼かれた物が、日本で最初の磁器であると言われています。
絵付けは染付から色絵まで幅広くあり、柿右衛門や金襴手、鍋島
など華やかで種類が豊富。
特に古伊万里様式、柿右衛門様式の磁器は伊万里港から輸出され
ヨーロッパなどで大変人気がありました。
江戸時代の有田焼は運び出す港の名前から、伊万里焼と呼ばれて
いましたが、今では有田で作られたものを有田焼、伊万里で作られた
ものを伊万里焼と呼んでいます。原料や技法は同じなので、名称を
伊万里・有田焼で統一しているそうです。
作っているもの 和洋食器 装飾品 など
岩見焼(いわみやき)
場 所 島根県江津市 浜田市 大田市 那賀郡
素 材 陶器(磁器に近い)
特 徴 江戸時代中期に地元の職人が、現在山口県の陶工に
製造法を習い、片口や徳利などを作るようになりました。
その20年後には備前から水がめのような大きな陶器製品が
伝えられたといわれています。
その水がめは江戸末期には北前舟により、全国に出荷されていました。
現在も磁器に近い粘土を使って、吸水性・耐寒性・耐酸性に優れた
来待釉・温泉津石を用いた透明釉で焼成しています。
作っているもの 水かめ、漬物用かめ すり鉢 茶器 炊事用品 など
越前焼(えちぜんやき)
場 所 福井県福井市 武生市 足羽郡美山町 坂井郡芦原町
丹生郡朝日町 宮崎村 織田町他
素 材 陶器
特 徴 日本六古窯のひとつ。歴史は古く、平安時代末期から焼かれてます。
壺やかめ、鉢が主に作られており、舟徳利、お歯黒壺、すり鉢など
生活につかう日常の器が作られました。
初期のものは、古常滑と似ているが、室町時代のものは特徴があって
区別ができます。作風は釉薬を使わず、焼締や灰釉、鉄釉を中心とした
素朴な風合いです。
作っているもの 酒器 花器 日用雑器 壺 かめ など
大谷焼(おおたにやき)
場 所 徳島県鳴門市
素 材 陶器
特 徴 1780年徳島藩主から、南京・唐津(磁器の焼成)をするよう命令があり
九州より職人を多く雇い入れ、藩窯を作り磁器を生産していました。
しかし、材料が地元になく損失が大きかったため、短期間で閉鎖。
その後1784年、納田平次兵衛が信楽の職人を雇い、技術を習得し
大谷村(現在鳴門市大麻町)に登窯を築き、陶器の生産を開始しました。
現在は大かめから、日用雑器まで幅広く製作。
「寝ろくろ(大物を作るとき、二人一組になり1人は成形を
もう1人は寝転んでろくろを足でけって回す技法)」が特に有名です。
またそれを焼く登り窯の大きさは日本一とも言われている。
作っているもの 酒器 かめ 鉢 など
大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)
場 所 福島県双葉郡浪江町
素 材 陶器
特 徴 江戸時代初期に半谷休閑が井手村美森に良質の陶土を見つけ
焼いたのが始まりといわれています。
最初は七人衆と称し村民七人だけに限り、一子相伝・他見無用とされました
が次第に禁制が緩み、江戸末期には100戸余りの窯元が並ぶ東北地方
最大の大きな産地となりました。
青磁釉で表面を覆い、特に湯呑は二重焼き構造となっているので
熱い湯を入れても持つことができ、入れた湯も冷めにくい。
駒絵と呼ばれる馬の絵が特徴です。
作っているもの 茶器 酒器 花器 灰皿 など
笠間焼(かさまやき)
場 所 茨城県笠間市 勝田市 下館市 常陸太田市 石岡市他 茨城県全域
素 材 陶器
特 徴 江戸時代中期に箱田(現在の笠間市内)の職人が、信楽焼の陶工の
指導で窯を築いたのが始まり。廃藩置県で藩が廃止されるまで
藩の保護・奨励を受けていました。昭和20年ごろまでは、益子焼に似た
すり鉢や土瓶・土鍋・片口などを作りました。近年では花器や食器・
酒器などを作っています。原料の陶土に鉄分が含まれているので
そのまま焼くと赤黒くなります。絵付や化粧土を泥状にして表面に
施すなど様々な技法が凝らされています。
作っているもの 和洋食器 花器 置物 など
唐津焼(からつやき)
場 所 佐賀県市唐津市 武生市 他
素 材 陶器
特 徴 諸説あるが、現在の唐津焼が始まったのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵で
朝鮮の陶工を連れ帰ったことから始まっています。
松浦地方各地で窯が築かれました。朝鮮の陶工が唐津で窯を築くまで
日本には「蹴ロクロ」「登窯」がなかったそうです。
絵唐津、朝鮮唐津、斑唐津、三島唐津、粉引唐津、黒唐津など
種類は多く、茶陶にも好まれています。
食器を西日本では「唐津物」東日本では「瀬戸物」と言われるくらい
日本の食器を占めてきました。
作っているもの 茶器 花器 徳利 など
京焼・清水焼(きょうやき・きよみずやき)
場 所 京都府 京都市 宇治市 城陽市 向日市 亀岡市
素 材 陶器 磁器
特 徴 歴史は古く、聖武天皇の時に、僧行基が清閑寺に窯を築き
土器を焼いたことから始まったと言われています。
清水焼は京焼の一種で東山の清水、五条坂で焼かれているものを
そう呼びます。17世紀には野々村仁清や尾形乾山など名工を次々に
輩出しました。仁清は京焼で初めて色絵を始め、乾山は兄・光琳と
合作で、素朴で閑雅な絵付をしました。19世紀には奥田頴川
(えいせん)が磁器の焼成に成功し、青木木米や永楽保全、仁阿弥道八
などが活躍。
藩のない京都は、技法を制限されることなく様々な種類の陶磁器が
焼かれました。また、明治時代にはドイツ人のワグネルを招き
諸外国の技術を取り入れ、更に発展しました。
京都の焼物は、現代まで90%が手作業であり、分業化されています。
作っているもの 食器 茶器 花器 香道用品 など
九谷焼(くたにやき)
場 所 石川県 金沢市 小松市 加賀市 江沼郡山中町 能美郡根上町
寺井町 川口町
素 材 磁器
特 徴 1655年ごろ、九谷鉱山で陶石が発見。佐賀県有田に製陶技術を
習得の為後藤才次郎を派遣していました。陶工を連れ帰って窯を築き
焼き始めました。この場所が江沼郡九谷であったので、九谷焼と称される
ようになります。(これが古九谷です)
加賀百万石の美術工芸の影響を強く受けて、華やかでありながら渋くて
強い堅さがあります。しかし、1700年代に、突如窯を閉鎖しました。
その後、1806年青木木米が指導者として、卯辰山山麓に春日山窯を開き
吉田屋窯、若杉窯、宮本窯などが築かれ、幕末には京都の永楽和全が
九谷本窯へと移行し、金欄手などの技法を駆使し発展。
これらの窯それぞれが、古九谷の復興、細密彩色金襴、赤絵など
特有の画風を作り出し、明治20〜30年代には日本の輸出陶磁器の第1位
となるまでに発展し、現在に至っています。
作っているもの 食器 茶器 花器 酒器 置物など
小石原焼(こいしわらやき)
場 所 福岡県朝倉郡小石原村
素 材 陶器 ( 18世紀初めまでは磁器 )
特 徴 1667年黒田藩藩主により、窯が築かれた。筑前で最初の窯です。
1684〜88年には、皿山奉行が設けられるなど、隆盛を極めました。
主に大かめ、壺や徳利などが磁器で作られました。
18世紀初めから陶器が作られるようになり、現在に至っています。
17世紀後半に確立したとび鉋、刷毛目、化粧掛けなどの技法で
素焼きをせずに釉薬を掛けて焼成しています。
作っているもの 食器 かめ 壺 置物 など
薩摩焼(さつまやき)
場 所 鹿児島県 鹿児島市 指宿市 日置郡東市来町 始良郡加治木町 他
素 材 陶磁器
特 徴 朝鮮出兵 文禄・慶長の役の後、薩摩藩主 島津義弘が朝鮮の陶工を
連れ帰り、窯を築かせたのが始まりです。連れ帰った陶工たちは17名。
やがて良質の陶土が、苗代川の近くに発見されました。
現在は、伝統に基づいた6つの系統があり(堅野・龍門司・苗代川・西餅田
平左・種子島)、白薩摩(御用窯が由来)・黒薩摩(民窯)・磁器の3種類が
作られています。白薩摩は、黄味がかった白手の地に、無色の釉薬を
掛け、表面を貫入が覆っています。これに、色絵や染付・金彩などの
絵付をします。黒薩摩は、黒釉・褐釉・飴釉などの釉薬をかけます。
鉄分の多い土を使用しており、茶褐色の地です。
作っているもの 食器 茶器 花器 酒器 装飾品など
信楽焼(しがらきやき)
場 所 滋賀県甲賀郡信楽町
素 材 陶器
特 徴 日本六古窯のひとつ。聖武天皇が紫香楽宮を作る際に、瓦を
焼いたのが始まりとされる。鎌倉時代には、水がめや種壺が
多く作られ、室町・安土時代になると、茶陶が盛んに作られました。
江戸時代には登窯で日用品が焼かれていました。大正時代には
火鉢を主に製作していましたが、現在はタイル・食器・置物など
生活に根ざした製品が作られています。
信楽といえば、狸の置物も有名ですよね。
作っているもの 食器 花器 傘たて 置物 植木鉢 庭園用品 など
小代焼(しょうだいやき)
場 所 熊本県熊本市 荒尾市 玉名郡南関市 長州市 下益城郡松橋町
素 材 陶器
特 徴 豊前藩小倉城主 細川忠利の熊本移封に伴って、当時豊前上野で
作陶していた源七と八左衛門が小岱山麓に移り住み、窯を開いたこと
が始まりです。小岱山で取れる粘土は鉄分が多く、素朴で力強い作風。
素焼きしてから藁灰・木灰を主成分とした釉薬をかけ、焼き上げます。
「 内掛け流し(柄杓にとった釉薬を器の表面に勢い良く振りかけて
流れによって文様が表現される) 」の技法が特色。茶
陶も多く作られています。
作っているもの 茶器 花器 壺 など
瀬戸焼(せとやき)
場 所 愛知県瀬戸市
素 材 陶器
特 徴 「瀬戸物」といえば「唐津物」と同様、陶磁器の代名詞になっています。
日本六古窯のひとつ。歴史は古く、鎌倉時代に加藤藤四郎影正が
中国の陶法を伝えて、天目茶碗や茶入を焼いたのが始まりとされ
ています。唐物を写した茶入を作っていましたが、安土桃山時代に
茶の湯が盛んになると、千利休や小堀遠州・古田織部らの指導により
瀬戸黒・黄瀬戸・志野・織部・織部黒など優れた茶陶が生み出された。
江戸時代には、瀬戸物が陶磁器の代名詞となったが、茶陶は京都
中心に作られるようになり、瀬戸は雑器が中心になった。
隣接する岐阜県土岐・可児・恵那の美濃焼も歴史的には、瀬戸焼
に含まれる。
作っているもの 茶器 花器 飲食器 装飾品 など
丹波立杭焼(たんばたちくいやき)
場 所 兵庫県篠山市 三田市 加西市
素 材 陶器
特 徴 日本六古窯のひとつ。歴史は古く、平安時代末期に始まったと
言われています。室町以前のものを古丹波、小堀遠州の好みで
焼かれたものを、遠州丹波といいます。
桃山時代までは穴窯が使われましたが、その後登窯に変わり
現在に至っています。この地域独特のものとして、「蹴ろくろ(左回転
他の地域は右回り)」 があります。
当初は壺やかめを主に作っていましたが、江戸時代に
小堀遠州らの指導により、茶陶を製作し名品を残しています。
焼締め・灰釉・鉄釉による、素朴で渋みのある風合いです。
現在も、家庭で日常使用する物が多く作られています。
作っているもの 茶器 花器 食器 酒器 置物 植木鉢 など
壺屋焼(つぼややき)
場 所 沖縄県那覇市 国頭郡恩納村 中頭郡読谷村
素 材 陶器
特 徴 17世紀後半に琉球王府によって、美里の知花窯、首里の宝口窯
那覇の湧田窯が現在の壺屋町に統合されたのが始まり。
釉薬をかけ、沖縄独特の色合いと絵柄がつけられる上焼(じょうやち)と
南蛮焼とも呼ばれる焼締めの荒焼(あらやち)の二つに分かれています。
上焼は食器類などが、荒焼は酒かめ、水がめが主に作られています。
生地は分厚く、重みがあり、魚や印花模様などが絵付されています。
作っているもの 抱瓶(ダチビン) 酒器(カラカラ) シーサー 壺
食器 など
常滑焼(とこなめやき)
場 所 愛知県常滑市 半田市 知多市 東海市 大府市 他
素 材 陶器
特 徴 日本六古窯のひとつ。歴史は古く、平安時代末期までさかのぼる
事ができます。常滑焼の原型を古常滑といいますが
平安時代の経塚壺(仏教のお経を書いて壺にいれ
地中に埋めてご利益を祈願した)のほとんどが古常滑です。
室町時代になると、生活用の壺・かめが作られ、安土桃山時代になると
茶陶や花器が主に作られるようになりました。江戸時代末期からは
それに加えて生活用品が作られ、上村白鴎・頼井陶然・伊奈長三ら
名工を輩出しました。急須は、明治初期から初代・杉江寿門が
朱泥急須の名工として知られ、以来「お家芸」といわれています。
そして、このころから土管・洗面器・便器など衛生陶器、タイル
植木鉢も盛んに生産されました。
作っているもの 茶器 花器 食器 酒器 置物 植木鉢 壺 かめ など
砥部焼(とべやき)
場 所 愛媛県松山市 伊予郡松前町 砥部町
素 材 磁器
特 徴 1775年大洲藩主加藤泰候が地元の地元の陶石をもとに、磁器を
焼かせ、藩の財政の助けにしようという事が始まりです。
磁器の産地として知られていた、現在の長崎・肥前から陶工を
連れてきました。明治以後は東南アジア向けの飲食器の産地として
生産を伸ばしましたが、戦後は柳宗悦らの指導を受け、手作り
手描きを重視した産地へと変わっていきました。
大胆な筆使いで、文様を染付で描いてあります。
天然の灰を使った、やわらかい発色であたたかみがあります。
厚手で手に持ちやすく、冷めにくいと言われています。
作っているもの 花器 食器 置物 など
萩焼(はぎやき)
場 所 山口県萩市 長門市 山口市 大津郡三隅町 阿武郡川上村
阿武町 むつみ村 旭村 福栄村
素 材 陶器
特 徴 毛利輝元が朝鮮出兵の後、朝鮮の陶工 李勺光・李敬を連れ帰り
築窯し御用品を焼いたことが始まりです。
勺光は、坂本助八と改正しましたが、後に「坂高麗左衛門」の名を
与えられ、代々受け継がれています。
萩焼の特徴は、初期は挑戦朝鮮系の影響が強く、藩主輝元も茶の湯に
造詣が深かったことから、茶陶を製作し茶人に愛用されてきました。
吸水性が高いことから、長年使用していると色彩が変化し
「萩の七化け」いわれ親しまれています。
また、高台に1〜3箇所切れ目が入っているのも特徴のひとつ。
これは、明治以降庶民が使うようになったときにお殿様と同じものを
使うなんて・・・と高台を割り、キズモノ扱いとした。
初代三輪休雪は、藩の命令を受けて京都で楽焼の手法を学び帰った人です。
萩焼は初期の朝鮮風から、日本の茶陶らしいものに発展していきました。
作っているもの 茶器 花器 食器 装飾用品 など
波佐見焼(はさみやき)
場 所 長崎県東杵郡波佐見町 川棚町 東杵町
素 材 磁器
特 徴 大村藩主が朝鮮出兵の後、朝鮮の陶工を連れ帰り焼かせたのが
始まりです。江戸時代の初期には磁器が焼かれるようになり
日用品が青磁釉や染付で作られました。中でも厚手の染付の茶碗は
大阪の船着場で、船上の人々に酒や食事を売る食器として扱われ
「くらわんか碗」としてよく知られていました。
時代に合わせて改良され、伝統的なものからモダンなものまで
幅広く作られ、価格も手ごろなことから人気があります。
作っているもの 茶器 花器 食器 装飾用品 など
(四日市)萬古焼(〔よっかいち〕ばんこやき)
場 所 三重県四日市市 桑名市 鈴鹿市 他
素 材 陶器
特 徴 1736〜41年ごろ大商人 沼浪弄山が朝日村小向で焼いたのが始まり
です。茶の湯に詳しく、陶芸を趣味にしていて自分の作品が永遠に
伝わるように、と「萬古不易」の印を押しました。江戸など窯を広げて
商売をし、経営もしていたそうです。しかし、弄山の死により一時中断。
森有節が再興しました。このころは、赤土に釉薬をかけ色絵付したものと
備前風に素焼きの焼締めのものと2種類ありました。現在は、明治時代に
初めに焼かれた物が元になっており、とくに形物の急須が優れており
有名です。
作っているもの 茶器 急須 酒器 室内置物 など
備前焼(びぜんやき)
場 所 岡山県備前市 岡山市 和気郡和気町 他
素 材 陶器
特 徴 平安時代にはすでに焼かれていたそうです。日本六古窯のひとつ。
室町時代後半から、日用品の他に茶陶も作り始め、桃山時代に
盛期を迎えました。江戸時代中期には、藩の保護を受け全国に
広まりました。釉薬を掛けず、絵付もしない備前焼は素朴でありながら
存在感が有り、登窯で1280度の高温で、約2週間火を焚き続けます。
二つと同じ文様のない窯変が人気です。
作っているもの 茶器 酒器 花器 置物 など
益子焼(ましこやき)
場 所 栃木県真岡市 芳賀郡益子町 市貝町 茂木町
素 材 陶器
特 徴 1853年に笠間で修行した大塚啓三郎が始め、藩の援助も
受けて栄えました。水がめや、片口、すり鉢など日用品を主に
焼き、江戸で使われていたそうです。
大正13年に浜田庄司が作家活動を始め、地元の陶工たちに
多大な影響を与えました。特に人間国宝の認定を受けてからは
浜田の名前と共に民芸陶芸として、益子が知られるように
なりました。やや厚手で白化粧、刷毛目などの手法で力強く
無骨な印象を受けます。華やかさはないものの、渋みがあって
しっかりとした造りが実用品として重宝がられ、人気があります。
作っているもの 食器 花器類 など
三川内焼(みかわちやき)
場 所 長崎県佐世保市三川内町 他
素 材 磁器
特 徴 朝鮮出兵の後、平戸藩主が朝鮮から陶工を連れ帰り
焼かせたのが始まりです。治維新までは、平戸藩の御用窯として
栄えました。李朝風のデザインから、中国風のデザインに変化し
特に唐子がうまく、幕府や大名の贈答品に使われました。
(唐子7人は朝廷・将軍家、5人は大名・重臣、3人は一般武士に、と
決められ、庶民は手にできなかったそうです。)
平戸藩が治めていた時代に、天草で陶石が発見され技術や技法が
飛躍的に発展しました。
染付が特徴で、御用窯としての実績から、日用品から装飾品まで
幅広く作陶。精巧緻密で優美な製品が人気です。
作っているもの 香炉 割烹食器 花器 茶器 など
美濃焼(みのやき)
・TACHIKICHI・
・TACHIKICHI・