月に1度集まってふるさとに伝わる踊りを練習している人たちがいます。
実はそのふるさと近い将来消滅します。
福島県南相馬市沿岸部の町。
今も津波で壊れた家が放置されています。
原発事故で住民がバラバラとなり集落を再建する望みが絶たれました。
住民たちは今消えゆく町の記憶をなんとか残そうとしています。
福島市に移住した女性。
それでもふるさとに通い途絶えていた踊りを復活させようとしてきました。
もう戻れないふるさとに毎日通う男性。
捕っているのは地域の自慢だった天然のウナギです。
津波と原発事故に翻弄された小さな集落。
ふるさとを失う人たちの思いを見つめます。
福島第一原発から北へ15キロ。
南相馬市村上地区です。
かつて70軒の家が軒を連ねていました。
津波で住民の2割62人が犠牲となりました。
丘の上に残った1軒の民家を借り毎日仮設住宅から通ってくる男性がいます。
(取材者)こんにちは。
こんにちは。
村上で生まれ育ちました。
津波を生き延びた生き物を見つけては集め世話をしています。
この日は田んぼの跡地に向かいました。
ドドド…!はあ〜!幼い頃によく見たニホンメダカが震災から4年半たって戻ってきています。
今橋本さんが力を入れているのが津波で流された祭りの道具作りです。
村上に古くから伝わる伝統芸能「田植踊」で使われてきました。
田植踊は集落総出で行った農作業の様子を再現したものです。
毎年旧正月神社に奉納されたあと一軒一軒を回り地区の安寧と繁栄を祈りました。
しかし神社の拝殿は東日本大震災で崩壊。
今も再建する事ができず踊りの奉納も途絶えたままです。
鎌倉時代に最初の記録が残る村上地区。
住民が協力し合う半農半漁の暮らしがありました。
しかし原発事故の影響で住民は全国各地に避難。
地区の再建について話し合う事がほとんどできませんでした。
震災の2年後村上は市の災害危険区域に指定され住宅を建てる事ができなくなりました。
更に当初持ち上がっていた高台への移転計画も住民がなかなか集まれず立ち消えになりました。
地元で再建する事も移転して存続する事もかなわず集落としての村上地区は消える事になったのです。
いつもは人けのない村上に住民たちの姿がありました。
秋のお彼岸です。
お盆やお彼岸はバラバラになった住民が集まる数少ない機会となっています。
地区のお墓は砂の上に並べられた仮の姿のままです。
集落の移転が進まない中墓地の行く先も定まりませんでした。
ヒデオさんタカコさん。
ああんだんだ。
いや〜。
遠方から足を運ぶ事ができず4年たってやっと家族の石碑を見つけた人もいました。
じいちゃん早く。
じいちゃんこうやって遊んでんだよ。
仙台市に避難している橋本さんのひ孫たちもやって来ました。
毎日のように虫捕りなどをして遊んだ孫やひ孫。
震災後はほとんど会う機会がなくなりました。
何何?何何?何…?お供えのお菓子をあげようとした橋本さん。
いいよ。
じいちゃん食べっからいいよ。
離れて暮らす中でふるさとへの思いに開きが生まれています。
バイバ〜イ。
グッバ〜イ!また来てな〜。
30分ほどで帰っていった恵梨香さんの家族。
既に仙台に新しい家を建てました。
村上地区から70キロ離れた…ずっと奥の方なんですけど。
避難した先に暮らしの基盤を移す人が増えています。
去年福島市に家を建てた…お墓も移す事を決めました。
前とはね半分もないくらいですけど。
このままではつながりが薄れていくふるさと。
岡和田さんには残したいものがあります。
30年近く歌い手を務めた田植踊の唄です。
これです。
口づてに教わった田植えの様子を表した唄。
自分の代で絶えないよう震災後歌詞を書き記しました。
「一本植えて千本なれや」。
もうね最初の一本植えればこう稲穂がね出来るまでの事をうたってるんで…。
岡和田さんは仲間に呼びかけ震災後途絶えていた田植踊をなんとか残していこうとしています。
岡和田さんの呼びかけに応えた人が南相馬市内にいました。
去年村上から10キロほどの市街地に家を建て娘の家族と暮らしています。
西内さんは津波で妻と義理の母を亡くしました。
妻ヤス子さんもおよそ30年田植踊の歌い手を務めていました。
ヤス子さんのほかにも田植踊のメンバーの多くが津波の犠牲になりました。
ここにいる人何人だろう?123人かな。
若い人ではね。
あとはうん…あっ4人いた。
この人も流されたね。
以前は観客として見るだけだった西内さん。
去年保存会の会長を引き受けました。
踊りが大好きだったヤス子さんの気持ちをくんだといいます。
月に1度の練習の日です。
南相馬市中心部の公民館に田植踊のメンバーたちが集まってきました。
メンバーはおよそ40人。
いつ会っても気の置けない仲間たちです。
うちの女房です。
うちの女房です。
予定表をお渡しします。
決まりましたんで予定表。
会長の西内さんも裏方として毎回参加しています。
片道1時間半かけて通う歌い手の岡和田さん。
神社に奉納する祭りはもうありませんがイベントなどで披露し村上の田植踊を存続させていこうと考えています。
通し練習が始まろうとした時困った事が起きました。
笛を担当するメンバーが体調を崩して来られなくなったのです。
原発事故でみんなが離れ離れとなり1人欠けても練習が成り立ちません。
(太鼓の音)あっ来た来た来た。
あっ来た来た来た。
欠席するはずだった別のメンバーが予定をやりくりして駆けつけてくれました。
(笛と太鼓)うわっと〜!橋本さんたち男性陣による「道化」です。
ユーモラスな姿にかつて子どもたちは大はしゃぎしました。
女性たちが再現する田植えの様子。
消えゆく集落にかつてあった暮らしの姿の記憶です。
次の日も橋本さんは村上の民家にいました。
今橋本さんが大事に増やしている植物があります。
これがハマボウフウっていうもんでまず村上辺ではほとんど今ないです。
かつて砂浜一面に生えていた山菜ハマボウフウ。
採るのはみんなの楽しみでした。
橋本さんは種を増やしいつの日か人が集まる浜の姿を取り戻したいと考えています。
町の記憶を拾い集め残していこうとする人たち。
「ここに暮らしがあった」。
消えゆく町からのメッセージです。
今月5日東京渋谷区で2015/11/15(日) 08:00〜08:25
NHK総合1・神戸
目撃!日本列島「ここに生きた証を残す〜福島 消えゆくまちで〜」[字]
津波と原発事故で住民が離散し“消滅”することになる福島県南相馬市沿岸のまち。無人の町に毎日通う男性など、故郷を失う人たちの思いを見つめる。語り:小山力也
詳細情報
番組内容
津波と原発事故で住民が離散し“消滅”することになる福島県南相馬市沿岸のまち。無人の町に1軒残った空き家を借りて毎日通う男性がいる。流失した祭りの道具を作り直したり、津波を生き延びた生き物を育てたり…。男性の思いとは何なのか。消えゆくまちの人々の思いを見つめる。【語り】小山力也
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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